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第1章 後悔と絶望と覚悟と

第16話「小さな覇王」

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「ッ……」

 サマギマが刻火こくびの黒豹と呼んだ魔物が私を視界に捉え目を細める。

 それだけで私は身体が硬直したように動かさなくなり、喉の奥から絶望感とも恐怖とも取れるか細い声を出した。

 何故、この暗い森の中では数多くの魔物がいる中で、この魔物だけが攻撃を仕掛けて来たのかが分かった気がする。

 恐らく、この魔物はこの森に存在する魔物の中で最高位の力を持ってる魔物だ。

 だからこそ、他の魔物は手を出さなかったんだと思う。

 手を出したら自分が殺されるから。

 更に気になることが一つ。

 何故、森に入った時は狙われなかったのか。

 そして、何故洞窟から戻ってきたら狙われる様になったのか。

 その原因として、一番最初に思い当たったのは私のコートに内側に押し込んだ一欠片の鉱石。

 昔、パパに言われた事がある。

 それは、小さな子に言い聞かせる様な悪いことをすると怖いのが出るというような類の話。

 刻火の黒豹。

 正式名称 ブラッディレパード。

 各地毎に別の名称があるが、有名なのは『血塗れの死神』と、『刻火の黒豹』。

 それはある鉱石を好む魔物である。

 漆黒の身体に人間をも噛みちぎる太い牙。

 そして、生物を刈り取る鎌のような尻尾。

 その鉱石を持って彼らの住処へ行ってはならない。

 行ったら最後、その人間は死神によって魂を刈り取られ、帰らぬ骸と成り果てるだろう。

 そんな存在が私に視線を向けており、サマギマも含めいわゆる板挟みの状態になっている。

 鋭い視線は私のコートから僅かに漏れる魔煌石の光へと向かっており、いつ襲いかかろうかと伺っている様にも見えた。

「ヴグッ……フー。ったく、聞いちゃねぇぞこんなん。何でこんな化け物が都市の近くにいるんだよ……」

 サマギマが、今も大量の血を吐き出す左腕の断面を止める為にバックから薄緑色の回復薬を取り出し、バシャバシャと雑に腕に掛け流しながらも小声で愚痴ぐちるような声を出す。

 更に、記憶の中で合致した憶測や勘で言った魔物が、まさか本当にその魔物だったのだから言いたくもなる。

「おい、小娘! 聞いてるか、二手に分かれるぞ! このままだと二人共こいつの腹の中だ。俺もこんな様だが、死にたくは無いからな」
「……私を殺さないの?」
「こっちも死ぬかもしれねぇのに一々お前を殺していられるか。それに———」
「え?」
「うるせぇ! 死にたくなきゃさっさと準備しろ!」
「むぅ……」

 私にサマギマが焦った様に怒鳴り、指示する。

 どうやら、協力して倒すという提案ではないようだ。

 いや、実際協力と言っても私に出来る事なんて無いのだが……。

 確かに、このまま突っ立てたも襲われて終わり。

 だったらどちらかが狙われるこの提案に乗った方が良い。

「私が狙われるのは分かるけど……」
「はっ、そんな事か。大方、俺がこいつの餌にちょっかいをかけたとでも思ってたんだろうさ」
「餌じゃないもん!」
「今は、な。数分後には、もしかしたらあいつの腹の中かもしれねぇがな」
「わ、私は死ぬわけにはいかないっ」
「そんなん知るか、死にたくなかったらテメェはテメェで生き残る道を勝手に考えるんだな。ったく、おい! まずはこの状況をどうにかしなくちゃ何も始まらん。小娘、二手に分かれて走るぞ。狙われたら自分でどうにかしろ」
「………。分かった」
「よし、ならゆっくりこっちに来い」

 私は言われた通り、ゆっくりとサマギマの方向へ黒豹の目を見ながら後ずさる。

 正直、背後から刺されるのではないかという心配はあるが、どちらにしろやらなければ死ぬだけ。

「よし。じゃあ、合図したら一斉に別方向へ逃げるぞ。いいな?」

 心臓の早い音が頭の中を駆け巡る。

 キーンとする耳鳴りもさっきよりも大音量で奏で出す。

「わ、分かった」

 黒豹の牙が、いつのまにか叩きつける様な雨が上がり、分厚い雲の隙間から差した月明かりでヌラリと輝く。

「よし。カウントダウンが0になったら、短剣をアイツに投げる。そしたら二手に別れて全力で走れ。いいな? それじゃあいくぞ」

 サマギマが持っていた長剣を鞘に収め、代わりに腰から倒した魔物を剥ぎ取る用の無骨な短剣を抜いた。

 カウントダウンが始まる。

 運命のカウントダウンが。

「3」

 ゴクッと唾を飲む音が静かな草原にやけに響き、風が吹く事でザワザワと木々が揺れる。

「2」

 足に力を入れ、走る準備を。逃げ切れる力を。

「1」

 身動ぎした事でチャランと金属音が鳴り、三人で選んでお金を出し合った魔石のアクセサリーが目に写り込む。

「行けぇっ‼」

 いきなり大声を出したサマギマに黒豹も何かを感じ取ったのか、姿勢を一段低くし、「グルゥ! ガァァァアア!!」という魔物の激怒し、耳がキーンとなる程の大声が周囲に響き渡った。

 その数秒後に肉を切る音に加え、血が噴き出す音も聞こえた。

 私は、全力で黒豹から背を向け、小さな脚を必死に前へ前へと運ぶ。

 もう、背後の事なんて分からない。

 サマギマにターゲットが移ったのかもしれないし、もしくは私の後ろを追いかけてきているのかも。

 ここで背後を向けば死ぬという確信めいたものがあるから前を向き、時折体勢を崩しながらも走るのを止めない。

 しかし、このまま一直線に走っていてもいずれ追いつかれ、死ぬ。

 だったら、と。

 これは、一か八かの勝負だ。

 森を抜け神殿へ行く時、走り回っていたときに見た地形を思い出したからこその案。

 この案を使うのは暗い森の中を散々走り回っていた事で、ある程度は見えるようになったのも理由としてある。

 だが、一番の理由はこの追いかけられたままミリアの元へ行ったら更に被害が広がり、最悪二人共死んでしまう可能性があるからだ。

 一歩でも間違えたら私が死ぬかもしれないが、もしかしたら倒せるかも知れないという賭けに出る。

 しかし、この賭けは運も必要ではあるが、自分の行動で決められる。

 だからこそ———私は、出てきた森に視線を向けた。



 脳裏で声がする。

 「はい。どうやらあの男は上手く誘導したようです」

 男性特有の低い声が。

「その案が作戦通りだと考えているのでしょう。流石は貴方様でございます」

 頭の中はフワフワと夢の様に瞬いていて、

「…………はい。今回の作戦が成功すれば、あの方達も貴方様を幹部として推薦してくださるでしょう」

 湿った空気が私の中に流れ込む。

「……ッ。はい、それは充分に分かっております。ですが、あの男の命令を聞けというのは——」

 私はゆっくりと微睡みの中から浮上する。

「ですから、どうか。…………はい」

 重い瞼を薄っすらと開け、目の前の景色と脳裏に響いていた声の主を見る。

「我らは貴方様の僕でございます。如何様にも」

 その男の頭部は不自然に盛り上がって、偶にモソモソと動いており、

「はい、必ずや。貴方様と廻世の為に」

 その忠誠を誓う言葉は、あまりにも硬く、握りしめた掌からは鮮やかな血がポタポタと腕を伝っていた。

 そして、私はまた微睡みの中へと落ちていく。





 深い森に舞い戻ってきた。

 ハーハーと息が上がり、それに伴うように顔も空を向いてしまう。

 更に脇腹も次第に痛みが増してきて、脹脛ふくらはぎも痛みが出だす。

 もう正直、こんな所もう二度と来たくは無かった……。

 それでもと、森の入口にある私の何倍もありそうな巨木を通り抜けた直後、ザシュッ! という何かを切った様な音と共にミシミシという木が折れる音を立て全長十五メートルはありそうな巨木が倒れて来た。

 それによって葉に溜まっていた雨粒が豪雨の様に降り注ぐ。

 倒れてくる木を泥濘んだ道ながらも、危うい場面もありながらも方向転換を繰り返しながらそれらを回避するが、それよりも焦りの方が勝っている。

(え!? もう!? やっぱり、この魔物の目的はこの魔煌石っ———)

 コート越しにぷっくりと膨らんでいる魔煌石を握りしめる。

 今回の作戦の要であるさっき見つけた場所にはまだ距離があるから、まだ来て欲しくなかったのだが、来てしまったのならどうしようもない。

 その後もザシュッ! という音と木が地に倒れる音が度々聞こえ、思わず――――「もう! 少しは大人しくしてて!!」と怒鳴ってしまうのも無理はない。

 そう、無理はないのだ。

 そう何度も追い立てるかの様に、嘲笑うかの様に同じ事をやられたら怒鳴りたくもなる。

 だが、残念な事に相手は人間の言葉なんて分からない魔物。

 通じ合うのは無理そうで。

 またラウの頭、所謂フードの上スレスレを尻尾の攻撃が掠めた。

 その時に発生した風圧でフードがラウの頭がズレ、真っ白な長いラウの綺麗な銀髪がサラサラと風で靡《なび》く。

(ヒェッ……。頭の上……スレスレだった……)

 思わず頭を両手で押さえる。

(でも、あとちょっと、あとちょっとで……)

 黒豹に追い掛け回されながら走り続けるが、こんな状況なのに不思議と絶望に負けてしまいそうな恐怖は無い。

 むしろ、逆に冷静に周囲を見渡し、物事を考える事が出来ていた。

 厚い雲の隙間から月光が差し込んでいる。

 月明かりが目の前を照らし、一陣の光となって木々の隙間から光を差し込む。

 追いかけられているうちに、目の前に木々が徐々に掃け、拓けた場所を確認した。

 その場所こそ私の目的の場所であり、今回の作戦の要の場所。

 私は走り疲れて痛む身体に鞭を打ち、目の前に広がる、一段下がった段差の場所へと全力で飛び込み、すぐさま段差のゴツゴツとした土壁に背を向けるようにして張り付いた。

 じゃないと死んでしまうから。

 そこに入れば、背の高い生物は段差が邪魔し、更に身体の小さな子供は土壁よりも小さい為、見えないのだ。

 正直、これで思い通りに来なければ私の死ぬ可能性が跳ね上がる。

 しかし、天は私に味方したのか私が目の前からいきなり消えた事により、逃げられたのかと思ったのか、黒豹が更にスピードを上げ飛び込もうとしているのが見えた。

(きたッ!)

 すかさず、私は魔煌石をコートの裾から引っ張り出し、右手で握る。

 案の定、黒豹がスピードを維持した状態のまま、私の目の前へと跳躍。

 そして私は段差へ飛び込んだ事で、必然的に頭上に位置する黒豹に向かって魔煌石を掲げ、ありったけの思いを込めて自然と力を入れた。

 その瞬間、眩い程の光が私達を包み込んだ。

 眼とは、あらゆる生物の長所でもあるが、同時に致命的な急所でもある。

 眼を潰されれば、今までの行動が全て思う通りにできなくなり、死ぬ可能性が出てくるのだから、本能的に防ごうとする。

 野生で生きている魔物や獣は特に。

 更にこれは、魔煌石の面白い二つの特性なのだが、一つは鉱石内に魔力を溜め込み、それを一度に放出する事で高威力の爆弾と化す事。

 その威力は周囲五十メートルを巻き込むのだから相当の威力になる。

 そして、二つ目。

 淡く発光するこの鉱石は短い時間に魔力を大量に与えると一瞬だが、周囲に眩い程の閃光を発生させる。

 所謂、閃光石として使えるのだ。

 そして、黒豹は真下とはいえ、眩い程の光を直視してしまった。

 そしたらどうなるか。

 当然、どんな生物でも一時的に目が失明状態になる。

 更に何故私がすぐに土壁に背中から張り付いたのか。

 それは目の前に広がる崖に落ちない様にするためだ。

 結果として、黒豹は視界を奪われた事によって着地地点を大幅に誤り、崩れた瓦礫と共に崖へと悲鳴を上げ見えなくなった。

(ハー……ハー……や、やった?)

 黒豹が見えなくなった事で崖から急いで離れ、バクバクと唸る心臓を落ち着かせる

 が、和国に諺としてこんな言葉が残っている。

 一難去ってまた一難という、危険を切り抜けたと思っても新たに危険がやってくるという意味の教訓や知識を含んだ短句。

 どうやら、これは今の状況にピタリとハマる様で。

「ははは……グハッ、ハーハー……。ふふふふ、あぁ! ホント、楽しませてくれるよ、お前は。そうだよな、そんなとこで死なれちゃ俺が困る。お前は俺が殺すんだからな」

 サマギマがニタニタと笑みを浮かべ、傷み切れかかってる腰に巻いたバックを邪魔そうに地面に落とし、悠々と歩いてきた。

「サマギマ……。死んだんじゃ……」
「死んだ? どこでそれを判断したんだ? 俺が死ぬ所をお前は見たのか?」
「!?」

 確かにサマギマが叫んだ後、血が噴き出す音と肉を切るような音でサマギマが殺されたのだと判断した。

 けれど、その音は放った短剣が黒豹の皮膚を切る音だったのならば辻褄が合う。

 サマギマが苦渋や憎悪を潜めた表情で語る。

「俺は、お前が心底気に入らなかったんだ」
「?」
「お前、言ったよな。友達を守る、助けると」
「私は自分が言ったことを曲げるつもりはないよ」
「それだよ、それが気に入らないんだ。どうせ、お前はこの国を見たとき全てに絶望するだろうよ。何せ、この国自体が腐ってるんだからな」
「国が腐ってる?」

 どういう意味?

 国として機能していない?

 それとも、サマギマがこうなったのはそれが原因だとでも?

「あぁ、この国は腐ってるさ。あの女が国の頂点に立った時からじわじわとまるで蠱毒のようにこの国を侵食していった。これだけは分かる。この国は後数年で確実に滅びるさ。あの家がある限りな」
「何で、そんな事を知ってるの? それに、何で私に言うの?」
「あぁ、そんな事か。知りたいか? それは俺が元王国騎士団所属の兵士だったからだよ。まぁ、お前に話したところでお前は今から死ぬ人間だ。別に言っても問題ないだろう?さて、そろそろ話は終いだ。精々、守れなかった事を後悔して死ぬんだな」

 サマギマが腰から半ばから折れた長剣を取り出し、私の向かって斬りかかってきた。

 私はそれを左へ避けようとするが、思っていた以上に疲弊していたようで、泥に足を滑らせ左肩に長剣をモロに受けてしまう。

 咄嗟に仰け反らせる事で心臓から僅かに外れたが、それでも断面が綺麗では無い剣だ。

 深々と左肩に剣が歪な断面で突き刺さり肉をえぐる。

 生暖かい血がドクドクと左肩から溢れ出した。

 左肩を抑える様に地面に蹲るが、血は一向に止まる気配は無い。

 それは、サマギマが私から剣を抜いた事で更に出血を悪化させていた。

 地面に赤い染みが徐々に現れる。

「ああぁぁあぁあぁあっ!!」
「ふふ、ふははは!! ほら、やっぱりお前は守れなかったんだ。そうだよ、だから俺が助けられなかったのも仕方がなかったんだ」
「ぁああぁあ………。い、痛い……痛い……」
「痛いか、痛いよなぁ! それが俺が受けた痛みだ! ふふははは、分不相応な事をしでかすからこういう事になるんだ、よ!」

 サマギマが痛みに肩を抑える私を見て、愉悦の様な気色を浮かべ、私のお腹を何度も思いっきり蹴り上げた。

「ウッ……ウグッ!」
「どうだ!? 痛いかぁ! 痛いよな!」

 苦悶が思わず漏れる。

 泣かないように血が滲むのではないかというぐらい唇を噛み締め、ただひたすらに身体を丸め激痛に耐える。

「ふははは、これが守ると言った代償だ! その罪はお前自身が支払え! 死ねぇ! 死ねぇ!」

 サマギマが私の肩から抜いた剣を逆手に持ち、私に今度こそ、突き殺そうと剣を振り上げた。

 私は何か出来ないかと痛みに耐えながら周囲を見るが、あるのは小さな石ばかり。

 それでもこのまま何もせずに殺されるのも癪なので、愉悦と何処か恐怖を写したサマギマを殺意を持った眼で睨みつけ、死を覚悟したその時、重く鈍い音と共にサマギマの胸から黒く尖った刃が生えた。

 ドロリとサマギマの胸から血が溢れ出し、口からも行き場を失った血が溢れ出す。

「ゴフッ……。なっ……何で俺の……胸に……。ごんな………の……が……ふざkq……」

 サマギマの声が徐々に小さくなっていく。

 その突き出た剣に見えるそれは見覚えのある形をしていた。

 さっきまで戦っていたあの魔物の尻尾に。

 サマギマが後ろを振り返ると案の定、片目と牙は潰れ、壁をよじ登ってきたのか両腕の爪はボロボロになり、右の前脚は折れて変な方向へ曲がっている血だらけの黒豹が、眼に殺意と怒気を宿らせながらそこにいた。

 それを瞳に捉えた数秒後、体内の血を出し過ぎたのかサマギマの体から力が抜け、手足を空中でブラブラと力無く揺らす。

 握力がなくなった事で、カランッと右手で持っていた剣が私の方へ地面を伝いクルクルと回りながら転がり、金属の刃に私の味わった事のない激痛に泣いてしまいそうな苦悶を浮かべた表情が写った。

 サマギマを刺し殺した黒豹がサマギマが完全に息が絶えた事を鼻や目で確認し、興味を失ったのか尻尾を横に勢いよく振ってサマギマを地面に叩きつけ、崖から振り落とす。

 次の標的を定めるかの様に、目の前の黒豹の片方の瞳が私を捉える。

 黒豹が前脚を踏み出す。

 まるでこれでは先程に逆戻りだ。

 しかも、私の生存確率が絶望的な状態というオマケ付き。

 黒豹が脚を踏み出したことにより、地面に視線が向く。

 そして、それは図らずも意図したものでは無く、偶然の産物なのだろう。

 しかし、目の前に転がっている半ばから折れた長剣に視線が行き、それはまるで闘えとでも言ってるように見えた。

(大丈夫っ……。私は、私はまだ戦えるっ!)

 私は痛む身体を引きづり、右手を伸ばして長剣を握りしめる。

 そして、長剣を杖のようにしながらプルプルと震える脚で立ち、半ばから折れた長剣を黒豹に真っ直ぐ向けて右手で構えた。

(私は………私は、まだ死ぬわけにはいかないの!! この猫っ!!)

 黒豹はまるで私が長剣を取るのを待っているかのように前脚を動かしてから、動かずじっとこちらを睨んでいる。

 それは、まるで果たし合いのように静寂の空間。

 どちらかがこれで死ぬという意識からくる、極限の集中力を今、ラウは味わっていた。

 波飛沫も、風が吹く音も、木々が騒めく音も遠く聞こえる。

 ただ相手を殺すという事に集中する。

 何処からか、曇天から降った雨粒が葉から地面へ落ち、—————ポチャンという水が跳ねた音がした。

 それを合図に私と黒豹は一斉に相手へ跳躍、自分の持てる最高の攻撃を繰り出す。

 黒豹はすぐさまトップスピードになり、左前脚で身体を回転、尻尾を横に薙ぐ。

 私は長剣を右手で構え、黒豹の懐へ全力で突進。

 胴体へ迫る横薙ぎを回避しなくては死ぬだろうという事は分かっている。

 視界が、周囲の風景が自分を除きゆっくりと進む。

 この世界で、銀蒼の光が私が死ぬ景色も生き残る景色も映し出した。

 それは、言わば未来予知の様なもの。

(けど、今の状況では何よりも頼りになる!)

 私は生き残る可能性に沿うように、尻尾の下にある少女がギリギリ入れる程の隙間を見つけ、尻尾の動きに呼応するように足首から滑り込んだ。

 横薙ぎで胴体に迫る尻尾が、突進する姿勢をスライディングする事で顔の上スレスレを通過する。

「グッ……ッ!」

 黒豹は避けられたのが分かったのか尻尾を薙いだ勢いのまま、ボロボロに折れた、されど人間をも引き千切る鋭さがまだ残っている爪を叩きつけようとしてくる。

 私はスライディングした状態から姿勢を低くも、走る姿勢に戻し、長剣の範囲内に、黒豹の懐へ。

「はあああああぁぁぁ!」

 心の底からの声が、幼い雄叫びが、私を勢い付けるのだ。

 黒豹の左爪が私に向かって振り下ろされた。

 それに合わせ、私は、長剣を水平に保ち、半身から右手に持った長剣を喉元に目掛けて勢いよく—————突き出した。

 剣と爪が削れ合う甲高い音と、火花が発生。

 私の頬を硬く、血に塗れた爪が掠った。

 グジュという音と肉に刺さるような感触が届き、血が溢れ出す。

 ドロリとした赤い血が私の頬を濡らし、生臭い匂いが私の鼻に入り、へばり付く。

 密着した硬い毛が顔に当たり、ズルリと私の横を滑り落ち、地面に重い音立て黒豹は沈んだ。

 頬にへばり付いた黒豹の血を長剣を握った右手の甲で拭う。

 それによって、頬に一筋の赤黒い線。

 フワッと一陣の潮風が吹いた。

 月光が私を照らし、キラキラと輝く銀髪を冷たい春の風が靡《なび》かす。

 それは、儚くも美しい血塗れの銀髪の少女。

 この世にひっそりと、一人の常闇の覇者が誕生した瞬間だった。



(ハーハー…疲れた……。ワ、ワプッ!……ぁぁぁぁあ! ウグッ……うう……)

 思わず身体から支えていた力が抜け、長剣を傍に放りだし夜空を呆然と眺めるが、一定の間隔を刻む波飛沫が私の顔に左肩に掛かった。

 塩水が左肩にかかり、痛みを思い出させる

 更に気を抜いた事で、黒豹との戦闘でサマギマに刺された左肩を強引に動かしたからか、更に血が溢れ出し、忘れていた激痛が身体を蝕むのだ。

 正直、自身の血と黒豹の血も相まって酷い匂いだ。

 いち早く着替えたい所ではあるが、何せ森の中。当分このままだろう。

(ッウゥ……痛いし臭い……。あっ、そういえば、サマギマが回復薬を持ってたような……)

 私はサマギマが落としたバッグに目をつけ、回復薬が無いかガサゴソと探し出す。

「こ、これはそう、泥棒じゃないの! 落ちてたんだよ! ゆ、有効活用だよ、うん! い、痛っ!」

 別に誰も何も言ってないのに、誰かへ向けて一人で喋る。

 そして、鞄の奥の方に一つだけあったサマギマが使っていた物よりも濃い緑色の回復薬を見つけ、満面の笑みを浮かべた。

(あ、あった! 良かった~……ウギュ。は、早く、早くこの痛みを……)

 はしゃいだから更に傷口が開き、激痛が襲う。

 とはいえ、元は敵の物。恐る恐る回復薬の蓋をキュポンと抜き、チマチマと左肩に掛けてみる。

 するとみるみる痛みは消え、傷口が治っていくが。

(い、いったぃ!! ……か、回復薬ってこんなに痛いの!? 私、決めた……絶対今後使わない………。よ、よし、一気に行けば大丈夫……大丈夫なんだからぁ! ぎにゃぁああああぁぁぁああぁぁああ!! い、いたいぃぃいい!!)

 数分後。

(お、終わった? 終わったよね? あっても捨てるよ? ……ん? ん~まだ若干痛みは残ってるけど、さっきよりは全然大丈夫になったかな? でも、変わりになんか、身体が重いんだけど……)

 回復薬も言ってしまえば、負傷者の治癒力を無理矢理引き出しているのだから、対価無しに回復出来るはずもない。

 一応、この世には神の雫等の魔薬を除いても痛みを無しに回復できる物もあるにはあり、珍味として人気のある物なのだが……アレはラウには無理だろう。

 それはそうと、本格的に本来の目的を果たさないといけない。

 ラウは慌ててなんだかさっきに比べ随分と軽くなった身体に違和感を感じながらも、僅かにしか光らなくなった魔煌石と折れた長剣を拾い上げ、時々コケそうになりそうながら駆け出した。





 左肩を抑えながら嫌になる程走って、やっとキミウに戻ってきた。

(な……なに、アレ。……燃えてる?)

 しかし、キミウのお祭り気分に満ちていた街は一変していた。

 表通りは雨が止んだことで男達の怒声や住民の悲鳴の声が響いている。

 橙色の街頭の灯りがキミウの都市を明るく照らすが、同時に所々に火が着火し、キミウ全体が淡く光って幻想的にも見えるのだから不思議だ。

 その中で一際異彩を放つ四人。

 それは、私のパパとママ、そしてイリーナさん、ルトお爺ちゃんが数多くの冒険者を纏め上げ、魔物の大群の進行を妨げ、殲滅している光景だった。

(ハッ……み、みんなは!?)

 街の方は大丈夫だと考え、小さな足を必死に前へと運び、まずミリアがいる所へ走る。

 ラウの横顔には街の赤い明かりが照らされている。

 ふと視線を周囲に向けてみると、辺りを睥睨するドス黒い色に染まった兎。

 しかし、瞬きした瞬間には忽然と姿を消していた。

 この時は不思議な色をした兎がいる程度のものだったのだ。

 辿り着いたそこでは白黒のメイド姿に赤い血が染み、傷だらけで倒れている女性。

 そして、クアンが成長した様な女性と片耳が抉れ、身体各所から血を流す獣の耳が特徴的な獣人の男性が、筋肉が肥大しブチブチと所々から血を撒き散らしながら周囲に被害を出す化け物に空中に吹き飛ばされた瞬間だった。





 ラウとサマギマが黒豹と対峙している頃。

 クアン達はサミアの提案により、ソフィーは領主の元へ応援を呼びに。

 サミアとクアンはミリア達の捜索に赴いていた。

「サミア姉さん、どうしてソフィーさんをラウの両親の元へ向かわせたの?」

 クアンは、隣にいる姉にソフィーさんという貴重な戦力をワザワザ手放した事に疑問を持つ。

「ここの領主であるあの二方はこの国の中でもトップクラスの戦闘力を持ってる。それに、相手にはミリアちゃんを攫った二人組とワイグナーもいる筈。少しでも戦力が多いに越したことは無いわ」
「そんなに、強いの?」

 ワイグナーが強い事は分かっているが、姉さんがそんなに警戒するのが分からなかった。

「二人組の内の一人が私の考えてる人なら、ね」

 姉さんが言い切った所で、周囲の目撃証言を元に拓けた崖の様な場所に辿り着いた。

 目の前には辻馬車の前でこちらに気づいたのか、ミリアを抱えこちらを警戒する男。

 そして、傷だらけになりながらもこちらに敵意を向けるワイグナーが居た。

「チッ……もう来ましたか。サッサとその娘を連れて行けっ!」
「ミリア!」

 ワイグナーがもう一人の男に指示を出し、クアンがミリアに叫ぶ。

 ジッと男の事を見ていた姉さんが、動き出そうとした男の足を止める様に口火を切った。

「そう。やっぱり貴方だったのね、カーム。答えなさい。貴方、こんなとこで何をしているの?」
「……ッ!」

 カームと呼ばれた男がビクッと身体を震わせ、思わず足を止め、此方を見る事なく小さな声で呟いた。

「あぁ、そうだよサミア。君ならここまで来るだろうという事は分かっていた。それに、君が妹さんの為であるとしても、俺を止めに来るだろうことも」
「何故こんな事をしているの? あんなに楽しそうに話していた妹さんの事を貴方、どうしたの?」
「………………」
「おい! 何してる! はや――」
「ちょっと黙ってなさい」
「っ!」

 早く行けと急かすワイグナーに、冷気と共に殺気を向け黙らせ、背後のミリアに視線を送るカームに話す様に促す。

「答えなさい、カーム。その子をどうするつもり?」
「この娘には……。我らの人柱となってもらう」
「人柱?」
「いい加減にしろ! おい、カーム! サッサと連れて行け!」

 ワイグナーが何とか声を張り上げ、カームに指示を出した。

 それに従おうとするが、クアンがカームの前に赤禍狼を抜いた状態で躍り出て足を止めさせ、未だ眠らされているミリアに向かって呼びかける。

「ミリア! ミリア起きて!」
「ん……んん、クアン?」
「ミリア!」

 ミリアの目が薄っすらと開き、自分の置かれている立場を視界に入れた。

 同時に、どうして今自分がこんな状況に居るのかも思い出し、ハッと腕を見る。

 しかし、当然のごとく探し求めていた物は存在していない。

 その事に取り乱しそうになるが、その事を察したクアンが「大丈夫よ、ミリア。ブレスレットならラウが待ってるわ」と一旦落ち着かし、ワタワタとミリアはカームの横を通り過ぎ、クアンの横に並ぶ。

「ラウ? あぁ、あの小娘ですか! ふひひ、ひひっ……いや、あの小娘は戻ってこないですよ」

 ミリアに言った「ラウ」という言葉にワイグナーが可笑しそうに笑い出した。

「まさか、ラウに何かしたの!?」
「私はしてませんよ? カームは何か知ってるかもしれませんがね?」
「どういう事!」

 ワイグナーが横に居たカームへ意味深な視線を送った。

 クアンがすかさずカームへ視線を向け、言葉を言い放つ。

「ラウに何したの!」
「俺は、常闇の森で魔煌石を取ってくるという提案を許可しただけだ」
「常闇の森!? あそこがどれだけ危険な場所か分かってて許可したっていうの!?」
「……。そんなこと嫌という程分かってるさ、俺も野に生きた者。アレがどれだけ危険で、狂気に塗れた所かも」
「だったらなんで、許可したの!」
「……」
「分かりましたか? もうあの小娘は生きてなんかない! どうせ、もうあの森に住む魔物に食われてますよ。それに、貴方達も同じ道を歩むのですから!」

 ワイグナーが懐から濃い血の様な液体が入っている一つの瓶を取り出し、「ッ! 二人共、逃げなさい!!」とサミアがクアン達に忠告すると同時にワイグナーが歪な笑みを浮かべながらその液体を飲み干した。

 刹那――――、一陣の狂風がワイグナーから発生し、クアン達が狂風に耐えられず背後の木々へと勢いよく激突。

 打ち所が悪かったのか気絶してしまう。

 ワイグナーが喉の奥から悲鳴をあげる。

 その瞬間、ワイグナーの身体が徐々に変化していく。

 痩せ細った身体からは肥大した筋肉が徐々に現れ、全身を強固な鉄鎧の如く纏い、更に所々から血管が浮き出ると同時に血が噴き出す。

 更に魔の者の特徴である、身体に様々な模様が現れ全身を覆い出した。

 最早、人間の言葉も喋れなくなったのか呻き声を出すだけの化け物と化していた。

 一言で表すのならば異形。

 そして、それは最早人間を止めたと言って過言では無かった。

 更にワイグナーが変化したと同時に隣に黒い兎が寄り添う様に出現。赤い瞳に黒い身体。

 そして、不気味な雰囲気を醸し出していたが、数秒もすると忽然と姿も気配も消えていたのだった。

 不思議に思いつつも、いつまでも消えた存在を気にしている余裕は最早無い。

 先程ワイグナーが飲んだ薬、紅薔薇べにばらと呼ばれる神の雫の上位互換である液体。

 それは、あらゆる生物を異形へと変貌させる。

 しかし、その対価は凄まじく、戦闘能力である、攻撃力、俊敏性、防御力、生命力等飲むと著しく上昇すると言われている。

 そして、飲むと人格を奪われるが、中には人格を保ったまま異形となった人物もいた。それは最早神の如き力だったとも。

 紅薔薇は遙か昔に使われた事例があるだけでその凶悪な危険性等の観点から各国が撲滅に動き出し、今では古い書物に載っているぐらいの過去の遺物とされていた筈なのだ。

 それを何故ワイグナーが持っているのか?

 何処で手に入れたのか?

 ワイグナーという組織の末端であろう人物にも手が届くという事は、王国内の裏で蔓延している可能性があるということでは無いのか?

 それを国がここまでバレない様に隠しているとしたら最早最悪の一歩手前まで来ているのでは?

 そんな猛烈に嫌な予感がサミアの脳内を過る。

 ワイグナーが咆哮とも呻き声とも取れるおぞましい声を出し、見境なく辺りを攻撃し始めた。

 サミアはすぐにクアン達の無事を確認し、ワイグナーの方へ向くが、最早味方と敵の区別も出来ていないのだろう。

 カームの方向へ、身体全体で纏う闇の魔力を鞭の様な形状へ変化させ、目に付いた物全てに攻撃し出す。

 その威力は硬い岩をも砕き、巨木さえも薙ぎ倒す威力。

 辻馬車にも激突し、乗っていた野菜や武器などが瓦礫と共に崖下に落ちていく。

 更に厄介な事に、ワイグナーが闇の魔力を周囲へ霧状に放った瞬間、様々な魔物が現れ、私達の背後にあるキミウに向かって行動し始めた。その数は二百は下らないだろう。

 魔物の種類や強さにもよるが、その数は充分街だろか国さえも落とせるほどの数だ。

 だが、この街は世界中を見ても稀に見ない程に高い戦闘力を持つ冒険者等が集まる。

 しかも、今日は領主の娘さんの誕生祭でいつもより更に冒険者が多い事と、領主や冒険者ギルド長も加わるとなると街の方は大丈夫だろう。

 問題は……と、ワイグナーの生み出した鞭に尖った狐耳が掠った事で片耳が抉れ、血が滴り落ちているカームへと鞭を回避しながら視線を向けた。

「カーム! 貴方が今どんなマズい立場にいるのかは分からない。でも、このままだと私達全員死ぬ事になるわ。そうしたら貴方の願いも全て無に帰す。それが嫌なら私達に協力しなさい! それにあんな状態の主がいても殺されるだけよ!!」
「…………分かった。だが、どうする―――――ッ!」
「先ずはあの鞭を潰すわ。ソフィー、妹達を頼んだわよ!」
「お、お嬢様分かってたんですか!?」

 ソフィーがクアン達の横にスッと現れる。

 その顔には驚愕の表情がありありと浮かんでいた。

「分かるわよ! というより、なんで私と共感格持ってるのにバレないと思ったのよ! それじゃあカーム、行くわよ!」

 ワイグナーがその巨大な腕を私に振りかざす。

 それをバックステップするようにして避け、懐から一本の杖を取り出し、杖の先に幾層もの氷結魔法の魔術紋を形成。

 子供一人分ぐらいの大きさの何十もの氷を発生させ、その鋭く尖った氷先を向けた。

 そして、「蒼天の津吹よ、氷結し突き刺せ! 氷上級魔法――氷月ひょうげつっ!!」という掛け声と共に一斉掃射する。

 敵意を感じたのか反射的にワイグナーの視線がサミアに向き、カームへ向けていた鞭を自身を守る為に迫りくる物体へと振う。

 が、余りに数も攻撃力も桁違いの攻撃に、防御に用いた鞭は次々と穴だらけになり身体に傷を付け、ワイグナーの周りに血が飛び散り、小さな血池を作った。

 その隙にカームは一速で魔力で掌に長く鋭利な爪を形成し、ワイグナーの横を駆け抜けたと同時に深く斬り付けた。

 しかし、熟練の手練れだからこその違和感。

(なんだこの感触は……。切っている筈なのにまるで効いてる感触が無い……まるで泥を斬っているような)

 カームが感じた違和感。

 それは、サミアも強く感じていた。

 確かに傷を負わせた事で、血は更に噴き出している。

 しかし、それだけでダメージを与えられている。

 だが、倒せるイメージが一切沸かないのだ。

「おい、サミア! このままだとまずいぞ!」
「……」
「サミア聞いてるのか!」
「カーム、一つ案があるわ。これには必ず体を動かしてる原動力、いわば核があるはず! それが体内のどこかにある。私が範囲魔法で攻撃を仕掛けるからそれまで時間を稼いで!」
「無かったらどうする!?」
「そんな事を考えてる時間があったら行動!」
「……分かったよ、お嬢様!」

 ワイグナーが自身の千切れた鞭の形状を更に変化させ槍へと変化、更に傷ついた身体を肉が焼ける音と共に塞いでいく。

 これではワイグナーの周囲に漂っている魔力をどうにかしなければ、きりがないだろう。

 なにせ魔力がある限り、敵に最適化した武器を形成し、攻撃を受けたとしても回復するのだから。

 カームが時間を稼ぐ為にワイグナーへと疾駆する。

 ただでさえ戦っているのは海に面した崖の上。

 更に雨が降ったことで足場も悪くなっているのだ。

 その中で大規模な戦闘を行うなどいつ崩れてもおかしくない。

 だからこそ、あともってこれが最後の攻撃になることは薄々分かった。

 鋭く尖った爪と土魔法で作り出した籠手と爪に上級魔法を付与。

 カームの種族が使える幻影魔法でワイグナーの視線を自身に引きつけた。

 幻影魔法は大規模なものであれば、長時間景色をも変える事や実際に痛みを感じさせる事さえ出来る。

 それは、実際には傷を負ってないのに脳が視覚の情報に惑わされ痛みだと勘違いするのだ。

 今回、カームが行った幻影魔法はワイグナーの範囲十メートルを灼熱状態にし、自身にヘイトが向く様に細工した。おかげでワイグナーがカームの方へ視線を戻す。

 カームが幻影魔法を発動出来るのは妹と違ってほんの一瞬だ。

 しかし、その瞬間を逃す程落ちぶれても無い。

 ワイグナーの周囲を漂う槍が此方にくるのを掻い潜り急加速し跳躍、火魔法を付与した爪で両腕を切断した。

 だが、切断した感触を得た刹那、背後の地面に刺さっていた槍が空中で矛先を変え、カームに殺到。

 何とか致命傷を防ぐ事には成功するが細かな所は防ぎきれず、腕や太腿ふとももに切り傷を負う。

「グッ!!」

 ワイグナーが次から次へと矢継ぎ早に飛翔してくる槍の攻撃を避けていると「カーム! 終わったわ、下がって!」と声が聞こえ、後ろへ全力で跳躍、退避。

 言魔を紡ぐ声を聞く。

「―――蒼穹の弓矢よ! 我に相対する者全てを永久凍土に凍り尽くせ!」

 杖の先から直径十三メートルはあろうかと思われる程の魔方陣が、大中小のサイズでワイグナーに一直線に並び、それと同時にワイグナーを同様の魔方陣が囲み逃げられなくした。

 そして、最後の言魔を口に出した。

大雹雪華だいひょうせつか白堊はくあ‼」

 一条の純白の光が放出される。

 その光は眩しく常闇を照らし、通る全てを凍てつかせる。

 生物が生存出来ない程の氷雪。

 波飛沫も草木も全て、見る者を魅了する美しい氷の彫刻と化すのだ。

 まさにそれは、純白に染める白堊の景色だった。

 それも徐々に収まり、目の前には一体の凍った彫刻が出来上がった。

 その彫刻からは冷気が止めどなく溢れており、凍える様な寒さが襲うようだ。

 カームはすぐさま視線をサミアからワイグナーへ移動させ、注視する。

 しかし、いつまで経っても動き出す気配はしない。

 全身を凍らされた事によって核をも凍らされた可能性もある。

 だが、かといって止めを刺さない訳ではない。

 カームが凍りを崩そうと一歩を踏み出し、ワイグナーの目の前に辿り着く。

 そして、胸の中心に爪を突き刺した。

 バキバキッと氷が罅割れ、胸の中心に赤い核を発見した。

 だが、様子がおかしい。

 そのドス黒く染まった心臓の位置に存在する核がドクッと脈打った。

 次の瞬間、黒い闇が圧縮、噴出し様子を調べる為に近づいたサミアとカーム、そして周囲を咆哮と共に吹き飛ばした。

 更にクアンとミリアを回復魔法で回復し、戦闘場所から遠のけていたソフィーへ向けて地面から幾つもの黒い剣が次々と突き出る。

 クアンとミリアを庇う為に剣を防ごうとするが、背後へは一歩も引けない。

 だからか、次々と傷を負いメイド服に血が染み込み始め、致命的になったのは背後からの剣の一閃。

 地面を通った剣が背後からソフィーの背中を斬り付け、剣の腹でソフィーを木々を巻き込みながら吹き飛ばした。

 激痛が襲う身体を引きずり、うっすらと開いた視界でクアン達を見る。

 しかし、その光景は無情にもクアン達二人が黒い触手に捕らえられ、化け物に連れて行かれる風景だけだった。



「クアン! ミリア!」

 私は親友達が化け物の触手の様な物に捕らえられた光景を見た瞬間、いつの間にか駆けだしていた。

 周囲が氷付けなのも気になったが、そんな事は二人を見た瞬間頭の中から消えていた。

 二人が自分の目の前で危険な目に合っている。

 しかも、今動けるのは自分一人だけ。

 自分が死ぬかもしれない?

 もしかしたら三人共死ぬかも?

 ここで引き返せば私は助かる?

 自分が行った所で何になる?

 そんなことは知らない。

 私は、私がここで逃げ出したら私は私では無くなる。

 それだけは耐えられない。

 たとえ、私が死んだとしても二人が無事ならば。

 二人がいつまでも笑って居てくれれば、それだけで最後まで良かったと思えるのだから。

 化け物の身体表面の氷が崩れ始め、同時に全身のドロドロと腐り落ちた肉らしきものが地面に滴り落ちる。

 悪臭が周囲に蔓延し、もはや最初の原型さえ分からない。

 パキパキと凍った地面を踏みしめ、化け物へ只ひたすらに駆け抜ける。

 二人が遠目でも分かる程に傷つき、気絶しているのか動かない二人。

 化け物へ対して、これまでに感じた事の無い憤怒と殺意を芽生える。

 あの化け物を殺す。

 殺意が、止めどない殺意が私の中で華を咲かせた。

 私は腰のベルトに刺した長剣を取り出す。

(クアン! ミリア! 待って! 遅い……! まだ、遅い! 速く、もっと速く!! 速く動いてよ! ねぇ!! お願いだよ!!!!)

 小さな歩幅ではどれだけ必死に走ったとしても距離が物を言う。

 こんなにもこの小さな肉体を恨んだ事はない。確かにママやパパには申し訳なく思う。

 しかしだ、肝心な時に役に立たなければ何の意味も無いのだ。

 だからこそ、重く痛む身体を必死に動かしながら心の底から叫ぶ。

 一生のお願い。

 私が死んでも良い。

 だから、どうか、今親友を助ける力を私に頂戴っ‼

 そのラウの叫びに答える様にラウの身体がバチッと銀雷が走りラウの身体全体が銀雷が纏わり付くように浮遊し始めたのだ。

 変わった事は更にもう一つ、風景が横へ横へと飛んで行く様な景色だ。

 それは後にラウの二つ名の由来となる銀雷を初めて発現させた瞬間だった。

『銀雷』

 それは神速の灼雷が如し。

 一陣の雷が過ぎた頃には相対した者は無に帰し、相対した敵さえも分からず死に果てる。

 それは美しくも厄災を振りまく銀の稲妻。

 その速さは何人にも捕らえられ無い。

 例え神であろうとも汚す事は許されない一陣の銀雷。

 私は両手で長剣がすっぽけない様に力強く握り締め、目の前に迫った二人を捕らえる触手に向かって力の限り、全力で振り抜いた。

 ドロドロに溶けた状態でも痛みを感じる器官があるのか、おどろおどろしい悲鳴を発した。

 私は慌てて二人を抱き留めようとするが、案の定、押しつぶされた。

 押しつぶされた事により、フギュッ!!とまるで乙女らしからぬ声が出てしまった。

 二人を化け物から離れた岩の傍に横たえ、次いで最初の目的であった、ブレスレットをミリアの傍に置く。

 二人の顔をジッと見た後、ゆっくりと背後の戦場へと視線を向けた。

 再会を喜ぶ様な油断を晒す余裕も最早砂塵と化した。

 何故なら、悲鳴を上げていた化け物が私に向かって殺意を向けていたのだから。

 私は二人を後ろに庇い、長剣を両手で構える。

 その姿勢は素人同然だ。

 それもそのはずでラウは剣なんて握った事もない。

 屋敷で教えを請う様に強請っていたのは剣では無く、槍なのだから。

 言ってしまえば、剣を握った数分後に生死を分ける戦闘を行っているのだ。

 それは並の精神力では無い。

 普通の人間ならば、あっという間に死んでいるだろう。

 それだけ、ラウには戦闘に対しての天賦の才があった。

 私は注意深く化け物を注視する。すると、胸の中心にドス黒い掌サイズの核を発見。

(もしかして、アレを壊せばこの化け物を殺せるんじゃ……)

 私はチラッと視線を背後の二人へと向け、薄く笑みを浮かべる。

(よしっ! 行くよ‼)

 そうして、私は化け物に向かって疾駆した。



 大きな音が聞こえる。

 激しい戦闘音。

 それと同時に大きな振動も伝わってくる。

 私は痛む頭を抑え、目をゆっくりと開けた。

 そこでは、私の親友であるラウが見たこともない化け物相手に戦闘を繰り広げている最中だったのだ。

 隣にはミリアがおり、私が気付くと同時に目が覚めたのか視線が交わった。

 しかし、すぐに音の原因に視線を向け、私も同様に視線を前方へ向けた。

 ラウが化け物に剣を突き立てようとした瞬間――――何かが砕けるような音と共に、ラウの方向から柄だけになったサマギマの剣が飛んで来る。

 カランカランという乾いた音を立て、地面に深々と突き刺さった。

 私はバッと長剣から前方へと視線を向けた。

 ラウがこのままだと死んでしまう様な、どこか遠くに行ってしまう様な気がして。

 そして、その予感はラウがポケットから取り出した物によって、更に濃厚になった。

 冒険者ならば誰でも知っている物。なんでラウが持っているのかは分からない。

 でも、でも! それは……、それを使ってしまったら本当に予感が現実になってしまう!!

 ミリアも同様の事を考えていたのだろう。

 だから、ミリアが叫ぶと同時に、私は喉の奥から声を張り上げた!

「駄目! それを、使っちゃ!! ラウッ!!」



 私を貫かんと黒い剣が躍動する。

 それを時には剣で防ぎ、時には回避しながらただひたすらに足を前へ運ぶ。

 その間にも、地面を抉り取る音がする。

 肉が腐り落ちる音がする。

 氷を踏み割る音がする。

 様々な音が私に危険を知らせる。

 それに従う様に行動してやっと、化け物の目の前に辿り着いた。

 後はこの剣を突き刺せば、平穏が戻ってくる。

 そうしてまた三人で笑い合うのだ。

 また、三人で。

 私は、そう妄想し、勝ったつもりで気を緩めてしまった。

 その結果は、半ばから折れていた、けれど唯一の攻撃手段が核に届く目の前で地面から生えた黒剣によって、粉々に粉砕されるという最悪の展開を呼び寄せてしまったのだ。

(えっ……)

 剣の砕けた破片が私の表情を写し出し、私の思考が一気に冷め、背筋に剣を突きつけられたような背筋が凍るというものを初めて経験した。

 そして同時に、私が考えていたもう一つの作戦が脳裏を掠める。

 最悪これを行えば私は死ぬ可能性があり、二人に二度と会えない可能性がある。

 だがそれでも、と私はそれに手を伸ばして握りしめた。

「ラウッ!!」
「ラウ!! 止めて!! その手に持っている鉱石をすぐに捨ててッ!!」

 背後から、二人の必死に私を呼ぶ声が聞こえた。

 この声で振り返らずとも二人の表情が脳裏に浮かぶ。

 でも、これで二人が、皆が助かるならと。

 私は、迷わずそれを選ぶ。

(あぁ、二人共どうか元気で。でも、たまには思い出してほしいかな? ……なんてね)

 私は魔煌石に右手で持ち、化け物の核へと押し当てた。

 そして、魔煌石に残った僅かな魔力を爆発エネルギーへと変換し、光が私と化け物を飲み込んだのだ。

「いやぁぁぁああああああ!! ラウッ!!」
「ラウッ!!」
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