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第1話
しおりを挟む――ふと、目が覚めた。
瞬きを数度した後、視線をすこし上へと向ける。
そこにあったのは、白い壁と、きれいな青空が見える窓。
カーテンも閉められていないそこからは、明るい日の光が差し込んでいた。
(…………え?)
明らかに自分の部屋のものとは異なる光景に、私は思わず目を丸くする。
(……ここどこ?)
寝起きで思考が鈍い。
眉を寄せて無理やり脳内をフル稼働させようとするも、体は指先までもがなんだか重くて。それでも身じろごうとした瞬間、私は『それ』に気付いてしまった。
(え……、ちょ、待っ……)
ただ一度の息を吸う間も無く、ピタリと止まってしまった呼吸。
そんな、息をするのさえ忘れた私の頭の中に渦巻いたのは、猛烈なる困惑だった。
(………………う、そ……、えっ、待っ、……えっっ?! ほんと、ちょっと待って?!)
寝起きの目には眩しすぎる光。知らない部屋。
ベッドだって明らかに自分のものとは違う大きさだし、体に掛けられたブランケットだって自分のものとは肌触りが違う。
もうそれだけだって意味が分からないのに、自分の身には、今、それらにすら構っていられない程の大事件が起きていると私は気付いてしまったのである。
というのも。
(……私、ハダカじゃん……っ?!)
やけに肌触りが良いと感じるそのブランケットの下、私は何も、そう、パンツ一枚すらも身に付けていないのである。
その上だ。
背中にはピタリとくっつく人肌を感じ、お腹には男性のものと思われる長い腕が巻き付いているではないか。
(う、うわぁぁぁ…………)
もはや、なんの冗談だと笑う余地も無い。
少しでも体を動かせば、肌のベタつきと脚の間のぬるりとした感触が生々しく。明らかな、それらの『事後』の気配に、私は乱れたシーツの波に視線だけを彷徨わせ、身体中からドッと冷や汗を噴き出させた。
*
それは、ドクドクと早鐘を打つ心臓を感じつつ、そのまましばらく様子を窺った後のことだった。
「う゛ぅっ、……ッッ?! い゛っ!!」
このままでいても埒があかないと、背後の人物の顔を見るため重たい体を捩った瞬間のこと。鈍い痛みが全身、特に下半身へと走り、同時、昨夜の記憶が一気に私の脳を駆け巡った。
――縫い留めるように絡められた指。肌に触れる唇の感触。
そして、鼻腔と胸を満たすあの香りと、何度も「レナ」と呼ぶあの声の、その記憶。
「…………え、や、でも、そんなの……」
あり得ない、と。口からは思わず否定の言葉が零れ落ちるも、それらの記憶と体の倦怠感はあまりにも鮮明で。私の中には、先ほどとはまた違う戸惑いと困惑が渦を巻く。
確かに、昨夜、私はその人と会う『夢』を見たと思う。
場所は初めて会った時と同じ細い路地。
月明かりの下で再会し、キスをして。抱きしめ合ったその後、彼の家で何度も求め合う夢だった。
「…………『シリル』さん……?」
思うままにその名を呟く。
だがやはりそれは、あまりにも非現実的な響きを持っていた。
(え。……だって、あれは、夢だったでしょ……?)
「……だって……」
彼では、あり得ない筈なのだから。
「だって……」
だって、彼は、夢でしか会えない相手の筈だから。
「だって、今までずっと、夢でしか……」
そう、『夢でしか会えなかった人』だったからである。
何度、夢で彼と出会えても。
何度、夢で彼に抱かれても。
たとえ何度、その人との未来を覚悟しても。
その夢が現実となる夜はなく、朝を迎える度、また夢だったかと涙を流していた筈なのに。
(…………でも、もう、朝……)
困惑を解消しきれぬまま視線を窓へと戻せば、やはり見えるのはポカンとしてしまう程の美しい青空と日の光で。いつもならばここで視界に入る筈の自分のアパートの部屋では、確実にない。
(……こんなの、初めて……)
何度も瞬きをしても見える景色は変わらず。信じられない気持ちのままゆっくりと視線を落として気付いたのは、シーツに垂れた私の髪に混じり、あの人のものと同じ色をした長い髪がシーツに広がっていること。
(……もしかして……)
「やっと、……来れた……?」
堪らず口からその言葉を零してしまえば、ドクリと、より強く、私の胸が震えた。
(……これは、夢じゃない……?)
再びドクドクとした音が鼓膜を震わし、息も止まりそうなくらいに期待が胸に満ち満ちる。
「……っ、う゛」
力の入らない腕がもどかしかった。
早く早くと気は逸るものの、いまだ寝息をたてるその人を起こしてしまうのは気が引けて。その腕の中、私は徐々に力を入れ、ゆっくりと体を捩る。
髪の隙間から形の良い耳が見えた。滑らかな肌も、そして泣きぼくろも。長い睫毛も、整った眉が柔らかなカーブを描いているのも見えて。乱れてはいるが、相変わらずその髪は艶やかで美しい。
(ああ、神様……)
今は閉じられているが、その瞼が開けば、宝石のように美しい瞳も姿を現すだろう。
「……本物だ……」
本当にあの人だと思いながら。
私は恐る恐る手を伸ばし、女性と見紛うほど華やかな顔立ちをしたその人の、その鮮やかなワインレッドの髪に触れる。サラサラとした感触を指に通し、美しい顔にかかった髪を指先を使ってゆっくりと耳にかける。
瞬間、不意に、その眉間に皺が寄った。
「……ん……」
「っ、」
目の前の人物が目覚める気配に、痛いほど強くなるのは胸の高鳴り。
(……あ……っ)
――それは、目が合ったと、そう思った次の瞬間だった。
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