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第44話

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「あ、ヤベ。この本の貸し出し今日までだ」

 秋麗あきうらら
 ブラインドの隙間から入ってくる日差しが心地よく、少しうとうとしていた午後のこと。

 不意に聞こえた先輩の呟きに、私はハッと目をしばたたかせた。

「あー……っと、ちょうどキリもいいし返しに行くかな。市川、俺、今から図書館行くけどどうする?」

「えーと、あ、私も借りたいのがあったんだった。一緒に行きます」

「じゃ、行くか。……眠気覚ましにもなるしな」

 立ち上がろうとした格好のまま、ピシリと固まる。

「……気付いてたんですね」

「眠そうな市川も可愛いかったよ」

 その言葉を受けて、一気に耳と頬に熱が集まっていく。

「声出す前に気付けてたら、ずっと見てたかも。失敗した」

 ニヤリとした笑顔を浮かべつつ、そう言って先輩が私に手を差し出すので。私がその手を取りつつジト目で睨むと、「ごめんごめん」と笑いながら額にキスをされた。



 *



「俺、これ返してくるから」

 図書館に入ると、先輩が手に持っている本を少し掲げた。

「じゃあ、私は先に行ってますね」

「ああ。あ、何かあったらすぐ行くから。ちゃんと呼べよ?」

「ふふふ。はい、わかってます」

 私が笑顔で答えると、いい子いい子と言わんばかりに頭をすこし撫でられた。



 *



 ポカポカとした秋の陽の光が天窓から降り注ぐ図書館。
 その中を、本の背表紙たちを眺めながらゆっくりと歩く。

 鼻腔には図書館独特のインクと紙の匂いが満ちていた。

(うーん……、ないなぁ……)

 スマホを片手に、メモ画面を開きながら本を探す。
 三冊借りようと思っていた本の内、すぐに二冊は見つけた。だが、あと一冊がなかなか見つからないのだ。

(……あ、あったあった!)

 窓際の棚の一番上の段に、探していたタイトルの本を見つける。

(ちょっとこのままじゃ届かないか……)

 そう思って辺りを見回すと、本棚のかたわらに手頃な踏み台を見つけた。

(これに乗れば……あ、あと……ちょっと……ッ?!! 「ひゃあぁ!!」

 先に取っていた本を胸に抱え、スマホを持つ手で取ろうとしたのがいけなかったのだろう。
 台の上に乗り背伸びをして、本を引き抜いたその瞬間。バランスを崩して後ろに倒れ込みそうになってしまった。

 刹那、「市川!!」と叫ぶ智也先輩の声と、誰かに背中から抱きとめられた感触がして、その衝撃に思わず目を閉じる。そして恐る恐る目を開けると、私は男性の腕で抱き締められていた。

 ゆっくりと後ろを振り仰ぐ。

 智也先輩のグレーの瞳と目が合った。

「……コラ。何かあったらすぐに呼べって言った筈だろ?」

 陽の光を後ろから浴びながら、怒ったような、困ったような、それでいてほんの少し愛しさが混じった何とも言えない顔をした智也先輩の、そのグレーの瞳があまりにも美しくて。

 私はお礼を言うのも忘れて、ただただ見惚れた。

「……市川? 大丈夫か?」

 智也先輩の声にハッとする。

「あ、ご、ごめんなさいっ!」

「いや、いいんだけど。……ケガはない?」

「はい。おかげさまで大丈夫です。あ、先輩、眼鏡が……」

 はずみで落ちたのだろう、床に智也先輩の眼鏡が落ちていた。

 慌てて拾って、壊れたところがないか確かめる。

「良かった。壊れてないみたい」

 そう言ってホッとしながら眼鏡を渡すと、先輩は眼鏡をかけた後に床に落ちていた本を拾い、私の顔を見て少し首を傾げた。

「さっきはどうかした? ……俺の顔、なんかついてる?」

「え? あ。いいえ、違うんです。……先輩の目、やっぱりすごく綺麗だなって見惚れちゃって」

 先輩から本を受け取りながら、そう答える。

「あー。これな。……グレーダイヤだっけ」

「はい」

「『運命の人と巡り合う』ってやつ?」

「そうそう。あと『永遠の愛』とか『持ち主の願いにリンクして必要なパワーを与える』!」

「俺の目にそんなパワーがあったらいいなー」

「ふふふ。先輩の目、本当に綺麗だから、本物以上に効果があるかもしれませんよ」

「あーね」

 私が笑顔で先輩の顔を見ていると、不意に、先輩がじっと私の顔を見てきた。

「……もっと見る?」

「……え?」

 先輩がいつものようにふわりと私の腰に腕を回して少しかがみ、顔を近付けてくる。

(――キス、される?)

 落ちてくる影に、近付く唇。
 先輩のその様子に何故かそう思ってしまった私は、パブロフの犬よろしく、条件反射のように目を閉じてしまった。

 でも、しばらく待っても先輩の唇は落ちてこなくて。
 
 アレ? と思い目を開けると、いかにも笑いを堪えている風の智也先輩の顔が間近にあった。その口は、ふるふるしている。

「……ふっ、く……くく、っ。ふはっ」

 え? と思った時には、とうとう顔をらされて笑われた。

「ご、ごめっ。はは。や、俺、目見る? って聞いたのに、市川が目を閉じるから、……くくっ。……けほっ。……あーー、もう、可愛いな」

(~~~ーーーっ!???)

 何をしているのか、私は!
 勝手にキスを期待して目を閉じるなんて、恥ずかしすぎる!

 集まってくる熱に顔を隠したくなったが、本を抱えている上に先輩にホールドされてしまっていてできない。

「……もしかして、期待した?」

「ち、ちがっ」

「ちがうの?」

「…………」

「……市川?」

 さらに先輩が追い討ちをかけてきて、もう涙目である。

「…………しました」

「……何を?」

「~~~……!! もうっ。先輩いじわるじゃないですか?!」

「うん」

 そう素直に認めた先輩の顔は、目元を染めながらどこか嬉しそうに微笑んでいて。

「市川」

 優しく名前を呼ばれれば、もう降参するしかなくて。

「……キスして、ください」

「……うん」

 キスをねだってしまった。

 そして。
 智也先輩との優しいキスは、その後、近くに人が来るまで続いたのだった。
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