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第1部
何、そのもったいないお化け的なやつ
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シモン・ロヴネルはロヴネル侯爵家の三男として生を受けた。
世襲制の貴族にとって嫡男は次代の当主。次男は嫡男に何かあった時のスペア。三男以降は自分で身を立てていくしかない。
シモンは小さい頃からそう言われて育ったため、王立学園に入学前から家庭教師について真面目に勉強し、王立学園では上位の成績をおさめながら侍従としての教育も受け、卒業と同時に正式に王太子付きの侍従に選定されていた。
侍従としてはエリートだと、シモンは思っている。エリートになるべく努力をしたがための当然の結果だとも思っている。
だが上の兄2人は労せずに嫡男やそれに準ずる立場にあるため、努力してきたシモンをばかにしているきらいがあった。
父であるロヴネル侯爵もシモンのことは眼中になかったが、王太子付きの侍従になったのは一定の評価をしていた。だが兄たちは主に仕える立場になったシモンをさらに軽んじていた。
兄たちを見返すためには王城での立場を強めなければならない。それには国王の信頼を得るしかない。それには王太子であるヴァレリラルドを立派な人間に育てあげなければならない。
私が王太子殿下をお守りする。私が王太子殿下に害を与えるものを排除する。私が……。
ここ最近のシモンは黒い感情に囚われることが多くなっていた。気が付いたら自分が何かをしていた、という妙な感覚があった。だが実際に何をしていたのか、はっきり覚えていないのだ。
シアンハウスに休養に行くヴァレリラルドに同行したシモンは、精霊の愛し子だという少年が現れてからまた、黒い感情が動き出すのを感じていた。
その感情を律することができないまま行動した結果、シモンは実家である侯爵家に戻され、自室に謹慎という名目の軟禁状態にあった。
なぜこんなことになったのか。
愛し子だというが、だからといって王太子殿下の手間を取らせるなどもってのほかではないか。王太子殿下の。王太子殿下の。王太子……殿下の……。
考えるほど思考は暗く混沌の中に落ちていく。
シモンの部屋のドアが開いた。
そこにはシモンが部屋を出ないように警備する騎士が立っているはずだったが、誰もいなかった。
シモンは何かに導かれるように部屋を出て行った。
「うーん」
食卓についた梛央は、並べられた朝食を見て唸っていた。
昨日までは体調にあわせた内容と量ということだったが、今日の朝食は食事用のマフィンにポーチドエッグ、ベーコン、サラダ、フルーツ、フルーツジュース。それにいつもはないステーキ肉と付け合わせのポテトが加わっていた。
「食べさせましょうか?」
笑顔のテュコに、梛央は首を振る。
「あーん、も、朝からステーキも、いりません」
梛央とて育ち盛りのお年頃。決して肉は嫌いではない。
嫌いではないが、朝からステーキは無理だった。
目覚めたばかりの胃が、ステーキの匂いで防御の態勢に入って縮こまっているのがわかる梛央だった。
「では一旦こっちに置いておきますね。ほかのものは大丈夫ですか?」
「うん。ありがとうテュコ」
「本当は肉も食べてほしいんですよ?」
「お昼か夜に少しならいいよ。量が多すぎるんだよ」
「ヴァレリラルド様は召し上がってますよ。体を大きくするのには食事は大切ですから」
それを言われると、これ以上ヴァレリラルドが差を詰めてくるのは避けたいところだが、それでも無理なものは無理だった。
「大きくならなくてもいい、とは言えないところがつらい」
大きくなりたいが、朝から肉は勘弁してほしい。そう思う梛央。
そこにサミュエルが静かに入って来た。
元第一騎士団騎士団長は、今はシアンハウスの家令として隙のない所作を身に着けている。
そのサミュエルが食卓の前で綺麗に一礼をすると梛央の、リングダールのいない方の隣に座り、ナイフとフォークで肉を一口サイズに切り分けると、流れるような所作で梛央の口元に差し出す。
梛央は咄嗟にテュコを見た。
テュコは目を逸らした。
梛央はアイナを見た。
申し訳ありません、と口を動かして、アイナは頭を下げた。
梛央はドリーンを見た。
ドリーンはしっかりと頷いた。
味方はいない。
覚悟を決めて梛央は口を開ける。
そこに入れられた肉を咀嚼して、飲み込む。
見かけに反して柔らかい肉質でさっぱりとした味だった。
「思ったよりいけますでしょう?」
サミュエルに言われ、うん、と梛央は頷く。
「食べてみると意外に胃に入っていくのですが、いきなり見た目も量もボリュームのあるものをお出しするのは、いささか配慮に欠けておりました。次からは見た目をもっと工夫するようにシェフに伝えておきますから、梛央様は一口でもいいので、なるべくお口に入れるようにしてください」
「わかった。ありがとうサミュエル」
「どういたしまして。ではもう一口だけ。あーん」
サミュエルはもう一度梛央の口元に肉を差し出す。
素直に口を開けて肉を食べる梛央。
「大変よろしいです。ところでナオ様、今日はいかがお過ごしになりますか?」
「午前中はサンちゃんとミトちゃんに会いに行って、ヴァレリラルドの剣術の稽古を見学しようと思う。午後からは図書室を見に行く予定」
ヴァレリラルドは午後から勉強するらしいので、自分も何か学ぶつもりで図書室を見てみようと思っていた。
「かしこまりました。今日は外が少しざわついておりますので、シアンハウスの敷地外には出ないようにお願いします」
そういうとサミュエルは立ち上がり、綺麗にお辞儀をすると、上機嫌で部屋を出て行った。
「あーん、されちゃった」
梛央はそれを見送りながら言った。
「これからも出されたものにまったく手を付けないと、サミュエル殿が来ますよ」
「何、そのもったいないお化け的なやつ」
こわっ。
梛央は50手前の元騎士団長のあーんの恐ろしさに震えていたが、その頃当のサミュエルは、梛央に念願のあーんができたことに上機嫌だった。
世襲制の貴族にとって嫡男は次代の当主。次男は嫡男に何かあった時のスペア。三男以降は自分で身を立てていくしかない。
シモンは小さい頃からそう言われて育ったため、王立学園に入学前から家庭教師について真面目に勉強し、王立学園では上位の成績をおさめながら侍従としての教育も受け、卒業と同時に正式に王太子付きの侍従に選定されていた。
侍従としてはエリートだと、シモンは思っている。エリートになるべく努力をしたがための当然の結果だとも思っている。
だが上の兄2人は労せずに嫡男やそれに準ずる立場にあるため、努力してきたシモンをばかにしているきらいがあった。
父であるロヴネル侯爵もシモンのことは眼中になかったが、王太子付きの侍従になったのは一定の評価をしていた。だが兄たちは主に仕える立場になったシモンをさらに軽んじていた。
兄たちを見返すためには王城での立場を強めなければならない。それには国王の信頼を得るしかない。それには王太子であるヴァレリラルドを立派な人間に育てあげなければならない。
私が王太子殿下をお守りする。私が王太子殿下に害を与えるものを排除する。私が……。
ここ最近のシモンは黒い感情に囚われることが多くなっていた。気が付いたら自分が何かをしていた、という妙な感覚があった。だが実際に何をしていたのか、はっきり覚えていないのだ。
シアンハウスに休養に行くヴァレリラルドに同行したシモンは、精霊の愛し子だという少年が現れてからまた、黒い感情が動き出すのを感じていた。
その感情を律することができないまま行動した結果、シモンは実家である侯爵家に戻され、自室に謹慎という名目の軟禁状態にあった。
なぜこんなことになったのか。
愛し子だというが、だからといって王太子殿下の手間を取らせるなどもってのほかではないか。王太子殿下の。王太子殿下の。王太子……殿下の……。
考えるほど思考は暗く混沌の中に落ちていく。
シモンの部屋のドアが開いた。
そこにはシモンが部屋を出ないように警備する騎士が立っているはずだったが、誰もいなかった。
シモンは何かに導かれるように部屋を出て行った。
「うーん」
食卓についた梛央は、並べられた朝食を見て唸っていた。
昨日までは体調にあわせた内容と量ということだったが、今日の朝食は食事用のマフィンにポーチドエッグ、ベーコン、サラダ、フルーツ、フルーツジュース。それにいつもはないステーキ肉と付け合わせのポテトが加わっていた。
「食べさせましょうか?」
笑顔のテュコに、梛央は首を振る。
「あーん、も、朝からステーキも、いりません」
梛央とて育ち盛りのお年頃。決して肉は嫌いではない。
嫌いではないが、朝からステーキは無理だった。
目覚めたばかりの胃が、ステーキの匂いで防御の態勢に入って縮こまっているのがわかる梛央だった。
「では一旦こっちに置いておきますね。ほかのものは大丈夫ですか?」
「うん。ありがとうテュコ」
「本当は肉も食べてほしいんですよ?」
「お昼か夜に少しならいいよ。量が多すぎるんだよ」
「ヴァレリラルド様は召し上がってますよ。体を大きくするのには食事は大切ですから」
それを言われると、これ以上ヴァレリラルドが差を詰めてくるのは避けたいところだが、それでも無理なものは無理だった。
「大きくならなくてもいい、とは言えないところがつらい」
大きくなりたいが、朝から肉は勘弁してほしい。そう思う梛央。
そこにサミュエルが静かに入って来た。
元第一騎士団騎士団長は、今はシアンハウスの家令として隙のない所作を身に着けている。
そのサミュエルが食卓の前で綺麗に一礼をすると梛央の、リングダールのいない方の隣に座り、ナイフとフォークで肉を一口サイズに切り分けると、流れるような所作で梛央の口元に差し出す。
梛央は咄嗟にテュコを見た。
テュコは目を逸らした。
梛央はアイナを見た。
申し訳ありません、と口を動かして、アイナは頭を下げた。
梛央はドリーンを見た。
ドリーンはしっかりと頷いた。
味方はいない。
覚悟を決めて梛央は口を開ける。
そこに入れられた肉を咀嚼して、飲み込む。
見かけに反して柔らかい肉質でさっぱりとした味だった。
「思ったよりいけますでしょう?」
サミュエルに言われ、うん、と梛央は頷く。
「食べてみると意外に胃に入っていくのですが、いきなり見た目も量もボリュームのあるものをお出しするのは、いささか配慮に欠けておりました。次からは見た目をもっと工夫するようにシェフに伝えておきますから、梛央様は一口でもいいので、なるべくお口に入れるようにしてください」
「わかった。ありがとうサミュエル」
「どういたしまして。ではもう一口だけ。あーん」
サミュエルはもう一度梛央の口元に肉を差し出す。
素直に口を開けて肉を食べる梛央。
「大変よろしいです。ところでナオ様、今日はいかがお過ごしになりますか?」
「午前中はサンちゃんとミトちゃんに会いに行って、ヴァレリラルドの剣術の稽古を見学しようと思う。午後からは図書室を見に行く予定」
ヴァレリラルドは午後から勉強するらしいので、自分も何か学ぶつもりで図書室を見てみようと思っていた。
「かしこまりました。今日は外が少しざわついておりますので、シアンハウスの敷地外には出ないようにお願いします」
そういうとサミュエルは立ち上がり、綺麗にお辞儀をすると、上機嫌で部屋を出て行った。
「あーん、されちゃった」
梛央はそれを見送りながら言った。
「これからも出されたものにまったく手を付けないと、サミュエル殿が来ますよ」
「何、そのもったいないお化け的なやつ」
こわっ。
梛央は50手前の元騎士団長のあーんの恐ろしさに震えていたが、その頃当のサミュエルは、梛央に念願のあーんができたことに上機嫌だった。
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