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29話

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 少し時を戻し、蜃の様子である。
 霧も晴れぬ早朝、蜃は早起きした素振りで富子の部屋を訪ねた。
「おはようございます、お祖母様。おやすみのところ、申し訳ございません。どうしてもご相談したいことがありまして」
 まだ眠っていた富子ではあったが、可愛い蜃の為とあっては、無理にでも覚めた。
「なんじゃ? どうした? 眠れなかったのか?」
「いいえ、どうしても泰親殿とお祖母様にお話したく。離れの方がいいかとも思いますので、あちらによろしいのでしょうか?」
「何故、ここではならんのだ?」
「あちらの方が奥まっていて、内緒話をするには好都合な気がして。安心というか、落ち着くというか……聞いて頂けませんか?」
 富子は、クスリと笑った。
「晴明は?」
「出来れば、父上に聞かれたくなく」
 そういうことかと、富子は腰を上げた。
「わかった。泰親とあちらで、少々待っておれ」
「はい」
 蜃は、離れへと向かった。泰親は、とっくに起きていた。
「おはようございます、蜃さん」
「おはようございます。泰親殿は、お早いのでございますね」
 泰親は、くすくす笑った。
「ええ。遠い昔の話です。私は、陰陽師等と呼ばれていたことがありましてね。その時の名残です」
「陰陽師ですか? 今は違うのですか?」
「ええ。陰陽師であった時は、沢山の式神を扱っておりました。しかし、あまりに沢山持ちすぎてしまいましてね。地獄に連れて行かれてしまったのです。地獄から這い出でるために、自らを式神とし、そして僧となったのです」
「はあ、それではとう人ではならざるものではないのでしょうか?」
 泰親は、笑った。
「冗談ですよ」
 蜃が苦い顔を返した時、富子が現れた。
「待たせたな。なんじゃ、相談とは」
「母上の事でございます」
「葛葉の? なんじゃ、あやつがどうしたと?」
「島流しにされたと聞きましたが、だれが何処に連れていったのでしょう?」
「何故、そんな事を聞くのじゃ?」
「父上に会ったんんです。母上にも会ってみたいと。子として当然の感情でしょう」
 富子は、奥歯を噛み締めると、苦々しく話し始めた。
「わしは、晴明に恵慈家を継がせたかったし、そう決まっておった。けれども、あやつがそれをかすめ取るかの様に目立つ行動を始めたのだ。だから、葛葉を排除しようと思ったが、あの娘にとうとう晴明まで取られてしまった。わしは、全て晴明の為に、晴明の為しか考えておらぬ。だからこそ、あの娘は邪魔でしかなかったのじゃ。お主が産まれ、わしはお主を愛そうとした。だが、葛葉はお主までわしから取り上げた。ああ、蜃よ。哀れな祖母から離れないでおくれ」
 富子は、おいおい泣き出した。それを補足するかのよう、泰親が続けた。
「葛葉さんの生命を助ける代わりに、晴明殿が葛葉さんを追放したのですよ。葛葉さんが生きるためにね。そして、二度とこの地を踏まぬよう、晴明さんが約束としてこの家を継いだのです。晴明さんは警戒しているのでしょう。未だ葛葉さんの居場所は話しません。ですが、次に姿を現せば確実に式神の餌となることでしょう。だから、姿を現すことは無い。尤も、長い年月を経て、何処かで朽ちている可能性もなくはありません」
 蜃の背筋に、ゾクゾクとした悪寒が走った。
「蜃」
 と、晴明が3人の元に姿を現した。生克五霊獣の法の準備が出来た合図だった。
「母上に泰親殿。あなた方に会わせたい人がおります」
 晴明がそう言いながら、障子を開けた瞬間、雷光が庭を多い尽くしていた。
「なんじゃこれは!?」
 富子と泰親の顔が真っ青に代わり、見ればその中心に葛葉が立っていた。脇には、白い喪服姿の松兵衛が立っている。
「富子殿、泰親殿。主らの負けじゃ!」
 葛葉の合図で、雷光は四方八方その光を飛ばした。光が当たると、障子は破け柱は焦げ、石はは砕けた。
 咄嗟に、その場に居合わせた全員は身を低くした。
「おのれ! 葛葉!! どういう事じゃ! はーーるーーあーーきーー!! 謀りおったのか!」
 晴明は、苦痛の顔を浮かべながら顔を伏せた。その様子を蜃は隣で見つめていた。そう、いくら鬼でも、晴明にとっては、たった1人の母なのだ。
 ふと、蜃が顔を上げた瞬間だった。生克五霊獣の法が発動すると共に、光の刃が蜃に向かって飛んだ。
 避けられない、と思った刹那。それを庇おうとした晴明より早く、お蝶が蜃を抱き締めるよう庇った。
「「ぎゃああああああああああああぁぁぁ!!」」
 泰親と富子の断末魔の悲鳴が轟いた。抱き合うようにその影は、真っ黒い不気味な鏡と化した。
「お蝶さん!」
 全てが終わったと安堵する間もなく、蜃の泣き声がその場にこだました。
「お蝶さん! お蝶さん! お蝶……」
 見れば、蜃の腕の中、血塗れのお蝶が僅かなからヒュウヒュウと音を立てながらぐったり横たわっていた。
「俺はまだ、治癒の術を知らん! 母上、早くお蝶さんを……」
 幼い子供のように泣きじゃくる蜃の元に駆け寄るが、様子がおかしい。何故なら、お蝶の身体が砂のようにサラサラと崩れていくのだ。
「なんじゃ、これは?」
 自らが生贄になると言っていた松兵衛が傷一つなく、膝から崩れ落ちながら叫んだ。
「お蝶殿が生贄になって……しまわれた……」
 葛葉の全身から血の気が引き、全身がガタガタ震え始めた。
 ただ呆然と見ている事しか出来なかった晴明がはっとし、今にも倒れそうな葛葉を支えた。
 最悪の結末だった。
「私が……私が、お蝶を……殺してしまっ……」
 言葉にならない呻き声を出しながら、晴明の腕の中で葛葉はとうとう崩れ落ちてしまった。
「お蝶さん……お蝶さん……俺がぼんやりしてたから……俺が……」
 お蝶は喉に詰まった血を力を振り絞って吐き出すと、なんとかか細い声を出した。
「泣かないで……誰も……悪くないの……。おっかあの仇が取れて……私は……嬉しいから……それに……蜃様……好きでしたよ……」
 お蝶はそれを最後に息を引き取り、同時にその姿はサラサラ砂のように溶けて消えた。
 後に残ったのは、残された者達の泣き声だけだった。

 その昼過ぎ。最初に起きてきたのは新月だった。
 皆の様子がおかしいの気付いた。
「皆、どうして泣いているの?」
 言いながら、お蝶の姿が見当たらないことに気付く。買い物でも行っているのかと思った。
「何か、悲しいことがあったの? お蝶さんは、いつ帰るの?」
 葛葉は、泣きながら新月を抱きしめた。
「お蝶はな、もう帰れないのだ。だから、皆泣いているのだよ」
「何処に行ったの?」
「遠い、遠いところだ」
 静かな屋敷を見渡して、新月は察した。今までそうだったように。そして、じんわり溜まる涙を堪えて、蜃を探した。
 ドタバタと部屋中を走り回り、離れの方の部屋でようやく蜃を見つけた。見付けて、その背中に飛びついた。
「新月か?」
 その声は力なく、泣き過ぎたせいで枯れて聞こえた。
「今は、お前を慰められないよ。ごめんね」
 けれど、新月は蜃の背中に蹲ったまま泣くのを堪えていた。
「お前は、お蝶と仲が良かったもんな。いつかお蝶が言っていたよ。妹みたいだって。一緒に泣こうか」
 それから、2人でどれだけ泣いたかはわからないけれど、気付いた時には次の朝を迎えていた。

 それから数日して、松兵衛が晴明と葛葉の前にかしこまり、話し始めた。
「儂は、法眼様の父上の代から、この里とお家を守ることに尽くしてきました。本来なら、それもお家の為として、藤緒様との約束として守らねばならなかったお蝶殿を守ることが出来なかった事がなによりの悔いです」
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