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第1部
……だめ
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「バールス病は、残念ながら簡単には収まりませんでした。それでも愛し子様は泉を浄化し、そこから広がった河川や各地の湖等を浄化し、魔獣を減らす努力をする合間に、病におかされた者たちを少しでも癒そうと努力しました」
「すごい人だったんだね」
同じような状況になった場合、自分にもできるのだろうかと、梛央は不安になった。
「……ええ。精霊に愛されるに然るべき心根の美しい方だったそうです。しかし、あまりにも時期が悪すぎたのです。愛し子様の特徴である黒目黒髪。この王国には見ない髪と瞳の色です。それがとても美しいものだということは一目でわかります。けれど、体に黒い痣の浮かび上がるバールス病に脅えていた人々に黒目黒髪は不吉なものに映りました。愛し子様は言われのない迫害を受けながらも決して浄化の手を止めませんでした」
「迫害……それで、その愛し子は……?」
尋ねながら、梛央は悲しくなっていた。
自分と同じような経緯だとしたら、きっと好きでこの世界にやってきたわけではないはずなのに、いきなり困難な状況を突き付けられたのだ。
それでもそれに向き合って、なお優しさまでみせたのに迫害されるだなんて。それでも頑張っていたなんて。
愛し子の結末は報われるものでなければ納得できないと梛央は思った。
「ある日、愛し子様の姿は消えていました」
言いづらそうに、オルドジフは愛し子の結末を告げる。
「え……消えた?」
どういうことなのか、梛央は理解できなかった。
「途中だった浄化はすべて成され、魔獣の襲撃もおさまりました。バールス病も一応のおさまりはついたのですが、それを献身的に行っていた愛し子様の存在は消失したのです。実は当時の王はご自身がバールス病に罹患するのを恐れて、愛し子様の黒目黒髪を忌避していました。迫害される愛し子様を護ることをしなかったのです。病気、瘴気、魔獣。当面の問題は解消されたものの、愛し子様は消失してしまった。王は、今度はいなくなった愛し子様の影におびえました。愛し子様の存在の痕跡が強く残るエンロートを捨ててロセアンに遷都したのです。愛し子様の出現は明らかにしましたが、精霊の泉や水源の浄化をなさり、人々に精霊の加護をもたらした、という曖昧な伝承にしました。バールス病はのちに流行ったことにし、黒目黒髪を不吉なものと忌避した王の愚かな行為はなかったことにしました」
「エレクが言っていた。愛し子の伝承は残っているけど、王国民のほとんどはそれをお伽話としてとらえていて、王家に残る愛し子の文献は詳しい記述はない、って……。詳しい記述がないんじゃなくて、記述をしなかったんだね……。ドーさん、悲しい。僕、悲しい……」
愛し子のことを思うと、梛央は悲しいを越えて辛いと感じた。いたたまれなかった。
「精霊神殿の者たちは病や魔獣から愛し子様を護り、浄化の補佐しましたが、それでも愛し子様の心を護り切れなかったという後悔を、ずっと持ち続けています。精霊神殿でも愛し子様のなさったことの詳細を記録することは禁じられましたが、我がフリードリーンの家系は精霊を近くに感じることができるため、私のように精霊神殿に勤める者も多く、当時もやはり精霊神殿に勤める者がおりました。その者たちは非公式の手記として残して、今も代々受け継がれています」
「やりきれないな」
サリアンが呟く。
「時々、エンロートやその周辺で悲しみに深く囚われてしまう者がいます。エンロートには、当時の愛し子様の悲しみが今も残っている気がします」
「ドーさん、愛し子は消えてどうなったの?」
「わかりません。ある日、消えてしまった。手記にはそうありました」
「僕も、いつか消えるのかな……」
不遇な愛し子に問いかけるように、自分に問いかけるように、梛央が呟く。
「消えません。ナオ様は前の愛し子様とは違います。ここにはナオ様を迫害する者もいませんし、国王陛下はナオ様を忌避しません。みなが愛し子様として敬愛しています。何があっても私たちがナオ様を護って、決して消させませんから」
怖いくらい思い詰めた顔でテュコが言った。
「ナオ様。怖い思いをさせるつもりはなかったのです。本来の愛し子様とは、精霊に愛され、王国民に愛される存在なのです。前の愛し子様の状況があまりにも可哀そうすぎました。精霊神殿はこの200年ずっと、愛し子様への後悔を引きずっていたと言っても過言ではありません。愛し子様が、ナオ様がご出現したと聞き、ナオ様には前の愛し子様の悲しみを知っていただきたかった。そして、精霊神殿の者たちは二度と愛し子様をお辛い目には遭わせない。その決意を知ってほしかったのです」
オルドジフの言葉に、それでも梛央の心は晴れなかった。
「僕は、愛し子かもしれないけど、秋葉梛央なんだ。みんなは僕のことをナオって呼んでくれてる。これからもそう呼んでほしい。ずっとあとの時代になっても愛し子様じゃなくて、ナオって名前が残っていてほしい。前の愛し子様って呼ばれているのを聞くと、一人の人間として扱われていなかったんじゃないかって思えて、悲しい」
「そうですね。愛し子様ではなく一人の人間です。一人の人間が、泉を浄化し、病に倒れる人々に手を差し伸べようとしていた……。ナオ様。精霊神殿はナオ様を全面的に受け入れ、お支えすることを誓います。けれども私は精霊神殿長補佐としてではなく一個人としてあなた様に忠誠を誓います。私も決してナオ様を消失させたりはしません」
「……だめ」
悲しすぎて不機嫌な口調になる梛央。
「だめ、ですか……?」
「ドーさんは、ドーさんだから。忠誠とか、だめだから。ナオ様じゃなくて、ナオだから」
怒った顔で拗ねる梛央に、
「わかった、ナオ。ですが人前ではナオ様でお願いします」
さらに困った顔でオルドジフは言った。
「うん」
それはオルドジフが照れている証拠で、梛央の心は少し癒された。
「すごい人だったんだね」
同じような状況になった場合、自分にもできるのだろうかと、梛央は不安になった。
「……ええ。精霊に愛されるに然るべき心根の美しい方だったそうです。しかし、あまりにも時期が悪すぎたのです。愛し子様の特徴である黒目黒髪。この王国には見ない髪と瞳の色です。それがとても美しいものだということは一目でわかります。けれど、体に黒い痣の浮かび上がるバールス病に脅えていた人々に黒目黒髪は不吉なものに映りました。愛し子様は言われのない迫害を受けながらも決して浄化の手を止めませんでした」
「迫害……それで、その愛し子は……?」
尋ねながら、梛央は悲しくなっていた。
自分と同じような経緯だとしたら、きっと好きでこの世界にやってきたわけではないはずなのに、いきなり困難な状況を突き付けられたのだ。
それでもそれに向き合って、なお優しさまでみせたのに迫害されるだなんて。それでも頑張っていたなんて。
愛し子の結末は報われるものでなければ納得できないと梛央は思った。
「ある日、愛し子様の姿は消えていました」
言いづらそうに、オルドジフは愛し子の結末を告げる。
「え……消えた?」
どういうことなのか、梛央は理解できなかった。
「途中だった浄化はすべて成され、魔獣の襲撃もおさまりました。バールス病も一応のおさまりはついたのですが、それを献身的に行っていた愛し子様の存在は消失したのです。実は当時の王はご自身がバールス病に罹患するのを恐れて、愛し子様の黒目黒髪を忌避していました。迫害される愛し子様を護ることをしなかったのです。病気、瘴気、魔獣。当面の問題は解消されたものの、愛し子様は消失してしまった。王は、今度はいなくなった愛し子様の影におびえました。愛し子様の存在の痕跡が強く残るエンロートを捨ててロセアンに遷都したのです。愛し子様の出現は明らかにしましたが、精霊の泉や水源の浄化をなさり、人々に精霊の加護をもたらした、という曖昧な伝承にしました。バールス病はのちに流行ったことにし、黒目黒髪を不吉なものと忌避した王の愚かな行為はなかったことにしました」
「エレクが言っていた。愛し子の伝承は残っているけど、王国民のほとんどはそれをお伽話としてとらえていて、王家に残る愛し子の文献は詳しい記述はない、って……。詳しい記述がないんじゃなくて、記述をしなかったんだね……。ドーさん、悲しい。僕、悲しい……」
愛し子のことを思うと、梛央は悲しいを越えて辛いと感じた。いたたまれなかった。
「精霊神殿の者たちは病や魔獣から愛し子様を護り、浄化の補佐しましたが、それでも愛し子様の心を護り切れなかったという後悔を、ずっと持ち続けています。精霊神殿でも愛し子様のなさったことの詳細を記録することは禁じられましたが、我がフリードリーンの家系は精霊を近くに感じることができるため、私のように精霊神殿に勤める者も多く、当時もやはり精霊神殿に勤める者がおりました。その者たちは非公式の手記として残して、今も代々受け継がれています」
「やりきれないな」
サリアンが呟く。
「時々、エンロートやその周辺で悲しみに深く囚われてしまう者がいます。エンロートには、当時の愛し子様の悲しみが今も残っている気がします」
「ドーさん、愛し子は消えてどうなったの?」
「わかりません。ある日、消えてしまった。手記にはそうありました」
「僕も、いつか消えるのかな……」
不遇な愛し子に問いかけるように、自分に問いかけるように、梛央が呟く。
「消えません。ナオ様は前の愛し子様とは違います。ここにはナオ様を迫害する者もいませんし、国王陛下はナオ様を忌避しません。みなが愛し子様として敬愛しています。何があっても私たちがナオ様を護って、決して消させませんから」
怖いくらい思い詰めた顔でテュコが言った。
「ナオ様。怖い思いをさせるつもりはなかったのです。本来の愛し子様とは、精霊に愛され、王国民に愛される存在なのです。前の愛し子様の状況があまりにも可哀そうすぎました。精霊神殿はこの200年ずっと、愛し子様への後悔を引きずっていたと言っても過言ではありません。愛し子様が、ナオ様がご出現したと聞き、ナオ様には前の愛し子様の悲しみを知っていただきたかった。そして、精霊神殿の者たちは二度と愛し子様をお辛い目には遭わせない。その決意を知ってほしかったのです」
オルドジフの言葉に、それでも梛央の心は晴れなかった。
「僕は、愛し子かもしれないけど、秋葉梛央なんだ。みんなは僕のことをナオって呼んでくれてる。これからもそう呼んでほしい。ずっとあとの時代になっても愛し子様じゃなくて、ナオって名前が残っていてほしい。前の愛し子様って呼ばれているのを聞くと、一人の人間として扱われていなかったんじゃないかって思えて、悲しい」
「そうですね。愛し子様ではなく一人の人間です。一人の人間が、泉を浄化し、病に倒れる人々に手を差し伸べようとしていた……。ナオ様。精霊神殿はナオ様を全面的に受け入れ、お支えすることを誓います。けれども私は精霊神殿長補佐としてではなく一個人としてあなた様に忠誠を誓います。私も決してナオ様を消失させたりはしません」
「……だめ」
悲しすぎて不機嫌な口調になる梛央。
「だめ、ですか……?」
「ドーさんは、ドーさんだから。忠誠とか、だめだから。ナオ様じゃなくて、ナオだから」
怒った顔で拗ねる梛央に、
「わかった、ナオ。ですが人前ではナオ様でお願いします」
さらに困った顔でオルドジフは言った。
「うん」
それはオルドジフが照れている証拠で、梛央の心は少し癒された。
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