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第8話

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 私たちの前に一人の男性が立っている。

 その人物はスマートに燕尾服を着こなし、ただ立っているだけなのに、高貴な出自を匂わせる圧倒的なオーラを放っていた。

「(ガルシア大公……?!)」

 私が心の中で叫ぶと同時に、ユーゴが驚いた様子でつぶやく。

(……なぜ閣下がここに?!)

 そう思う中、キョロキョロと辺りを見回したい衝動が私を襲った。

 それを必死に抑え、私はなんとか侯爵家令嬢としての仮面をつけて笑顔を作る。視界の端では、ユーゴもまた頑張って嫡男としての仮面をつけ直していた。
 だが、思わずといった風に握り続けていた手がギュッと締まったので、彼も内心動揺しているのだろう。

 私たちは固唾かたずを飲み、閣下の出方を待った。

「そなたたちは……」

 一呼吸の間の後、閣下が口を開いた。

「はっ。シュヴァリエ侯爵家が嫡男、ユーゴと申します」

 ユーゴがまず名乗り、優雅に一礼した。
 私も続けて名乗る。

「同じく、シュヴァリエ侯爵家のマリアンヌと申します」

 私がゆっくりカーテシーをとると、頭上で「やはりか」と声がした。

「ああ、顔を上げてくれ」

 二人でゆっくりと体を起こし、閣下を見上げた。
 ユーゴよりもさらに背が高い。

「私はガルシア大公の名をたまわっているアレクサンドルという。……ユーゴとやら。そなたの姉君をお借りしたいのだが、よいか?」

 閣下の言葉に、ユーゴがチラリと私を見る。

「……はい。どうぞ」

 そう返すユーゴの声が、小さくその場に響いた。

 私がじっと様子を伺っていると、閣下が私に向き直り、ゆっくりとひざまずく。そしてカチリと目が合った瞬間、白い手袋をした手が私へと差し出された。

「美しいご令嬢、私と一曲踊っていただけないだろうか」

 それは正に、夢のようなシチュエーションといえただろう。

 大公閣下に跪かれてダンスに誘われる、なんて、普通の令嬢であれば天にも昇るような光景だ。だが、それは分かっていても、今の私にはそれにゆっくりひたっている余裕はなかった。

(……ひざまずいておられるのに。……なんなのかしら? この有無を言わせぬ威圧感は)

 オーラというかなんというか、断ることが許されない空気だ。思わず、いぶかしげに眉が寄りそうになってしまう。
 それでもグッと堪えて笑顔を作り、私は差し出された手に自身の手を乗せた。

「はい。喜んで」

 そして、そう答えた次の瞬間の事である。閣下がほんの一瞬だけ目元を緩ませてから、立ち上がった。

(……私が誘いに乗った事にホッとした?)

 前を向いてしまった閣下の横顔を、チラリ見上げながらそう思う。

(……いや、まさかね。……というか、本当にニコリとも笑わない方だわ。女嫌いって噂、本当なのかしら?)

 だとしたら、私が誘われた理由は何だろう? 女嫌いにしてはキュッと握られた手も優しいものだが……、などと。
 手を引かれてダンスフロアへ引き返す間。私は閣下に声をかけることもできず、揺れる黒髪を見ながら、ただそんなことを考えたのだった。



 *



 ――曲は緩やかなものへと変わっていた。

 ホールドを組むため体を寄せる。

 スッと息を吸い、吐くと同時。私たちは同じタイミングで一つ目のステップを踏み出した。

(細身な方に見えたけど、さすが団長様だわ。ガッチリしてらっしゃる……)

 触れ合う部分の筋肉質な感触、そして、手袋をしていても分かる大きくて骨張った手の感触に、私は、彼が第一騎士団の団長であることを思い出す。

(ダンスも。……さすがね)

 国の騎士団を任されている人なだけあって、自身の体の動かし方を熟知しているのだろう。ダンスも素晴らしい身のこなしである。腰に添えられた手も頼もしく、多少私がグラついたとしても、難なく支えてくれるであろう安心感があった。


「マリアンヌ嬢はダンスがお上手だな」

 閣下とのダンスの踊りやすさに内心で驚いていれば、不意に声がかけられた。その言葉に、顔を上げて視線を合わせる。

 青みを帯びた黒髪がステップに合わせてサラサラと揺れ、少し日に焼けてはいるが荒れずにキメ細かな肌が美しい。長い睫毛まつげ、切れ長の瞳、スッと通った鼻梁びりょうに、薄い唇。兄である国王陛下が、どちらかと言うと華やかな美しさを持つのに対し、閣下は武人らしい鋭い雰囲気を持った美丈夫だった。

(……閣下の瞳はグレーなのね。珍しい)

 なんとなく、その瞳に強くかれるものを感じた。

「ありがとうございます。閣下こそ、普段からお体を動かされているだけあって、とてもお上手ですわ」

「……確かに鍛錬で体を動かしたりしているが、ダンスは久しぶりでね。内心、いつ君の足を踏んでしまうかとヒヤヒヤしている」

「ふふふ、とてもそんな風には見えませんわ。閣下でもご冗談をおっしゃいますのね」

「冗談くらい言うさ。私は冗談も言わないようなイメージだった? ああ、それとも……、女嫌いっていう噂のせいかな?」

 気になっていた事を話題に出され、ドキリとする。

(これは、……なんとお答えしたらいいのかしら。そのまま、ハイ、ソーデスと言っても良いものなの? ……えっと、いやいやいや、流石にそれはダメよきっと。ご冗談っておっしゃってるけど、それもどこまでか分からないし。というか、待って。ほんと。美形の! 無表情って! 怖いんですけど!!!)

 根性で笑顔は張り付けているが、内心は涙目である。とにかく何かお答えしなければと焦っていれば、閣下が言葉を続けた。

「女性と踊りながらする話ではないけど、別に、私は女性の事が嫌いな訳ではないよ。ただ、その……、女性の方が私を苦手に感じるのだろう?」

 意外なセリフにキョトリとしてしまう。

「……何故、そう思われるんですか?」

「私の無表情は人に恐怖心を与えるのだと、ちょっと友人に言われてしまってね。相手が女性なら尚更だと。もう少し明るい瞳の色なら印象も違うのだろうが……」

「まぁ、確かに。閣下は背もお高い方なので、無表情でらっしゃると少し威圧感を感じますわね……」

「あー、やはりか。……そう、か。……ああ、というか、すまない。私は初対面のご令嬢に何を話しているのだろうね……」


 ――曲が終わってしまった。


(ど、どうしよう、離れなくては。えっと、でも、なんだかすっごく閣下が落ち込んでおられるんですけど?!)

 曲が終わる直前に聞こえた、閣下の弱々しくなっていく声に、内心ではプチパニックと罪悪感の嵐である。
 だが、続けて二曲踊るのは婚約者を意味してしまうのだ。さすがにそれは駄目だろう。なので、ここはとりあえずと思い、ホールドを外して礼をしようと手を離しかけた、その瞬間。

 ――キュッと、手を握り込まれた。

 そして、そのまま手を引かれ、腰に手を回される。

 さすがに驚いて顔を上げると、無表情なのに、どこか捨てられた子犬を連想させる閣下の顔が見えた。

「あああっ。落ち込まないでくださいませ!」

 堪らず、私も手を握り返す。その顔を見たら、二曲目がどうとか、婚約者がどうとかなどというのは、頭から抜け去ってしまった。

 肩に手をかけて、踊りだす。

「えっと、あの、その、閣下はお美しい方ですし。あとは、声も素敵で、ダンスもお上手でらっしゃって、今のままでも十分魅力的ですわ。どうしても気になさるなら表情筋をお鍛えになればよいのです。でも、その髪も、瞳の色も、私はとても綺麗だと思います」

「……表情筋……のことはよく分からないが、だが、女性は陛下のような瞳の色を好むのでは?」

「そんなことありません!」

 思わず、じっと閣下の瞳を見つめてしまう。

「美しい瞳の色ではないですか。まるで磨かれたグレーダイヤのようだわ。とっても素敵で、私は好きです」

 そして、心で思ったままを口に出すと、閣下は少し目を見開いて驚きの表情を見せた。

「……君はそう思うのか?」

「はい!」

 返事をしながら、閣下の瞳に見惚れる。

(……本当にキレイだわ。でも、この瞳……、どこかで見た覚えがあるような……?)

 この煌めきを、以前、どこかで――。

 それは――と、思考を巡らせようとした刹那、見つめる先で閣下がフッと表情をゆるめた。

「……そうか。良かった。……私が探していたのは、やはり貴女だったようだ」

「え……?」

 聞こえたのに。閣下が紡いだ言葉の意味を、私は理解することができなかった。

(――笑った??)

 衝撃を受けたのだ。
 閣下がほんのわずかに見せた、どこか甘さを含んだ微笑みに。

 笑わないと噂の人物が笑ったという驚きだけではない。トキメキと呼ぶには余りにも激烈な、心臓を握りつぶされるような切ない感情。

(……私、この顔、知ってる……?)

 その唐突にもたらされた衝撃に、私の思考はそこでストップした。

 それでも、私の体はダンスのステップを踏み続ける。
 閣下もそれ以降は喋ることなく、無表情でステップを踏む。


 ――曲が終わった。


 閣下にエスコートされながら、両親や弟が待つテーブルに連れてこられたところまでは、なんとなく覚えている。父も母も弟も、周りにいた貴族たちでさえ、何故かとても驚いた表情をしていたから。

 閣下が父に何かを話しかけ、私を一瞥いちべつしてから、その場を離れて行ったこともなんとか覚えている。

 が。

「姉上、大丈夫ですか? ……いきなりガルシア公と二曲も続けて踊ってしまって」

「……え?」

(二曲続けて? ……二曲以上はたしか婚約者以上のハズじゃ……? 私、閣下と踊っ……? まっ、え、こんやくしゃ……? え? え? ええええっ?!)

 ユーゴの言葉を受けて。今の一連の流れを思い出した私の思考回路は、とうとう完全にショートしてしまったのだった。
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