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もうそれは、必要ありませんよね

返すべき恩を返して 2

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「ベルンハルト!」

 アルベルトのことをからかうベルンハルトは真底楽しそうで、リーゼロッテがいつまでも止められずにいると、その名を呼ぶ声が窓の外から飛んできた。

「レティシア?!」

 執務室のバルコニーへ直接乗り込んでくる不躾な訪問。窓から入ってきたクラウスに『非常識だ』と言っていたはずのレティシアも、堂々とそこから入り込んでくる。

「あら。リーゼもここにいたのね」

「えぇ。レティシアもよろしければお茶をどうぞ」

 何事もなかったようにもう一人分のお茶を用意し始めるアルベルトの顔が、心なしか安堵したように見えるのは気のせいではないだろう。

「ありがとう」

 リーゼロッテが空けた席に腰を落ち着けたレティシアが、カップに口をつけるのを見ながら、リーゼロッテは訪問の意図を探ろうとした。
 レティシアが現れるときは大きな出来事の前触れで、今回は何が起きたのだろうかと、心が騒ぎ出す。

「何か、あったのですか?」

 レティシアに向かい合うように、ベルンハルトの隣へそっと腰かけると、目の前に見えるのはレティシアの満足げな顔。これまで散々やきもきさせてしまっていたことに、ほんの少しだけ申し訳なく思う。

「そうよ。ベルンハルト、あれ、貴方の仕業でしょう?」

「あれ? って何ですか?」

「結界よ、結界。リーゼ、知らなかったの?」

「えぇ。何にも」

 レティシアの話が理解できずに、リーゼロッテも一緒になってベルンハルトに視線を向ける。

「レティシアには今回本当に世話になった。私がやれるのはあれぐらいだ」

「あれぐらいって……あんなこと、誰も考えつかないわよ」
 
「ベルンハルト様? 何をなさったのですか?」

「結界を広げた」

 そう話すベルンハルトの顔は平然としていて、まるで何でもないことのように聞こえる。
 だが、実際それをやってのけるには、信じられないぐらいの魔力が必要だろうし、そもそもいつそんなことをしたのかすら、想像がつかない。

「ど、どうやって?」

「魔力石を移し替える時に、少し範囲を広げただけだ。あれは結界を張り替えるのと同義だ。できぬことではない」

「広げたって、どこまでですか?」

「龍の巣の山ごとよ」

「結界は龍の巣のすぐ横だと聞いたからな。少し境界をずらした。特に問題はない。これまで、誰も気にもしていないだろう?」

 誰かに咎められるどころか、レティシア以外に気づかれもしなかったことを、どこか得意げにベルンハルトの口元が弧を描く。

「そ、それは、そうかもしれませんが」

「もしかしたら、魔力の必要量が増えるかもしれないがな。新国王では元の量を知るはずもない。まず気づかれやしない。それに、必要であれば魔力石を融通すると、新国王には進言してある」

 結界を広げ、レティシアへの礼を示すだけではなく、もしかしたらロイスナーの利になるようなことまで。ベルンハルトの根回しの良さに、リーゼロッテは顔を綻ばせた。

「ベルンハルト様。素晴らしいですわ」

「リーゼっ?! こんな勝手なこと、許されるわけがないわ」

「レティシア。これまで隠せてるんです。きっと、隠し通せます。それに、魔力石を譲り渡したわたくし達に、文句は言わせませんよ」

「リーゼまで、そんなこと……」

「余計な世話だったか? 今更元に戻せと言われてもできやしないが」

「余計だなんて……そんなこと、あるはずがないじゃない」

 さっきまで食って掛かっていたレティシアが突然殊勝な表情を見せる。
 リーゼロッテの前ではいつだって自信に満ち溢れた顔を見せるレティシアの、珍しい表情。

「すごく、すごく感謝してるの。それでも、そのせいで二人に迷惑をかけたらって……まさか、こんなことしてもらえるなんて思ってもみなかったから」

「それなら構わないだろう? そのように責められる覚えはないが」

「でも……」

「これで、巣を手放す必要も、其方が黒龍の盾になる必要もないはずだ」

 国の結界は、災厄である黒龍から国を守るためのもの。
 その中にいられさえすれば、レティシアを始めとする龍たちが、黒龍の脅威にさらされることもないだろう。

「私だけじゃない。龍たち皆が感謝してるわ。巣の中では子育てしている龍もいて、逃げ出すにしたってどうしても時間がかかるもの」

「それならよかった。このまま受け取ってくれればいい」

「だからね、これから先も討伐に力を貸すわ。これまでは私の一存だったの。だけど、今後は誰が長になろうとも、ロイスナーの領主に力を貸す。そう、決めてきた」

「それでは、礼にならないではないか」

「いいの。貴方がしてくれたことは、それぐらい価値のあることよ。龍は長生きだし、恩を仇で返すようなことはしないわ。これから先も、私たちを呼んで頂戴」

 龍の長が変わろうとも、ロイスナーの領主がロイエンタール家の者でなくなったとしても、この約束が破られることはない。
 レティシアとの約束は、ロイスナーの地を魔獣から守ることのできる盟約。

「それはありがたい。ロイエンタールでなくとも、力を貸してくれるのであれば、もう何も気に病むことはないな」

 ベルンハルトの言葉は、リーゼロッテの心に小さな棘を刺した。
 どれだけ話をする時間を作っても、寄り添って時を過ごしていても、未だに感じる埋まらない溝。
 二人きりで過ごした王城の客室。あの時間を過ごしてもなお、一人で寝るには大きすぎるベッドでの独り寝の日々は変わらない。

 今後もその関係のままだとしても、『気に病むことはない』と、言いたいのだろうか。
 掴むことのできないベルンハルトの本心。
 その意図がわからぬまま、傷ついた心を隠すようにリーゼロッテが微笑んだ。

(このような真似、得意だもの)
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