路地裏のアン

ねこしゃけ日和

文字の大きさ
上 下
32 / 67

32

しおりを挟む
「こっちです」
 里香は廊下に戻ると左に曲がった。すぐにドアがあり、そこを抜けると五メートルほどの渡り廊下が現れる。その先にさきほどの屋敷と同じ煉瓦造りの小さな離れがあった。
 離れからは庭が一望でき、そこだけ世界と隔離されたような静けさを持っていた。
 中に入ると明かりが付いていないにもかかわらず外からの光だけで明るかった。
 レースのカーテンが揺れる掃き出し窓から外に出ると広いベランダに車椅子が置かれ、そこに白髪の老婆がワンピースを着てストールを巻いて座っていた。
「おばあちゃん。見学に来た人が話したいって」
 里香がそう言うと老婆は電動車椅子を操作してゆっくりと振り向いた。
 真理恵は立ち居振る舞いに気品を感じた。昔は相当の美人だったのだろうとも思いながら会釈する。
「その、子供が友達に連れられて来たものですから。挨拶でもと思って」
 老婆は真理恵をじっと見て、低くはっきりした声で告げた。
「あなたの子供じゃないんだね」
 真理恵は目を丸くする。
「ええ……。まあ……。その、変わった子で……」
「誰だってそう」老婆は再び庭の方を向いた。「変わってない子なんて、それこそ変わってる。無個性や普通さは管理しやすいだけで一種の病気よ。馬鹿な親は子供を機械にしたがる。能力が低くても管理できるように」
 その物言いに里香は苦笑しながら真理恵に囁いた。
「こういう人なんです。あんまり気にしないでください」
 真理恵も苦笑すると老婆は庭を見つめた。庭の向こうにある小さな物置に向かって小白と蒼真が走っていた。
「好きにさせたらいい。人は誰しもそれを望んでいるのに他者に対してはそれを許さない」
 老婆はポケットから煙草を取り出し、それを一本咥えるとジッポで火を付け、ふかした。
「管理して管理されることへの安心感から抜け出せないまま大人になるとろくな人間にならない。どこかで強度不足が露呈する。そしてそれに気付かないまま壊れる。その子みたいに」
 里香は口をぎゅっとつぐんで俯いた。老婆はまた煙草を吸って煙を吐いた。
「親は子供により良い生活を送ってほしいと願いながら、心のどこかで自分を越えることを恐れている。いつまでも自分が世話を焼く側にいたいのは管理者が管理されないように立ち回っているだけだとしたら、それはひどく滑稽でタチが悪い。その管理者は子供より早くこの世から消えるのだから、無責任にもほどがある。残された子供は管理されることしか知らないのだからね」
「えっと……」
 真理恵は老婆の会話に戸惑っていた。
 老婆は微笑し、再び真理恵の方を向いた。
「要は誰もが誰かを縛り続けることはできないということ。どれだけ願っても人が死ぬ限りそれは叶わない。なら最初から手放してしまえばいい。試されているのは常に親の度量であって、それは子供が大人になるまで変わらない」
「わたしはその、親というわけでは……」
「結局のところ人間関係は信用するかしないかでしかない。重要なのはそれのみであって、間柄の名前はどうだっていい。親も兄弟も友人も夫婦も恋人もただの記号にすぎないし、そこに信用がなければ形骸化する」
「……なにが言いたいんですか?」
 怪訝な顔をする真理恵に老婆は微笑して告げた。
「まずはあなたが強くなるべきであって、足りないところをあの子に押しつけるべきではない。なぜなら子供は大人が思っているよりずっと強いから。ただ、脆いだけ。子供は大人が捨てた野生をまだ手放していない。大人は自らが管理されやすいよう野生を捨て、規律を身に付ける。だけど同時に愚かにも自らが管理者になりたいとも願ってしまう。その度量を持ち合わせていなくても。未熟で不完全な管理者に管理されるより個としての強度が高い子供に任せた方が長期的に見れば強く育つ。そう思わない?」
 真理恵は「さあ……」と肯定も否定もしなかった。
 老婆は隣のテーブルに置いてあった灰皿に煙草を押しつけ、言った。
「これからも来たければ来ればいいし、来たくなければ来ないでいい。それはあの子が決めることだから。あなたもいずれ分かる。自分が管理者でないことが」
 老婆はそう言うと電動車椅子を動かし、ベランダからスロープを通って庭に出ていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

ゾンビ発生が台風並みの扱いで報道される中、ニートの俺は普通にゾンビ倒して普通に生活する

黄札
ホラー
朝、何気なくテレビを付けると流れる天気予報。お馴染みの花粉や紫外線情報も流してくれるのはありがたいことだが……ゾンビ発生注意報?……いやいや、それも普通よ。いつものこと。 だが、お気に入りのアニメを見ようとしたところ、母親から買い物に行ってくれという電話がかかってきた。 どうする俺? 今、ゾンビ発生してるんですけど? 注意報、発令されてるんですけど?? ニートである立場上、断れずしぶしぶ重い腰を上げ外へ出る事に── 家でアニメを見ていても、同人誌を売りに行っても、バイトへ出ても、ゾンビに襲われる主人公。 何で俺ばかりこんな目に……嘆きつつもだんだん耐性ができてくる。 しまいには、サバゲーフィールドにゾンビを放って遊んだり、ゾンビ災害ボランティアにまで参加する始末。 友人はゾンビをペットにし、効率よくゾンビを倒すためエアガンを改造する。 ゾンビのいることが日常となった世界で、当たり前のようにゾンビと戦う日常的ゾンビアクション。ノベルアッププラス、ツギクル、小説家になろうでも公開中。 表紙絵は姫嶋ヤシコさんからいただきました、 ©2020黄札

友人Yとの対談

カサアリス
ライト文芸
ひとつテーマを決めて、週に1本。 制約も文字数も大まかに設定し、交換日記のように感想と制作秘話を話し合う。 お互いの技量に文句を言わず、一読者・一作家として切磋琢磨するシリーズです。 テーマはワードウルフを使ってランダムで決めてます。 サブテーマは自分で決めてそれを題材に書いています。 更新は月曜日。 また友人Yの作品はプロフィールのpixivから閲覧できます。

オタク女子と優等生男子の帰り道

世万江生紬
ライト文芸
アニメや漫画をこよなく愛す(腐)女子とそんな彼女に振り回される優等生(?)男子のゆるコメディ。

蛙の神様

五十鈴りく
ライト文芸
藤倉翔(かける)は高校2年生。小さな頃、自分の住む棚田村の向かいにある疋田村の女の子朱希(あき)と仲よくなる。けれど、お互いの村は村ぐるみで仲が悪く、初恋はあっさりと引き裂かれる形で終わった。その初恋を引きずったまま、翔は毎日を過ごしていたけれど……。 「蛙の足が三本ってなんだと思う?」 「三本足の蛙は神様だ」 少し不思議な雨の季節のお話。

純白のレゾン

雨水林檎
BL
《日常系BL風味義理親子(もしくは兄弟)な物語》 この関係は出会った時からだと、数えてみればもう十年余。 親子のようにもしくは兄弟のようなささいな理由を含めて、少しの雑音を聴きながら今日も二人でただ生きています。

処理中です...