上 下
15 / 50

15 一樹之陰

しおりを挟む
 それから数日後。雪玲しゅうりんの元には二十七世婦だけでなく、九嬪からのお誘いが届くようになっていた。

「潘才人は琴棋書画に通じている」という噂が出回ったためだ。

 商人からの買い物に同席させたい妃もいれば、手持ちの金銀財宝の価値を今一度調べたい妃、本当に価値があるのか疑念がある品を持つ妃などから、お茶会と称する招聘が後を立たない。

「一体誰がそんな噂を?」

 首を傾げる雪玲だったが、もちろん、明美人である。

 そんなわけで、困惑している部分もあるにはあるが、雹花ひょうかと明明の居場所も知りたい雪玲としては願ったり叶ったり。とうとう九嬪それぞれの屋敷へも出入りを始めたわけなのだ。

 そして、この噂は思わぬ所まで波及した。

 ◇ ◇ ◇

 朝議では皇帝の低くもよく通る静かな声が北極殿に響き、百官はさまざまな思いを秘めながら聴講していた。新皇帝の言葉にはまるで力が宿っているかのごとく、有無を言わさず従わざるを得ないと思う何かがある。

 即位後、額から鼻を覆う銀製の仮面を付け始めた新皇帝。

 黒蛇国の隠密による襲撃で顔に傷を負い、醜悪になったという噂もあれば、あの仮面に治癒の効果があるとも聞く。細工が施された美しい仮面は元々華やかだった新皇帝を引き立て、今や唯一無二の存在感を醸し出している。

 どこかの国では形ばかりの朝議で皇帝不在が当たり前だとも聞く。

 だが、我が国の新皇帝は幼少から神童の名を欲しいままにしてきた正に太陽のような存在。政治にも積極的な意見を述べつつ時には官僚の顔を立て、難しいかじ取りを上手く行っている。

 青龍国の未来が明るいことに、百官たちは誇りを持っていた。


 常朝である朝政を終えた皇帝は、巨大な北極殿の最深部へと進んでいく。寝室がある辺りからは入室できるものが限られるが、さらにその奥ともなると腹心しか足を踏み入れられない。

 秘密を抱える新皇帝は羽林をはじめ隠密部隊を有し、許可のない者の立ち入りを何人たりとも厳しく禁止した。すでに興味本位で覗いた者や皇帝の手つきを狙った女官が手打ちにあったことは有名な話である。


 幾重にも厳重な警備を過ぎた後、ようやく人心地付ける空間につくと新皇帝は銀の仮面を解き、大きく息を吐いた。傷一つない麗しい美貌に疲れが見える。

 ここにいるのは太傅たいふ、太監のほか、腹心である影狼、羽林中郎将、気配を消し護衛をしている隠密部隊のみ。天佑が信頼する者たちであり、天誠が昏睡していることを知る数少ない者たちだ。

 休む間もなく、朝議では話せない重要な話や天誠絡みの話など、込み入った話を議論する。公にできない報告の中には後宮の勢力図に関する内容もあった。

「二妃と新たに入った右丞相の娘、唐昭容の牽制か……」

 その他にも大小さまざまないさかいを太監が報告するが、天佑は干渉するつもりはない。

「後宮とはそのようなものだ。寵を競う相手が不在で申し訳ないが、皇太后が何を言おうが俺は手を出すつもりはない」

 これからもし、女人を傍らに置くことがあるとしたら……

 赤みがかった温かみのある栗色の瞳が思い出される。

(そういえば、雪玲はどうしているかな)

 陰謀や権謀術数渦巻く宮廷は、後宮同様様々な思惑が蠢いている。国の舵取りから本来の務めである羽林軍の統制、天誠の容態の秘匿など、天佑が抱えていることは多く、片時も気を抜けない。

 こんな時に雪玲を思い出すのは、ドロドロとした穢れが払われるような、あの清涼さを欲するからだろう。

(ああ、自分にはもうないあの純真無垢さに我が身まで清められる心地がするのだな。だから俺は彼女に会いたいのだろう)

 おとなしい小動物でも側に置いて癒されようかと上の空で報告を聞いていたが、天佑は太監の言葉に興味を持ち意識を戻す。

「ほう。後宮で鑑定が流行っていて、琴棋書画に通じている才人がいる? 皇太后が選抜しただけあって才媛が揃っているようだな。書が得意な妃で古書を読み解ける者はいないだろうか」

 天誠のためにあらゆる書物を集めたところ、毒に関する記載があると思われる古書が見つかった。だが、暗号のような古語の解読が進まず、博識な者を募るつもりだったのだ。後宮にそんな人材がいるのであれば、秘密も漏れにくく都合が良い。

「……天誠の二妃が古語を読めれば一番都合が良いのだが。まずは後宮で古書を解読できる者を探してみるか」

 天佑は筆をとり、さらさらと文をしたためた。

「太監。この文全員に届け、返事を持ってきてくれ」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ※一樹之陰いちじゅのかげ・・・この世の人と人の出会いは前世からの因縁であるという意味。

 ※太傅・・・天子の師。政治の総括に携わる三師(太師、太傅、太保)の一人。

 ※太監・・・宦官の長官。

 ※羽林軍・・・皇帝直属の部隊。近衛。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

雇われ側妃は邪魔者のいなくなった後宮で高らかに笑う

ちゃっぷ
キャラ文芸
多少嫁ぎ遅れてはいるものの、宰相をしている父親のもとで平和に暮らしていた女性。 煌(ファン)国の皇帝は大変な女好きで、政治は宰相と皇弟に丸投げして後宮に入り浸り、お気に入りの側妃/上級妃たちに囲まれて過ごしていたが……彼女には関係ないこと。 そう思っていたのに父親から「皇帝に上級妃を排除したいと相談された。お前に後宮に入って邪魔者を排除してもらいたい」と頼まれる。 彼女は『上級妃を排除した後の後宮を自分にくれること』を条件に、雇われ側妃として後宮に入る。 そして、皇帝から自分を楽しませる女/遊姫(ヨウチェン)という名を与えられる。 しかし突然上級妃として後宮に入る遊姫のことを上級妃たちが良く思うはずもなく、彼女に幼稚な嫌がらせをしてきた。 自分を害する人間が大嫌いで、やられたらやり返す主義の遊姫は……必ず邪魔者を惨めに、後宮から追放することを決意する。

視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―

島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

後宮にて、あなたを想う

じじ
キャラ文芸
真国の皇后として後宮に迎え入れられた蔡怜。美しく優しげな容姿と穏やかな物言いで、一見人当たりよく見える彼女だが、実は後宮なんて面倒なところに来たくなかった、という邪魔くさがり屋。 家柄のせいでら渋々嫁がざるを得なかった蔡怜が少しでも、自分の生活を穏やかに暮らすため、嫌々ながらも後宮のトラブルを解決します!

後宮の記録女官は真実を記す

悠井すみれ
キャラ文芸
【第7回キャラ文大賞参加作品です。お楽しみいただけましたら投票お願いいたします。】 中華後宮を舞台にしたライトな謎解きものです。全16話。 「──嫌、でございます」  男装の女官・碧燿《へきよう》は、皇帝・藍熾《らんし》の命令を即座に断った。  彼女は後宮の記録を司る彤史《とうし》。何ものにも屈さず真実を記すのが務めだというのに、藍熾はこともあろうに彼女に妃の夜伽の記録を偽れと命じたのだ。職務に忠実に真実を求め、かつ権力者を嫌う碧燿。どこまでも傲慢に強引に我が意を通そうとする藍熾。相性最悪のふたりは反発し合うが──

処理中です...