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高辻家のΩ 4
しおりを挟む「でさあ、この前圭太が部活で描いた絵見せて貰ったんだけど、…あった。コレ、めっちゃうまくね??」
「……、」
週一回恒例の許嫁とのお世継ぎ作り(という名の遊び時間)中のこと。
二人きりの室内で意気揚々とスマホ画面を見せるも、岬からの反応は無い。流石に無視はどうなのオイ??とスマホから顔を上げたら、あらびっくり。隣に座っていた彼は、むっすりと不貞腐れたような目で俺を睨んでいた。
「……どした?腹の調子悪い?尻の調子は絶対的に俺の方が悪いけどな」
「うるさい。…お前、最近三谷の話ばっかだよね。そんなに気に入ったの」
圭太が転校して来てから一月程が経過した。彼の「仲良くなりたい」宣言に嘘は無かったようで、ありがたいことに今も俺と親しくしてくれている。勿論彼はあんな感じの性格なので俺以外にも沢山友達は居るのだが、休み時間など何も用が無ければ真っ先に向かってくるのは決まって俺のところだ。これは所謂、そう、俺が憧れ、そして夢にまで見ていたいつものメンバー…いつメンというヤツでは!?
岬は友達でも、学校で話すことは少ないからな。
圭太の事ばかり話していたつもりは無かったが、一緒に居る時間が多いとその人に関連する話題が増える理屈はわかる。前は弟についての話題ぐらいしか引き出しがなかった俺だが、高校三年の冬になってようやく友達の話も出来るようになったのだ。これは圧倒的成長…っ!
「気に入ったって言い方はあれだけど、まあ、圭太良い奴だからな」
「…僕はあんな馬鹿っぽい奴無理だけど」
「え?嫉妬してる?」
「は??キモ、殺すよ」
早口で言った岬を生暖かい目で見ていると、それに気づいたのか不快そうに投げられた枕が顔面にクリティカルヒットする。彼は、育ちや日常的な所作は良いくせに少々喧嘩っ早いところがあるのが玉に瑕だ。ぶつけられた際「ぶっっ!!」と比較的大きな声が出たので、すかさず「あんあんらめえ激しい~~!」ってな感じで喘いでおいた。
今日の岬はいつものように俺の下手な演技に茶々を入れる事もなく、お気に入りの闇属性デッキを見つめながらポツリと呟く。
「…するの。三谷と」
「するよ。そろそろ発情期も来るはずだから、それに合わせてΩのフェロモンで誘惑して抱いてもらう。……圭太には悪いけどな」
折角友達になってくれたのに、その厚意を仇で返すような真似をするのには心が痛むが、元々のそれをする目的で近づいたんだ。今更情だけの理由で計画を変更するつもりはない。
せめて俺のやる事が圭太のトラウマにならないように、そして罪悪感も抱かせないように心掛けるのが俺に出来る最善である。
監視の件もあるから、行為に及ぶのは校内になるだろう。俺は発情期が始まると基本的に家から出られないのだが、そこは岬との話し合いで何とかする方法を考え出した。後は時が来るのを待つだけだ。
俺は岬の指先を取って、優しく力を込める。
「長かったけど、上手くいけば岬も自由になれる。期待して待ってろ!」
「……」
笑いかけた俺に、対面の岬は神妙な顔で口を閉ざしたままだった。あれ、ちょっと上から目線だった?と俺が焦り出した頃、岬は俺が掴んだ方とは逆側の手でぐいっ、と俺の後頭部を引き寄せて、
「──ぉ、」
岬の肩に鼻先が押しつけられたかと思うと、次いで首の項に濡れた歯が突き立てられる感触がした。といっても、血が出たり傷になるような強さのものでは無く、犬や猫がやるような甘噛みに近いそれである。
発情期の際、俺達は例の如くそれきた!とばかりに同じ部屋に閉じ込められて世継ぎ作りに励むよう言い渡されるのだが、その時、こうやって偶に互いの項を噛む事があった。Ω同士なので当然αとの番契約のようにはいかないが、何だかそれをすると少し発情が収まる気もして。
「発情期はまだですけど…?」とくぐもった声で確認するが、岬は無言でガブガブと俺の項を齧るのを辞めない。…まあ、痛くはないし好きにさせるか。
岬は、自由のない家と、その家の決定に逆らう事が出来ない自分が嫌なのだといつだか言っていた。後は搾取される側である事が多い自身の性についても彼の中では受け入れ難い事らしく、度々悩んでいるのを目にする事がある。大体が発情期中の前後不覚になった際にポロリとこぼす言葉ではあるのだが、それは普段プライドや強い責任感が邪魔して口に出せない不器用な岬の本心だと知っていた。
多分今岬は、自分と近い境遇の俺がやろうとしている事を憂いてくれているのだろうと思う。これはきっと、彼なりの慰めのつもりなのだ。昔から心根が優しい奴である。
ひとしきり噛み終えて満足したのか、岬は俺の肩にポス、と額を預けると小さく呟いた。
「……ヘマするなよ」
「任せとけ」
岬がどんな表情でそれを言っているのか、俺には見えないままだ。
*
吐く息が白く染まる早朝の縁側。高校指定の暗い青色のジャージにいつかのウール素材の羽織を着込んだ弟──江雪が、ジャバジャバとバケツの上で雑巾を絞っていた。水に濡れてかじかむ指先は可哀想なほどに赤く染まって、動きがやや鈍い。そこから体温が奪われていくのか、同じく寒さに赤らむ鼻の出っ張りをスン、と一度鳴らしてから、肩を上げて身を竦めるような動きをした。
そんな江雪を見つめながらぼんやりと突っ立っている俺に、彼は漸く気づく。
「兄さん!」
「うん。おはよう、江雪」
ぱあっ、と明るくなる弟の表情に引き寄せられるみたいに歩みを進めて、俺は自分が付けていたマフラーを江雪の首に半ば無理矢理巻いた。代わりに寂しくなった俺の首元を、すかさず冷気が撫でる。死ぬ程冷たいが、俺の感じている寒さなどきっと江雪の比じゃない。
清掃のための濡れ雑巾を掴む江雪の指をとり、手全体で握り込む。先程まで暖房が効いた部屋でぬくぬくと過ごしていた俺とは違い、江雪の赤い指はまるで氷柱でも掴んでいるんじゃないかという程冷えていた。
「冷たぁー…」
「駄目だよ兄さん、兄さんの手が冷えちゃう」
「いいんだよ。俺の手は、お前を温めるためにあるんだから」
むしろ、この程度のことしか出来なくていつも申し訳なく思う。
…しかし、それももうすぐ終わりだ。
「なあ、余りの雑巾あるか?」
「あるけど……、ちょっと兄さん、」
「二人でやれば早く終わるだろ?掃除が終わったら、俺の部屋で熱いお汁粉でも飲もうぜ。な?」
「……、うん」
その場にしゃがみ、バケツの水に触れた指は、冷たさの上限を超えて痛みで痺れる程だ。イーー!冷たー!!と歯を食いしばって耐えていると、何の前触れもなく横から弟が抱きついてきた。
「江雪?寒かったか?」
「…ううん」
江雪はそれ以上何も言わず、ただギュウッ、と腕に込める力を強くする。首筋に当たる江雪の頬は外気に晒される時間が長かったためか雪のように冷たく、俺は熱を分けるみたいに彼の背へと腕を回した。
「…いい匂い。…兄さんの匂い」
江雪がどこかうっとりとした声色で呟く。
後一週間程で発情期が始まる予定だから、もしかするとΩのフェロモンが強くなっているのかもしれない。αである弟はそういうフェロモンの匂いに敏感なところがあった。
あまり近すぎるのも毒か…、と離れようとすると、その気配を察知したのか一層江雪の力が増す。そして今度は、少しだけ硬い声で問うた。
「ねえ、何でまだβと親しくするの」
「え゛、……何か見た?」
「匂いがするから。凄く薄いけど、近くに居るのはわかる。学校が無い日でも兄さんの身体に染みつくくらいには。…下手すれば、許嫁の杉浦さんよりも濃いくらいに」
言い終わって、ぐりぐりと冷たい鼻先を首に擦りつけられる。
こ、怖ぇー!正確ーー!麻薬犬か何かか???これ、圭太とヤったらバレ……、あ、でも発情期中は元々αの江雪とは会わないから流石にその間に匂いとやらは消えるか。よしよし。
そんな俺のズルい思考を諫めるように、江雪の最近声変わりをした低めの声が耳元で震えた。
「駄目だよ兄さん、掟は守らなきゃ。それが兄さんの身体を守ることにも繋がるんだから」
「あー……、でもさ、普通に良い奴なんだよ。家の事聞いても、他の人みたいに俺の事を遠巻きに見たりしないし、根が明るくて話してて楽しいんだ。友達として仲良くする分には、」
言いかけて、しかしそれは江雪に突然顔を掴まれた事で阻まれる。正面から至近距離に迫った美麗な顔面に、俺は思わず息を呑んだ。
「好きなの?あの雑魚の事」
瞳孔が開いた眼の圧にビビってしまうがそれは一瞬。
「『あの雑魚』じゃなくて、圭太だ。…言い方考えろ。
好きだよ普通に、大事な友達なんだ。だから、侮辱するなら流石に怒るぞ」
…まあその友達を逆レイプしようとしている俺が言えた義理じゃないが、…本当にないが。
しかし、しっかりこういうところを正していないと、今後家が潰れて一般社会に放たれた時に困るのは江雪なのだ。心を鬼にし、毅然とした態度を意識的に心掛けて告げると、江雪は酷く驚いたように開いた目を揺らした。その後、本当に小さな声で「ごめんなさい」と謝ってくれたから恐らく分かってくれたんだろう。
しかし江雪はそれきりあまり言葉を発さず、縁側の掃除を終えた後も俺の部屋へは来なかった。
き、きつく言い過ぎただろうか。加減が難しいな…。
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