170 / 416
第2部
ぱちぱちするよ
しおりを挟む
「んー」
目が覚めたアシェルナオは、まだ瞳を閉じたまま、いつも横に置いているリングダールに手を伸ばす。
けれどその手は空を切るばかりで、柔らかな毛並みに触れることはなかった。
「ん……かたい……」
いつもはふかふかの枕で眠っているはずなのに頬に触れるのは固いもので、アシェルナオはようやく目を開いて首を上に向ける。
そこにはオルドジフの顔があり、その瞳は心配げに自分を見ていた。
「あれ、ドーさん? どうしているの?」
「ナオ、昨日のことを覚えているかい?」
厳つい顔に似合わず、繊細に問いかけるオルドジフ。
「昨日? んー……お昼ご飯食べて、ここに戻って来て、ルルがテーブルで頭を抱えていて……あれ? それでどうしたんだっけ?」
首を傾げて考えるアシェルナオに、オルドジフはテュコ、フォルシウスと視線を交わす。
「体調を崩して倒れてしまったんですよ。熱が出ていたようです」
一瞬の逡巡のあと、テュコが安心させるような笑みを浮かべて言った。
「熱にうなされているとフォルシウスから聞いて、心配で駆けつけたんだよ」
オルドジフも話をあわせる。
「そうだったんだ。だからドーさんが抱っこしてくれているんだね。ありがとう」
オルドジフにぎゅっと抱き着くアシェルナオに、心底安心して、オルドジフはその小さな体を抱きしめる。
「ナオ様、気分はどうですか?」
フォルシウスがアシェルナオの顔色を覗き込む。見ているだけでも顔色はよくなっていたが、
「痛いところはないよ」
アシェルナオの口からも状況がよいことが伝えられる。
その様子を見て、アイナはオリヴェルとパウラに報告するために寝室出て行き、ドリーンは朝の光を取り込むためにカーテンを開けた。
「それはよかったです。ドリーン、冷たくない果実水を。ナオ様、昨日は熱が出ていましたから、体から水分と体力が奪われています。今日は一日寝台から出てはいけませんよ」
「はーい」
テュコの言いつけを了承するアシェルナオに、
「では少し癒しをかけますね」
そう言うとフォルシウスはアシェルナオの手を握る。
「ドーさん、僕、重くない?」
フォルシウスの手から温かいものが流れてくるのを感じながら、アシェルナオはオルドジフを見上げる。
「前も重くなかったのに、小さくなったナオは重さを感じないくらいだよ」
「そのうちドーさんくらいに大きくなるよ。でも大きくなっても、ドーさんなら抱っこしてくれていいよ」
特別だよ、と笑うアシェルナオが愛しくて、オルドジフは腕の中の小さな体をもう一度ぎゅっ、と抱きしめる。
その周りでみっちー、ぴか、ぐりが嬉しそうに飛び回っていた。
オルドジフとフォルシウスが階下に降りていくと、アイナからの連絡を受けたオリヴェル、パウラ、シーグフリードがホールで待機していた。
「アシェルナオの様子は?」
「顔色もよく、お元気ですよ。ですが、昨日の記憶はないようです」
「記憶がない?」
アシェルナオが元気になっていることは喜ばしかったが、記憶がないというオルドジフの言葉に、オリヴェルは問い返す。
「16歳まで生きた記憶があったとしても、今のナオ様の心と体はまだ10歳です。16歳でなんとか乗り越えられた事は、けれども10歳ではまだ乗り越えられなかったのでしょう。心がナオ様を護るために記憶を消したのだと思われます」
オルドジフの見解に、
「きっとそれはよくないことなのでしょう。けれど、アシェルナオが辛い思いをして心を悩ませるくらいなら、記憶がない状況でも笑っていてくれる方が嬉しいです」
パウラは素直な心情を述べた。
「アシェルナオに会っても?」
シーグフリードの言葉に、フォルシウスが頷く。
「熱が出たことと嘔吐したことで体力が落ちていますが、今日一日休まれれば明日には回復されるでしょう」
「オルドジフもフォルシウスも一晩中アシェルナオについてくれてありがとう」
オリヴェルは2人を労うと、パウラとシーグフリードを連れてアシェルナオの寝室にあがるために階段を上がっていった。
人の出入りを感じてエルとルルがダイニングの扉から姿を見せる。
「ナオ様に何か?」
ホールにいたフォルシウスとオルドジフに、責任を感じているルルが尋ねる。
「ナオ様が目を覚まして、今公爵夫妻たちが2階にあがったところだ」
アシェルナオが目を覚ましたという報告に安堵したルルだが、
「それで、ナオ様の様子は?」
目を覚ましたアシェルナオの様子が気になって、不安そうに口にするルル。
「元気だよ。ただし、ルルに手を挙げられたことは覚えていない」
「え?」
「辛い記憶にまだナオ様は耐えられなかった。だから心が記憶を消したんだ」
オルドジフの説明に、それほどの傷をえぐるようなことをしたのだと、ルルは何気ない自分の行為を後悔した。
何気ないしぐさと思っていたのは自分の甘さで、テュコに叩かれても、サリアンに怒られても、公爵家の信用を失っても、それだけでは許されないことをしたのだ。
「俺……」
「そこまで自分を責めることではない。その原因になったことは君のせいじゃないんだからね。だけど、わかってほしい。ふりだけでも、手をあげるのはだめだ。いいね?」
青い顔で俯くルルにオルドジフが諭す。
「はい……」
ルルが頷くと、
「俺も、肝に銘じます。2人で反省します」
自分の半身のことは我がことだと思っているエルも頷く。
「じゃあ、ここに座って。傷を治してあげるよ」
フォルシウスに促されてホールの椅子に座るルル。
その顔の左半分はまだ腫れていて、内出血が痛々しい痣を作っていた。
「痛かっただろう」
その頬に手を触れながらフォルシウスが言うと、ルルは顔を赤くした。
「水で冷やしてもすぐに温くなるし、なんだかずっと顔がぱちぱちして地味に痛いんです」
「精霊が怒ってるからだ」
ルルの周りに精霊が2体、まとわりつくように飛び回っているのを見てオルドジフが言った。
ソーメルスの砦で、凌辱されかけた梛央の姿を誰にも見せまいと怒りを感じさせていた精霊。その時ほどではないが、ルルにまとわりつく精霊たちからも怒りを感じていた。
ここにアシェルナオがいたならば、ルルの腫れた頬に熱風を吹きかけるひぃと、ルルの顔に小さな石を当て続けているちゃーの姿が見えているはずだった。
目が覚めたアシェルナオは、まだ瞳を閉じたまま、いつも横に置いているリングダールに手を伸ばす。
けれどその手は空を切るばかりで、柔らかな毛並みに触れることはなかった。
「ん……かたい……」
いつもはふかふかの枕で眠っているはずなのに頬に触れるのは固いもので、アシェルナオはようやく目を開いて首を上に向ける。
そこにはオルドジフの顔があり、その瞳は心配げに自分を見ていた。
「あれ、ドーさん? どうしているの?」
「ナオ、昨日のことを覚えているかい?」
厳つい顔に似合わず、繊細に問いかけるオルドジフ。
「昨日? んー……お昼ご飯食べて、ここに戻って来て、ルルがテーブルで頭を抱えていて……あれ? それでどうしたんだっけ?」
首を傾げて考えるアシェルナオに、オルドジフはテュコ、フォルシウスと視線を交わす。
「体調を崩して倒れてしまったんですよ。熱が出ていたようです」
一瞬の逡巡のあと、テュコが安心させるような笑みを浮かべて言った。
「熱にうなされているとフォルシウスから聞いて、心配で駆けつけたんだよ」
オルドジフも話をあわせる。
「そうだったんだ。だからドーさんが抱っこしてくれているんだね。ありがとう」
オルドジフにぎゅっと抱き着くアシェルナオに、心底安心して、オルドジフはその小さな体を抱きしめる。
「ナオ様、気分はどうですか?」
フォルシウスがアシェルナオの顔色を覗き込む。見ているだけでも顔色はよくなっていたが、
「痛いところはないよ」
アシェルナオの口からも状況がよいことが伝えられる。
その様子を見て、アイナはオリヴェルとパウラに報告するために寝室出て行き、ドリーンは朝の光を取り込むためにカーテンを開けた。
「それはよかったです。ドリーン、冷たくない果実水を。ナオ様、昨日は熱が出ていましたから、体から水分と体力が奪われています。今日は一日寝台から出てはいけませんよ」
「はーい」
テュコの言いつけを了承するアシェルナオに、
「では少し癒しをかけますね」
そう言うとフォルシウスはアシェルナオの手を握る。
「ドーさん、僕、重くない?」
フォルシウスの手から温かいものが流れてくるのを感じながら、アシェルナオはオルドジフを見上げる。
「前も重くなかったのに、小さくなったナオは重さを感じないくらいだよ」
「そのうちドーさんくらいに大きくなるよ。でも大きくなっても、ドーさんなら抱っこしてくれていいよ」
特別だよ、と笑うアシェルナオが愛しくて、オルドジフは腕の中の小さな体をもう一度ぎゅっ、と抱きしめる。
その周りでみっちー、ぴか、ぐりが嬉しそうに飛び回っていた。
オルドジフとフォルシウスが階下に降りていくと、アイナからの連絡を受けたオリヴェル、パウラ、シーグフリードがホールで待機していた。
「アシェルナオの様子は?」
「顔色もよく、お元気ですよ。ですが、昨日の記憶はないようです」
「記憶がない?」
アシェルナオが元気になっていることは喜ばしかったが、記憶がないというオルドジフの言葉に、オリヴェルは問い返す。
「16歳まで生きた記憶があったとしても、今のナオ様の心と体はまだ10歳です。16歳でなんとか乗り越えられた事は、けれども10歳ではまだ乗り越えられなかったのでしょう。心がナオ様を護るために記憶を消したのだと思われます」
オルドジフの見解に、
「きっとそれはよくないことなのでしょう。けれど、アシェルナオが辛い思いをして心を悩ませるくらいなら、記憶がない状況でも笑っていてくれる方が嬉しいです」
パウラは素直な心情を述べた。
「アシェルナオに会っても?」
シーグフリードの言葉に、フォルシウスが頷く。
「熱が出たことと嘔吐したことで体力が落ちていますが、今日一日休まれれば明日には回復されるでしょう」
「オルドジフもフォルシウスも一晩中アシェルナオについてくれてありがとう」
オリヴェルは2人を労うと、パウラとシーグフリードを連れてアシェルナオの寝室にあがるために階段を上がっていった。
人の出入りを感じてエルとルルがダイニングの扉から姿を見せる。
「ナオ様に何か?」
ホールにいたフォルシウスとオルドジフに、責任を感じているルルが尋ねる。
「ナオ様が目を覚まして、今公爵夫妻たちが2階にあがったところだ」
アシェルナオが目を覚ましたという報告に安堵したルルだが、
「それで、ナオ様の様子は?」
目を覚ましたアシェルナオの様子が気になって、不安そうに口にするルル。
「元気だよ。ただし、ルルに手を挙げられたことは覚えていない」
「え?」
「辛い記憶にまだナオ様は耐えられなかった。だから心が記憶を消したんだ」
オルドジフの説明に、それほどの傷をえぐるようなことをしたのだと、ルルは何気ない自分の行為を後悔した。
何気ないしぐさと思っていたのは自分の甘さで、テュコに叩かれても、サリアンに怒られても、公爵家の信用を失っても、それだけでは許されないことをしたのだ。
「俺……」
「そこまで自分を責めることではない。その原因になったことは君のせいじゃないんだからね。だけど、わかってほしい。ふりだけでも、手をあげるのはだめだ。いいね?」
青い顔で俯くルルにオルドジフが諭す。
「はい……」
ルルが頷くと、
「俺も、肝に銘じます。2人で反省します」
自分の半身のことは我がことだと思っているエルも頷く。
「じゃあ、ここに座って。傷を治してあげるよ」
フォルシウスに促されてホールの椅子に座るルル。
その顔の左半分はまだ腫れていて、内出血が痛々しい痣を作っていた。
「痛かっただろう」
その頬に手を触れながらフォルシウスが言うと、ルルは顔を赤くした。
「水で冷やしてもすぐに温くなるし、なんだかずっと顔がぱちぱちして地味に痛いんです」
「精霊が怒ってるからだ」
ルルの周りに精霊が2体、まとわりつくように飛び回っているのを見てオルドジフが言った。
ソーメルスの砦で、凌辱されかけた梛央の姿を誰にも見せまいと怒りを感じさせていた精霊。その時ほどではないが、ルルにまとわりつく精霊たちからも怒りを感じていた。
ここにアシェルナオがいたならば、ルルの腫れた頬に熱風を吹きかけるひぃと、ルルの顔に小さな石を当て続けているちゃーの姿が見えているはずだった。
53
お気に入りに追加
947
あなたにおすすめの小説
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 独自設定、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください
わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。
まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!?
悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。
秘匿された第十王子は悪態をつく
なこ
BL
ユーリアス帝国には十人の王子が存在する。
第一、第二、第三と王子が産まれるたびに国は湧いたが、第五、六と続くにつれ存在感は薄れ、第十までくるとその興味関心を得られることはほとんどなくなっていた。
第十王子の姿を知る者はほとんどいない。
後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。
秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。
ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。
少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。
ノアが秘匿される理由。
十人の妃。
ユリウスを知る渡り人のマホ。
二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる