夜に生きるあなたと

雨夜りょう

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「セイン。良かった、待っていてくれたのね」

 腰まで届く柔らかな金の髪を跳ねさせて、セシリアはセインと呼んだ男の許へと走った。体の弱かった彼女が走り出したのを心配して最愛の人の眉が八の字に歪むのを見て、胸に湧き上がってくる温かい思いを伝えるように力いっぱい抱きつく。

「セシ、走ったりしたら危ないぞ」
「ふっ、へへ。セインが抱きとめてくれるから大丈夫だわ」

 「それにもう、走ったって大丈夫なんだから」と、セシリアは彼の胸よりも少し下までしか届かない位置にある頭を甘えるように擦りつける。
 二人の出会いは突然だった。皆が寝静まったある日の深夜、小高い丘にある邸から見える花畑へと、セシリアは出かけていた。
 日光に当たると皮膚が赤くなり、ひどい時には痒みや爛れがおきる病気を持った彼女の活動時間は昼間には無い。

「ふぅ。お日様が出ている間は、はぁ、出歩けないうえに、ふ、窓すら開けてもらえないんだから」

 「愛されているのは分かっているんだけど……」と、花畑の中で寝転びながら息を整えるセシリアは独り言ちる。
 カーテンが風で靡いてはいけないからと邸中の窓という窓は締め切られ、更に一切の陽光が差し込まないように分厚いカーテンで閉められていた。
 それほどまでに彼女が両親に愛されているという証だったが、どこか鬱屈とした空気にセシリアは時折辟易とした気分になったのだ。

「……良い匂い」

 初夏を告げる爽やかな花の香りが、まだ冷たさを残す夜の風に乗ってセシリアの鼻孔を擽る。
 セシリアは昼が好きだ、太陽の光を浴びて朝露が煌めくのを見ていると心が晴れやかになる。雲一つない水色の空も、鳥達が囀る声も、町中に響き渡る子供達の笑い声も大好きだ。
 それがいつしか当たり前の事ではなくなった事に、嫉妬と絶望が綯交ぜになって苦しくなる事もあったが、そのおかげで誰も居ない夜を独り占めしているのだと思うとそれも悪くないと思えた。

「ご、げほっ……ごほ」

 ただ一つだけ不満があるとするならば、この体のせいか、はたまた運動が出来ないからか、それとも薬の影響なのか、どうしても体が弱い事だ。

「……綺麗な満月」

 肺いっぱいに空気を吸い込んで、吐き出す。明日はきっと高熱にうなされる事だろう、そして父母を心配させるに違いない。
 そんなことを思っていたセシリアは、驚愕に深緑の瞳を見開く。

「え」
「は?」

 じっと月を見ていると、そこに影が指したからだ。肩まで伸びた髪を首元で一つに結っている金の瞳をした男性と視線が交差する。
 なぜ彼も同じように驚いているのかと思いながら、セシリアは一言も言葉を発さずに男を見つめ続けた。時が止まったかのような空気は、男が口を開いたことで霧散する。

「人間がなんでこんな所に?」

 空に浮いていた男はセシリアへと向かって来た。普通の人間が空中に留まる事など出来るはずが無い、きっと彼は魔物かなにかなのだろう。
 であれば、逃げ出すのが最善策だった。なのに、セシリアの口を突いて出たのは「夜しか来られないから」だ。

「夜にしか? 人間は闇を怖がる生き物だった筈だが」

 不思議そうに男は首を傾げる。絹のような黒の前髪がさらりと揺れ、興味深いものでも見つけたとでもいうように、吊り上がった金がセシリアを射抜く。
 続きを待つ男に、セシリアは自分の境遇を話して聞かせた。昔は太陽の下で野原を駆け回っていた事、いつしか日の光を浴びられない体になってしまった事、そのせいか体が弱くきっと明日は熱が出るだろう事を。

「でも、良いの。熱が出たって外の空気は吸いたいし、私が生きてるって事だから」

 僅かに目を細めた男は、黙ったまま閉じていた口を開いた。

「そうか、俺と一緒だな」
「一緒……?」
「ああ、俺は吸血鬼だからな」

 夜にしか生きられずとも、悲観することは無いと男は口端を上げた。
 人ではないだろうとは分かっていたが、吸血鬼だとは思わなかった。鳩が豆鉄砲を食ったようにぽっかりと口を開けたままのセシリアに、男はけたけたと笑う。

「なんだ、怯えて逃げなくて良いのか? 食べられてしまうかもしれないぞ」

 男の犬歯が月光に輝いた。

「怖くなんて無いわ、貴方は優しい人だもの」

 不思議と恐怖心は無かった。物語の中だけでしか聞いたことがない種族が本当に居たことに驚いたからだろうか、それとも鋭い瞳にそぐわない少年のような笑顔のせいだろうか。
 目を大きくして先ほどのセシリアと同じ顔をした青年に、思わず笑みが零れた。

「私の名前はセシリア、貴方は?」
「セインだ」

 こうして満月の下出会った二人の距離が近くなるのはあっという間だった。
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