9 / 412
第1部
愛し子さま、起きた?
しおりを挟む
シルヴマルク王国の当代の国王ベルンハルド・イルヴァ・シルヴマルクは37歳。
おおらかな性格で人の意見をよく聞くが、判断を人にゆだねることはない。国民が大事なのは当然だが王族の安寧が国民を守ると思っているため王族の絆を重視する。それすなわち賢王だとサミュエルは思う。
シルヴマルク王国には国の要所がいくつかあるが、その最たるものが国を加護する精霊の泉であり、それを有する聖域の森である。
聖域の森一帯は王国の管理下に置かれ、その管理の拠点となるのがシアンハウスだった。
当主は王弟であるエンゲルブレクト・イェイエル・シルヴマルク。二十代半ばだがまだ独り身のエンゲルブレクトは、王家特有の金髪碧眼の持ち主で細身の長身。眼鏡をかけて、いつも穏やかな微笑みを浮かべている人物である。
エンゲルブレクトは国王ベルンハルトの名代として当主を務めているが、聖域の森に隣接する領地を保有しており、領地にある城とシアンハウスを転移陣で行き来して執務を行っていた。
精霊の泉を護るのがシアンハウスの当主としての務めでるエンゲルブレクトにとって、精霊の愛し子の出現は一世一代の吉報だった。
歴史上、愛し子の出現は何度かあるが、それはあくまでも文献上でのこと。生きているうちにその存在に出会えるのは王国国民にとってもエンゲルブレクトにとっても幸運なことだった。
成人した王族であるエンゲルブレクトは表情を抑えてはいるが落ち着かないことが一目でわかり、その横に座るヴァレリラルドもそわそわしながら、談話室でサミュエルが報告に来るのを今か今かと待っている。
2人の様子を、それぞれの従者や護衛たちが離れたところから静かに見守っているが、彼らもやはりどこか落ち着かない心持ちだった。
やがてサミュエルが談話室に現れると、
「愛し子様は?」
「いつ対面できる?」
エンゲルブレクトもヴァレリラルドも、この時ばかりは王族の品位もどこへやらで勢いよくサミュエルに尋ねる。
「セルベル医師の見立てでは頭の傷は重篤ではないとのことです。さっき一瞬だけ目を覚まされましたが「愛し子さま、起きたの?」」
サミュエルの言葉にヴァレリラルドが食いつく。
「一瞬だけで、すぐにまた眠られました」
どことなく憂いを帯びるサミュエルだが、それに気づかないヴァレリラルドは落胆を隠せなかった。
一目見て心を奪われた愛し子様と早く話をしてみたいのだ。
「お怪我をされておられたことからも、恐ろしい思いをされたのではないかと推察します。当主様、陛下への一報はお済みだと思いますが、詳細について私から陛下にご報告してもよろしいでしょうか。愛し子様を手厚くもてなすために細かな配慮が必要かと思いますので」
「そうだな。世話に関してはサミュエルからの報告や要請が現状を的確に伝えられるだろう。任せるよ」
「ありがとうございます」
一礼するサミュエル。
「ねぇ、サミュエル。愛し子様のお見舞いに行ってはだめか?」
ヴァレリラルドはきらきらした瞳で言った。
「先ほども申しましたが、愛し子様は一瞬だけ目を覚まされて、またすぐにお休みになられました。頭の傷は重篤ではないようですが、これから痛みや熱が出るかもしれません。しばらく安静にしていただき、傷が回復して、お心も落ち着かれるまでは静かに見守ってさしあげるのがよろしいかと」
サミュエルの言葉に、精霊の泉のほとりに降りてきた少年の頭の怪我や乱れた着衣を思い出し、不謹慎ながらもヴァレリラルドは胸がドキドキした。
「そうか……」
「私も愛し子様に早くお会いしたい。だが今は愛し子様の回復を静かにお待ちしよう、ヴァレリラルド」
「はい、叔父上……」
それでも残念そうなヴァレリラルドに、
「殿下、愛し子様のことはサミュエル殿にお任せいたしましょう」
王太子付きの侍従であるシモンは、神経質そうな顔つきで、愛し子の出現に心を浮つかせているヴァレリラルドを諫めるように言った。
「……わかった」
シモンはスレートグレーの髪に赤みがかった茶色の瞳を持ち、二十をいくつも越えてはいないが年齢以上の落ち着きがある。何よりその視線の冷たさに、シモンに楯突くなんてとんでもないと思っているヴァレリラルドは素直に頷く。
「サミュエルから見て、彼の方に愛し子様の資質のようなものは感じるか?」
愛し子にすぐに会えないのは残念だとは思うが、それよりも愛し子が出現したという事実がエンゲルブレクトの気持ちを高揚させていた。
「さようでございますね。見た目だけならまさしく精霊に愛されたお方でしょう。さきほど一瞬だけ見えた彼の方の瞳は黒曜石の瞳でした」
「黒曜石!」
あらたに得られた愛し子の情報にヴァレリラルドは胸を膨らませる。
「うん。確かに王家に伝わる文献には歴代の愛し子様は黒髪黒い瞳をしているという記述がある。さぞ美しい瞳だろうなぁ」
エンゲルブレクトはまだ見ぬ愛し子に思いをはせる。
「ええ、それはもう」
「黒い髪だけでも珍しいのに黒曜石の瞳まで兼ね備えていれば、出現の様子からしても愛し子様で間違いないだろう。早くお会いしたいものだ」
「わ、私も。サミュエル、愛し子様が目を覚まして、いいって言ってくれたら会ってもいいだろう?」
ヴァレリラルドの言葉にサミュエルは優しく微笑むが、側に控えるシモンは冷ややかな視線を向けていた。
おおらかな性格で人の意見をよく聞くが、判断を人にゆだねることはない。国民が大事なのは当然だが王族の安寧が国民を守ると思っているため王族の絆を重視する。それすなわち賢王だとサミュエルは思う。
シルヴマルク王国には国の要所がいくつかあるが、その最たるものが国を加護する精霊の泉であり、それを有する聖域の森である。
聖域の森一帯は王国の管理下に置かれ、その管理の拠点となるのがシアンハウスだった。
当主は王弟であるエンゲルブレクト・イェイエル・シルヴマルク。二十代半ばだがまだ独り身のエンゲルブレクトは、王家特有の金髪碧眼の持ち主で細身の長身。眼鏡をかけて、いつも穏やかな微笑みを浮かべている人物である。
エンゲルブレクトは国王ベルンハルトの名代として当主を務めているが、聖域の森に隣接する領地を保有しており、領地にある城とシアンハウスを転移陣で行き来して執務を行っていた。
精霊の泉を護るのがシアンハウスの当主としての務めでるエンゲルブレクトにとって、精霊の愛し子の出現は一世一代の吉報だった。
歴史上、愛し子の出現は何度かあるが、それはあくまでも文献上でのこと。生きているうちにその存在に出会えるのは王国国民にとってもエンゲルブレクトにとっても幸運なことだった。
成人した王族であるエンゲルブレクトは表情を抑えてはいるが落ち着かないことが一目でわかり、その横に座るヴァレリラルドもそわそわしながら、談話室でサミュエルが報告に来るのを今か今かと待っている。
2人の様子を、それぞれの従者や護衛たちが離れたところから静かに見守っているが、彼らもやはりどこか落ち着かない心持ちだった。
やがてサミュエルが談話室に現れると、
「愛し子様は?」
「いつ対面できる?」
エンゲルブレクトもヴァレリラルドも、この時ばかりは王族の品位もどこへやらで勢いよくサミュエルに尋ねる。
「セルベル医師の見立てでは頭の傷は重篤ではないとのことです。さっき一瞬だけ目を覚まされましたが「愛し子さま、起きたの?」」
サミュエルの言葉にヴァレリラルドが食いつく。
「一瞬だけで、すぐにまた眠られました」
どことなく憂いを帯びるサミュエルだが、それに気づかないヴァレリラルドは落胆を隠せなかった。
一目見て心を奪われた愛し子様と早く話をしてみたいのだ。
「お怪我をされておられたことからも、恐ろしい思いをされたのではないかと推察します。当主様、陛下への一報はお済みだと思いますが、詳細について私から陛下にご報告してもよろしいでしょうか。愛し子様を手厚くもてなすために細かな配慮が必要かと思いますので」
「そうだな。世話に関してはサミュエルからの報告や要請が現状を的確に伝えられるだろう。任せるよ」
「ありがとうございます」
一礼するサミュエル。
「ねぇ、サミュエル。愛し子様のお見舞いに行ってはだめか?」
ヴァレリラルドはきらきらした瞳で言った。
「先ほども申しましたが、愛し子様は一瞬だけ目を覚まされて、またすぐにお休みになられました。頭の傷は重篤ではないようですが、これから痛みや熱が出るかもしれません。しばらく安静にしていただき、傷が回復して、お心も落ち着かれるまでは静かに見守ってさしあげるのがよろしいかと」
サミュエルの言葉に、精霊の泉のほとりに降りてきた少年の頭の怪我や乱れた着衣を思い出し、不謹慎ながらもヴァレリラルドは胸がドキドキした。
「そうか……」
「私も愛し子様に早くお会いしたい。だが今は愛し子様の回復を静かにお待ちしよう、ヴァレリラルド」
「はい、叔父上……」
それでも残念そうなヴァレリラルドに、
「殿下、愛し子様のことはサミュエル殿にお任せいたしましょう」
王太子付きの侍従であるシモンは、神経質そうな顔つきで、愛し子の出現に心を浮つかせているヴァレリラルドを諫めるように言った。
「……わかった」
シモンはスレートグレーの髪に赤みがかった茶色の瞳を持ち、二十をいくつも越えてはいないが年齢以上の落ち着きがある。何よりその視線の冷たさに、シモンに楯突くなんてとんでもないと思っているヴァレリラルドは素直に頷く。
「サミュエルから見て、彼の方に愛し子様の資質のようなものは感じるか?」
愛し子にすぐに会えないのは残念だとは思うが、それよりも愛し子が出現したという事実がエンゲルブレクトの気持ちを高揚させていた。
「さようでございますね。見た目だけならまさしく精霊に愛されたお方でしょう。さきほど一瞬だけ見えた彼の方の瞳は黒曜石の瞳でした」
「黒曜石!」
あらたに得られた愛し子の情報にヴァレリラルドは胸を膨らませる。
「うん。確かに王家に伝わる文献には歴代の愛し子様は黒髪黒い瞳をしているという記述がある。さぞ美しい瞳だろうなぁ」
エンゲルブレクトはまだ見ぬ愛し子に思いをはせる。
「ええ、それはもう」
「黒い髪だけでも珍しいのに黒曜石の瞳まで兼ね備えていれば、出現の様子からしても愛し子様で間違いないだろう。早くお会いしたいものだ」
「わ、私も。サミュエル、愛し子様が目を覚まして、いいって言ってくれたら会ってもいいだろう?」
ヴァレリラルドの言葉にサミュエルは優しく微笑むが、側に控えるシモンは冷ややかな視線を向けていた。
89
お気に入りに追加
938
あなたにおすすめの小説
転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる
塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった!
特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。
そばにいてほしい。
15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。
そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。
──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。
幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け
安心してください、ハピエンです。
出戻り聖女はもう泣かない
たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。
男だけど元聖女。
一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。
「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」
出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。
ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。
表紙絵:CK2さま
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
龍は精霊の愛し子を愛でる
林 業
BL
竜人族の騎士団団長サンムーンは人の子を嫁にしている。
その子は精霊に愛されているが、人族からは嫌われた子供だった。
王族の養子として、騎士団長の嫁として今日も楽しく自由に生きていく。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
時々おまけを更新しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる