まほろ よろず祓い屋

春きゃべつ

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まほろ よろず祓い屋

桜と龍

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光と陰を含んだ濃淡ある緑の中に埋もれるようにその滝は存在していた。
扇状に広がる滝壷には、うねるように四方へ跳ね伸びる石橋が架けられている。
橋の中央には扇の要の様な石床が、流れ落ちる清水を見上げる様に浮かんでおり。
その丸い石床の縁には一人の少女が佇んでいた。

「ねえ、桜が舞うのを見たことはある?」

水面をさらう手を止めて、少女は誰にともなくそう呟いた。
彼女の大きな瞳が岩壁にいくつか連なる窪みの先へ向けられる。
咲き溢れた山藤の紫が、石灰色の岩場に映えるようだ。

「どんなかしらね。薄紅色の花びらが春の暖かな日射しの中を舞う光景というのは。それは天から舞い落ちる雪のように美しいそうよ…」

〝雪のよう、か…〟

少女の口から紡がれる言葉しらべに耳を傾けながら、彼は確かに似ているかもしれないと静かに頷く。
目を閉じて思い浮かべたその光景は、どちらも甲乙つけがたいほどに美しい。

「雪が舞うとはどういう事かしら。雪のように舞う桜とはどんな風に咲くのかしら…」

いつにない少女の声音に、花御簾越しの滝壷へと彼はふと目を向けた。
少女は波紋を広げ続ける水面をぼんやり眺めているようだ。
俯く彼女の表情を窺い知ることは叶わない。

「桜の君と呼ばれていたのですって。不思議な力をお持ちだったそうよ。似ていると…御覧になりたいと……そう、仰られたそうで…」

途切れ途切れに呟いて、終いに短く息をつく。
しばらくして、気分を切り替えるためか少女は顔を上げた。

「ここはとても居心地が良いわ。頬に触れる風も流れ落ちる水の音も。草木の感触や花の香りも何もかも。私に癒しをもたらしてくれた。けれど…」

少し寂しそうに、けれど何か決心したように、少女はすっと立ち上がった。
それから水面に跳ね伸びる石橋の一つを選び、おぼつかぬ足取りで渡り始める。
石橋を渡り終えると、今度は岩壁に連なる窪みを伝い、やがて咲き溢れる山藤の下まで辿り着いた。
少女が両の手を差し出す。
差し出されたその手は空をさ迷うようにして、間近で見下ろす彼の頬にひたと触れた。
額に眉に閉じた瞼に…
そうして、驚いて半開きになった唇をなぞり、最後に両の手のひらが彼の頬を包み込む。

「こんな顔をしていたのね」と、少女が微笑んだ。

〝 ああ、行ってしまうのだな… 〟

ふと、彼はそんなことを思った。
それはとても不思議な感覚だった。
出来る事ならこのまま留め置きたいような気もするけれど…
それはならぬ事。
人の一生はあまりに短い。
咲いては散っていく桜のように儚いものだ。
留め置くのは酷というものだろう。
それに人は忘れゆくものだ。
いつかはこの瞬間ひとときすら、まほろばの夢として忘れてしまうのだろうか?
こうして見守り続けるより他にないのが口惜しい。
ならばせめてと、流れ落ちる滝の飛沫を受けるように掌を空へ差し向けた。
永久に咲き続ける彼の地の桜を思い浮かべながら、この地に流れ落ちる清らな水の飛沫を受けとって、それを形造る。
再び少女の方へ視線を向けて、彼は艶やかな黒髪へそっと挿してやった。
それは氷雪から薄紅に移り変わるような、不思議な彩色いろを放つ花挿かざしだった。
少女の華奢な手のひらが己の頬から離れていくのを名残惜しそうに眺めながら、彼は告げる。

『これならば。雪のように消えてしまうことも、花のように散ってしまうこともない。其方そなたにも、触れるみる事ができるであろう 』

だからどうか
忘れないでおくれと願う。
自らの髪に飾られた花に触れ、少女は嬉しそうにふわりと微笑む。

「ええ。たとえこの地を離れても、この花に触れるたび思い出すわ。この美しいまほろばを…あ」

「姫様ぁ…姫様っ。ああ、姫様ぁ。良うございました。ご無事でなりより…」

草叢から騒々しく姿を現した女人が少女に目を留めるなり、どかどかと駆け寄ってくる。

「お一人でこのような…まあまあまあ、そのような所に…どのように?」

水際までたどり着いた女人の顔が、怪訝な表情ものに変わる。
ひっきりなしに波紋を広げる滝壷の水面には転々と大小の岩が突き出ていた。
それらに視線を向け、眉根を寄せる。
水面に突き出たひときわ大きな岩の上に、少女はぽつんと佇んでいた。
ぽかんと開けた口を閉じ。
ぶんぶん頭を振って「おられたぞ」と、草叢の向こうに声を張り上げる。
それから姫様と呼んだ少女の方へ、キッと視線を引き戻す。

「またお倒れになられたらどうなさるおつもりなのです。せめて供の者をおつけになってくださいましよ。私、姫様が拐かされたのではと、それはもう肝を冷やしましたのですよっ」

ひと息にまくし立て、盛大に安堵の息をつき。
ようやく落ち着きを取り戻したのか、女人がおやっと小首を傾げる。

「それはさておき。姫様。今、どなたとお話を…」

「ああ、その声は松乃ね。心配をかけて悪かったわ。お礼申し上げていたのよ」

「お礼…でございますか?」

「ええ。この地のきよらな水に。この瀧には龍が棲まうそうよ。龍は清らな水を護るというわ。この地を去る前に、私に癒しを与えてくださった龍神様みずのかみさまにお礼申し上げていたのよ」

「ああ、さようで…。ここが噂にきく癒水の水源にございましたか。ならば、私もお礼申し上げねばなりませぬ」

よろよろと岩場を渡り、傍らで祈りはじめた女人の声に微笑んで、少女は流れ落ちる清水を仰いだ。
見えぬ目を閉じ、そっとこの地に別れを告げる。
艶めく黒髪に咲く、薄紅の花にそっと触れながら。
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