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第1話
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彼女と出会ったのは春だった。
それなのに、出会った頃とともに思い出すのは、綺麗な桜吹雪ではなく、金木犀の甘ったるい香り。
まあ、実際に言葉を交わしたのはほとんど桜が散った頃だったし、桜吹雪が記憶に絡んでなくてもおかしくはないのだが。
その甘ったるい香りは、うだるような暑さの夏も、勉強に明け暮れた秋も、凍えるような冬も、確かな湿度を持って思い出の中心にある。
いつしかその香りが彼女自身と錯覚してしまいそうになる程、彼女はいつもその香りをまとって自分を守っていた。
俺はそんな彼女を守る力もなく、一定の距離を保つことが一番だと信じていた。
季節は春。色とりどりのピカピカのランドセルを見るともなしに見ていた私は、多様になったものだなと思う。
私の頃は、赤と黒しかなかった気がする。それ以外の色がやっと出てきだした頃で、他の色が珍しかった。ランドセルにつけるカバーだって黄色で交通安全だかなんだかがでかでかと書かれていた気がする。
今の子はランドセル本体にしろ、カバーにしろ、色々選べて羨ましいなと思う反面、みんなとただ同じにしていればいいというわけにもいかなそうで、目立たぬように周りと同調するのに苦労しそうだなぁ、なんてぼんやりと考えていた。
田舎から出てきて五年。
仕事も慣れてきた。そう思っていたのに契約は打ち切られ、この春私は無職となった。
仕事一筋。無駄遣いもせずに貯金してきたのと、臨時収入があったから、しばらくの生活には困らない。
新しい仕事を探す気力もなく、しばらくはのんびりしようなんて思っていたが、家でじっとしているのも嫌なことばかり考えてしまうので、こうしてたまに近くの公園に来ている。
ぼーっと人を眺めたり、社会人になってからあまりできなかった読書をしてみたり。大体1、2時間公園で過ごしていた。
「桜の季節ももう終わりだな」
ほとんど葉っぱだけになった木を見上げ、あっという間に散っていった桜に思いをはせる。
もうそろそろ家に帰ろうか。そう思うのに、私はベンチから腰を上げることもできず、手元の小説に視線を落とす。しかし、頭にその内容はなかなか入ってこない。
ひとつの恋が終わった。小説の中で恋人たちが別れたわけではなく、私の隣のベンチで高校生カップルが別れ話をしている。
今までにもここで何度か仲良さげな二人を見ていただけに驚いた。
勝手に聞こえてくる話に意識を向けないようにしようとするも、すぐ隣でいい争っているのでなかなか難しい。
なんで隣で始めるんだよ。いつもと変わらない、甘酸っぱい感じで隣に座ったじゃんか。気づいた時には喧嘩を始め、タイミングを逃してしまって動けなくなって、隣で気配を殺して二人の喧嘩が終わるのを待っていた。
彼女の心変わりが原因らしい。
彼女の言葉の端々から元々遊びだったという刺々しさが感じられる。
「それじゃあ、もう学校で話しかけてこないで」
最後に冷たくいい残し彼女は去っていった。
彼氏の方は悔しそうに拳を握りしめて、声を出さずに涙を流しているようだ。
その彼氏の姿に、少し前の自分の姿が重なる。
涙が止まるまでそばにいてあげよう。自分が辛かった時、誰でもいいからそばにいて欲しかった。
思春期の男子と二十七にもなる私が同じ感覚であるわけがないのに、私は変な親切心を出して、ベンチに座ったまま手元の小説の字を追う。
「シャーーーー。もう、もうあんな女知らねぇー」
傷心の高校男子のことを忘れ、物語世界に入り込んでいた私の耳に大きな声が入る。いきなりのことにビクッと大きく身体を震わせて、本を地面に落としてしまった。
その音に気づいたのか、高校男子は慌てて私に謝る。
「すみません。近くに誰かいると思ってなくて」
「いえ、大丈夫です」
彼と初めて言葉を交わした。前から思っていたが、とても優しい声だ。
「本、汚れちゃいませんでしたか?」
私を気づかって言葉をつなげる彼。
私が気をつかってこの場にいたことの親切心は彼に伝わらず、むしろ彼に気をつかわせてしまうことになったが、まぁ、そんなものだろうと思う。
「気にしないで」
そういって私は公園を後にした。
家に帰り、いつもと変わらない食事をし、風呂に入り、求人情報をぼんやりと眺める。
頭に何も入ってこない。一つの仕事だけを見つめて取り組んできた私は、これからどんな仕事をすればいいんだろうか。そんなことをぼんやり思う。
公園で振られていた学生と同じように、私も数か月前に失恋した。
彼女の心変わりを聞き、落ち込んでいたと思った学生は、大声を出しては、若いしなやかさで受け入れた姿に、私は憧れる。
初めての恋で、初めての失恋だった。もっと若い頃に経験していれば、その時私もしなやかに衝撃を受け止めて跳ね返せたのだろうか。
今の私はぽきっと折れてボロボロだ。
戻れるなら戻りたいな。一年くらい前に。
それなのに、出会った頃とともに思い出すのは、綺麗な桜吹雪ではなく、金木犀の甘ったるい香り。
まあ、実際に言葉を交わしたのはほとんど桜が散った頃だったし、桜吹雪が記憶に絡んでなくてもおかしくはないのだが。
その甘ったるい香りは、うだるような暑さの夏も、勉強に明け暮れた秋も、凍えるような冬も、確かな湿度を持って思い出の中心にある。
いつしかその香りが彼女自身と錯覚してしまいそうになる程、彼女はいつもその香りをまとって自分を守っていた。
俺はそんな彼女を守る力もなく、一定の距離を保つことが一番だと信じていた。
季節は春。色とりどりのピカピカのランドセルを見るともなしに見ていた私は、多様になったものだなと思う。
私の頃は、赤と黒しかなかった気がする。それ以外の色がやっと出てきだした頃で、他の色が珍しかった。ランドセルにつけるカバーだって黄色で交通安全だかなんだかがでかでかと書かれていた気がする。
今の子はランドセル本体にしろ、カバーにしろ、色々選べて羨ましいなと思う反面、みんなとただ同じにしていればいいというわけにもいかなそうで、目立たぬように周りと同調するのに苦労しそうだなぁ、なんてぼんやりと考えていた。
田舎から出てきて五年。
仕事も慣れてきた。そう思っていたのに契約は打ち切られ、この春私は無職となった。
仕事一筋。無駄遣いもせずに貯金してきたのと、臨時収入があったから、しばらくの生活には困らない。
新しい仕事を探す気力もなく、しばらくはのんびりしようなんて思っていたが、家でじっとしているのも嫌なことばかり考えてしまうので、こうしてたまに近くの公園に来ている。
ぼーっと人を眺めたり、社会人になってからあまりできなかった読書をしてみたり。大体1、2時間公園で過ごしていた。
「桜の季節ももう終わりだな」
ほとんど葉っぱだけになった木を見上げ、あっという間に散っていった桜に思いをはせる。
もうそろそろ家に帰ろうか。そう思うのに、私はベンチから腰を上げることもできず、手元の小説に視線を落とす。しかし、頭にその内容はなかなか入ってこない。
ひとつの恋が終わった。小説の中で恋人たちが別れたわけではなく、私の隣のベンチで高校生カップルが別れ話をしている。
今までにもここで何度か仲良さげな二人を見ていただけに驚いた。
勝手に聞こえてくる話に意識を向けないようにしようとするも、すぐ隣でいい争っているのでなかなか難しい。
なんで隣で始めるんだよ。いつもと変わらない、甘酸っぱい感じで隣に座ったじゃんか。気づいた時には喧嘩を始め、タイミングを逃してしまって動けなくなって、隣で気配を殺して二人の喧嘩が終わるのを待っていた。
彼女の心変わりが原因らしい。
彼女の言葉の端々から元々遊びだったという刺々しさが感じられる。
「それじゃあ、もう学校で話しかけてこないで」
最後に冷たくいい残し彼女は去っていった。
彼氏の方は悔しそうに拳を握りしめて、声を出さずに涙を流しているようだ。
その彼氏の姿に、少し前の自分の姿が重なる。
涙が止まるまでそばにいてあげよう。自分が辛かった時、誰でもいいからそばにいて欲しかった。
思春期の男子と二十七にもなる私が同じ感覚であるわけがないのに、私は変な親切心を出して、ベンチに座ったまま手元の小説の字を追う。
「シャーーーー。もう、もうあんな女知らねぇー」
傷心の高校男子のことを忘れ、物語世界に入り込んでいた私の耳に大きな声が入る。いきなりのことにビクッと大きく身体を震わせて、本を地面に落としてしまった。
その音に気づいたのか、高校男子は慌てて私に謝る。
「すみません。近くに誰かいると思ってなくて」
「いえ、大丈夫です」
彼と初めて言葉を交わした。前から思っていたが、とても優しい声だ。
「本、汚れちゃいませんでしたか?」
私を気づかって言葉をつなげる彼。
私が気をつかってこの場にいたことの親切心は彼に伝わらず、むしろ彼に気をつかわせてしまうことになったが、まぁ、そんなものだろうと思う。
「気にしないで」
そういって私は公園を後にした。
家に帰り、いつもと変わらない食事をし、風呂に入り、求人情報をぼんやりと眺める。
頭に何も入ってこない。一つの仕事だけを見つめて取り組んできた私は、これからどんな仕事をすればいいんだろうか。そんなことをぼんやり思う。
公園で振られていた学生と同じように、私も数か月前に失恋した。
彼女の心変わりを聞き、落ち込んでいたと思った学生は、大声を出しては、若いしなやかさで受け入れた姿に、私は憧れる。
初めての恋で、初めての失恋だった。もっと若い頃に経験していれば、その時私もしなやかに衝撃を受け止めて跳ね返せたのだろうか。
今の私はぽきっと折れてボロボロだ。
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