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第4部
すりすりして
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ブレンドレルは第二騎士団の用向きで王城に来たついでに、王太子の執務室を訪れていた。
ついでなのだが、ブレンドレルにとってはこっちのほうが重要だった。
いつもなら三日と明けずに第二騎士団に顔を出していたマロシュがここ数日顔を見せないのだ。
用事がある時に限って顔を出さないな、程度にしか思っていなかったのだが、顔を見ない日が続くとさすがに気になったブレンドレルはイクセルを訪ねていた。
王太子の執務室にいるイクセルに取り次いでもらったブレンドレルは、
「あ?」
耳を疑う。
「だから、マロシュなら数日前から調査に行っていて不在だ。長期になるかもしれないんだが、何も聞いていなかったのか?」
「あ、ああ……」
弟のように懐いてくるマロシュは、いつもなら数日かかる調査に行く時には前もって知らせてくれていた。
長期になるかもしれないという今回にかぎって何も告げられなかったことに、ブレンドレルは少なからずショックを受けていた。
会話が聞こえたのか、執務室の入り口で話をしていた2人のもとにシーグフリードがやってきた。
「ブレンドレル、マロシュから何か相談を受けなかったか?」
「マロシュとは前の週の初めから会っていません。私は最近マロシュが顔を出さないので気になって訪ねてきたのですが……」
「ふむ……。実はマロシュには潜入調査に行ってもらっている。危険なことはしないように言っているが、安全とも言い切れない。断ってもいいし、誰かに相談してから決めていいと言ったんだ。ちょうど私に第二騎士団の駐屯地に行く用事があって、その時にマロシュも同行したから、その日に話をしたと思っていたが?」
「いいえ……それは、いつのことですか?」
「前の水の日だ」
「その日なら確か……」
チドとジルが尋ねて来た日ではなかったか?
ブレンドレルは記憶を辿る。
「マロシュと組むようになって何年になる? 相談されるような信頼関係はできていないのか?」
自分でもショックを受けているのに、第三者から指摘をされて、ブレンドレルは苦い気持ちになった。
「私は、できていると思っていました。……マロシュはどこに調査に行ったんですか?」
「マロシュが言わなかったのなら、私が言うわけにはいかないだろう。現地に協力員を置いているから大丈夫だ」
ブレンドレルは不本意そうな顔で執務室に戻るシーグフリードを見送った。
辛い……こんなに人のために尽くしたのに……怖い……どうして蔑んだ目でみるの……悲しい……この世界に1人ぼっち……憎い……どうして……どうして……こんなめに……苦しい……苦しい……
闇の中で誰かが泣いていた。
辛い、と。悲しい、と。泣いていた。
人から向けられる悪意が恐ろしいことを、僕も知っている。たった1人から向けられる憎悪の感情が、身を切り裂くほど痛くて辛くて悲しいことを。
帰りたい……帰れない……辛い……辛い……辛い……
誰かが泣いている。
哀しそうに泣いている。帰れないと泣いている。
誰? 僕?
僕も帰りたい……?
母さん、ナオのお熱高い?
そうなの。薫瑠は梛央のお部屋にはいっちゃだめよ。移るかもしれないから。
はぁい。ナオ、早く治ってね。治ったら一緒に遊んであげるね。
琉歌、梛央の具合は?
風邪だと思うんだけど、熱が高くて。水分もあまりとってくれなくて。
君も休みなさい。かわりに私がついているよ。
ありがとう、あなた。でも、私もここにいるわ。熱痙攣を起こすといけないから。
近くで話し声がする。
懐かしい声。
目を開けたい。懐かしい人たちの顔を見たい。でもどうしても瞼が持ち上がらなかった。
母さん、体が熱いよ……。
冷たいものが食べたい……。
母さん、りんごすりすりして……。
前に熱が高い時に作ってくれた、冷たくて喉に気持ちいいやつ……。
「ナオの様子は?」
数日の休みを与えられたヴァレリラルドは、渋々ながらもテュコから朝と晩の2回のお見舞いの許可を取り付けて、アシェルナオの部屋を訪れていた。
シーグフリードは王城に出かけていて不在だが、寝台の近くの長椅子でオリヴェルとパウラが心配そうにアシェルナオを見守っていた。
「お薬は飲ませましたが、まだ熱が高いんです。あとでフォルシウスが来てくれるそうです」
パウラはヴァレリラルドに寝台に近い席を譲る。
ヴァレリラルドは椅子に座りながら、昨晩と同じく熱が高いことが一目でわかる赤らんだ顔で目を閉じているアシェルナオを見た。
「テュコ、ナオは何か口にしているのか?」
寝台の近くに控えているテュコに目線を向けると、少し生気のない顔でアシェルナオの侍従は首を振る。
「お薬を飲ませる時に少しだけ水を口にされましたが、それ以外は受け付けてもらえないんです」
「ヴィンケル大臣の三男に暴言を吐かれて、怪我をさせられたと聞きました。アシェルナオは自ら進んで浄化に向かっていたのに、なぜこんな目に遭わなければいけないのです」
オリヴェルの口調は抑えられていたが、それでも行き場のないやるせない怒りが見えるものだった。
「あなた、浄化に行ったのはアシェルナオの意志です。ヴィンケル元大臣は、きっと罪に応じた罰が与えられます。私たちはアシェルナオを愛情深く支えるだけですわ」
可愛い子供が熱に苦しんでいることに胸を痛めながら、パウラは気丈に夫を宥めた。
「ナオ。私もテュコも、ナオの父様も母様もここにいるよ」
ヴァレリラルドは汗の浮かぶアシェルナオの額に手を当てる。
「……て……」
アシェルナオの唇から言葉が発せられた。
「ナオ? 何かほしいものはある? 辛いだろうけど、水分は取らなきゃだめだよ」
「かあさ……すりすり……して……」
「アシェルナオ、何? すりすり? 何をすりすりしてほしいの?」
パウラが身を乗り出してアシェルナオを覗き込む。
「りん……つめたい……すりすり……」
ほろり、とアシェルナオの目じりから涙が落ちる。
アシェルナオのために何かしてあげたいと思う人々だったが、熱にうかされて眠っているアシェルナオの言いたいことはわからなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※
感想、エール、いいね、ありがとうございます。
風邪が治りきっていないのに、外せない用事で海辺の街に来ています。
半端なく冷たい強風に凍える。死ぬ。
ついでなのだが、ブレンドレルにとってはこっちのほうが重要だった。
いつもなら三日と明けずに第二騎士団に顔を出していたマロシュがここ数日顔を見せないのだ。
用事がある時に限って顔を出さないな、程度にしか思っていなかったのだが、顔を見ない日が続くとさすがに気になったブレンドレルはイクセルを訪ねていた。
王太子の執務室にいるイクセルに取り次いでもらったブレンドレルは、
「あ?」
耳を疑う。
「だから、マロシュなら数日前から調査に行っていて不在だ。長期になるかもしれないんだが、何も聞いていなかったのか?」
「あ、ああ……」
弟のように懐いてくるマロシュは、いつもなら数日かかる調査に行く時には前もって知らせてくれていた。
長期になるかもしれないという今回にかぎって何も告げられなかったことに、ブレンドレルは少なからずショックを受けていた。
会話が聞こえたのか、執務室の入り口で話をしていた2人のもとにシーグフリードがやってきた。
「ブレンドレル、マロシュから何か相談を受けなかったか?」
「マロシュとは前の週の初めから会っていません。私は最近マロシュが顔を出さないので気になって訪ねてきたのですが……」
「ふむ……。実はマロシュには潜入調査に行ってもらっている。危険なことはしないように言っているが、安全とも言い切れない。断ってもいいし、誰かに相談してから決めていいと言ったんだ。ちょうど私に第二騎士団の駐屯地に行く用事があって、その時にマロシュも同行したから、その日に話をしたと思っていたが?」
「いいえ……それは、いつのことですか?」
「前の水の日だ」
「その日なら確か……」
チドとジルが尋ねて来た日ではなかったか?
ブレンドレルは記憶を辿る。
「マロシュと組むようになって何年になる? 相談されるような信頼関係はできていないのか?」
自分でもショックを受けているのに、第三者から指摘をされて、ブレンドレルは苦い気持ちになった。
「私は、できていると思っていました。……マロシュはどこに調査に行ったんですか?」
「マロシュが言わなかったのなら、私が言うわけにはいかないだろう。現地に協力員を置いているから大丈夫だ」
ブレンドレルは不本意そうな顔で執務室に戻るシーグフリードを見送った。
辛い……こんなに人のために尽くしたのに……怖い……どうして蔑んだ目でみるの……悲しい……この世界に1人ぼっち……憎い……どうして……どうして……こんなめに……苦しい……苦しい……
闇の中で誰かが泣いていた。
辛い、と。悲しい、と。泣いていた。
人から向けられる悪意が恐ろしいことを、僕も知っている。たった1人から向けられる憎悪の感情が、身を切り裂くほど痛くて辛くて悲しいことを。
帰りたい……帰れない……辛い……辛い……辛い……
誰かが泣いている。
哀しそうに泣いている。帰れないと泣いている。
誰? 僕?
僕も帰りたい……?
母さん、ナオのお熱高い?
そうなの。薫瑠は梛央のお部屋にはいっちゃだめよ。移るかもしれないから。
はぁい。ナオ、早く治ってね。治ったら一緒に遊んであげるね。
琉歌、梛央の具合は?
風邪だと思うんだけど、熱が高くて。水分もあまりとってくれなくて。
君も休みなさい。かわりに私がついているよ。
ありがとう、あなた。でも、私もここにいるわ。熱痙攣を起こすといけないから。
近くで話し声がする。
懐かしい声。
目を開けたい。懐かしい人たちの顔を見たい。でもどうしても瞼が持ち上がらなかった。
母さん、体が熱いよ……。
冷たいものが食べたい……。
母さん、りんごすりすりして……。
前に熱が高い時に作ってくれた、冷たくて喉に気持ちいいやつ……。
「ナオの様子は?」
数日の休みを与えられたヴァレリラルドは、渋々ながらもテュコから朝と晩の2回のお見舞いの許可を取り付けて、アシェルナオの部屋を訪れていた。
シーグフリードは王城に出かけていて不在だが、寝台の近くの長椅子でオリヴェルとパウラが心配そうにアシェルナオを見守っていた。
「お薬は飲ませましたが、まだ熱が高いんです。あとでフォルシウスが来てくれるそうです」
パウラはヴァレリラルドに寝台に近い席を譲る。
ヴァレリラルドは椅子に座りながら、昨晩と同じく熱が高いことが一目でわかる赤らんだ顔で目を閉じているアシェルナオを見た。
「テュコ、ナオは何か口にしているのか?」
寝台の近くに控えているテュコに目線を向けると、少し生気のない顔でアシェルナオの侍従は首を振る。
「お薬を飲ませる時に少しだけ水を口にされましたが、それ以外は受け付けてもらえないんです」
「ヴィンケル大臣の三男に暴言を吐かれて、怪我をさせられたと聞きました。アシェルナオは自ら進んで浄化に向かっていたのに、なぜこんな目に遭わなければいけないのです」
オリヴェルの口調は抑えられていたが、それでも行き場のないやるせない怒りが見えるものだった。
「あなた、浄化に行ったのはアシェルナオの意志です。ヴィンケル元大臣は、きっと罪に応じた罰が与えられます。私たちはアシェルナオを愛情深く支えるだけですわ」
可愛い子供が熱に苦しんでいることに胸を痛めながら、パウラは気丈に夫を宥めた。
「ナオ。私もテュコも、ナオの父様も母様もここにいるよ」
ヴァレリラルドは汗の浮かぶアシェルナオの額に手を当てる。
「……て……」
アシェルナオの唇から言葉が発せられた。
「ナオ? 何かほしいものはある? 辛いだろうけど、水分は取らなきゃだめだよ」
「かあさ……すりすり……して……」
「アシェルナオ、何? すりすり? 何をすりすりしてほしいの?」
パウラが身を乗り出してアシェルナオを覗き込む。
「りん……つめたい……すりすり……」
ほろり、とアシェルナオの目じりから涙が落ちる。
アシェルナオのために何かしてあげたいと思う人々だったが、熱にうかされて眠っているアシェルナオの言いたいことはわからなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※
感想、エール、いいね、ありがとうございます。
風邪が治りきっていないのに、外せない用事で海辺の街に来ています。
半端なく冷たい強風に凍える。死ぬ。
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