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〇05 囚人と美しき花のテェレーヌ
しおりを挟む牢獄に投獄されて今日で五年が経つ。長年囚人となっていた俺は、今日やっと解放されるのだ。
アベル・シドライド。そいつはどこにでもいる人間だった。
けれど俺は五年前に貴族の重要人物を殺害した容疑で警察の世話になった後に、暗く冷たい牢獄にぶちこまれて囚人の仲間入りとなった。
それからは、地獄の日々だった。
人殺しの汚名を着せられて、牢屋の中で生きる日々は過酷としか言い様がなかった。
不潔な牢獄の中で、正真正銘の罪を犯した人間達と共に詰められて過ごす。
食事の量は少なく、罰として従事させられる労働もひどい物だった。
だが、無実を訴える事を止めた代わりに真面目に過ごす事を評価されて、今日やっと牢獄から出られる事になったのだ。
「これでやっと、あいつに会える」
俺は、看守に見張られながら歩く。
そいつとの出会いは約三年前に遡る。
「そこで何をしているの?」
その日は、社会勉強と称して物好きな貴族達がお勉強をしに、監獄を見学しに来る日だった。
その時にやって来た一団の中にいた少女が、アベルへと声をかけて来たのだ。
「貴方は、牢屋に入っているから犯罪者なのね」
分かり切った事を聞く娘はとても美しかった。
この世界に生きるどんな娘よりも輝いて見えて、アベルが今まであった人間の中で一番の美しさを備えていた。
輝く金髪は漆黒の夜に輝く月の様に煌めいていて、大きな瞳は宝石のように光をたたえていた。
薄汚い牢獄にはもっとも似つかわしくない人間。
「牢屋にいるのは犯罪者だ。だが、俺は罪なんて犯していない」
無実を訴えたのは気まぐれだった。
見世物にさせられている不満から、「俺は人なんて殺した事ない」普段の取り繕った仮面がはがれてしまっていたのだ。
「本当に? じゃあ濡れ衣なのね。大変だわ。看守さんに話してきてあげる」
こちらの言う事を真に受けて、疑いもしない女は箱入りにも程があると思った。
当然、その女が看守に言ったところで、俺が出してもらえるはずもない。
むしろどういうことかと問い詰められて、「余計な事を吹き込むな」と脅され、「冗談だ」と誤魔化す羽目になった。普段の勤勉な態度を取り繕うのに苦労したくらいだ。
そんな問題が起こったのだから、当然お嬢さんの興味は続かないと思った。住む世界が違う女との邂逅はそれきりだと思った。なのに、「こんにちは、アベル」「また来たのか」そいつはよくやってきた。
鉄格子ごしに、どうでもいい話をして数時間喋る。
アベルだけではなく、気さくに他の囚人達とも。
本当に変わった女だった。
薄汚い世界でまばゆく光る存在。
女の名前はテェレーヌ。
どうでもいい事だが、花を育てる事が趣味らしい。
けれど、テェレーヌの評価が変わり者から愛しい女へ変わったのはいつの事だっただろうか。
確かそれは、そう身も凍る様な寒さの日の事だった。
「ここはとても冷たい場所で、寒いわ。こんな所にいたら凍えてしまいそう」
「そんな病気になりそうで汚い場所に来るお前は物好きの極みだ」
「まあ! またそんな可愛くない事を言って」
牢屋の鉄格子越しにの会話する俺達は、手を伸ばせば触れ合えるような距離にいた。
けれども俺から女に触れる事はない。女の存在は、あまりにも眩しすぎて、住む世界が違い過ぎたからだ。
だけど、いつもよりほんの少しだけその距離がちぢまっていたその日、「本当にこんなに手を冷たくして、もう少し温かくしてくれればいいのに」彼女はそんな心境はお構いなしに、俺に触れてきた。
「人の手ってのは温かいんだな」
「あら、そんな事も知らなかったの」
躊躇う事もまるでなく触れられたその手は、こちらの手をすっぽりと覆い、暖かな温もりを分け与えていた。
なんてことのない囚人の日常の、一コマ。
けれど、後から振り返ればそれが、テェレーヌの評価を変えた出来事だったと分かる。
そして月日が流れて、ようやくアベルが牢獄から出られる日がやってきた。
外に出たら行こうと思っていた所は、もうすでに決まっていた。
テェレーヌが話してくれた、よく行く公園の花畑だ。
暇な時はよくそこで散歩をしているらしい。今日もそこにきっといるに違いない。
建物から出て歩き出す。
出会ったらまず、花を愛でる手を握りしめて、そして何と言おうか。憎まれ口を叩くか、素直に感謝をのべるか、意表をついて告白するか。
最初の一言を考えるアベルは気が付かなかった。
背後にいる看守が、出たばかりの囚人を見送るつもりが無かった頃に。
「死ね! 犯罪者め! 貴様の様な穢れた人間が罪をゆるされる事など一生ありはしないのだ!」
銃声が一発。
倒れ伏したアベルは、己の体から勢いよく血が流れだしている事に気が付いた。
倒れた場所のすぐ傍には可憐な花が咲いている。
「テェレーヌ」
眩しいばかりのその存在に触れられた事はあっても、自分から触れた事は一度もなかった。
その機会は永遠になくなりそうである。
美しい花に手をのばす。
その感覚はあの時とまるで同じ。
頼りなく、強く触れれば壊れてしまいそうなくらいに繊細で。
触れた花弁はやわらかく、天から降り注ぐ日差しを帯びてほんの少しだけ温かかった。
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