VIVACE

鞍馬 榊音(くらま しおん)

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夢見る豪華客船

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 親愛なる友人の経営する地下室の隠れ家的レストランにて、その親愛なる友人と待ち合わせをしていた。
 僕との待ち合わせでは、いつでも貸切。だから、普段どんなお客がこのレストランに相応しいか等、僕は知らない。
 レストランの中央には、一台のグランドピアノが置かれていた。僕はその前に腰掛け、一曲披露した。
 観客等、いないようなものだ。けれど、観客は確かに存在するのだ。
「ショパン、乙女の祈り。ですか」
 親愛なる友人が拍手をしながら、そう言った。
「今日は、やけにカメラが激しいからね」
 僕が、皮肉交じりに言うと、親愛なる友人はこう返してきた。
「御陰で皆様、退屈せずに済んだようですよ」
 テーブルに用意されていたシャンパンをグラスに注ぎ、親愛なる友人は僕に飲めとばかりに促した。
「さあ、仕事の話をしましょうか」


*****


 美術館内の照明が落ちてから再び明かりが点くまでに、数秒のカウントしかなかった筈だ。
 しかし、その数秒の間にショーケースの中の赤いダイアは、赤い薔薇と掏り返られていた。
 ようやく、美術館全体に警報装置が鳴り響く。
「遅いって!」
 噛み締めた唇の端からそう洩らしたとき、耳元で声が聞こえた気がした。
「つまらないなぁ。もっと、楽しませてくれなきゃ」
 馬鹿にしたような、というか明らかに馬鹿にしたその台詞に怒りを覚えて振り向くが、その先には誰一人いなかった。
 慌しく走り回る何十もの警察達。ぽっかり口を開けたショーケースと、ワザとらしく開け放たれた窓枠が目に入る。
 毎度毎度の事過ぎて、これ以上騒ぐのも面倒この上なく思う。
「ハンリーさん、どうしますか?」
 部下であり、相棒である藤村波奈(ふじむらなみな)が呑気に問う。ショートカットに童顔と、少女と呼ぶ方が相応しく感じるが、一応成人済の女刑事である。
「あぁ、どうしよっか?」
 吊られて呑気に問い返す。
「私、始末書のネタ切れましたけど」
「……帰りにラーメン、でも奢るよ」
 こんなとき、毎度の事ながら国に帰りたいなぁなんて思う。
「チョコパフェが、いいです」
 母国アメリカからVIVACE(ヴィバーチェ)とかいう奴等を捕まえろと、日本へ派遣されてから一体何年経つんだっけ?
 溜め息混じりに「好きなもん、食べなよ」っと、肩を落とした。
 あぁ、僕の事は誰が慰めてくれるんだろう。


*****


「楽しんでいますか?」
 スーツに身を包んだ親愛なる友人が、シャンパン片手に窓辺で佇む僕の元へとやってくる。
「こんな豪華な別荘で昼間からパーティなんて、景気がいいのは良い事だけど、ここは僕みたいな人間の来るべき場所ではないと思うよ」
 上品な眼鏡の向こう側で、彼は相変わらずニコニコ笑みを浮かべながら言った。
「そんな事はありませんよ。君はボクの大切な友人なのですから」
 何を考えているのか、いつもの事ながら読み取れない。けれど、僕を呼びつけるとき、彼は必ず何かしら用件を携えている。
「もしかしたら、この前の続きがあるんじゃないのかい?」
 彼は言う。
「いやですね、そんな事よりパーティを楽しんでいってくださいよ」
 ロココ調のデザインで構成されたホールに、バイキング形式の軽食が並べられている。
 ドレスを召したご婦人方やスーツに身を包んだ紳士達が、アルコール片手に名刺を交換したり笑いあったりと、優雅な時間を過ごしている。
「ミスター、志紀島(しきじま)。そちらの方は?」
 少し年老いた女性が、僕の友人こと志紀島ポールに問いかけた。
「ボクの友人の……」
 彼の言葉がふと詰まる。当たり前だ。僕から、彼女に手を差し出した。
「ショーンです。ショーン・ブレイン。ジャーナリストと芸術に関する評論家をしています。名は売れていませんがね」
「まぁ」
 彼女が笑いながら声を上げた。
 自己紹介ほど面倒なものはない。あらかじめ用意しておいた偽名と、存在しない会社名の入った名刺を差し出した。
「以後、お見知りおきを」
 一礼して去る彼女を見送り、ポールが「少し、いいですか?」と、僕を呼んだ。
「構わないよ。男とパーティを抜けるなんて、異様な光景ではあるけどね」
僕の皮肉に、彼はニッコリ微笑んだ。
 案内されて入ったのは、一番奥に位置する狭い部屋だった。窓には遮光カーテンが引かれ、完全な暗室と化している。部屋の真ん中に映写機らしきものが置かれ、壁にはスクリーンが取り付けられている。
 部屋に入ると、ポールは入り口にしっかりと鍵を掛けた。
「相変わらず察しが良いですね、織之(しきの)君。さぁ、ビジネスの話をしましょうか。〝VIVACE〟としてなら、名が売れているでしょう?」
 意地が悪い。
「そう。怪盗、暗殺、強盗、恐喝、詐欺。クライアント様の為ならなんでもやるVIVACEに、何の用ですか?」
 僕は自慢の金髪をかき上げた。
 ポールが映写機を起動させると、スクリーンに赤い宝石が映し出される。
「織之君、見覚えがおありでしょ?」
 因みに、織之とは、普段仕様のコードネームだ。
「あぁ、三日前にクライアント様に頼まれて美術館から盗んだやつだよ。それが?」
 彼は苦笑した。
「実はこの宝石、一つではなかったんです」
 町外れの冴えない美術館に突如展示された赤い宝石、名を〝聖火石〟と言った。酷く澄んだ赤をしているがルビーではなく、ましてやビジョンブラッドより遥かに美しい。大きさは赤ちゃんの拳程あり、時価1000万ドルとも謳われる大粒のダイアだ。
 だが、この美しくも妖艶な魅惑の宝石が、他にも存在するのだと彼は言う。
「まぁ、こちらを見てください」
 ポールが写真を入れ替えると、スクリーンに今度は若い女性が映し出された。
「もう一つの聖火石は彼女が持っています。名を〝ルナ・藤田〟と言います。彼女が、現在建設中の豪華客船ファミユ号の責任者の娘。否、現在は責任者となっていますね」
「ほぅ、あの夏樹・藤田(なつきふじた)の娘か」
「やはり、ご存知でしたか」
「あぁ、大きなニュースだったからね」
 夏樹・藤田、豪華客船ファミユ号の建設責任者であったが、一年程前完成を目前にして不可解な死を遂げている。余りに残忍な殺人事件だったため、かなり大袈裟に騒ぎ立てられていた。
 その半年程後、娘が跡を継ぐとか継がないだとかニュースで流れたが、大した報道にはならなかったようだ。
 だが最近緊急ニュース特報と新聞程度で、近々完成パーティが行われるという情報を目にした覚えがある。
「それが、聖火石とどう関係してるんだ?」
 僕の質問に、彼はそう急ぎなさるなと含み笑いを浮かべた。次に映し出された映像は、完成されたファミユ号の写真。
「夏樹氏の死後、ダイアはそれぞれ二人の子供達に送られたんです。一つは息子のジュン・藤田、もう一つは娘のルナ・藤田。息子なんですが、これがどうにも手に負えないような不良でしてね。ダイアを自分の彼女にあげてしまったんですよ。そして彼女が質に持って行ったんですが、そこから例の美術館に流れ出たようです。ですが、姉の方はこのダイアを肌身離さずもっているみたいですよ。そこで、来週豪華客船ファミユ号の完成披露パーティが行われるわけです」
「なら話は早いじゃないか。要するに招待客に紛れて、もう一つの聖火石を盗ってこればいいんだろ」
 矢継ぎ早に答えた僕の意見を、意外にもポールは否定した。
「いいえ、それはお任せします。目的は他にあるんです」
「え?」
「クライアントの依頼内容が、変わったと言うことです。夏樹氏は、死ぬ少し前にこんな謎を残してるんですよ。『子供達に財産となるべき宝を残す』ってね」
「ダイアの事じゃないのか?」
 普通に考えればそうなる。だが彼は意味深な笑みを浮かべながら言った。
「それが何かを、調べていただきたいんです」
 そのお代は、ルナ藤田嬢の掲げるもう一つの聖火石だという。
 僕がみすみすダイアを手にせず帰ってくるなどとは思っていないようで、加えて言えば美術館の聖火石で飽きたクライアントは、その代償としてダイアを収めろとの意味らしい。
 志紀島ポールは大企業である某貿易会社の若社長である反面、盗品コレクターである。そして、もう一つ裏の顔を持っている。
 現実に飽きたお金持ちを集め、僕に道楽として犯罪をさせ、それを楽しむ商売をしている。これが結構儲かるらしい。
 だから、依頼を行う過程も色々と条件が付けられることがある。派手にやれや、脱獄も見たいや、人を殺すな、等様々だ。時には、個人的な感情もある。なんにせよ、全ては報酬次第だ。
 今回の依頼に関して言えば、目的は夏樹氏の残した財産に限定されるとの事。


*****


 署長に呼ばれた。先日、捕り逃がしたVIVACEの件だと思う。
「はい、ハンリー・コスメイン刑事であります」
 お決まりの敬礼。署長も毎度毎度説教を考えなければならないので、ご苦労な事だと気の毒に思う。
 署長はタバコの灰をとんとん落としながら、背を丸めて力なくぼやいた。
「ICPO(インターポール)の名誉にかけて、なんとかならんもんか。せめて、予告の品だけでも守れればな」
「無理ですよ」
 署長が大きく溜め息を吐いた。
「そんな、即答せんでくれ」
「だって、奴等の手口ときたらそこいらの怪盗やら泥棒やらと違ってずば抜けてますもん。まさに、泥棒界のカリスマですよ。それにあの科学力、一体なんなんですか! ありえないでしょ?? 警察科学捜査部、完全にナメきってますよ」
 説教されるはずが、反対に説教してしまった。
 署長は言う。
「全く、最近の若いモンは」
 若くなければ良かったんだろうか?だが若くなければ若くないで『いい年して』等と言われるのは予想が付く。日本人特有のいい訳だろうと、僕は思っている。
「署長、やれるだけの事はやりますよ」
 このまま話し込んでいても、埒があかないだろう。疲れるだけだ。「頼むよ」との言葉を合図に再び敬礼し、踵を返した。
「あぁ、すまん。忘れるところだった」
 部屋を出ようとドアノブに手をかけたとき、署長に呼び止められた。
「来週、豪華客船ファミユ号の完成披露パーティが行われるんだ。ICPOの代表として呼ばれているんだが、いかんせんそういう社交界的場所は苦手でね。君、藤村君と行ってきてくれんかな」
「は?」
「他の部下達は忙しいというし、頼むよ。これも上司命令だと思って」
「………」
 面倒くさい。面倒くさいが、命令等と言われたら断れるはずもなく。
 VIVACEから予告状が届かないだろうかと、不謹慎にも思ってしまった。


*****


「うさんくさいな、俺は降りる」
 昔からの悪友兼仕事仲間である宇野真(うのま)が、ふんぞり返ったまま仕事を投げる。彼もまたコードネームだ。
「なんだよ!」
 悪態吐いた僕へと、鋭い眼光を向けて尚も言う。
「新しい研究の途中なんだ。夢見る少女の様な、つまらん仕事はしたくねぇ」
 タバコを嫌味な程吹かす姿は、アメコミに出てくるマフィアのボスより悪党染みている。合理主義のイカレ発明科学者、それでいて何事にも貪欲なこの男を動かすのは至難の業だ。
「財宝だとかは置いといて、もう一つのダイアだけでもさ」
「なら、お前一人で充分だろ。一日中海の上なんて、何かあったら簡単に逃げらんねぇぜ。俺はごめんだね」
 ムッとしたまま返す言葉もなく、結局押し黙るしかなかった。
「なになに~♪ 豪華客船?」
 お茶を運んできた宇野真の妻、蓮華(れんか)が突如甲高い声を上げた。彼女もまた仕事仲間であり、コードネームである。妖艶な美女。
「あぁ、こいつが仕事だっつうから断っ……」
「行く行くぅ~! 行きたいわ!! だって、豪華客船パーティなんて滅多に参加できないじゃないの。美味しい料理にデザートに、夜は夜景をバックにディナーでしょ。いいじゃない、ロマンチックで!!」
 夫の台詞を全く無視して、妻は捲くし立てた。
 一呼吸置いてから、宇野真が言う。
「蓮華、船で夜景なら香港で見ただろ」
 頬を膨らませて、蓮華が言う。
「これとそれとは別なの!」
 ふぅっと、溜め息。
「だそうだ、織之」
 意外にも簡単に動いてしまった悪友の心情は、あくまでお遊び。
 計画前に、船と夏樹氏について色々調べてみた。
 ます、豪華客船のイメージは『タイタニック号』だそうだ。確かに馬鹿でかく、イマドキにしては少し古臭いデザインだ。
 中央に位置するホールなんかは大理石や金で装飾され、ロココ調とベルサイユを彷彿させる。また星のようにきらめくシャンデリアもクリスタルと豪勢だ。もちろん食器にも一流ブランドの名が使われている。
 今回招待されている連中もその場に相応しく、政治家だったりハリウッドスターだったり俳優だったり映画監督だったり、それから医者や迷惑にも警察がいたり、あとはなんだかよく知らないが偉そうな人が沢山呼ばれているようだ。
 そして生前、夏樹氏は医者をする傍ら趣味として、十人程の仲間を率いてトレジャー・ハンターをしていたようだ。そう、沈没船の引き上げだ。古い海賊船か何かを引き上げた際に、聖火石を手に入れたんではないかと予想される。
 僕の勝手な想像だけど。
 夏樹氏が医師として、世界で病気や飢えに苦しむ子供達の為に何か出来ないかと建設されたのがこのファミユ号だそうだ。
 この豪華客船の為に支払われたチケット代の利益は全て、子供達の治療費やボランティア、寄付金として差し出されるそうで、参加するだけでも高感度UPってことになる。
 ところが、前にも述べたようにこの船は一旦建設を中断させている。理由は一年程前責任者である夏樹氏が殺害された為だ。
 その殺人事件記事も、改めて引っ張り出してみることにした。
 朝七時、夏樹氏は自ら経営する病院へと家を出た。その二時間程前、彼の携帯電話に公衆電話から着信履歴が残っていた。彼は家を出るとき妙に落ち着きがなく、顔色が悪かったのだという。妻がどうしたのか尋ねると「なんでもない」と答えたそうだ。
 それから三時間後の午前十時頃、病院からの夫が出勤していないという電話を妻が取っている。それを最後に彼は帰宅も出勤もすることがなく、三日後警察へと捜索願が出された。
 一週間、夏樹氏は遺体となって発見された。
 世に言う『バラバラ殺人事件』だった。
 最初の遺体は、警察の発見ではなかった。
 行方不明から一週間後のその日、夏樹氏の病院の入り口に置き去りにされた頭部を始め、彼のディスク上にばら撒かれた船の建設計画書をあさるかのような形に置かれた両腕が発見された。
 続いて手術室では寝台に座る下半身が見つかった。
 食堂の冷蔵庫でも頭部と腕と下半身のない死体が収容されていた。
 そしてファミユ号の建設は中断。
 半年後、娘のルナにより建設計画は再開を果たしたが、事件の方は警察の必死の捜索も虚しく迷宮入りしてしまった。
 それらの事件が、今回の計画となんら関係してくるとは思ってもいない。ただの、好奇心だ。
 豪華客船完成披露パーティ当日、宇野真と二人蓮華に似合わないと爆笑されながらも、パーティ用のタキシードに身を包んで搭乗した。もちろん招待状は巧妙に作りこまれたニセモノだ。
 そこで、意外な人物に遭遇した。僕等のことをいつも追っかけている警察コンビ。まぁ、呑気な奴等だし偶然だろうからそれ程心配することはないだろう。が、油断は禁物だ。
 僕はシャンパンを片手に軽く船内を偵察する。思ったとおり、偽善を顔に貼り付けた著名人や政治家達の顔ぶれが厭味な程目立つ。
 ホールから甲板へ、甲板からホールへと再び戻った時、蓮華が一人の少女と話をしていた。
 彼女は僕に気付くと、長い髪を風になびかせながら小さくウインクを飛ばした。
「やぁ、カレン。そちらのお嬢さんは?」
 蓮華の偽名だ。
「はぁい、ショーン。こちら、今回の主役、ルナ・藤田さんよ」
 僕が右手を差し出すと、細い指先を絡めるようルナが握手を返した。
「ルナ・藤田です。この度はご出席頂き、大変光栄ですわ」
 胸元で、あの赤い宝石が陽光に反射して煌き放つ。
「ショーン・ブレイン。こちらこそ、お招き頂き光栄です。夏樹氏のお嬢様がこんなにも可愛らしい方だったなんて、お父様が生きていたのなら迷わずこの場で婚約を申し込んでいたでしょう」
 僕はお約束にも、ルナ嬢の手の甲へと軽く口付けを交わした。彼女は白い頬を薔薇色に染めながら、はにかんだ様な笑みを浮かべていった。
「まぁ、お上手。カレンさんから、お噂を伺ったばかりですのよ」
「へぇ、どんな?」
 まだ厚塗りした化粧に違和感を覚える程、幼い顔つきの少女だ。彼女がファミユ号の責任者だとは、なんとも重い業務を背負ったものだ。
「女好きだから、気を付けた方がいいって」
 くすくす笑う。
「言ってくれるね」
 呆れて目配せさすが、当の本人ことカレンは知らん顔。
「出来る事なら、夏樹氏に一度お目にかかりたかった」
 続けざま、僕は偽の名刺を取り出した。
「ジャーナリストと芸術の評論家をしています。名は売れていないけれど、ジャーナリストとして、夏樹氏の考えには強く共感を得ていたんだ」
 ルナは差し出された名刺を受け取り、少し寂しそうな表情で「そうですか」とだけ唱えた。
「自分の利益の事を考えない人間なんて、今時珍しいでしょう。ここに来ている連中も自分の株を上げる事が目的だろうし、僕等も例外ではないかもしれない」
「そうは、見えませんね」
「人を見かけで判断するものではないよ」
「まぁ」
 ルナ嬢が不思議そうな表情で首を傾げた。

『皆様、中央のホールへとお集まりくださいませ』

 一通り話し終えた時、丁度船内に放送が流れた。これから代表者によるスピーチと、乾杯が行われるのだという。
「それでは皆様、ごゆっくりと楽しんでいってくださいね」
軽く会釈し、笑顔で去り行くルナ嬢へと軽く手を上げて見送った。
「頑張って」
 ジュンのダイアより価値がありそうだ。ルナのダイアの赤は深く重く、それでいて一回りといかないまでも大きく感じる。
「警告?」
 カレンこと、蓮華が問うた。
「さぁね?」
 不自然な揺れと、エンジンの規則正しい音。それは何の面白みもなく、注意を引くものも何もない。
 船が港を離れてから、約三十分。たっぷり八時間は船の上だ。
「ご武運を、織之。私は存分に、楽しませてもらうわ」
 故に、協力する気はないって訳ね。
 中央のホールでは、銀河系の星の集まりにも似たシャンデリアが、頭上でぎらぎら偉そうに瞬いている。そこでは普段口にすることもできないような高級料理がバイキング形式に並べられ、何人ものウエイトレスがワインやシャンパンの注がれたグラスを乗せたお盆を持って、手ぶらの客へと勧めている。
 そして、一通り客人が集まると、ルナや代表の者達のスピーチが始められた。
 僕は、人目を盗んでホールを出た。携帯にメールが入ったためだった。
『甲板へ来い』
 宇野真からだ。
 そう離れてもいない甲板へでると、いつもの事ながら無愛想な男が一人煙草を吹かしていた。
 彼の黒髪が、風に流れる。
「どこに行ってたんだ?」
 僕は呆れたように、彼へ問うた。
「別に」
 波はそれほど高くもない。ゆっくりと船は揺れ、スカイブルーの綺麗な空とは対照的に灰色をしている。
「調査。何もないんだ。無駄足だったな」
 ぽつんとため息を吐くように言った。こういう奴なんだ。
「まだ可能性は?」
「ないな」
 そんな、気もしていたが。
「ダイアの他、この船自体が財産なんじゃないのか?」
 確かに、傍らではこの船に全財産をつぎ込んだと聞いた。そしたら、財産なんてダイア以外にあるはずもない。船に財産を、か。
 宇野真が続ける。
「彼が行方不明になる日、家を出るときこういい残している。『ずっと子供に父親らしいことをしてやれなかったからね、船が完成したら家族で世界を一周しよう。それから船に財産というべき宝物を隠すつもりなんだ』っと」
 波の音、エンジンの音。そんな中、ロマンを打ち砕く彼の声は、空の音のように思えた。
「製作途中で死んだんだろ。後を継ぐのか? 誰が継ぐ? 継いだところでなんになる? 多分お前の聞いた隠された財産ってのがあるのだとしたら、それはこの船自体のことだろう。莫大な制作費を掛けて造られた豪華客船。もし実際にそれら、財産やら宝やらが別に存在していたとしよう。隠す事が計画のうちに入っていたとしても、夏樹は実行する前に殺された事になる」
「あぁ」
 宇野真の口調が冷たくなる。
「お前はジュンのダイアを持っている。ならルナのダイアを手に入れて、それで終わりだ。わかったな」
 同情も情けも何もない。必要ない、これが僕達の仕事だ。自分達の利益の事だけを考える。
「あぁ、そこまで言われなくても解るよ」
 僕がそう返事を返すと、彼がにやりとしたように見えた。
 ホールに戻るとスピーチも乾杯も終わったようで、しけた面した僕を蓮華が迎えた。
「ねぇ、宇野真は?」
「あ、またどっか行っちゃった」
 その答えに、ふくれ面をしながら彼女が言った。
「こんな素敵なところで愛するワイフを一人っきりにしておくなんて最低ね!」
 何となく苦笑いが零れた。
 舞台近くのルナに目配せした。ルナ、というより、胸元で自己主張する赤い宝石に。
「そろそろ仕事でもしようかな。簡単な仕事だ」
 ぽつんと言った。
「そうでもないわ」
 蓮華が真剣な目で、そう否定した。
「?」
「あの男を見て。」
 彼女が目配せした先には、気難しそうな顔立ちをした白髪の男がいた。細身で、身長は170cm前後といったところだ。動くと、手足が部分的にかくかく動く。あちこちが不自由なようで、少なくとも右足と左腕は作り物らしい。右手に握られた杖が痛々しく見える。
「あの男がなにか?」
「右手の杖だけど、間違いなく銃ね。平然を装った下手な芝居で、ルナ嬢を観察してるように見えるの。気を付けた方がいいわ。夏樹氏殺人事件と、何か関係しているのかも知れないし」
「ハンリー達の仕事だ。僕等には関係ない」
 彼女が皮肉っぽい笑いで僕を見た。
「手柄取らせてあげなさいよ。貴方のおかげで人生棒に振ってるんだから」
「勝手に振ってるだけだろう?」
「そう? 貴方犯罪者には向かないタイプに見えるけど。私の勝手な思い込みかしら、失礼」
 何も言えなくなって、何か苦いものでも口にしたような顔になった。
「彼女が出るわ」
 続いて、男もホールを後にした。
 僕も、その後を追うことにした。

 案の定、男は白々しくもルナの後をつけ、彼女が女子トイレに入ると少し離れた場所で煙草を吹かし始めた。蓮華の言ったとおり、下手な芝居だ。
 ルナがトイレから出てくると、男は偶然を装いながら彼女に話しかけた。
 奇遇にも周りに人はおらず、男の行動がいささか気になる僕は、突き当りの影に隠れたまま足を止めていた。ここから二人の会話は聞こえない。
 仕方なく、宇野真お手製のピアス型拡聴器のスイッチを入れる。拾う音の周波数をこちらで調整し、選択することが出来る言わばスグレモノ。肉体周波数に合わせ設定すると、ルナと男の会話が聞こえてきた。

『夏樹の娘のルナちゃんだよね! こんなに大きくなって…覚えているかい?』
『あら? ごめんなさい、お父様のお友達ですか?』
『そうだよ。一緒に船に乗っていたんだ。そうかい、覚えていないのかい。まぁ、最後にあったときはもっと小さかったから仕方ないけど』
『ごめんなさい! よろしければお父様のこと、色々と聞かせてくださいませんか?』
『よろこんで』

 何気ない会話だ。だが台詞に込められた感情の色が、僕にはほんの少しだけ貪欲さと恨み妬みを持っているように思えた。
 このまま踵を返してホールへ戻るのもいいだろう。しかしその僅かな疑念が、僕にはどうしても引っかかって仕方なかった。
 もう暫く様子を伺うことにした。そこでコンパクト型の鏡を取り出すと、壁向こうの二人の姿をその中に捕らえた。

『ファミユ号の建設が中止と聞いたときは、私もショックだったよ。まさか、娘の君が跡を継ぐとは思っても見なかったけれど、こうして完成されたファミユが見れて、私も心底嬉しいと思うよ』
『私もそう言っていただけて、大変光栄ですわ。亡き父が寝る間も惜しんで、ましてや全財産まで継ぎ込んででも完成させたいと願ったこの船の本当の意味を私も知りたいと思ったんですの。何かこの船について、お父様から伺ってはおりませんか?』

 どういう、意味なのだろう。
 なぜ、この男に聞く。彼女は夏樹氏の残した台詞〝船に財産というべき宝を残す〟を、知らないのであろうか?
 更に会話は続けられる。

『ルナちゃん、君は何も知らないんだね?』
『え?』

 そうルナ嬢が疑問符を上げるのと同時だった。鏡の中でルナ嬢は男に壁へと押さえつけられ、手の平で口を塞がれていた。

『さぁ、ルナの命がどうなっても知らないよ』

 男の眼線はしっかりと、僕の手の中の鏡の中を見つめている。
 オイオイ。

『隠れてないで、さっさと出てくるんだな。国際指名手配犯ナンバー』

 僕は、拡聴器の電源をオフにした。
 ふうっと言う溜め息混じりに鳴らす固い靴音が、廊下全体に嫌味なほど響き渡る。
「僕にはVIVACEなんていう洒落たネーミングがあるのだから、名前で呼んで貰えないかな?」
 男の口元がにやりと歪んだ。
「小ざかしいな」
 向かい合う男と僕。男の手の中で青ざめるルナ嬢は顔面蒼白で固まっていた。
「レディに乱暴は止めて貰いたいね。あんたも一応は紳士なんだろ?」
 男が鼻で哂う。
「いいだろう。ならば、聖火石と交換というのはどうだ?」
「聖火石? 彼女の胸元で光ってるだろう?」
 白々しく吐き捨てた僕の台詞に、男の眉間がぴくりとした。同時に左手でルナ嬢を押さえつけたまま、男が手持ちのステッキの先端を僕に向けた。
「馬鹿にしてるのか?」
「別に」
 と一言、言い終わらないうちに、ステッキから飛び出した銃弾が僕の頬を掠め、背後の壁にめり込んだ。
 パスッ! という音が、情けなくも残酷なまでに聞こえた。玩具のような間の抜けた音であっても、確実に人は殺れるのだから。故に、空気を割る程耳に響く銃声らしい音である方が、死のサウンドとしては相応しいであろうに。
「もう一度言おう。聖火石を、渡してもらおうか?」
 僕は、ポケットに忍ばせていた赤いダイアに手をかけた。ポールから、財宝のヒントになるかも知れないからと渡されていたそれだった。
 徐に取り出すと、聖火石を良く見えるよう男へと真っ直ぐ突き付け言った。
「これの事?」
 男が貪欲に笑いながら、「そうだ」と頷いた。
「じゃぁ、せぇので交換しようか」
 男が頷く。と、同時に左足がゆっくり浮き上がるのが確認できた。
 よぅし。
「せぇの!!」
 なんてことはない、よくある話。よくある掛け声。
 ドン! と、男に背部を蹴飛ばされて、ルナ嬢が僕に向かって飛び込んでくる。それと同時に彼女と入れ違う様に僕の投げつけた聖火石が宙を駆け抜け、ルナ嬢の影越し銃を構えた男の顔面に直撃した。
「ぶっ!」
 等と声にならない音が男の口から洩れるのと同時、反射的にステッキから飛び出した銃弾が天井のライトを直撃した。
「きゃぁ!!」
 ルナ嬢の悲鳴とライトの割れる音が被ると同時に、今度は銃声らしい銃声が廊下を伝って船全体に響き渡った。
「いやぁぁ!!」
 再びルナ嬢が悲鳴を上げたかと思うと、すぐさま彼女は意識を飛ばしてその場に崩れ落ちた。
 僕の手の中には、硝煙の立ち昇る銃が一丁。
 それを何食わぬ顔で懐へしまうと、ルナ嬢の胸元で光る聖火石と、床に転がる聖火石の二つを自分のポケットの中へ落とした。
 丁度、駆けつけてくる複数の足音が聞こえた為、ルナ嬢をそのままにその場を立ち去るしかなかった。
「ごめん」


*****


「何やってんだよ」
 ホールに戻って早々、待っていた宇野真がぶっきらぼうにそう問うた。横で白けた顔して立ち尽くす蓮華が、僕を指差し言う。
「織之、頬」
 この二人に心配しようという、優しい気遣いはないのだろうか。
 僕はハンカチを取り出し、頬へと真横に引かれた真っ赤な傷口を押さえた。
「問題を起こすな。大騒ぎだ」
 ここは禁煙だ。お前も充分問題児だと言いたいがそこをあえて飲み込んで、アニメの悪役よろしくタバコを吹かす宇野真から目を逸らした。
「ところで、例のモノは?」
 蓮華のルージュを引いた唇が、そう動く。
「あぁ、しっかりと」
 にやりとした。
 激しく響き渡る無数の足音と、時折混じる悲痛の叫び。それから、警察の怒鳴り声にも近い警告。殺人犯だの強盗だの、パニックと化した船内で、僕も続いてタバコに火をつけた。禁煙です等と、この状況で注意する者なんていないだろう。
 ふうっと紫煙を吹き出すと同時、背後から男の声がした。
「君達は、怖くないのかい?」
 青ざめたセレブな乗客だ。
「残念ながら、盗まれるモノなんて持ってないから」
 苦笑を返した。
 僕は、ポケットから見えない様にルナ嬢の聖火石を取り出した。
 ルナ嬢の聖火石は前にも述べたようブローチと加工されており、石の周りを縁取るよう繊細な銀細工が透かし調に施されている。また銀細工の部分部分に加えられた明度の影がブローチをクラシックに見せ、大粒ダイアを嫌味にしない。
 ブローチを親指でぐいぐいと探るように弄っていたら、蓮華が気になることを口にした。
「不思議な細工よね、蔓でも花でも、ましてや紋章でもないでしょうに」
「何が?」
「ほら、細工の模様よ。普通は何かをイメージしてデザインされてるじゃない。このブローチのデザインって、石を一周する間の統一性はないし、芸術性がないと思わない?」
 最後に彼女は、嫌なデザインだと付け加えた。
 確かに、良く見ればバランスのないデザインだ。素人が手がけた柄なんだろうが、無理に明暗を付けてデザインらしく見せかけているように思えなくもない。だが、誰もがこの細工には微塵たりとも目を向けずダイアに意識を奪われること必至。だからこそ、これはこれで許されているんだろうとも思う。
「蓮華、別に石だけ外して加工し直すことだって出来るわけだし。特に気にする必要はないだろう」
「女はね、細部のデザインだって気にするの」
 ふいっと背を向けた美女の艶やかな髪が揺れた。
「俺にも見せろよ」
 タバコを吹かし終わった無愛想な男が、横から奪うようにして受け取った。
 そして、言う。
「このデザイン、文字に見えなくないか?」


*****


 デザイン化されたフランス語。しかも、ブローチを裏から見て初めて解読出来た。気付きそうで気付かない、解りやすそうで解りにくい。
 〝deuxunseputangle〟と、時計回りに読み取れた。〝deux un seput angle〟、〝2 1 7 角〟となる。
 僕らは船室〝217〟号に足を運んだ。
 217号室のドアをカード型スキャンでロック解除した。入り口を開けると、何処と変わらぬ2等室の客間だった。がらんとしていて、ベッドとテーブルとクローゼットがあるだけの。
「角に何か仕掛けがあるかも」
 解ってると言わんばかりに、僕を無視してそれぞれが動き始める。
 直ぐに手応えを見つけた。
 普通、船では揺れに備えて壁や床に家具がしっかりと固定されているのだが、クローゼットに限り、10センチほど簡単に移動できるようスライド式の溝に取り付けられた固定だった。それは、力のない女、子供でも簡単に動かせるだろう。
 更にクローゼットの下になっていた床の角っこを叩いてみると、小さな収容スペースになっているのか軽い感触が感じられた。迷わずカーペットをめくり上げ端の隙間に手を掛けると、その部分が三角形に簡単に外れた。
「なんだこれ?」
 思わず口を付いて出た言葉に、宇野真と蓮華も駆けつける。そして眉間に皴を寄せ合いながら、お互い顔を見合わせた。
 そこには、茶色く痛んだ封筒が一つあっただけ。
 手に取ると封書の口は糊付けされておらず、重みに耐えかねたのか中に入っていた金色のネックレスが零れ落ちた。床に落下した衝撃で、ロケットとなっていた蓋が開き音楽が流れ始める。
 五百円玉二枚を縦に並べた程度の大きさで楕円型をしたそれは、背部に小さなぜんまいが取り付けられていて、オルゴールが内蔵されているようだ。内側に貼り付けられた写真は、いつかの家族写真。多分、夏樹氏と奥さんとルナ嬢とジュン氏。妬みたくなるくらいに幸せそう。
 そして、封筒の中には一枚のメッセージカード。

〝私の、愛すべき子供たちへ。 さぁ、どちらが先に、この宝探しゲームをクリアすることが出来たのかな? 少し子供染みたサプライズだと二人は笑うかも知れないけれど、お父さんにとってはルナもジュンも、いつまでも可愛い子供達であると解って欲しい。二人合わせてこの謎を解いたとき、何故お父さんがこの船に『ファミユ』と名付けたのか理解できるだろう。お父さんはトレジャーハンティングと仕事に夢中だったけれど、それは『家族』と言う帰る場所があったからなんだ。綺麗事にしか聞こえないだろうけど、いつだってお母さんとルナとジュンの事を忘れたことがないんだよ。そしていつの日かこの船で、お父さんの愛した船で、家族だけを見て世界を何周もし続けるのが夢なんだ。何にも変えがたい財産と言うべき宝が家族だからこそ、ダイアに謎を託したのだ。だから、どうかいつまでも幸せで。お父さんの、可愛い大切な子供達でいておくれ。 最愛の娘ルナと最愛の息子ジュンの父より〟

 僕はメッセージカードとネックレスを、茶けた封筒にしまい直した。
 僕にとって価値はなく、そして何より重い〝宝〟だ。
「これは、ルナに届けよう。ダイアのお礼に」
 医務室のベッドで寝息を立てるルナ嬢は、鎮静剤でも打たれているのか不思議なくらい穏やかな表情だった。
 人が死ぬのを目の前で見たんだ。このまま、眠っていた方がいいと思う。
 僕は眠る彼女の脇に、夏樹氏の封筒を置いた。
 きっとルナ嬢にとって、ダイアも色褪せてしまうくらい、何よりも大切な宝物となるに違いない。


*****


 あれから、三日後。新聞にファミユ号での事件が大きく取り上げられていた。内容はこうだ。

 『ファミユ号で殺害された加藤氏の遺体は、拳銃を不法所持していた。遺体の所持する銃弾が、一年前の事件で殺害された夏樹・藤田氏の遺体から検出されたものと一致した。そして、迷宮入りとなっていたはずの、藤田氏殺害の事件の全貌が明らかになってきた。加藤氏と藤田氏の関係を調べたところ、二人は以前トレジャー・ハンターとして働いていたときの仲間だったようだ。ある沈没船の引き上げに成功した際、赤いダイア『聖火石』が二つ発見された。山分けしようという話になったのだが、どちらのダイアが大きいかで揉め事になり絡みあってるうちに加藤氏は船から転落してしまった。そして、捜索をしたものの加藤氏は見つからず死んだものとしてダイアは二つとも藤田氏の手に渡ったのであった。加藤氏の体を検死したところ驚くことがわかった。加藤氏の肉体の約三分の一が機械の体であったのだ。正にサイボーグとはこのことであろうと警察は言う。一方、加藤氏から発見された銃弾から見て加藤氏殺害はあの悪党グループVIVACEによる犯行であると判明。藤田氏の娘、ルナさんのブローチが盗まれていることから彼等が珍しくも予告なしに盗みに入っていたことがなにやら引っかかるものだという。警察は赤い薔薇の予告状を追うと共に、なお一層彼等の逮捕に力を入れるとの事である。』

 ルナ嬢の赤い石が僕の手の中にある。きらりと光るそれは星のようだ。もしかしたら、血を吸って赤くなったのかもしれない。宝石が美しければ美しいほど、悲しみや憎しみが生まれるのだと思うから。それがまた人を惹きつけ離さない魅力となりえるのだろう。
「ICPO、随分と悔しがっていただろうね」
 笑いながら言う僕に、宇野真が関心なさそうに煙を吐いた。
「あの場にいたのに、姿すら確認してないんだからな。でもまぁ、そんなもんだろ」
 予告状がなかっただけ、幸いとでも言いたいのだろう。
「まぁ、確認されたところで捕まるつもりはないけど」
 自信というより、確信だ。だが、彼はわかっていながら言う。
「凄い自信だな」
 言葉の代わりに、軽く笑いで返した。
 未だ手放せないルナ嬢の聖火石。売らないのなら欲しいと蓮華に言われたけれど、頑として断り自分の背広の胸元に取り付けた。真っ白なスーツに赤い石は良く映える。
「似合うかな?」
 嫌味にしか見えないという宇野真の嫌味を無視して、僕は立ち上がった。
「じゃぁ、また」
 本当に大切なものが宝石やお金なんて寂しいだろうと人は言う。確かに僕もそう思うからこそ、こんな稼業なんだろう。
 無残な最期ではあったけれど、夏樹氏の想いが報われたと信じたい。そして彼が、最後の最後まで美しくもこの悲しい宝石に、心まで奪われなくてよかったと心底思う。
 一人、彼の冥福をこの青い空一杯に祈るばかりだ。
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