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第二章:変わる、代わる
162.「あとでちゃんと食べさせてあげます」
しおりを挟む握っていた小さな手が動いて、熱をもった指先がシェントの肌を撫でた。
甘い感触は身体に溶け込んで抗いがたい衝動を呼び起こす。かろうじて理性が勝利するも、手に込めてしまった力はごまかしようがない。それなのに梓は怯えるどころか初心な恥じらいを隠そうと努力しながらただシェントばかりを見ている。
途方に暮れるというのはこういうことだろう。
梓は見上げてくる黒い瞳を見つめ返すのが精一杯だった。次にどう続ければいいのか分からず視界は潤んでいく。魔法の言葉を探していたら、こんなところでもシェントに助けられていたのかと悲観してしまって、いたたまれなさは増していく。
(どうすればいいんだろう……ああでも、シェントさんは待ってくれる)
いっそ待たないでくれてもいいと思うが、あれもこれもと望むのはきっと我儘だ。なにせ言いづらいだけで、なにを言えばいいかは分かっている。簡単なことだ。けれど改めて自分から誘うことがこんなにも勇気がいるとは思わなくて、梓は手を震わせる。
それでも欲しいから、ついに言葉が滑りだして。
「2人きりで……ベッドで過ごしたい、です」
握られていた手にドキリとするほどの力を感じたのは、きっと、最後まで言えたご褒美だろう。見上げてくる熱のこもった視線も赤くなった頬も幸せそうに微笑む唇も……なにもかも自分のためのものだ。
「……今からは?」
甘えるような声に期待を感じたのは気のせいじゃない。欲しがっているのは自分だけじゃないと分かって安心した気持ちはたちまち欲に濡れていく。
「お仕事で疲れていませんか?」
「あなたを見たときにもう忘れましたよ」
それでもと理性で作り出した言葉は吐き出すとあまりにも軽くて、返ってきた甘い言葉にたちまち溶けてしまう。
引き寄せられてかがんだ梓は触れた唇に恥じらいを忘れてしまった。甘い、あまい、苺の味。濡れて伝わって、ゾクリと身体が震える。
「いちごの味……」
「……美味しいですか?あとでちゃんと食べさせてあげます」
「んっ」
「今はあなたを」
あなたを?
答えを聞きたかったが問いかけは食べられてしまった。けれど絡んだ視線に満たされてただ口づけに夢中になって──触れた唇を食みながら梓はシェントに身体を預ける。抱きとめた身体は熱く梓を覆って世界を2人だけのものにした。
シェントを跨いで座る梓は降ってくる口づけに懸命に応えながら服を握りしめる。シェントがするように抱きしめながら自分が感じている心地よさを返せたらいいと思う。それなのにうまくできている自信がない。自分だけが肉欲に悶えているとは思わないが、それでももっとと思うのはあの夜を思い出すからだろう。穏やかに微笑む真面目な人の崩れた表情が見たい。
それなのに。
(私ばかり)
砂糖菓子のような時間にトロトロと思考は溶けて子宮が疼きだす。身体の輪郭をなぞられるたびに期待に震えて、もっと強い刺激を欲しがってもっと──ああ。
脳裏に浮かぶ、肉欲にまみれた願望に秘部が涎をたらす。ぐちゅりと濡れて、きっと。
「シェン……シェントさ、んっ」
シェントに呼びかけるが、すぐには応えてくれなかった。その代わり我儘のように抱きしめる手に力が込められて、息苦しいほどに口づけされる。
いま身体を繋げていなくてよかった。
梓は身体の芯が震えるほどの喜びを胸に抱きながらそんなことを思う。でなければきっとどんな言い訳を重ねても本心がばれてしまっていただろう。
(シェントさんも)
梓はぴたりと身体をくっつけながらシェントが望むままに応え続ける。
長い時間がシェントに理性をもたせたかどうか梓には分からない。けれど、シェントは返事をする代わりに続きを待つかのように梓を見た。乱れた呼吸。汗を浮かべて、口の端から涎を垂らしている。シェントが堪えているのは誰の目にも明らかで──梓は喉を鳴らしてしまう。
甘いと片づけるには歪んだ喜びだろう。少し身体を離せば、抵抗するように梓の身体を抱きしめていた手が服にシワを残す。それでも離れるのが惜しいと感じるのは梓も同じで、梓はひとりで動くのは止めてシェントの手を掴んで立ち上がった。
言葉なくお願いと手をひけば、一瞬俯いた顔が起きたときには微笑を浮かべて立ち上がる。
(ああ)
シェントは前を歩く梓を見下ろしながら、いつもの自分であろうと静かに息を整える。
誘惑し甘い味を教えておきながら、昂った熱を知っていてなおねだる。小悪魔のようで、けれど抗えない。
欲にかられた浅ましい行動をせずにすんでよかったのだ。
そう思おうとするのに自分の手を引く小さな手はまだ熱くて、振り返った茶色の瞳はシェントを映している。わざわざベッドまで移動して、これで勘違いだったらどうしたらいいだろう。このままベッドに押し倒してしまいたい。もう何も言えないほど口づけてそのまま身体を繋げて甘い時間に溺れてしまいたい。
(やはり私は魔物の子供らしい)
微笑を形作りながら想像を心の中で嗤う。サイドテーブルの引き出しを開ける梓を見ているあいだも想像は続いて、けれど振り返った梓に暗い気持ちは消えた。やはり梓が望んでくれるかぎり、裏切らないような自分になれるのだ。
そしてシェントの浅ましい欲を煽るのもまた梓で。
シェントは梓が手に持っていたものを見た瞬間、さきほどまでなにを考えていたのか忘れてしまった。梓が引き出しから取り出したのは避妊薬だった。
「それ、は」
心のなかで呟くはずだった言葉が漏れてしまう。ビクリと身体を弾ませた梓は、目が合うと勢いよく顔を隠してしまった。真っ赤な顔。夜になっていく世界がもったいないほどだ。じっと見下ろしていれば、何度かシェントを見ては失敗する梓は弁解するように言葉を重ねる。
「あ、っとこれは白那たちがくれて、ちがっ……いえ、そうなんだけど……避妊薬でして……私、今度は自分でも買ってくるので、だから……だから?違うその……いつもするとき用意してくれてありがとう、ございます。考えてくれて嬉しいですということを伝えたくて、その」
避妊薬を握りしめる梓は通常なら見ることがない光景でおかしさを感じる。それなのに愛しくてたまらなくて、でも喉が渇いて。
「ああもう、ムードが台無しですよね。いろいろ考えてたのにうまくできなかったし、さっきから私」
きっと言わなくてもいいことを口にしているのだろう。恥ずかしさを思い出して混乱する梓がそのまま気がつかなかったらいい。
浅ましく汚れた夢のような時間を梓も求めているのだ。
求められる喜びにぞんぶんに浸りながらシェントは優しく手を差し出す。シェントではなく避妊薬を握りしめてばかりの梓を抱き寄せれば、なんの抵抗もなく身体は柔らかく触れた。それどころか恥ずかしさにきつく結ばれた口は目を合わせると幸せに緩んでいって、ああ、もっと。
「……これ、使いましょう?」
もっと欲しい。
勘違いでなく求められることがこんなにも嬉しい。
この気持ちを思い知ってほしい。
「使い方を知っていますか?」
知らないでいてほしい。
「……教えて?」
囁かれた甘いお願いに理性は一瞬で消えた。
残った欲のままに梓に口づけて避妊薬を奪い取る。そしてようやくシェントを抱きしめた身体をベッドに沈ませた。
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