6 / 88
06.
しおりを挟む
黒髪の女性に手を引かれる私の手は幼く小さい。月光を吸い込んでしまうような長い黒髪が夜風になびく。この人は誰だろう。髪を追いかけるように私は必死で足を動かす。歩幅が小さく、ときどき前のめりにつまづきそうになる。女性の手の位置ぐらいに私の目の高さがあるから、私はおそらく五歳ぐらい。ああ、私、亡くなったお母さまと手を繋いで走っている。これは夢ね! たとえ、夢でもお母さまと会えて嬉しい。
私はお母さまの顔をもっとよく見ようと前に前に走る。
だけど、お母さまは息を切らしながら「何も見ないでとにかく走って!」と危機的状況が迫っているような声で言う。お母さまの顔は見えない。私の記憶にお母さまの顔がないから? そうよね。お母さまの顔を思い描こうとしても上手くいかない。もっと言えば、お母さまの長い髪は黒いけれど私はお父さま似と言われてきたから、もしかしたら黒髪じゃないのかもしれない。
シュン。
私のかかとに、鋭いなにかがかすめた音がする。跳ねた土が靴下にかかって、じっとり気持ち悪い。背後に迫る何かとの距離がとても近いと分かる。
怖い。いつ後ろから手を伸ばされるのか分からない。私の髪が夜風に煽られる。本当にただの風? 生暖かい誰かの息遣いが吹きつけたのかもしれない! とてもじゃないけど、振り向くことはできない。目をつぶって、自分の足に速く速く! と命じることしかできない! 追いつかれたら間違いなくやられる。
ざっざと、背後から砂利を蹴る音の数が増え続けている。追手は複数いる。足がもつれた。「あっ」
そのまま転んだ。両手でかばおうとして肘を強く打った。痛い。
「逃げて!」
お母さまの顔を見上げたけれど、その顔は涙でぼやけて見えない。痛くて私は泣いていた。
「アミシア。これを持って逃げて」
お母さまの首元で赤く光るルビーの首飾りが見えた。泣き腫らす私の首にお母さまは無雑作に巻きつける。
「お母さま?」
お母さまの口元が悲し気に微笑む。私は首を振るばかり。
(私を一人にしないで……!)
声にならなかった。私は別れを直感する。
「振り向かないで!」
お母さまが私を突き飛ばした。
「あっ」
転びかけたが、踏みとどまった。だけど、その瞬間に刃物が肉を斬りつける音が聞こえた。怖くてとても振り返ることができなかった。
「うぅ、に、逃げて!」
お母さまの身体に叩きつけられる刃物の音が断続的に聞こえる。お母さまの短い悲鳴が何度も上がる。
「わああああああああああ」
私は走った。そして、ぼうっと目覚める。
冷や汗をかいているわ。悪い夢ね。心の奥でお母さまに会いたいと無意識に願ってしまったのかもしれないわ。でも、何かが欠けている……そんな気がする。でも、それがなんなのかは分からない。
お母さまが誰かに殺されたことは聞かされている。私とお母さまがどういう状態で夜に外出していたのか知らないけれど、私だけが助かったらしいの。だから、お父さまは私が嫌いなのよね。
今日は教会敷地内でのバザーの日。貴族が慈善活動を行うことは特別じゃないけれど、今日のは特別。聖女が活躍する日。悔しいから私もなにかできることを探してみようかしら。
自室から廊下に出る。バザーの日は憂鬱よ。聖女さまさま、クリスティーヌさまさま。もてはやされるのは聖女だけなんだもの。そうだ。慈善活動するなら、なにか配ってみるのもいいかもしれない。なにを配ろうかしらね。パンとかどうかしら。私のことを悪く思ってる人たちもびっくりするでしょうね。思い立ったらすぐに行動に移さないと。侍女のコラリーに頼もう。
廊下を意気揚々と弾んで歩いていると、お父さまと幼い頃の私二人で前後に立っている肖像画が目に入った。壁に何年もかけてある。少し色があせたように見えるのは気のせいかしら。そういえば、お母さまの肖像画は一枚もないの。クリスティーヌの肖像画はむかつくぐらい、あちこちにあるんだけどね。
――おかしい。嫌われている私でさえ肖像画の一つはこのお父さまとの一枚があるのに。
この先の廊下の突き当りには、お母さまの部屋がある。開かずの間になっていて、誰も中に入ったことがない。使用人はおろか、私もクリスティーヌも入ることを許されていない。
空しくなって開かずの間のドアノブを見つめた。鍵はお父さまが持っている。あれだけお父さまが愛した人なんだもの、肖像画がないわけがないわ。きっと、あるとしたら、あの開かずの間。だけど、今の私にお父さまが鍵の場所を教えるとは思えないわ。
私はお母さまの顔をもっとよく見ようと前に前に走る。
だけど、お母さまは息を切らしながら「何も見ないでとにかく走って!」と危機的状況が迫っているような声で言う。お母さまの顔は見えない。私の記憶にお母さまの顔がないから? そうよね。お母さまの顔を思い描こうとしても上手くいかない。もっと言えば、お母さまの長い髪は黒いけれど私はお父さま似と言われてきたから、もしかしたら黒髪じゃないのかもしれない。
シュン。
私のかかとに、鋭いなにかがかすめた音がする。跳ねた土が靴下にかかって、じっとり気持ち悪い。背後に迫る何かとの距離がとても近いと分かる。
怖い。いつ後ろから手を伸ばされるのか分からない。私の髪が夜風に煽られる。本当にただの風? 生暖かい誰かの息遣いが吹きつけたのかもしれない! とてもじゃないけど、振り向くことはできない。目をつぶって、自分の足に速く速く! と命じることしかできない! 追いつかれたら間違いなくやられる。
ざっざと、背後から砂利を蹴る音の数が増え続けている。追手は複数いる。足がもつれた。「あっ」
そのまま転んだ。両手でかばおうとして肘を強く打った。痛い。
「逃げて!」
お母さまの顔を見上げたけれど、その顔は涙でぼやけて見えない。痛くて私は泣いていた。
「アミシア。これを持って逃げて」
お母さまの首元で赤く光るルビーの首飾りが見えた。泣き腫らす私の首にお母さまは無雑作に巻きつける。
「お母さま?」
お母さまの口元が悲し気に微笑む。私は首を振るばかり。
(私を一人にしないで……!)
声にならなかった。私は別れを直感する。
「振り向かないで!」
お母さまが私を突き飛ばした。
「あっ」
転びかけたが、踏みとどまった。だけど、その瞬間に刃物が肉を斬りつける音が聞こえた。怖くてとても振り返ることができなかった。
「うぅ、に、逃げて!」
お母さまの身体に叩きつけられる刃物の音が断続的に聞こえる。お母さまの短い悲鳴が何度も上がる。
「わああああああああああ」
私は走った。そして、ぼうっと目覚める。
冷や汗をかいているわ。悪い夢ね。心の奥でお母さまに会いたいと無意識に願ってしまったのかもしれないわ。でも、何かが欠けている……そんな気がする。でも、それがなんなのかは分からない。
お母さまが誰かに殺されたことは聞かされている。私とお母さまがどういう状態で夜に外出していたのか知らないけれど、私だけが助かったらしいの。だから、お父さまは私が嫌いなのよね。
今日は教会敷地内でのバザーの日。貴族が慈善活動を行うことは特別じゃないけれど、今日のは特別。聖女が活躍する日。悔しいから私もなにかできることを探してみようかしら。
自室から廊下に出る。バザーの日は憂鬱よ。聖女さまさま、クリスティーヌさまさま。もてはやされるのは聖女だけなんだもの。そうだ。慈善活動するなら、なにか配ってみるのもいいかもしれない。なにを配ろうかしらね。パンとかどうかしら。私のことを悪く思ってる人たちもびっくりするでしょうね。思い立ったらすぐに行動に移さないと。侍女のコラリーに頼もう。
廊下を意気揚々と弾んで歩いていると、お父さまと幼い頃の私二人で前後に立っている肖像画が目に入った。壁に何年もかけてある。少し色があせたように見えるのは気のせいかしら。そういえば、お母さまの肖像画は一枚もないの。クリスティーヌの肖像画はむかつくぐらい、あちこちにあるんだけどね。
――おかしい。嫌われている私でさえ肖像画の一つはこのお父さまとの一枚があるのに。
この先の廊下の突き当りには、お母さまの部屋がある。開かずの間になっていて、誰も中に入ったことがない。使用人はおろか、私もクリスティーヌも入ることを許されていない。
空しくなって開かずの間のドアノブを見つめた。鍵はお父さまが持っている。あれだけお父さまが愛した人なんだもの、肖像画がないわけがないわ。きっと、あるとしたら、あの開かずの間。だけど、今の私にお父さまが鍵の場所を教えるとは思えないわ。
0
お気に入りに追加
202
あなたにおすすめの小説
聖女の力を隠して塩対応していたら追放されたので冒険者になろうと思います
登龍乃月
ファンタジー
「フィリア! お前のような卑怯な女はいらん! 即刻国から出てゆくがいい!」
「え? いいんですか?」
聖女候補の一人である私、フィリアは王国の皇太子の嫁候補の一人でもあった。
聖女となった者が皇太子の妻となる。
そんな話が持ち上がり、私が嫁兼聖女候補に入ったと知らされた時は絶望だった。
皇太子はデブだし臭いし歯磨きもしない見てくれ最悪のニキビ顔、性格は傲慢でわがまま厚顔無恥の最悪を極める、そのくせプライド高いナルシスト。
私の一番嫌いなタイプだった。
ある日聖女の力に目覚めてしまった私、しかし皇太子の嫁になるなんて死んでも嫌だったので一生懸命その力を隠し、皇太子から嫌われるよう塩対応を続けていた。
そんなある日、冤罪をかけられた私はなんと国外追放。
やった!
これで最悪な責務から解放された!
隣の国に流れ着いた私はたまたま出会った冒険者バルトにスカウトされ、冒険者として新たな人生のスタートを切る事になった。
そして真の聖女たるフィリアが消えたことにより、彼女が無自覚に張っていた退魔の結界が消え、皇太子や城に様々な災厄が降りかかっていくのであった。
転生令息は攻略拒否!?~前世の記憶持ってます!~
深郷由希菜
ファンタジー
前世の記憶持ちの令息、ジョーン・マレットスは悩んでいた。
ここの世界は、前世で妹がやっていたR15のゲームで、自分が攻略対象の貴族であることを知っている。
それはまだいいが、攻略されることに抵抗のある『ある理由』があって・・・?!
(追記.2018.06.24)
物語を書く上で、特に知識不足なところはネットで調べて書いております。
もし違っていた場合は修正しますので、遠慮なくお伝えください。
(追記2018.07.02)
お気に入り400超え、驚きで声が出なくなっています。
どんどん上がる順位に不審者になりそうで怖いです。
(追記2018.07.24)
お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。
今更ですが1日1エピソードは書きたいと思ってますが、かなりマイペースで進行しています。
ちなみに不審者は通り越しました。
(追記2018.07.26)
完結しました。要らないとタイトルに書いておきながらかなり使っていたので、サブタイトルを要りませんから持ってます、に変更しました。
お気に入りしてくださった方、見てくださった方、ありがとうございました!
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
追放された聖女の悠々自適な側室ライフ
白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」
平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。
そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。
そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。
「王太子殿下の仰せに従います」
(やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや)
表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。
今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。
マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃
聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
美しい姉と痩せこけた妹
サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――
私を虐げてきた妹が聖女に選ばれたので・・・冒険者になって叩きのめそうと思います!
れもん・檸檬・レモン?
ファンタジー
私には双子の妹がいる
この世界はいつの頃からか妹を中心に回るようになってきた・・・私を踏み台にして・・・
妹が聖女に選ばれたその日、私は両親に公爵家の慰み者として売られかけた
そんな私を助けてくれたのは、両親でも妹でもなく・・・妹の『婚約者』だった
婚約者に守られ、冒険者組合に身を寄せる日々・・・
強くならなくちゃ!誰かに怯える日々はもう終わりにする
私を守ってくれた人を、今度は私が守れるように!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる