閉じられた図書館

関谷俊博

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図書館には食堂もあり、中央にテーブルが据えられていた。
食堂の隅から隅まで伸びた長テーブルには、数々の料理が並べられていたが、そこで食事をするのは、いつもぼく一人。わずかな染みもない純白のテーブルクロスには、燭台が三つ置かれている。
「食後のコーヒーは、いかがですか」
銀色のドリップポットを手に、麗子さんがやってきた。
「ありがとう。いただくよ」
ナプキンで口を拭いた後、ぼくは満ち足りた気分で、穏やかに微笑む。
コーヒーをカップに注ぎ終わるのを待って、ぼくは麗子さんにせがんだ。
「ねえ、今夜もお話を聴かせてよ。いつものように」
「そうですね…」
麗子さんは思案しているようだったが、やがて頷いて、ぼくの隣の席に座った。
「このようなお話は如何でしょうか。夕暮れの影踏み、というお話です。ご主人さまのお気に召すと良いのですが…」
「麗子さんのお話は、いつも素敵だよ」
目を細めて微笑むと、麗子さんは淡々と語り始めた。

「ある日を境に、日本中の子どもたちのあいだに、ある噂が拡がり始めるのです」
麗子さんはそこで一呼吸おいた。
「口伝えだけではなく、電話やインターネットを通じて噂はどんどん拡がりました。大量発生したバッタの大群のように、誰もその噂の勢いを止めることはできなかったのです」
「その噂はどんな噂だったの?」
ぼくはたずねた。ぼくの反応を確かめるように、麗子さんは静かに質問を返した。
「知りたいですか?」
「知りたいよ」
ぼくは頷いた。
「それはとても奇妙な噂でした。時の輪の果つる処、きみたちは影踏みを始める。相手の影を踏んだら生きられる…影を踏まれた者は死ぬ…」
ぼくと麗子さんとの間に沈黙が流れた。ぼくの心を妙に揺さぶる話だった。麗子さんが話している「夕暮れの影踏み」を、ぼくは実際にしたことがあるような、そんな気がしたのだ。
「影踏みは影を踏まれた子が鬼になるんだよね」
ぼくは麗子さんにたずねた。
「そうです。そして鬼が他の子の影を踏めば、その子はもう鬼ではなくなります」
麗子さんは頷いた。
「噂が日本中に拡がったある日、子どもたちは、いっせいに影踏みを始めました。日本中の子どもたちがです。だけど影踏みは終わりません。たとえ一度は鬼になっても、他の子の影を踏めば、もうその子は鬼ではなくなるからです」
心が疼くような不思議な感覚があった。
「陽はどんどん傾いていきます。やがて陽が落ちて、踏む影がなくなっても子どもたちは影踏みをやめることができません」
「終りのない影踏み…」
「そうです…」
僕は想像してみた。夕闇のなかを駆ける子どもたちを。黄昏のなか子どもたちの輪郭はあいまいになる。やがて影は薄れ、闇に溶け込む。
それでも子どもたちは、影ふみをやめることができない。見えるはずのない影を追って、子どもたちは闇のなかを駆けまわる。
「それで…子どもたちは、どうなるの?」
「どうにもなりません」
麗子さんは首をふった。
「子どもたちは、いまでも影踏みを続けているのです」


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