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しおりを挟む樹と初めて顔合わせをしたのも、このレストランだ。
「許婚を解消しよう。…一方的に俺から破棄する形になるから、樹が望むなら慰謝料も払う。このことで会社の関係が変わったりしないように、両親には既に言質を取ってきた」
「………は?」
平日の学校終わり、わざわざ正装に着替えての夕食。
デザートが出てきたタイミングで告げたその宣言に、樹は手を止めこちらを見た。
出会った当初、俺達の仲を深めることを目的としてセッティングされた毎月の食事会。俺の親が経営するホテルのレストランで行われていたそれは、初めこそ互いの親も同伴だったがいつしか俺と樹だけになり、それでも律儀に続いていた。
…だがそれも今日で終わりだ。
「樹は、俺と居ない方が幸せだよ」
ついに言った。長年の許婚を解消するための台詞。
事前に何度も頭の中でシミュレーションをして、決意も覚悟も心の準備も、もうこれでもかという程に済ませてきた筈だ。
…その筈、なのに。
どうしたって前のような関係には戻れない事へのショックと、樹にどんな反応をされるか分からない緊張で、バクバク激しい鼓動が全身を揺り動かす。
この場は俺達で貸し切っているわけではない。勿論他の客もいるし、音楽もかかっていてそれなりに賑やかである筈なのに、それらが全く耳に入らない程度には俺も落ち着きを失っていた。
正面を見ていられず、目の前で溶けていくアイスをひたすら凝視する。
沈黙の時間がとてつもなく長いものに思えた。
「……何でお前がそれを決めつけてんだよ」
樹に意識を集中させていたからか、その硬い声ははっきりと俺の鼓膜を揺らす。
思わずビクリと肩を揺らすと、疚しさがあるようにも取れるその反応を見た樹は、嘲るように続けた。
「あの後輩が好きになったんなら正直にそう言えばいいだろ。ハッ、好き好き言われて心変わりするとか、どんだけ単細胞なんだよお前」
「…柊は関係ない。………でも、もしかしたらこれから好きになるかもな。樹もいい人見つけなよ」
口が勝手に動いて、心にもないことを音にする。
「副会長さんとかどうなの?この前楽しそうに話してただろ」
違う。
こんなこと、冗談でも言いたくない。
ズキンズキンと鼓動の度に締め付けられるような胸の痛みがずっとあった。辛くて、今すぐに逃げ出したくて、今すぐ黙れと全身が言っている。
それでも、形のない何かがつっかえた喉から声を絞り出すのを止められない。
「……樹とお似合、」
「ふ…っざけんな!!」
予想外に大きく響いた樹の声で、レストラン内が水を打ったように静まった。俺も一瞬呆然としてしまって、しかし、何事かとこちらへ向けられる周囲からの視線にすぐさま我を取り戻す。
流石に居た堪れなくなった俺は、「……ごめん。そういうわけだから今日はもう、」と席を立とうとして、
「~~誰がお前以外好きになるかバーーカッッ!!」
「……へ??」
またも店中に響きわたったその言葉に、俺は樹を凝視しながら思わずフリーズする。
そんな俺と代わるように立ち上がった樹は、こちらに向かってビシィ!と指を突きつけると、興奮気味に捲し立てた。
「俺の一途さナメんな!!小さい頃から金目当ての奴ばっかに近寄られて、捻くれきって常時態度がゴミだった俺にあんな純粋に構ってくるやつお前しか居なかったんだから…っ、そりゃ気になるだろ!俺がちょっとでも笑ったら、その何倍も嬉しそうな顔するお前に惚れねえわけねーだろうが!!常識的に考えろ!アホか!無意識でやってたんなら今すぐ悔い改めろ!だからあんな鬱陶しい後輩も寄って来んだよ!この人間タラシ野郎がっっ!!」
「えっ、ちょ、」
「つーかお前も俺と許婚になって満更でもない顔してただろうが!俺がちょっと名前呼んだり触ったりしただけですぐ顔赤くしたりしてよお!?全身で『好き』って言ってるようなもんだろそんなの!ああそうですか全部俺の勘違いでしたかー!!だったら余計に責任取れやーーっ!!」
「まっ、待って待って声が大きい…っ!」
次々に畳みかけられて、頭の処理が追いつかない。
怒涛の口撃を堪らず制止すると、樹ははぁはぁ息を乱しながら、……今度は少しだけ肩を落として、
「……口、悪いのとか、素直じゃないのとか、最初からだろ…。……それ込みで好きになってくれてたんじゃねーのかよ…」
「樹……、」
「……つーか好きなやつが誰かに取られるかもしんねえ状況で『楽しい~!ルンルン♪』とか言えるやつの方が少数派だわボケ!!NTR地雷です!!」
「いいい樹ぃ!?」
強い口調で言い切った後、樹はやや俯けていたその顔を上げた。
樹は、何かを必死で耐えているような、悔しげで、悲しい表情をしていた。
初めて見る樹のそんな顔に、俺は咄嗟に何も言えなくなる。
「俺のこと幸せにしたいんならなあ…っ、お前がずっと俺の隣に居ろよ!俺だけを見て、俺だけを好きで居続けろ…!そしたら俺は世界一幸せだ!!」
「──、」
心が打ち震えるような感覚に息を飲んだ。
──次の瞬間、ドッ!と割れんばかりの拍手が場を埋め尽くす。
「「!?」」
樹と揃ってビクつき、即座に周囲を見渡せば、今まで食事をしていた客のほぼ全員が「よく言った!」だのなんだの俺達祝ってくれているところだった。
樹なんかはそこで初めて周りの状況を認識できたようだ。しばし呆然として、その後瞬く間に顔が赤く染まっていくのがよく見えた。
「勝手に聞くなっ!!拍手すんなっ!!」
「ちょ、ちょっと店出よう…!!」
普段の優等生然とした外面はどこに行ったんだと言いたくなる狼狽えようである…。
*
ホテルラウンジに設置された横長のソファー。そこに、気まずげに口を噤んだ男2人が並んで腰掛けていた。
目の前には、忙しない道路を映す全面ガラス張りの窓。
暗闇に反射する樹を眺めて、…目が合いそうになったので慌てて逸らす。俺は絶えず左右に行き交う車の音を聞きながら、樹に何と声をかけるべきか必死に思考を巡らせていた。
ごくり。
…生唾で喉を潤してから、意を決して口を開く。
「あの、さ、……さっきの、本当…?」
「はあ?…どこら辺に疑う余地あったんだよ」
「どこって、……ぜ、全部…。好き、とか…。だっていつもそんなそぶり、」
「初恋拗らせてますけど、何か」
いつになくストレートなその言葉に、一瞬で身体が熱を持った。
樹も俺のことが好き...?実はさっき気絶した俺が見てる都合のいい夢とかじゃなく??
じん、と胸の奥で湧き上がる熱い感情に、何だか今にも泣き出してしまいそうだった。
強く歯を食いしばることでそれを耐えた俺は、樹に言われた言葉を一言一句違わないよう脳内で反芻し、ひたすら嬉しい気持ちを噛み締める。
なんだ。そうだったのか。
なんだ……。
徐々に現実味を帯びてくる幸福と安堵に、7年の葛藤と罪悪感が全て洗い流される心地だった。
どこか恍惚にも思えるそんな感覚に浸っていた俺の横で、ずっ…と鼻を啜るような音が聞こえる。
あれ、俺は啜ってないのに…?と不思議に思ってその音の方向を見やると、未だ窓外の景色を眺め続けている樹が泣いていた。
……いや、まだ涙は出ていないから『泣きそうになっている』が正しい表現だろう。
目元と鼻先を局所的に赤く染めた彼は、不満気なしかめっ面で数秒おきにすんっ…と身体を揺らしている。
思わず呆気に取られてしまったが、同時に改めて実感した。
ああそうか、今樹は初恋の相手に失恋しているも同然なんだ。…初恋とか失恋とか、自分で言って恥ずかしいけど…。
樹にとっては一大事のそれを、不謹慎にも俺は喜んでしまった。…それだけ本気で想ってくれているという事実に、簡単に心が満たされる。
「俺も樹が好きだよ。…家の事とか関係なく、ほんとに、ずっと好きなんだ。一緒に居てくれたら、俺だって幸せだ」
「……最初からそう言っとけよ。本当素直じゃねえな」
「いやそれはこっちのセリフなんだけど…」
漸く樹と目が合った。
険しさが取れ、じんわりと頬に赤みを取り戻していく樹につられるみたく、俺の顔も火照りを増していく。
そのまま数秒見つめあって、どちらからともなく指先が触れた。
それは互いの隙間を埋めるように緩く絡み合い、引き寄せられるまま、静かに唇が重なった。
…数秒で終わった接触だったが、酷く照れくさくてお互い不自然にまごつく。
幸せが募って、この身一つじゃ到底留めてなんていられないと本気で思った。バクバク暴れる心臓を服の上からぎゅうっと押し込んで、俺は今にも叫びだしたい気持ちを耐えるのに必死だ。
……それなのに、人の欲というものは呆れ果てるほどに際限が無いらしい。
想いが通じたことで有頂天に磨きをかけた俺は、樹と繋がったままの片手にきゅ…、と少しだけ力を込めて、
「…樹、……すごいやつもしたい」
樹にしか聞こえない声で懇願すると、彼は少し目を見開く。
そして間を置かず、ふ…、と絡まった糸が解けるように笑った。
それは幼少期、初めて出会った時に見て、同時に俺が恋に落とされたあの柔らかな笑みと似ていた。
見せかけじゃない本当の樹が、きっと俺だけに見せる、心からの笑顔。
「──なぁ、 俺、今すっげえ幸せ…」
甘い吐息が重なり、それは互いの想いと共に深く絡み合った。
今回色々と騒動になった政略結婚についてだが、実のところ、最初の顔合わせは本当にただ俺の友達作りの一環としてセッティングされたもので、両家に婚約の意図などなかった。
しかしその後、樹が自身の両親に「大和と結婚したい」と強く訴えた事で、今の許婚の形で落ち着いたのだと……、
その事実を俺が知るのは、まだ先の話。
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