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第1部

愛し子の見開いた黒い瞳

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 「セルベル、彼の方の容態は?」

 シアンハウスの家令を務めるサミュエルは、愛し子の診察を終えた医師のセルベルに声を落として尋ねる。

 セルベルの背後の寝台では頭に包帯を巻いた少年が、生きていることを疑うほど青白い顔色で目を閉じている。

 「頭の傷は出血のわりには重篤ではないようです。が、数日は腫れが残るかと思われます。傷のせいで熱や痛みも出るでしょう。癒し手の手配はお済みですか?」

 「手配はしているが、早くとも明日になるだろう」

 癒し手とは治癒の精霊魔法を使える者のことで、その数は少ない。

 シアンハウスにも常駐してはおらず、癒し手がすぐに来られないのはもどかしいが、重篤ではないことがわかりサミュエルはほっと息を吐く。

 「癒し手が来られるのなら安心です。あんなにお綺麗な方に万が一でも傷が残るのは心が痛みますからね。癒し手が来られるまでに痛みや熱が出た時のための薬湯をあとでお持ちしましょう」

 「頼む」

 「それにしても見かけない種族の方のようですが、あのお方はどちらのご出身でしょうか」

 セルベルの質問に答える代わりにサミュエルは穏やかに微笑む。

 微笑んでいるが目は笑っておらず、すらりとした長身にスマートな動作をしているサミュエルの前歴を知っているセルベルは自分が踏み入れてはいけない領域に口出ししたことに気付いた。

 「今の質問はなかったことに」

 「賢明だ。彼の方のことは内密に頼む」

 承知しました、と頷くセルベル。

 ヴァレリラルドが精霊の泉で見つけて連れ帰ってきた、神泉の森の結界を破って精霊の泉に降りてきたという稀有な容姿をした少年。

 出現の状況からして愛し子らしいのだが、国王が承認していない現状でその存在を口にすることはできなかった。

 その存在が知られたら王国中にどんな騒動が起きるのか。王国内だけではなく近隣諸国にも注視されるだろう。ただ見守るだけならよいが自分の国に連れて行こうとする者もいるかもしれない。

 その存在を公表できる準備が整うまで、愛し子の存在は秘匿しなければいけなかった。

 「ですが……言われずとも指先まで傷がない美しい肌をしておいでです。きっと高貴なお方に違いないでしょう」
 
 サミュエルほど人生経験を積んでいないセルベルは胸の高揚を抑えきれずに独り言のように呟くと、シアンハウスにほど近いところにある自宅に戻るべく部屋を辞した。

 サミュエルは無言でセルベルを見送ると、愛し子を穏やかに眠らせるべく寝台の天蓋カーテンに手をかけた。





 ……きて……に……おねが……い……


 遠いところから声がして、ゆっくりと梛央の意識が覚醒する。

 瞼を開けて最初に飛び込んだのは光沢のある白い枕で、自分のベッドとは違う景色に梛央は身を強張らせる。

 ここはどこだろう、という疑問よりも、知らない場所に一人でいるという、自分の身に何かが起き続けている事実が梛央を不安にさせた。

 布が引かれる小さな音に体を震わせてその方を見ると、そこには黒いスーツを着た壮年の見知らぬ男性が天蓋カーテンの端を持っていた。

 男と目があったとたん梛央の耳元に熱い吐息の感触が蘇る。素肌をまさぐる湿った手の感触。なめくじが這うようなおぞましい舌の感触。初めて会った男に恐怖と力で支配された記憶が生々しく蘇る。

 「いやぁぁぁぁぁっ」

 咄嗟に起き上がろうとした梛央だったが、すぐに目の前が暗くなり、そのまま意識がフェードアウトした。

 その光景に、サミュエルは見覚えがあった。

 有無を言わさぬ暴力に抵抗すらまともにできない状況で蹂躙された少女と同じ瞳を、愛し子の見開いた黒い瞳に見つけていた。

 サミュエルが痛ましげな表情を浮かべた時、

 「いかがされました」

 愛し子の扉の前で警護に当たっていた騎士が悲鳴を聞きつけて飛び込んでくる。

 「しっ」

 サミュエルは唇に手を当てると途中まで引いていた天蓋を完全に締め切り、護衛騎士を伴って貴賓室を出た。

 「一度目を覚まされたが、またお眠りになられた。中で彼の方の目覚めた気配があれば至急知らせるように」

 騎士に指示を出すとサミュエルは難しい顔をして歩き出す。

 談話室のドアの前に立つと、姿勢を正して談話室のドアをノックする。

 「サミュエルです」

 中から応えがあり、サミュエルはドアを開けた。
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