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第1章 後悔と絶望と覚悟と

第15話「常闇に淡く瞬いている月を見た」

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「仲間? 私が?」

 ラウが常闇の森へと魔煌石まこうせきを探しに行っている頃。

 クアンは目の前に佇む男――――サマギマの言葉に苛立ちを募らせていた。

 そもそも仲間とは、親しい間柄の者達で構築され何かの物事に対し互いの協力の元にその困難を乗り越えようとする事で成り立つ関係の事である。

 一方だけが仲間だと思っての関係は表面上だけの協力関係と言えるだろう。

 では、ここでの仲間という言葉の指すものは何か。

(何故、今そんな話を持ち出す理由は何? この男は何を考えてるの?)

「ええ、こんなとこにいるとは言え貴方の事ですから、自身の家の状況は少しながらでも把握してるのでは無いですか?」
「……」

 クアンは肯定も否定もせず、先を促すように静寂を保つ。

「あぁ……。そうそう、こんな辺境にいると本当に知りたい事は素早く各地に拡散しないものです。まるで緩やかに坂を下る水の流れが大きな岩に堰き止める。まぁ、私は辺境に住むのだけは御免ですがね」

 ワイグナーがやれやれと言いたげに両手の掌を首の辺りまで上げ首を振った事に対し、私はワイグナーの一連の行動に訝しげに目を細める。

(これ以上待っても、話が見えてこないわね……)

「何が言いたいわけ?」

 ここでようやくクアンが口を開きワイグナーの意味ありげな発言に質問を返した。

「ですからね? 貴方の今持っているだろう情報には不足点があるのですよ。良かったですね、朗報ですよ? 前までは貴方が対象でしたが、変更になったのです。その貴方の代わりになったのは、どうも貴方の妹君《いもうとぎみ》のミーアちゃんだそうで。しかも面白い事に、何でかは知らないですが自分から言い出したそうですよ? 私が婚約者になる、と」
「——ッ!? どういう事! どうしてそういう事になるの!」
「さぁ、いつの世も上が物事を決め、下にいる者はそれに沿う結果を出さなくてはならない。しかも、失敗したらしたで下の者が責任を負う。それが世の常であるのですから、何とも面倒で馬鹿馬鹿しい事です。あぁ……駄目ですねついつい喋り過ぎてしまう。それでは先ほどの話に戻りましょうか。貴方の妹は現在十一歳。それもあと少しで十二歳になるそうで。早くてもあと三年も経てば婚約者も決まったでしょう。まぁ、早めに婚約者が決まったと考えれば良いではないですか。それに、良かったのでは? あの何も出来ず何も貢献することの出来ない家の邪魔者を排除することが出来るのですよ? それに正直なところ、内心同じように考えていたからこそ貴方はあの家を出たのでは無いのですか?」
「そんな事ない! あの子は! ミーアは——」

『クアン、貴方もお姉ちゃんになるのよ?』
『お姉ちゃん?』
『そう。いい、お姉ちゃんは何があっても妹達を守るものなの』
『そうなの? お姉ちゃん……私も、お姉ちゃんみたいになれる?』
『なれるわよ。貴方が妹の事を気にかけて沢山愛情を注げば、きっとあの子もそれを返してくれる。でも、その為にはクアン自身の心持ちが必要だけどね』

 幼い頃に姉と交わした約束とその時に頭に乗せられた温かな手の感触が脳裏に浮かぶ。

(大丈夫。私はあの子のお姉ちゃんなのよ)

 クアンが続きを言おうと口を開く。

 しかし、またもワイグナーが故意に行なっているのでは無いかと勘ぐってしまう程に、クアンが喋る前に言葉を重ねてきた。

「ですが、実際妹さんが貴方の代わりになったこと良かったと思いませんか? 貴方の事ですから、十五になる前に家に帰ってアレの妻になることで自分の事を犠牲にして、家族を守ろうと考えてるのでしょうけど、それも貴方のご家族は賛同しないでしょう」
「———ッ」

 それは、私が遠からずも考えていた事と同じ考えだった為か、ワイグナーの放った言葉にまた口を閉じてしまう。

(確かに、私が身代わりになる事であの子が助かるのならと思ったりもした。でも、今の私には私を必要としてくれる友達がいる……。でも、ここで投げてしまったら妹が……)

「ですが、私ならば主に口沿い出来ますし、妹君を助ける事が出来るかも知れない。どうです?」

 その提案は、まるでそこに黒く禍々しい手が目の前に差し出されている様に幻視できた。

 しかし、その手を掴んだ瞬間、私の未来は本当に閉ざされる様な得体の知れない不気味さが全身を撫でるかのように襲う。

「……それが事実だとして、貴方が得をする事は無い筈。一体何が目的なわけ?」
「くふふっ、いえいえ、私は貴方の為を思っての善意で提案しただけですよ? ただ、そうですね。昔の償いの様なものですよ」

 実際、提案自体はそこまで悪くない。

 それであの子が助かるのなら……。

 でも、あの子が犠牲になるのだけは。

 それだけは何としてもそれだけは認められない。

 そもそも、私の妹は家族の中で一番身体が弱くて病弱な子で、いつも家から出る事もままならない程。それでも私の大切な家族で、そして大切なたった一人の可愛い妹なのだ。他の姉弟してい達も妹の事を気遣ってくれていた。だから私は家族に黙って旅に出られた。

 けれど、この男はそれを嘲笑うかのように他人が大切に思っている物を壊そうとする。

 それに、償いなんて言葉を口で言うのは容易いがこの男の場合、内心は償いの気持ちなんて一欠片も無いに違いない。大方、この機会に恩を売ることで更に私達に干渉してくるつもりだと思う。どちらにしろ私に選択の余地は無いのかもしれない

「とは言え、貴方のご家族にはそれはもう大反対の嵐だったらしいですよ? 何せ、住民も加わった盛大なブーイングだったらしいですから。まぁ、相手が相手ですからねぇ」

 この男がその『主』とやらに口添えしなければ妹はあいつの婚約者にされてしまう。

 そしたらミーアは絶対に壊される。

 とはいえ、この提案を断ったとして私にできる事は限りなく無いに等しい。

 それに今、妹の婚約者となっている奴は平気な顔で人を自身の所有物の様に扱う様な男だ。

 好みの女の為なら女の恋人や家族さえ殺す。

 更に気にくわなければ親の権威を自身の力だと言い張って癇癪を起こし、他人に物を投げ暴力を振るって周囲に当たり散らした事もあった。

 でも、それを一方的に破棄すれば家族がどうなるか分からない……、だったら……。

「分かったわ。ただ家族が反対したとしても私の事は好きにしてくれていいわ。でも、妹の婚約を解消する事。あと今後、私の家族に関わらないで!」

 だから、こう言うしか無い。

 仕方ない。

 最近、私の人生はあの日から、不幸で塗れていると感じる。

 全ては私の罪。

 だから、これは贖罪なのだ。

 私のした事に対する贖罪。

 想定していた言葉が返ってきた事に機嫌を良くし喜色きしょくを浮かべたワイグナーが口を開き――――、

「えぇえぇ、ではそれではそのように計らいま――――」
「いいえ、その子が許可しても私が許可しないわ」

 女性の筋が通り、雨の中でもハッキリと聞こえる凜とした声が頭の中に響いた。

(え、何で……。ここには居ないはずなのに)

 涙脆くない筈なのに目元が滲む……。

 この懐かしくも暖かい声……。

 クアンは長年会って無かった為か、少し声が大人の女性らしい声になった人物を複雑な感情を浮かべた表情で背後を振り返った。

「久しぶり、クアン。まったく、一人でどっか行くんじゃ無いわよ。探し回ったじゃない」
「サミアお姉ちゃん……」
「あら? 珍しい。いつもは姉さんなのに。でも、お姉ちゃん呼びの方が可愛いわよ? クアン」

 サミアお姉ちゃん。

 もとい、サミア姉さんが私の無意識でつい出てしまったお姉ちゃんという言葉に嬉しそうに微笑む。

 対して、私の顔はさっきの悲壮感に塗れていた表情とは打って変わって頬が恥ずかしさでカーッと一瞬のうちに熱くなった。

 でも、このやり取りも懐かしい。遠い昔の様に感じる。たった数年ぶりでも、こんなにも懐かしいと温かいと感じるとは知らなかった。

 私の最愛の家族であり姉の一人。

 そして、リンライト公爵家現当主補佐兼次期当主第一候補であるサミア・リンライト。

 そんな彼女が以前より、艶やかな紅髪が腰の辺りまで長くなったことで大人の女性を醸し出し、クアンに愚痴を言いながらも焦る様子もなくゆっくりと此方へ歩いてきた。

 何故か、後ろに決勝戦で見た綺麗な白髪に何故かメイド姿の女性を引き連れているが……。

「姉さん…………なんで……ここが」

 サミア・リンライト

 彼女はリンライト公爵家のクアン含め五人いる姉弟の中での一番上の姉、長女にあたる。

 幼少期から周囲の子供とは比べるのもおこがましい程の高い魔力を所有し、子供の中では憧れ、同時に別次元の様な存在。

 大人の中では、余りの才能に一目置かれる存在だった。

 しかし、それらも言い換えれば余りの才能に薄気味悪がられ、本能的な周囲から距離を取られていた過去を持っている。

 そんな幼少期を過ごしたサミアは普通の子と同じように接してくれる家族以外の人とは自分から距離を取るようになっていた。

 しかし、そんなサミアにも転機が訪れた。

 それは、自身よりも更に強大な魔力を持ちあらゆる超常現象を操るその力は古竜の大群とも渡り合えるとも噂されるリグラ魔法国の五星賢者ごせいけんじゃ、別名『グナニラーヴァ』と呼ばれる一人一人が世界最高峰の実力を持つ魔創師達の話だった。

 そんな噂を聞いたサミアは魔法国の魔法を専門的に教え、魔創師の一人が理事長を務める四年制の学校。

 リグラ魔法学園に入学する事を決め、敷地内の寮に入るため実家を出て入学した。

 それが三年前である。だからこそ、まだ学園にいるはずが何故こんな所にいる理由が分からないのだ。

「はぁ……。そりゃ、最近になってから実家に、ある都市周辺から復興物資という名目で多額の金銭と大量の食料が差出人不明で何度も送られて来たら流石に気づくわよ。まったく、あれだけ貴方の所為じゃないって言ったのに一人で悩んで、休暇で実家に帰ってみたら家を出て行方不明だって言うんだもの」
「うっ……。ご……ごめんなさい……」

 実際、会うことがあったら感動の再会のようなシリアスな雰囲気になると考えていたのだが、ある意味予想通りいきなりからかわれ、説教をくらった。

 だからなのかいつも通りに接してくれる優しさと、覚悟はしていたがそれでも不安をかけてしまった罪悪感で、目の前の視界が涙で歪む。

「ホントよ、私達がどれだけ心配したと思ってるのよ。でも、本当に無事で良かった」
「うん……ゔん……!」

 姉さんが私を抱きしめ、慈しむように笑顔を浮かべる。

 それだけで、どれだけ私が家族に心配をかけていたのかが分かってしまう。

 雨の中でも感じる暖かい体温に、ほのかにふんわりと香る、昔と変わらない懐かしい薔薇のような甘い香りが私の涙腺を刺激する。

 いつも自分一人で侮られない様にと頑張ってきたのが報われた様に感じられ、それも涙腺を刺激する要因の一つかもしれない。

「おや、誰かと思ったらサミアさんではないですか。久しぶりですね~。元気にしてましたかぁ? なんでも三年間成績トップの主席を死守し続けているそうで。立ち話で申し訳ありませんが昔話でも如何です?」

 しかし、それもワイグナーが遠慮なくズカズカと会話に入って来た事で段々と治ってくる。

 けれど、そんな問い掛けにも無視し、姉さんは私の全身を眺め、「全く、せっかく可愛い顔なのに涙なんて似合わないわよ? それにしても、本当に無事で…………クアン? ねぇ、その傷、誰にやられたの? お姉ちゃんに言ってみなさい?」姉さんが笑ってない笑顔を顔に貼り付け、ワントーン低く、底知れぬ深き闇を凝縮した様な声を出した。

 要するに、私の先程付いた傷を見られた。

 今の私の格好はワイグナーに吹き飛ばされた事で、所々血が滲み、特に当たった所が酷かった額の右からは血が少量ながらも流れている。

 しかし、一見酷くは見えるが命に別状は無いのだが、姉さんの立場からしてら久しぶりにあったら妹が傷だらけの状態でいたのである。

 私が素直に言うべきかどうかと逡巡し、黙っていたのを境にワイグナーへ視線を戻し、高圧的な態度で苦言を呈した。

「…………あぁ、貴方ね。私の大切な家族にちょっかい出してるドブネズミは。私がここまで来たのはクアンの無事を自分の目で確かめる為。貴方に端から用は無いわ。だからさっさと下水道のマズい飯でも漁りに帰りなさい。今なら此方からは手を出さないわ」

 サミアがいつもとは違う毒のついた言葉をワイグナーへ向かって一斉掃射した。

 その攻撃が効いたのか、ワイグナーがその言葉に自尊心が傷つけられた為か、今までの余裕ぶった表情が崩れ始める。

「……ドブネズミ、ですか。数年会わないうちに随分と口が悪くなったようですね。それとも悪口を覚える為に魔法学園に通っているので?」
「何とでも言えばいいわ。元々私、他人の評価なんて興味無いもの。そういう貴方も随分と昔に比べて服を着こなすようになってきたじゃない」
「どういう意味です? 昔は似合ってなかったと?」

 サミアの言い放った言葉の意味が分からず眉をひそめ、ワイグナーが聞き直した。

「ふふっ、だからドブネズミらしくなったって言ってるのよ。昔はそれはそれは可笑しかったわよ? まるでドブネズミが人間の服を着て、人間の真似事してるんだもの。それにしても、遂に頭まで小さくなって考える事も出来なくなったのかしら? あぁ、御免なさいね。元から小さくて、物事も理解できない頭だもの。そもそも無理よね」

 サミアが心底可笑しそうに笑いながらもワイグナーの事を目を細め鋭い視線を向ける。

 激怒した猛禽類がまるで獲物を狙うかの様な視線に、サミアのすぐ隣にいたクアンも背筋が氷を入れられたかのようにゾッと泡立つ様に感じた。

 元々、サミアは長女という事で他の姉弟達の模範になる様と行動していた為か、責任感が強くそれ以上に自分にも他者にも厳しい性格だ。

 姉弟達にはその性格も酷く甘々になるのだが……。

 それはさておき、だからこそ怒った時は母の次に怖い。姉達は母譲りなのか怒る時は静かに怒る。まるで嵐の前の静けさの様に静寂が空間を支配するのだ。

 更に、今もまだ降っている雨の冷たさも加わり、身体が芯から冷えていく様な凍える様な寒さが襲う。

「お嬢様、寒いです。凍えて死んでしまいそうです。それと早く帰りたいです」

 すると、背後から私の背中にのしかかり、両手を首の前に回してダラけた。けれど鈴の音の様な静かな声が、しっかりと主張を唱えた。

「ちょっと、最後の単なる貴方の願望じゃない。あと、私のクアンにのしかからないで。ハァー、まあ良いわ。クアン、ソフィー、帰るわよ? でも、クアンは後で治療とお説教ね」

 サミアがソフィーと呼ばれたメイド服の女性に文句を言い、もう用は無いとワイグナーに背を向け帰ろうとした。

「いえ、クアンさんは帰れませんよ? この後クアンさんと今後について相談しなくてはなりませんから。どうです? サミアさんも気になっているのでは無いですか? 妹さんの事」

 しかし、ワイグナーがクアンに提案していた事を余裕を若干ながらも持ち直したことで、そのままサミアに伝え直した。

 まるで、こちらに優位性があるのだと言わんばかりの言葉と表情に、笑顔が戻っていたサミアの顔が徐々に何も写さない無表情になっていく。

「ワイグナー。貴方、私の話を聞いてたかしら? ミーアの事は貴方に関係無い。貴方に提案されなくても、必ず無事解決させるし、ミーアは絶対に渡さない。それに、クアンをここまで傷付けたの貴方でしょう? 私、これでも怒ってるのよ? あと、これ以上、私の家族にちょっかい出すなら……本気で潰すわよ?」

 身体を半身移動させ振り返り、チラリと目線だけをワイグナーへ向けた瞬間、冷気が周囲の大気を凍て付かせた。

 そう思えるほどの凍える様な凶悪な寒さと、空から降る雨粒が冷気で冷やされ氷柱つららとなりワイグナーへ向かって矛先を向き苛烈に打ち付け、氷柱が砕ける重い音が連続で響き始める。

 一方で、私達の周囲には薄い青色の絹の様なものが包み込む様に覆う事で凍てつくような冷気は遮断され、降り注ぐ雨粒もまるで自ら避けるかのように私達の間をすり抜ける。

 他を圧倒する程の魔力の本流がそこにはあった。

 元々サミアは子供の頃から強い魔力があったが魔法国へ行く前はそこまで完璧に制御しきれてはいなかった。

 だが、この現象を引き起こしているサミアは完璧に自身の所有する多大な魔力を支配下に置いている。

(姉さんの魔力が昔より更に高まってる。それに、制御する技術も並じゃない……)

 確かに、魔力は火を付けるなどの現象を引き起こすのは簡単に魔力をあまり消費せずに行う事が出来る。

 けれど、これは天候という人間には扱うのが非常に難しく、それも干渉し操作する技術を持つ魔力を扱う者達の中でもごく僅かだ。

 クアンは降り注ぐ雨粒が自身の側を避けるように通って行くのを眺め、この現象を起こしている姉の事を見る。

 一方、サミアの干渉し、生み出した氷柱を回避しきれず所々に裂傷を負ったワイグナー。

 両腕や右太腿みぎふとももなどから血を流し、それが凍てつく寒さによって徐々に凍り付き始め血の結晶となって固まる。

 それも傷口に氷が入り込む為、更に激痛が走る。

「ウグッ……。まったく、苛烈な性格は相も変わらず……ですか。しかし、貴方は私に勝てた事が無いのは、貴方自身がよくご存知なのでは?」
「それは貴方の見当違いというものよ。私は貴方に勝ちたかったわけじゃない。自分の魔力を制限した状態でどこまで自分が動けるかを実験してただけ」
「それこそ、苦しい言い訳ですよ? 素直に認めれば良いじゃないですか。貴方は私には勝てないと」
「そんなボロボロの格好で言われてもね。それに、戦ったら貴方、必ず死ぬわよ? まぁ、私的にはさっさと死んでくれた方が良いのだけれど、貴方にはまだ利用価値があるから殺さないわ」
「利用価値? 私が貴方の為に行動すると?」

 ワイグナーが訝しむ様に聞き直すが、その目には好戦的な色を写し出す。

 その表情にサミアは笑みを深くし蠱惑的な表情を覗かせた。

「ええ、貴方。今はあの男の従者をしているのでしょう? その男に言っときなさい。今後、私達家族と住民に手を出したら貴方達を永久に凍り漬けにすると」
「ふん、出来もしない事を言うんじゃありませんよ? 大体、貴方にそんな力は無かったはず。それに、私達を殺す? クハハッ、それこそ無理ですよ! 私達は神の雫を受け取り、神をも殺せる程の力を得た。そんな我らに人間ごときの小娘が調子に乗るんじゃないですよ」

 ワイグナーの言う通り、先程サミアに攻撃され切られた傷口が徐々に逆再生でもするかの様に塞がり始めている。

 普通の回復魔法は傷を負った人物に対し、体力を一時的に飛躍させ傷口を塞ぐ為、危険な状態で使うと死に至る可能性が高い。

 なので一般的には自己治癒力に任せて回復し体力に問題ない時に回復魔法を使い傷跡や最も酷い場所などを治す。

 ワイグナーの回復とはあまりにも似つかないそれは客観的に見ても、まさに傷が再生していると言えた。

 それが、どれだけ危険な事かも分かってないのかもしれない。

 見る限り、ワイグナーがやった行為は禁忌の時を操作する魔法にも精通するものだ。

 それを使う事で体内の魔力循環は異常をきたし、細胞という細胞が崩壊を始める。

 良くても、軽度で済めば良いが、ワイグナーの場合その神の雫とやらを得てからもう数年は経っているだろう。

 そうすれば、体内の魔力循環や細胞は、とうの昔に壊れ、日夜幻覚に苛まれ、妄想と現実の区別がつかなくなる。

 最悪、治ったとしても後遺症も酷くなりもって後数ヶ月だろう。

 それを知らないからこその余裕だと考えられた。

 いや、知らないのではなく、自分は選ばれたという慢心から来るおごりか。

「ふふっ、ほんと可哀想な男ね。そんなんだから、何もかもを失うのよ。それに、神の雫? あれは、言ってしまえば一種の催眠作用のある魔薬。少しばかり自身の力が増加する事に自分の力が増したと勘違いして調子に乗る輩が多いのよね、最近。貴方みたいに。それに神を殺す? ふふっ、それに私に傷を負わされてる時点で勝てるわけがないじゃない」
「それはどう———ヴッ……ガハッ! ……ッ!?」

 サミアが攻撃してから十分程だろうか。

 ワイグナーが突然咳き込み地面に片膝をつき苦しそうに大量の血を吐き出す。

「やっとかしら? まぁ、アレを取り込んだのだから効くまでには時間が掛かるだろうとは思っていたけど、ここまでかかるとはね」

 サミアが何かを考えるように右手を左手の下に置き、左手の人差し指を頬に当てポツリと呟いた。

(え……どういう事なの? 私には、姉さんが氷柱で攻撃しただけに見えたけどそれだけじゃない?)

「姉さん? どうなってるの?」

 私はあまりに理解の追いつかない現象に、姉さんに何をしたのか状況を聞いてみる事にした。

「ん? あぁ、あれ? あれは、私のオリジナル氷魔法。『氷結の魔女』って言う最近新しく作った魔法よ。原理としては、さっき氷柱で攻撃したでしょう? アレが崩れると微細な氷へと変化するのよ。私達は結界魔法『楽園の障壁ラクチュアリー』で覆ったけど。それで、アレを吸い込むと体内に侵入、血管を回って肝臓などの臓器を傷つけ、体内から死に至らしめる。まぁ正直、威力は凄いんだけど下手すると味方にも危害が加わるっていう作ったはいいけど扱いは困るし、傍迷惑でまだまだ改良の余地有りな魔法なのよね~。あ、周囲の人の心配してるなら大丈夫よ? ここ周囲も攻撃する前に囲んだから、被害受けたのはあの男ぐらいよ」

 サミアがクアンの頭をやたら撫でながら解説する。

 オリジナル魔法とは、数多く存在する魔術師達の中でも、ほんの一握りしか生み出すことの出来ない魔法である。

 オリジナルの魔法として開発した人は魔法国に存在し、管理する魔術行使書という代々受け継がれてきた本に開発した本人の名前が記載されることになる。

 それは、言ってしまえば国に自身の名前を刻むと言っていい。

 だからこそ、魔術師はオリジナルを作り、書に載る為に日夜研究、努力し成果を出そうとするのである。

「サミアァァァアアア!! 貴様、私に何をした!!」

 地から響く様な声をワイグナーが捻り出す。

 サミアから言われ、何とかそういう魔法がある事を知ったクアンなのだから、ワイグナーがこの魔法関連を。

 というより、サミアの扱う、オリジナルの魔法を知っているわけが無かった。

「あら、意外としぶといのね。それは好感が持てるわ。と言っても、マイナスから上がる事は無いけど」
「貴様、この私に何をした!! ヴッ……ガハッ……。ハッーハッー」

 大量の血痕のついた口から荒い息を繰り返し、射殺さんばかりに血走った目でサミアの事を睨み付ける。

「何したって、単に貴方が勝手に自爆しただけよ? その貴方の重度の慢心からくる驕り。昔から本当そこだけは、全然変わらないわね。結局、貴方は他者から貰った力を振り回してる可哀想な愚者よ。ワイグナー」

 ワイグナーがサミアが放った言葉に顔を下にして俯き、「可哀想? 私が? そんな訳ない! 私は、神をも殺せる力を得た……。そうだ、私は神になったのだから。フ……フハッ……そうだ、私が神なのだ。だからこんなとこで死ぬわけがない! 死ぬのはアイツだ。アイツこそが」とブツブツ何かを一人でに狂った様に喋り出した。

 その様子にサミアは興味を無くした様に一瞥した後、もう用は無いとばかりに踵を返す。

「全く、やってらんないわね。これが、父さんを殺した仇とはね。数年経って会ったらまさか、単なる薬物中毒で現実と妄想の区別が出来なくなった男とはね」

 実際、サミアは期待はしていたのだ。

 自分の父親を殺した男がそれなりに地位をつけ、力を所有していたらそれなりの手段でその築き上げた地位から落とし、無様に地に這い蹲らせるのを。

 だが、実際会ってみたらまさかの重度の薬物中毒者に成り下がっていたのだから、こんな状態じゃ復讐する気も失せるというものだ。

「サミア姉さん、ワイグナーをどうするの?」
「それはあの男次第な感じがするわね。ここで逃したとしても寿命はもってあと数ヶ月。だったら私達の手で復讐を果たした方が良い様な気もしてる。けど、このまま何もせず何もかにも見放されたあの男が何を思うのかも正直見てみたい気もしてるわ。まぁ大方、何処かで誰にも気にされずくたばるか、その狂った頭で私達に見当違いな報復に来るか。後者だったら、さっさと今トドメを刺すけど。どちらにしろ、もう未来の無い人間よ」

 姉さんはこう言っているが、私の中では、あまり復讐したという様な感触も湧き上がる感情は無い。

 ただ、妹の事が出た時や私の感情について言われた時は心の波は荒れたが、こう終わってみると酷く虚しい気持ちになる。

 けれど、復讐した事は良かったと思っている。

 世の中の人は復讐する事は更なる争いを生むだけだ、争いは何を生まない、復讐したところで失った人は帰ってこないと言うだろう。

 じゃあ、被害者の気持ちはそこに組み込まれているの? それは客観的に見た事実をまるで聖人の様に正義を振りかざしているが、それは単なる親切心と言う名のナイフを被害者へ向けているだけだと思う。

 それで被害者が更に傷つく事を考えていないのだ。

 だから、私は何を言われようと復讐と言う名の自己中を振りかざす。

 たとえ、それで私が法の裁きに首を刈り取られようとも。

 別に、私の様な人が増えて欲しくない。

 なんて、正義ぶった考えなんて持っていない。

 ただ、私の気持ちが晴れるから復讐する。そう、ただそれだけ。

「まぁ、クアンを見つけた事だし、一旦家に帰りましょうか。まだやる事もあるし」

 そうだった。まだこれは復讐の氷山の一角でしかない。

 まだ埋まっているものがある。

 暗闇に紛れ、私達を鋭い視線で狙うものが。

 ブツブツと一人で喋っていたワイグナーが血を流しすぎた為か、ブツブツと喋っていた独り言をピタリとやめ、糸が切れた様に地に伏せた。

(完全に気を失ったか、死んだのかしら……)

 緊張を解き、複雑な心境でワイグナーを盗み見るクアンだが、ふとさっきのワイグナーがミリアへ向かって喋ったある言葉が脳裏を掠める。

『俺は一度心肺停止の状態までいった』

(それって、死者と同じ事……。じゃあ、それが神の雫を摂取した事でいつでも蘇生と同じ現象が出来るとしたら? ————ッ!)

 もし、私の考えが当たっているとしたら?! 

 バッ! と勢いよく振り返ると同時に———突如、自身の血溜まりに伏していたワイグナーが短剣を取り出しサミアに突進、「お前が、死ねぇええ! サミアァァア!!」という掛け声と共に短剣を振り抜いた。

 いきなりの事に、クアンが咄嗟に姉を守ろうと前に出ようとするが、

(——ッ! 間に合わない!)

 それはクアンに突進した時よりも更に速く、突き出された短剣はサミアに届いた―――かに思われた。

「え?」

 それはクアンのものだっただろうか。それともワイグナーのものだったかもしれない。

 もしくは両者か。

 それほど、信じられない光景があった。それもそうだろう。

 何故なら、ワイグナーが殺意と共に突き出された短剣はサミアの後ろに眠そうに佇んでいたソフィーという長い黒のスカートの裾をなびかしたメイド姿の少女がいつの間にか目の前に現れ、右脚を軸とした回し蹴りを短剣の芯に当て、「バキッ!」という硬いものが砕ける甲高い音と共に短剣が刃半分辺りから粉々に壊したのだ。

 更に、短剣が粉々に壊された事で状況が理解できず放心状態になりかけていたワイグナーの腹をついでとばかりに遠心力を利用し、思いっきり蹴りを加え振り抜いた。

「グハッ!! ウグッ……ガッ!」そんな呻き声が思わず零れるほどの衝撃。

 その衝撃は轟音と共にワイグナーを背後の石畳の壁に衝突し崩壊させてもなお止まらず、ゴロゴロとまるでクアンにやった事を再度繰り返すようにのたうち回る。

 しかし、そんな行動にも対した動揺も無くサミアは眺めているが、何処か考え事があるのかその瞳にワイグナーの事を写してない。

「駄目ですよ~。お嬢様にそんな物を差し出すのは~。殺しちゃいますよ?」

 余りにも状況に合わないのんびりとした声が耳を打つ。一見強そうには見えない。

 昼間の武闘大会で見た強者独特の纏う雰囲気も抑えられている。

 だが、外見と中身が余りにも合ってないこその違和感が拭えず、自分よりも弱いと勘違いする。それに、サミアのメイドをしているという彼女がここまで強いのだ。

 その彼女を従えている。いや、実際完璧に従えられているのかどうかは疑問が残るが、それでも彼女の主人はサミアである事に変わりは無い。

 それはそうと、「ねぇ、サミア姉さん、ソフィーさん? あれマズイんじゃ?」クアンがほっそりとした指を指し示した先には、ワイグナーが衝突した石畳の壁。

 ただし、ワイグナーが衝突した事で粉々に崩れた石壁と呼ばれていた残骸だが……。

 クアン達が戦っているのは表通りに隣接にする裏広場。

 ワイグナーが衝突したのが物置小屋の様な所だったとしても、そんな所で雨が降っているとはいえ、突然の轟音と石壁が壊れる音が聞こえたら流石に住人も気づく。

「ちょっと、ソフィーやり過ぎよ」
「いえいえ、私がやらなければお嬢様、あの子達でフルボッコにするじゃないですか~」
「そんな事ないわよ。ただちょっと小突くだけよ」
「そう言って、一ヶ月前絡んできた貴族の坊ちゃんを滅多打ちにしたのはどこのどなたですか……」
「それを言うなら、貴方だってしつこく絡んできた若い冒険者を滅多打ちにしたじゃない」
「「………」」

 サリアとソフィーが仲が良いのかなんなのか、お互いに責任をなすりつけだした。

 もはや主従の関係というよりは友人の様な二人の言い合いに、早く騒ぎが大きくなる前に移動しなくてはいけないのだが自分が知らない一面を出しているサミアにクアンはその光景が信じられないかと思う様に呆然とする。

(姉さんが他の人と親しそうに話してる!)

 いや、この考えも本人に聞かれたら怒られる事はないだろうが、小言を言われるのを分かってるからこそ、内心で留めた。

 そうこうしていると、表通りの辺りが突然響き渡った轟音の正体を探ろうと人が集まって来た事で、ガヤガヤと騒ぎ出し始める。

「おい! こっちから凄い音がしたぞ!」
「誰かいるのか!」
「何じゃこりゃ!? 俺の倉庫が壊されてんじゃねぇか!!」
「誰か、取りあえず今、手伝える人呼んできてくれ」
「見事に壊れてるな……。こんな天候だし、雷でも落ちたか?」
「まあ、凄い音だったからな~」

 その騒ぎを一番最初に機敏に反応したサミア。

 ここで離れないと私達の責任としてもそうだが、後々面倒な事になる。

 いくら相手から仕掛けてきたとはいえ、面倒事になる前に移動しようとソフィーとの言い合いも早々と切り上げた。

「マズいわね。まあ、あの男の事だからどうせもう居ないでしょうし、それじゃあクアン、ソフィー帰るわよ」
「まっ、待って! まだ、私の親友達が!!」

 クアンが焦った様に声を張り上げた。

 そんなクアンの昔とは違う一面を見れたからか、驚きながらも成長を感じサミアは「親友達? もしかして、闘技場にいたあの二人?」と、クアンに聞き直した。

 サミアが二人を見たのはクアン達が闘技場から銀髪の少女を先頭に駆け足で走って行く姿。

 姿をチラッと見た程度だったが、今のクアンの呼び方でその二人がクアンと親しい関係を築いている答えに辿り着くのは想像に難くなかった。

 なお、ソフィーはその時、大会係員にしつこく追いかけ回され最終的にサミアに泣きついた経緯があったりする。

 とにもかくにも、サミアが二人を知っている事に変わりは無かった。

 その間に、クアンが今までの状況を簡単に説明し、判断を仰ぐ。

「そのミリアちゃんを助けるために、ラウちゃんと別行動したわけね。分かった。ソフィー、クアンを頼むわ。私はちょっとその二人を連れ戻さなくちゃいけないから。まぁ、可愛い妹の頼みだしね。それに、あの男が逃げたのなら向かうのはその二人がいるであろう場所だと思うし」
「待って、私も一緒に行く!」

 ふとして出たその言葉は遠からずもクアンへラウが言った言葉と同じ言葉だった。

 正直、姉さんに任せた方が姉さん達に比べ、力不足の私じゃ足を引っ張るだけだと分かってはいるのだが、付いていきたいと改めて実際にラウの立場に立ってみて分かった感情を姉さんへ言う。

(これも、家を出た事で成長したって事なのかしら。あの私達の後ろを付いてきていた子がね)

「……分かったわ。ただし、私はクアンの友達だとしても知らない子の為にクアンが危険に陥るのなら私はクアンを助ける。これだけは覚えておいて」

 姉さんが有無をも言わせない眼差しでクアンの目をジッと見る。

 この視線を外せば、姉さんは私を気絶させてでもラウ達の所へは連れて行ってはくれないだろう。

 姉妹だからこそやる事も、分かる感情も考えている事も同じなのだと思うと嬉しくもあった。

「ふぅ。まぁ、こうなる事は分かってはいたけど。まったく、誰に似たんだか……。それじゃ、クアン、ソフィー行くわよ」

 そう何だかんだ言いつつも姉さんの口元は嬉しそうに微笑んでいた。




 常闇と静寂が蔓延する森で声が虚しく響く。

 まるで誰もいないホールで一人で喋っているかの様に。

 主役の喋る言葉を聞き逃さないように静寂を保つ観客のように。

 そして、静寂の中で喋る事で獲物がここにいると周囲に知らせるかのように。

 サマギマが愉悦を込めた表情で「いいのか? もう一刻も時間は残されてないぞ?」とラウへ問いかけた。

 今、ラウ達がいるのはヤウス森林。

 別名、常闇の森の最初に入ってきた入口から少し離れた所である。

 正直、この森に来るのに掛かった時間を考えると、ここから全力で走って制限時間内にギリギリ辿り着くぐらいの距離。

 しかも、雨が降った事で森の中の地面が泥濘でいねいし、非常に足を取られやすくなっている事から考えると本当に一刻の猶予もない。

 それを分かっているからこその問いかけでもあろうことも容易に想像出来た。

「分かってるなら、そこを退いて!」
「おっと、それは出来ない相談だなぁ。何故かって? それはな、お前はここから先へ行く事も出来ないし、あの小娘も助ける事も出来ず、絶望と後悔を滲ませた表情でここで死ぬからだよッ!!」

 その瞬間、サマギマが腰に吊るしていた長剣をシャランと剣と鞘が擦れ、高い音が鳴る。

 長剣を左手で携え、ゆっくりと威圧するかのようにラウの方へ歩き出した。

 思わずジャリッという音がどこからか聞こえた。

 それは、無意識にラウが一歩後ろへ下がった事により地面の土を踏みしめていた音だった。

(このままじゃ、時間も無いし……。どうにか、逃げないと!)

 ラウはどうにか逃げれる可能性を考える。しかし、ここまで執拗に狙われれば逃げることも容易ではないだろう。

 それでも自身の周囲を見渡した森の一角にポッカリと穴が開いたように障害物が無い所を発見する。

 その場所はサマギマから左に少し離れた場所で口を開け獲物が掛かるのを待つようにポツンとあった。

 実のところ、そこしか行くところが無い。

 後ろに戻ったとしても更に時間のロスに繋がり、最悪暗い森の中で男に追いかけられ迷子になる可能性もある。

 そうしたらミリアを助ける処では無くなってしまう。だとしたらあの道しか……。

(あそこなら、行けるんじゃ? でも何かありそうだけど、入ってきた道はあの男に塞がれてるし……よしっ!)

 覚悟を決め、私は横へ視線をチラリと向け、小さい体と高くそびえる木々を利用しながらサマギマから離れようと隙を伺いながら全力で走りだした。

 こうして捕まったら殺される地獄の鬼ごっこが始まった。



 ついさっき、迷子にならない様にと言った。

 が、世の中そう上手くいくわけもないようで。

 もしくは私のマップ能力が壊滅に乏しいのか早速迷った。

 屹立きつりつする木々をすり抜けひたすらに森の中を走る。

 森の中を無我夢中で走っている途中も木々しか見えないが、正体不明の鋭い視線を感じる。

 森の中を小さな体で全力で走る私を見るその目はまるで獲物が弱るのを眺める狩人のようで。

(ハァーハァー。もう時間ない……)

 ふと、嫌な雰囲気を感じゾワゾワと背筋に鳥肌が立つかのような悪寒が走る。

 咄嗟に前にあった木の後ろへ転がる様に身を隠す。

 一秒も経ってないだろう。

 私がいた所がまるで刈り取られる様にジャシュという音と共に一直線の斬り跡が出現、それによって雨で湿った土が衝撃で巻き上げられ私が隠れた木にベチャとへばり付く。

 後ろをゆっくりと木に背を付けながら視線を向けるが、あるのは何処までも暗く不気味な森。

(!? 一体何が……サマギマ? でも、あの男の姿は見えないし……)

 危険だとは思うが、いつまでも木の後ろで縮こまっていても時間だけが過ぎるだけ。

(何かがいる。もしかして、さっきから感じてる嫌な視線なのかな……。でも、このままじっとしてたら助けられなくなる。だったら、進まなきゃっ!)

 覚悟を決め、走り出そうと——「おい! どこだッ! 出てこい!!」サマギマの怒鳴る声が走り出そうとした前方から聞こえ、思わず踏み出した足が止まってしまう。

(何で、前に……後ろへ逃げたはずなのに。でも、このまま隠れて横を通り過ぎたらサマギマが通って来た道が入口に通じてるんじゃ?)

 横に佇んでいる太い木の後ろに慌てて隠れるが、これにもリスクはある。

 サマギマを何とか躱しても、サマギマが通って来た道が途中で分からなくなってしまえばまた迷子に逆戻り。

 サマギマに見つかっても終わり。

 それに、後ろから攻撃して来た何かもいる。それでも、

「隠れてないで出てこい!! クッソッ!!」

 サマギマの声がどんどん近くなって来ている。

 それだけ私に近づいて来ている。

 息を潜め、木々と一体化するようにジッと気配を消そうと必死になる。

 一歩。

 一歩。

 また一歩。

 サマギマの皮の靴が泥濘んだ道に足跡をつける。

 左手に持った長剣が腰に吊るしていたバックや魔法具だろう物に当たり、カチャカチャと鳴る金属音。

 サマギマから水音の様な滴る音がポタポタと音が地面に落ちる水音。

 木々の葉が密集している間をすり抜けた雨粒が私の被っているフードにポチャと当たる。

 ドクッドクッと心音が周りに反響しているかの様に私の耳に響いた。

(早く! 早く、どっか行って! お願いっ!)

 バレないで、早く通り過ぎてと、心から願う。

 こんなに、必至になって生に執着したのは初めてかも知れない。

 カチャッと音が私がいる木の後ろから聞こえた。

 サマギマが私の後ろにいる。

 ギュッと身体を両手で抱きしめ、少しでもバレないようにと身体を丸める。

 ヌチャ…。
 ヌチャ…。

 泥が何かに纏わり付き、飛び散る音。

 ハー。
 ハー。

 サマギマの荒い息が嫌でも耳に聞こえる。

 ヌチャ、ヌチャ……。
 ……。
 …。

 それを何分繰り返したか。

 もしくは数秒の出来事だったかも。

 泥が空中を舞う音も息を解放する音も聞こえなくなった事で、ようやく緊張がほぐれ、身体を抱きしめていた両手をゆっくりと解く。

(…………。い、行った? バ、バレてない……?)

 音が聞こえなくなっても、それでもまだ信じられないのでゆっくりと木の背後に視線を向ける。

 それでもあるのは薄暗い木々とサマギマが残して行ったであろう足跡。

 サマギマの姿はどこにも無かった。

 私はその事にようやく、体内を占めていた深く長い息を吐き出した。

(ハァー。ま、まだドクドクいってる……。ハァー。………よしっ、今のうちに)

 この機会を逃せば、本当に間に合わなくなる。

 まだ緊張と恐怖でガクガクと震える足をなんとか抑えつけ、暗闇へと歩みを再開した。

 地面に付けられたサマギマの足跡を辿りながら、途中泥に足をつっかえながらも走る事数分。

 ようやく、暗い木々の間から森に比べれば昼間の様に明るい光が見え始めた。

(あれって……入ってきた場所!? そうだよね! やったっ!! 出口だ!)

 木々で遮られた暗い森の中で迷っていたからか、明るい光がまるで暗闇から差し込む希望の光の様に感じる。

 更に、気分に呼応する様に重くなっていた足が出口を見たからか、次第に軽くなっていく。

 そして、ようやく待ち望んだ光の中にその身を飛び込んだ。

 その中で一番最初に見たものは—————、

「やっときたか……。お前ならここに来ることは分かってた」

 サマギマの恐怖と怨色えんしょくに染まった青白い顔と血だらけになり、根元から無くなった片腕。

 右に持ち直し、中間から折れた長剣の歪な断面の剣先をこちらに向けるサマギマの姿だった。

「何で……。逃げ切ったはず……」

 思わずそんな声がポロリと溢れた。

「あぁ、たしかに俺はお前を森の中では見つけられなかった。だがな、よくよく考えてみればお前はここまで来るのにキョロキョロと周囲を見てたよな? それは、この周辺に来た事がないから道を覚えようとしてたんじゃないか? だとしたら、ここで待っていればお前は必ずこの道に来る。逆に知らない道を通って迷子になった挙句、あの小娘を助けられないなんて事になったら本末転倒だからな。それに、そいつを誘き寄せるのも一役買ってたんだしな————」

 実際、サマギマは私を見てもいなかったし、隣で息を潜め隣で隠れていた事もサマギマは知らなかったのだ。

 だったら、何に声を荒げていたのか?

 サマギマが私の隣を通った時に息が荒かったのは何故なのか?

 あのポタポタと水が滴る音は?

 何で、長剣を手に持った状態で森の中を走るなんて走りにくい事をしていたのか?

 それは、第三者が私意外にも介入して来ていたとしたら?

 サマギマは私を殺すのも目的の一つとしてあっただろうが、見えない存在に危害を加えられた事により、その存在に対し怒鳴っていたとしたら?

 だとしたら、私の後ろにはそれがいるんじゃないの?

「————なぁ? 刻火こくび黒豹くろひょうさんよぉ?」

 私の全身を硬直が襲う。それでも、首だけをゆっくりと後ろ振り返った。

 まるで、それは漆黒の死神だ。

 黒い身体に黒い尻尾。

 四足歩行の魔物であるが、全身は漆黒に纏ったワサワサと揺れる長い毛に暗闇の中でも口からフシューフシューという音を吐き出す。

 黒く長い私の腕も超えるような太い牙からは、ポタポタと地面にサマギマのであろう血が滴り落ちていた。

 腕と足には肥大化した筋肉で全身鎧のように纏っており、尻尾はまるで鎌のように先に行くほどに鋭い毛先が生えている。

 そして、その黒い瞳にある瞳孔は常闇に淡く瞬く月のようだった。

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