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第1部

今日はもう、だめ

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 午後、梛央は両脇をオルドジフとリングダールの、精神安定セットで固めて来客を待っていた。

 「ね、テュコ、僕痩せて変になってないかな? みすぼらしい姿になっていたらヴァレリラルドが心配するかもしれない」

 もうすぐヴァレリラルドたちが来るかもしれない、というタイミングで、梛央は不安になった。

 「少し痩せた感じはありますが、やつれた感じはありませんよ」

 「ショトラ先生のお薬でお身体も回復していますし、顔色も戻っておいでですよ」

 「昨日清拭のときに髪のお手入れもお肌のお手入れもできましたから、ツヤツヤです。前と変わらずお綺麗ですよ」

 テュコ、アイナ、ドリーンに太鼓判を押してもらった梛央のもとに先触れが届き、マフダルが先に部屋に入ってきた。

 ソファに座る梛央たちを見ると頷いて道を開け、花束を手にしたヴァレリラルドとサミュエル、ケイレブを部屋の中に通す。

 「ナオ……」

 緊張した面持ちで梛央に近づいたヴァレリラルドは、おずおずと花束を梛央に差し出した。

 「綺麗だね」

 立ち上がり、受け取った花束を見て、梛央は微笑んだ。

 その微笑みは魔獣に襲われる前と同じで、だが馬車の中で心を閉ざし、接触されただけで悲鳴をあげた梛央の姿をヴァレリラルドは忘れられなかった。

 「朝、ケイレブと一緒に街に行って買ってきたんだ」

 「花屋に行って、選んでくれたんだね」

 梛央の言葉に、ヴァレリラルドは固い表情で頷く。

 「ありがとう。アイナ、お花を飾ってくれる?」

 「はい」

 アイナに花束を渡すと、梛央は手を伸ばしてヴァレリラルドをハグした。

 「ナオ?」

 「また泣きそうな顔をしている。僕のこと、すごく心配してくれたんだね?」

 「うん……」

 「ヴァルが持ってきてくれた花束、シアンハウスでもらった花束と同じで、とても優しい色合いだった。シアンハウスでヴァルにお花をもらった時のことを思い出したよ。出会ったときから優しくしてくれてありがとう」

 「私は、いつになったらナオを護れるんだろう……」

 「ヴァルは、僕を護りたいんだね」

 「うん。私はナオが好きなんだ。ナオのことは私がずっと護りたい」

 ヴァレリラルドは勇気を出してそう言うと、自分も手を伸ばして梛央を抱きしめた。

 梛央のいい匂いがヴァレリラルドの鼻をくすぐる。

 「ありがとう。僕も大好きだよ」

 梛央の言葉には家族の情愛という意味合いが強くて、ヴァレリラルドの思いとの意味合いとは違ったが、ヴァレリラルドは気にしなかった。

 いつか本当の意味で大好きになってもらうという強い決意があるからだった。

 「殿下、そろそろ私にも挨拶をさせていただけませんか」

 2人のハグを微笑ましく見ていたが、長すぎるハグにしびれを切らしたサミュエルだった。

 「そうだ。サミュエル、久しぶり」

 サミュエルの存在を思い出してヴァレリラルドから離れた梛央は、サミュエルにもハグをした。

 「ナオ様、大変な思いをされたとか。肝を冷やしましたが、お元気そうで安心しましたよ」

 サミュエルもハグを返す。

 シアンハウスを出てそれほど長くは経っていないはずなのに、その体は以前より華奢さが増していた。

 何気なく微笑んでいる梛央が、どんな壮絶な思いをして乗り越えたのかを聞かされているサミュエルは胸が熱くなった。

 「心配かけてごめんね。シアンハウスにいた頃がすごい前に思える」

 「ナオ様は成長されましたね」

 万感の思いをこめてサミュエルは言ったのだが、梛央はちょっとむくれる。

 「テュコに身長を越された。僕の成長期は髪の毛限定なんだ」

 「そういえば髪が伸びましたね。相変わらず綺麗な黒髪です」

 肩に届くくらいに伸びた梛央の黒髪に、サミュエルは目を細める。

 「お風呂はまだ入れないけど、昨日清拭したついでにアイナとドリーンに髪の毛を洗ってもらったんだ。クリーンにはないサラサラがあるよねぇ」

 首を振って、髪がサラサラする感覚を楽しむ梛央。

 「ゴッドハンドですから」

 「今日はご入浴できますよ。楽しみですね」

 アイナとドリーンが両手の指をうごかす。

 「そうだ、サミュエル?」

 「はい?」

 「飛竜に襲われた時、リンちゃんが壊れちゃって。でもドーさんが新しいリンちゃんをくれたんだ。これ、新しいリンちゃん。ちょっとだけなら触ってもいいよ? サミュエル、ぬいぐるみ大好きだもんね?」

 ね?と、可愛く小首をかしげて微笑む梛央はとても可愛かった。が、その言葉は凶悪な武器となってマフダルを襲った。

 片手で腹を抱え、片手で口を押えてうつむくマフダル。

 「え、ええ」

 マフダルと、同じく笑いをこらえているケイレブを苦々しく睨みながら、梛央にはにこやかな笑顔でリングダールを受け取る。

 「いい毛並みですね」

 「うん。僕の国では猫吸いっていう言葉があって、猫の身体に顔をくっつけて息を吸うってことなんだけど、そうすると気持ちが落ち着くんだよ。リンちゃんでも猫吸いできるよ。1回くらいならやってもいいよ?」

 わくわくした顔で見上げてくる梛央に、サミュエルは心を決めた。かつての後輩や部下に笑われようと、悲惨な出来事を克服した梛央の笑顔を守ることが大事だ。

 リングダールのもふもふの毛並みに顔を埋めてすぅーっと息を吸った。

 その姿を見てさらに悶絶するマフダルとケイレブはあとで何か仕返しをするとして、リングダールからはハグした時に嗅いだ、梛央のいい匂いがした。

 「なるほど、落ち着きますね」

 「でしょう? ヴァルも吸ってみる?」

 梛央がヴァレリラルドを猫吸いに誘ってみる。

 「ナオ様、悪い遊びに誘ってるみたいですよ」

 苦笑するサリアン。

 「悪い遊びじゃないよ? 猫吸いだよ? 悪い薬じゃないよ?」

 「じゃあ吸ってみる」

 ヴァレリラルドはサミュエルからリングダールを受け取ると、毛並みにうずめて吸ってみた。

 さっきハグした時の梛央のいい匂いがした。

 「いい匂い……逆に落ち着かないけど、癖になりそう……」

 悪い遊びではないが、ちょっとだけ後ろめたい気持ちになりそうな高揚感があり、ヴァレリラルドは猫吸いならぬリングダール吸い、ならぬ梛央吸いを繰り返す。

 ヴァレリラルドにリングダールを取り上げられる気がして、梛央はリングダールを取り返した。

 「今日はもう、だめ」

 涙目で見つめられて、ヴァレリラルドは胸がキュンキュンした。
 

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