43 / 88
参/夢見の悪さとその答え
3-9
しおりを挟む
◇
昼飯を食べる気分にはならなかった。ただ時間をつぶしていく中で、胃がキリキリときしむ感覚だけが反芻した。何かを取り込むこともできただろうが、自分からそれをすることはなく、行儀悪く部屋の中でタバコを吸うくらいしかできなかった。
空間に嫌なにおいがわだかまる。それをしたのは自分自身でしかない。結局、先ほどまでは吸いたくなかった煙草を吸って時間をつぶしているのだ、どこまでも自分自身に対しての無力感を感じずにはいられない。依存しているということを自覚することも、自暴自棄になって変な行動をとることに対しても。
頭の中で繰り返し問いかけてくる人形の言葉、それを考えることはもうしたくない。タバコを吸っている間はその思考から離れることができるような気がした。気がするだけでしかなかったけれど。
皐が帰ってくるまでどのくらいの時間があるだろうか。携帯に表示される時間を眺めてみるけれど、よくよく考えれば皐がいつも何時までアルバイトで働いているのかを俺は知らない。
帰ればいつも皐がいて、そうしていつも学校に向かっている。当たり前に享受していた日常、特に気にすることもなかった風景の残滓。
寂しい、そんな気持ちが心を占有するけれど、孤独感から皐を求めることは禁忌の肯定にはならない。いつまでも後ろめたい気持ちだけが反芻する。
恭平に何も返信をすることはできず、皐に対面をしたとしても何かしらの言葉が生まれる気はしない。すべてを遠ざけて、どこかに逃げてしまいたい気分。
結局、それを選択してしまえば、文字通りに俺という存在は終わりを告げるのだろう。だから、それを選択することはできないでいる。そんな自分がやはり無力で仕方がない。
気分転換をしなければいけない、そう思って、俺は触れていたスマートフォンを充電器に挿して、片隅においていたノートパソコンを手に取る。
ここ最近は文章に向き合っていない。詩も文章も、小説も、物語も。
せめて、意識がそらせればいい。
そんな気持ちで、俺はテキストエディターを開くことにした。
◇
「あれ、今日は早いね」
夕方近くになり、玄関のドアが開く音がした。そちらに顔を向けると、当たり前だけれどそこには皐がいた。高校とは違う鞄を背中に背負っており、格好も余所行きという服装。あまり見慣れていない彼女らしい服装という具合。それに少し違和感を覚えながらも、今まで知ろうとしていなかった彼女の一部分に触れてうれしくなる。きっとここでこそ後ろめたさを覚えるべきなんだろうけれど、いまだに彼女に対して知ることのできない何かがあることに、どうしてもうれしさを隠すことはできなかった。
「まあ、いろいろあったんだよ」
彼女に言い訳は思いつかなかった。日中にあったことはそうとしか説明ができない。身体的な体調の悪さがあったわけでもない、精神的な調子の悪さがそうさせていて、具体的にどういう気持ちになっているかを表現することは自分自身でできないでいる。だからこそ、そんな表現を選んでしまった。
皐は、まあそういうこともあるよね、と言葉に出しながら、家に上がり込んで肩に背負いっていた鞄を居間のほうにまで来て置く。見た目は単純なリュックサック、という感じなのに、置いた瞬間にドスンと重さを意識させるような音が響く。中には何が入っているのか気になったけれど、せっかく始めた文章の紡ぎを止めることに抵抗があったから行動はしない。おそらく、別に文章を書いていなくてもかばんを探るような真似はしなかっただろうけれど。
ここからはいつも通りの日常でしかない。
皐は学校に行く前にシャワーを浴びた。いつもであれば、俺がシャワーに入って、その間に皐が学校に行く支度をするけれど、今日に関しては逆転しているような感じがする。まだ学校に行くまでの時間はだいぶとある。だから、のびのびとした気持ちで学校の支度をしたあとは、適当に先ほどまで書いた文章を保存するようにした。
ただ、ここで書いた文章を皐には見られたくなかったから、ファイルの位置は工夫して、彼女が見ないであろう場所に入れた。見られたくないというのならば消せばいいだけの話なのに、どうしてかそれを残して起きた気持ちがある。自分自身の感情を並べただけのものでしかないが、いつか振り返ることができれば、何かしらの清算ができるような、そんな気がしたから。
文章を書いたおかげというべきか、昼間まで続いていた調子については拭えて来たような気がする。皐が来るまでノートパソコンの画面と向き合ってしかいなかったし、没頭していたから時間の経過というのも忘れてしまっていたが、その成果はあるといえるだろう。俺は静かに息を吐いた。
しばらくして皐がシャワーを終わらせてくる。皐はシャワーを浴びた後、心地がいいと感じる匂いを漂わせながら着替えていく。同じシャンプーや石鹸を使っているはずなのに、彼女にしか感じない心地のいい香り、男女というだけでどうしてこんなに違うのだろう、とか、そんなことを考える。
見慣れてしまった裸体は早々に布で覆われていく。そこに残念さを覚えることは後ろめたさだ。彼女が妹だから、とかそういうことではなく、きっと人としての話でしかない。
「翔也、今日はじっと見てくるね」
「……いや」
彼女の体に見とれていることを悟られて、俺は視線をそらしてしまう。否定の言葉をだそうと、いや、と発言したけれど、そのあとに続く言葉を想像することができず、押し黙ることしかできない。
「翔也のえっち」
皐は静かに笑いながらそういった。
はは、と俺は苦笑を返す。
それくらいの言葉で許されるのならば、それでいいと思ってしまったから。
昼飯を食べる気分にはならなかった。ただ時間をつぶしていく中で、胃がキリキリときしむ感覚だけが反芻した。何かを取り込むこともできただろうが、自分からそれをすることはなく、行儀悪く部屋の中でタバコを吸うくらいしかできなかった。
空間に嫌なにおいがわだかまる。それをしたのは自分自身でしかない。結局、先ほどまでは吸いたくなかった煙草を吸って時間をつぶしているのだ、どこまでも自分自身に対しての無力感を感じずにはいられない。依存しているということを自覚することも、自暴自棄になって変な行動をとることに対しても。
頭の中で繰り返し問いかけてくる人形の言葉、それを考えることはもうしたくない。タバコを吸っている間はその思考から離れることができるような気がした。気がするだけでしかなかったけれど。
皐が帰ってくるまでどのくらいの時間があるだろうか。携帯に表示される時間を眺めてみるけれど、よくよく考えれば皐がいつも何時までアルバイトで働いているのかを俺は知らない。
帰ればいつも皐がいて、そうしていつも学校に向かっている。当たり前に享受していた日常、特に気にすることもなかった風景の残滓。
寂しい、そんな気持ちが心を占有するけれど、孤独感から皐を求めることは禁忌の肯定にはならない。いつまでも後ろめたい気持ちだけが反芻する。
恭平に何も返信をすることはできず、皐に対面をしたとしても何かしらの言葉が生まれる気はしない。すべてを遠ざけて、どこかに逃げてしまいたい気分。
結局、それを選択してしまえば、文字通りに俺という存在は終わりを告げるのだろう。だから、それを選択することはできないでいる。そんな自分がやはり無力で仕方がない。
気分転換をしなければいけない、そう思って、俺は触れていたスマートフォンを充電器に挿して、片隅においていたノートパソコンを手に取る。
ここ最近は文章に向き合っていない。詩も文章も、小説も、物語も。
せめて、意識がそらせればいい。
そんな気持ちで、俺はテキストエディターを開くことにした。
◇
「あれ、今日は早いね」
夕方近くになり、玄関のドアが開く音がした。そちらに顔を向けると、当たり前だけれどそこには皐がいた。高校とは違う鞄を背中に背負っており、格好も余所行きという服装。あまり見慣れていない彼女らしい服装という具合。それに少し違和感を覚えながらも、今まで知ろうとしていなかった彼女の一部分に触れてうれしくなる。きっとここでこそ後ろめたさを覚えるべきなんだろうけれど、いまだに彼女に対して知ることのできない何かがあることに、どうしてもうれしさを隠すことはできなかった。
「まあ、いろいろあったんだよ」
彼女に言い訳は思いつかなかった。日中にあったことはそうとしか説明ができない。身体的な体調の悪さがあったわけでもない、精神的な調子の悪さがそうさせていて、具体的にどういう気持ちになっているかを表現することは自分自身でできないでいる。だからこそ、そんな表現を選んでしまった。
皐は、まあそういうこともあるよね、と言葉に出しながら、家に上がり込んで肩に背負いっていた鞄を居間のほうにまで来て置く。見た目は単純なリュックサック、という感じなのに、置いた瞬間にドスンと重さを意識させるような音が響く。中には何が入っているのか気になったけれど、せっかく始めた文章の紡ぎを止めることに抵抗があったから行動はしない。おそらく、別に文章を書いていなくてもかばんを探るような真似はしなかっただろうけれど。
ここからはいつも通りの日常でしかない。
皐は学校に行く前にシャワーを浴びた。いつもであれば、俺がシャワーに入って、その間に皐が学校に行く支度をするけれど、今日に関しては逆転しているような感じがする。まだ学校に行くまでの時間はだいぶとある。だから、のびのびとした気持ちで学校の支度をしたあとは、適当に先ほどまで書いた文章を保存するようにした。
ただ、ここで書いた文章を皐には見られたくなかったから、ファイルの位置は工夫して、彼女が見ないであろう場所に入れた。見られたくないというのならば消せばいいだけの話なのに、どうしてかそれを残して起きた気持ちがある。自分自身の感情を並べただけのものでしかないが、いつか振り返ることができれば、何かしらの清算ができるような、そんな気がしたから。
文章を書いたおかげというべきか、昼間まで続いていた調子については拭えて来たような気がする。皐が来るまでノートパソコンの画面と向き合ってしかいなかったし、没頭していたから時間の経過というのも忘れてしまっていたが、その成果はあるといえるだろう。俺は静かに息を吐いた。
しばらくして皐がシャワーを終わらせてくる。皐はシャワーを浴びた後、心地がいいと感じる匂いを漂わせながら着替えていく。同じシャンプーや石鹸を使っているはずなのに、彼女にしか感じない心地のいい香り、男女というだけでどうしてこんなに違うのだろう、とか、そんなことを考える。
見慣れてしまった裸体は早々に布で覆われていく。そこに残念さを覚えることは後ろめたさだ。彼女が妹だから、とかそういうことではなく、きっと人としての話でしかない。
「翔也、今日はじっと見てくるね」
「……いや」
彼女の体に見とれていることを悟られて、俺は視線をそらしてしまう。否定の言葉をだそうと、いや、と発言したけれど、そのあとに続く言葉を想像することができず、押し黙ることしかできない。
「翔也のえっち」
皐は静かに笑いながらそういった。
はは、と俺は苦笑を返す。
それくらいの言葉で許されるのならば、それでいいと思ってしまったから。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
【完結後の「ぐだぐだ」連載中(笑)!】『偽りのチャンピオン~元女子プロレスラー新人記者「安稀世」のスクープ日誌VOL.3』
M‐赤井翼
現代文学
元女子プロレスラー新人記者「安稀世」のスクープ日誌の3作目になります。
今回のお題は「闇スポーツ賭博」!
この春、メジャーリーグのスーパースターの通訳が起こした「闇スポーツ賭博」事件を覚えていますか?
日本にも海外「ブックメーカー」が多数参入してきています。
その中で「反社」や「海外マフィア」の「闇スポーツ賭博」がネットを中心にはびこっています。
今作は「闇スポーツ賭博」、「デジタルカジノ」を稀世ちゃん達が暴きます。
毎回書いていますが、基本的に「ハッピーエンド」の「明るい小説」にしようと思ってますので、安心して「ゆるーく」お読みください。
今作も、読者さんから希望が多かった、「直さん」、「なつ&陽菜コンビ」も再登場します。
もちろん主役は「稀世ちゃん」です。
このネタは3月から寝かしてきましたがアメリカでの元通訳の裁判は司法取引もあり「はっきりしない」も判決で終わりましたので、小説の中でくらいすっきりしてもらおうと思います!
もちろん、話の流れ上、「稀世ちゃん」が「レスラー復帰」しリングの上で暴れます!
リング外では「稀世ちゃん」たち「ニコニコ商店街メンバー」も大暴れしますよー!
皆さんからのご意見、感想のメールも募集しまーす!
では、10月9日本編スタートです!
よーろーひーこー!
(⋈◍>◡<◍)。✧♡
婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。
夢草 蝶
恋愛
侯爵家の末姫で、人付き合いが好きではないシェーラは、邸の敷地から出ることなく過ごしていた。
そのため、当然婚約者もいない。
なのにある日、何故かシェーラ宛に離縁状が届く。
差出人の名前に覚えのなかったシェーラは、間違いだろうとその離縁状を燃やしてしまう。
すると後日、見知らぬ男が怒りの形相で邸に押し掛けてきて──?
龍皇伝説 壱の章 龍の目覚め
KASSATSU
現代文学
多くの空手家から尊敬を込めて「龍皇」と呼ばれる久米颯玄。幼いころから祖父の下で空手修行に入り、成人するまでの修行の様子を描く。
その中で過日の沖縄で行なわれていた「掛け試し」と呼ばれる実戦試合にも参加。若くしてそこで頭角を表し、生涯の相手、サキと出会う。強豪との戦い、出稽古で技の幅を広げ、やがて本土に武者修行を決意する。本章はそこで終わる。第2章では本土での修行の様子、第3章は進駐軍への空手指導をきっかけに世界普及する様子を独特の筆致で紹介する。(※第2章以降の公開は読者の方の興味の動向によって決めたいと思います)
この話は実在するある拳聖がモデルで、日本本土への空手普及に貢献した稀有なエピソードを参考にしており、戦いのシーンの描写も丁寧に描いている。
【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?
との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」
結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。
夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、
えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。
どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに?
ーーーーーー
完結、予約投稿済みです。
R15は、今回も念の為
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる