俺の事が大好きな○○君

椿

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8 俺の事が大好きな○○君 side,瀬川

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「小崎? ああ…。
──だって、独りぼっちの陰キャとか、可哀想でしょ」

「やっさしー!」
「キャハハ!」

教室内にいる友人の嘲るような笑い声が響く。
ああ、それでいい。
この言葉に同調して笑っているような奴に、小崎の良さは一生わかるはずがないから。

彼らが一様に小崎のことを見下している風なのを確認して、俺は満足げに口角を上げた。


小崎こさき順平じゅんぺいは、同じクラスの男子だ。
控えめで、人と関わるのが下手、と言うか多分慣れてないから苦手なだけのようにも見えるが。校内に特別親しい友人は居らず、いつも1人静かに席に座っている彼は、飾らないその見た目通りというか何というか、スクールカーストで言ったら底辺のいわゆる陰キャラというやつだ。

そんな彼は、高校の入学時当初から俺、瀬川せがわ睦月むつきのことが好きだった。
何故分かったのか?そんなの、彼から向けられる熱のこもった視線で一目瞭然だ。一日中俺を熱っぽい目で追っているのだ。これで分からない方がどうかしている。
そのきっかけになった出来事も大体察しは付いている。
入学してすぐ。既にグループやカーストが固定されつつあるその教室で、やはり当時からポツンと1人だった小崎。俺は席が偶々隣だったのもあり、軽く挨拶をして少し優しくした。それだけだ。たった一度のそれで、小崎は俺に落ちた。




昔から、本心を隠して聞き分けのいい子を演じるのは得意だった。

「ごめんね、睦月。 でも葉月が泣いてるから、ちょっとだけ貸してあげて? ね?」
「うん。 いいよ」

自分の物にはあまり執着しないようになった。

「睦月君。 弥生君が熱を出しちゃったから、今日約束してた遊園地は──、」
「うん。 いいよ」

約束に過度な期待をしないようになった。

「あら? 一個余ってるの? じゃあ下の子にあげよっか」
「うん。 いいよ」

優先されるべきは自分じゃないと、理解できていた。

「睦月、」
「睦月君、」

「うん。 全部、いいよ」


俺には年下の妹弟が多くて、両親が構うのは当然手のかかる幼い彼らの方で。長男である俺は、早々に自分の立ち位置を自覚した。
期待するより、癇癪を起こすより、少し離れた場所で手のかからない子を演じている方が気が楽だった。それは友達付き合いでも同じで、いくつかの決められたパターンで接すれば大多数の男女が俺のことを好ましく思う。勿論それが嫌味だと妬まれることもあったが、手を出してくる奴は本当に稀だし、大体の場合俺の方が人望は厚いので常に有利でいられた。同じことが繰り返される酷くつまらない日々だったが、うまく生きるとはこういうことなのかなと思っていた。
最初は小崎のことも、まぎれもなくその背景つまらない日々の一部でしかなかったのだ。

ただ他と違ったのは、あまりにも分かりやすく俺のことが好きな小崎が面白くて、度々彼で遊んでいたことぐらい。

「今の聞いてた?」
「えっ、」
「──俺に彼女がいないって話。 …安心した?」
「ンェッッ!? いっ、いいいや!!」
「そっか。 なんだ、残念」
「!!?」


「何考えてるかって? んー、小崎の事」


「あははっ! …はぁー、小崎と話すのって楽しいなあ」

少し揶揄うだけでワタワタと狼狽えたり、一瞬で可哀想なくらい真っ赤になったりするのが堪らなく愉快で、俺は事あるごとに思わせぶりな台詞を言ってその小崎の反応を楽しんでいたのだ。

しかし、娯楽目的のそれに少しだけ別の感情も混じるようになったのは、あの時のことがあってから。


「──え?」
「すっ、捨てられてたから…」

ある日の放課後、勇気を出して俺を引き留めたのであろう小崎が酷く固い動きで差し出してきたのは、先日友人に貸した赤色のペン。
インクがなくなりかけていたそれは、貸し出す際に「使い終わったら捨てておいて」と伝えており、実質貸したのではなくゴミ処理をさせたのと同義のものだった
えっと、…わざわざゴミ箱から取り出してきたの?と少し呆気に取られながら、先程の下りをそのまま小崎に伝えると、
彼は既に上気していた頬を、いや頬どころか顔全体を一瞬でこれでもかと真っ赤に染め上げた。きっと、勘違いしたのだと理解したことによる羞恥心からだろう。思わず笑いそうになるのを俺が堪えていると、小崎は誤魔化すためか、申し訳程度の引き攣った笑みを浮かべて、

「ぁ、はっ、…お、俺、瀬川の物なら全部大事に見え、る、からなぁ…」

と、震えた声で告げた。

直後、「へっ変な意味じゃないよ!!??」と訳の分からないことを言って再びあたふたと慌て出す小崎を視界に入れつつ、俺は、それをいつものように面白おかしく笑い飛ばせなかった。


大事?
何処にでもある量産品のペンの一つだ。もうインクも無くて、替えが効くような作りでもないから、それは既にペンとしての機能を失っている。つまりただのゴミだ。そんななんでもないゴミペンなのに、大事?
俺の、物だから?

その場では瞬間的に理解が及ばなかった。でも、1つだけ分かった。
小崎は、俺が大事にしているものも、していないものも、全て特別なものとして見てくれる。そして事実、特別大事に扱ってくれる。
それは小崎が、俺の事を好きだから。
他人に自慢できるアクセサリー感覚としてではなく、本気で、俺の事を好いているから、誰よりも何よりも、俺の事を優先するんだ

ふーん。…そうなんだ。
好きって、そういうのなんだ。

意図せず、自身の体温が一度くらい上昇した気がした。

「よよよ余計な事だったよね、これちゃんと捨てておくから、」
「そのペン、やっぱり返してもらってもいい?」
「…へ?」

俺は、戸惑う小崎の手からそのペンをサッと受け取る。

「──大事になったかも」


小崎に向けられた感情が、どうにも心地よくて。その時、ぼんやりとではあるが、小崎は俺にとって他の人とはどこか決定的に違う存在だと思った。
初めての、感覚だった。


その小さな変化は、俺の行動を少しだけ変えたように思う。

小崎は基本的に一人で自分の席に座っていることが多いから、話しかけるのは簡単だ。
変わらず小崎を揶揄って遊ぶのは楽しくて、俺は気が向いた時にそんな独りぼっちの小崎の元へ赴いていた。偶に、俺に便乗して小崎の席まで来る奴もいたが、害がなければ何とも思わなかったし、逆に小崎にとって嫌なタイプの人間であれば、それはそれで小崎が俺に助けを求める視線を送ってくれるのが新鮮で面白かった。
ただ、小崎を気に入るような素振りを見せた奴は、その時を境に徹底的に小崎から遠ざけた。大抵新しいオトモダチか、新しく出来た恋人に夢中になって小崎のことを視界にも入れなくなる奴らばっかりだったのは楽で助かったけど、それと同時に、そんな軽い気持ちで小崎に色目を使おうとするなよ、と少々気分が悪くなる。
だって、小崎は俺の事が好きなのだ。だから、好かれていない誰かが小崎に近寄っても、小崎の迷惑になるだけだって、何で分かんないんだろう。俺以外の誰も、小崎からあの感情を受け取ろうとするのは酷く分不相応なことなのに。察しが悪いのか、それとも無知なだけか、身の程を弁えない奴が多くて困る。

しかし俺のそんな思考は、ある女子に言わせると、

「恋だよ、恋」

その一言に集約されてしまうらしかった。

その時彼女と話していたのは俺自身の話ではなかったが、小崎との関わりの中で自分にも重なる部分が多いと心中で共感していた矢先の台詞だったので、それはもう晴天の霹靂。


「──あれ?」


ミイラ取りがミイラになるとはこのことだろうか。
俺の事が好きな小崎を揶揄って遊んでいるだけのはずだった俺が、いつの間にかその小崎に恋をしてしまっていたらしいのだと、この時やっと自覚した。

それからはさあ大変。俺の人生の中で「恋」というものが打算的でなく起こり得るとは思っていなかったものだから、それは俺にとって完全に予想外で、未知の領域だ。
一度自覚するとその気持ちは、過去の経験と擦り合わせられて指数関数的に体積を増していく。話すごとに赤みを増していく頬も、ぎこちなさの残るはにかみ笑顔も、あの日、ペンを差し出した時の緊張に強張る指先も、全部全部思い返して、どうしようもなく愛しくなって。自分しか知らない小崎の姿に、俺は胸を高鳴らせた。

余裕があったのだ。
世の中に溢れんばかりにある色々な恋愛話の中でも、俺がしている恋は始まる前から勝利が、ゴールテープを一番に切ることが決定している。
小崎は俺が好きなのだ。どんな女よりもどんな男よりも、俺のことが、俺のことだけが好きなのだ。どうやったら好きになってもらえるかなーとかそんな次元じゃない。もう既に俺の相手は俺のことが好き。俺が一言「好きだよ」、と言えば、「俺もだよ!」となって即ハッピーエンド。劇作家には嫌われる単調なストーリー。それが俺と小崎の現状なのである。
浮かれて、浮かれて。
それならもうちょっと小崎を揶揄って楽しみ尽してからでも遅くないよね、などと恋人に昇格するステップを保留して、俺は前と何ら変わらない小崎との関係を続けていた。

それが崩れる時なんて、想像もしていなかった。


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