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第二章:変わる、代わる
160.臆病な人、ずるい人
しおりを挟むヴィラを受け入れられないと気がついてからというもの、ことあるごとにヴィラの名前を聞くようになった。意識してしまっているせいなのかもしれないが、本人に別れを告げたあとでも続くとなると、まるで責め立てられているような気持になる。罪悪感からの被害妄想だと分かっていても、顔が強張ってしまう。
「召喚された日……?」
なんのことだと眉をひそめる莉瀬に八重は人当たりのいい顔で微笑む。そして梓の返事をまたずに明るく続けた。
「あとからヴィラに聞いたんだけど、ヴィラったらあなたの言い分をなにも聞かずに無理やりキスしたんですって?」
「え」
唖然とする莉瀬は八重の言ったことを頭の中で反芻しているのか無言になって、八重を見たあと確認するように梓を見る。それでようやく笑えない作り話ではなく本当のことだと分かったようだ。
莉瀬は嫌悪に眉を寄せて手で口を覆う。そういうのが恐ろしく感じるということを八重は知っているはずなのに、なぜ、明るく話しているのだろう。どうしても話したいのならせめて人の目がないところを選ぶべきだ。それなのにメイドはもちろん、お世辞にも仲がいいとはいえない莉瀬がいる場で、なぜ。いつもの奇行と片づけるにはあまりにも失礼だ。
「あれね、私が原因といえばそうなのよ。召喚があったときどんな子達が召喚されたのか気になってシェントたちから話を聞くんだけどね?話を聞く限り、召喚をまったく喜ばないでずっと警戒して帰りたいっていう子がいるって分かったのよ。しかもイケメンを見ても靡くどころか眉をひそめるような子」
八重の口ぶりに梓は花の間への案内をかってでた男を思い出す。もしかしたら八重はあの男にも話を聞いたのかもしれない。名前も知らないのになにかと縁がある男はいまなにをしているだろう。流れでわいた疑問はすぐに消える。どうでもいいことだ。それよりも八重の話が気になる。
「本当なのかしら、って思ってね。結局ほとんどの神子が帰りたいって思うみたいだけど、召喚なんて非日常が起きた瞬間、帰りたい、なんてねえ。ワクワクするものじゃない?イケメンに囲まれてあたふたすることもなく崇められて調子にのることもなくただ帰りたい、なんて……だからヴィラに今回はどんな神子かって聞かれたとき、いつもどおりな感じの子よって答えたの。ヴィラは私みたいな子を想像したみたいね?私はいつもどおり、帰りたいと思う可愛い子だって言ったつもりだったんだけど」
もしヴィラがルールで縛られていなかったら、あのときの弁明をしただろうか。
ふとそんなことを考え、梓は静かに首を振った。
「……無理がありませんか」
「やだ、本当にそう思ったのよ?」
「だとしても、私が本当にそういう人か確かめるためにわざわざそんな言い方したんですよね」
「そうかもしれないわね」
「それにいつもどおりな感じって……随分他人事ですよね。八重さんは帰りたいって思わなかったんですか」
「そうかもしれないわね」
以前、ここは良いところだがつまらないと八重は言っていた。だからこそ面白そうなことには食いついているようだが、それは帰れないという諦めゆえに見つけた八重なりの生き方なのかと思っていた。けれど今の話を聞いている限り現実逃避のように思えてくる。
慎重に話すのが馬鹿らしくなってくるほど軽く答える八重に、梓の表情が曇る。
「確かめたかったのならこうやって話してくれたらよかったのに……誘拐された初日ですよ?案内された部屋で夜、顔もほとんど見えなかった男にいきなり抱きしめられてキスされたんですよ」
「……八重さん」
荒くなっていく語気に気がついて梓は深く息を吐く。きっと今もなにか確認しているだろう八重に、知らないままなにか答えを教えるようになるのは癪に障る。救いなのは莉瀬が八重を非難したことだろう。それに怒っているか泣いているかテイルのことを考えている姿しか見てこなかったからか、心配した表情が新鮮だ。
八重も珍しい表情をしている。微笑んだまま眉を下げていて、人によっては喧嘩を売っていると思われかねない顔だ。そして申し訳程度に頭を下げる。
「それは、本当にごめんなさい。怖かったわよね」
ずるい。
そう思ってしまうのは謝ることに慣れてない母の姿に重なったからだ。梓が滅多に怒らないのと同じぐらい、母は滅多に謝ることはなかった。それでも明らかに自分に非があると分かっているとき、笑って流そうとする癖を中途半端に押し込めて途方に暮れたような目で謝るのだ。そして梓が怒りを消化できずブツブツと文句を言い続けたら、しおらしく話を聞いてくれるようになる。
「怖かったです」
梓が心の奥に隠していたことだって全部、聞いてくれるのだ。
「私は飼われるのも、監禁されるように管理されるのも嫌。怖いのも嫌です。利用できるのだとしても怖いと思う人とずっと生きていくのはできないんです」
いったい誰に言い訳しているのだろう。けれど本人には何度言っても伝わらないのだ……けれど、聞き入れてもらえないのだとしてもせめてこの気持ちが本当なのだと分かってほしいから、また、何度も言うしかなくて。
もし八重がヴィラの件で少しでも悪いと思ったのなら、八重にだけは、聞いてほしかった。
不穏な言葉が並んでうろたえる莉瀬には悪いが、梓はまっすぐに八重を見つめて、殊勝な顔が好奇心に染まるまえにと話を続ける。
「怖かったんです」
夢を、思いだす。
知りたいと思っていることも、逆に知りたいと思っていないことでも見る夢。何度も見るうちに分かったのは、実際にあったことや現在起きていることをその場に行って見ているということだ。おかしなことに、身体ごと転移しているはずなのに身体は実体を持っているときもあればそうでないときがある。
広い部屋に1人、部屋の隅っこで震えていた夢はどうだっただろう。知らない誰かが次々に入ってきて伸びてきた手が──ゾッとして、不愉快に身体を抱きしめる。
「樹さん……」
心配に吐き出された声は、伸ばしかけた手と一緒にひっこんでしまう。俯き揺れる視線に、そういえば莉瀬は何歳なのかと梓は疑問に思った。今更そんなことを思って、気がつく。聖騎士たちの姿がシェントやヴィラたちになっていたように、莉瀬のこともまだフィルターごしでしか見ていなかったのだろう。八重に聞いてほしいと訴えておきながら、自分はまだなにも聞いていない。興味を持っていなかったのだろう。
(自分ができもしないことを人に望んでばっかりじゃ、駄目だ)
梓は堪えるように唇を結ぶが、八重の表情を見て肩を落とす。
瞬きながら梓を見る目は違うなにかに関心を持ち始めているのがよく分かる。八重なりに空気を読んで口にこそしないが、それこそが今や八重にできる精一杯の謝罪となっている。これ以上、延々と理解できない愚痴を聞き続ける体力はもうないだろう。
梓はやりきれなさを吹き飛ばすように大きな溜息を吐く。そして驚く莉瀬に表情を崩したあと、八重を見て冷たく言い放った。
「……でも、分かりました。謎が解けたのでもう……分かりました。教えてくれてありがとうございます」
八重を許そうとは思わないが、一生ヴィラに聞くことはなかっただろう質問の答えだ。にこりともせず感謝する梓に八重は唇をつりあげる。
「茶化すつもりはないけれど聞きたいわ。悪者は他にいたことになるけど、あなたはそれでもヴィラを受け入れられないの?ときどきは、そう、まるで恋人のように親しく過ごした時間もあるのでしょう?」
「……はい」
「どうして?」
苦く答える梓に質問したのは八重ではなく莉瀬だった。素で聞いてしまっただろう莉瀬は目が合うと口をおさえて気まずげに視線をさ迷わせる。
可愛らしい反応に梓の表情が緩んだ。
「恋人のような時間もありましたがそれはもう終わったことですから。それと召喚された日のことですが……実行したのは彼です。思いこんで相手の話を聞かず、私を抑え込んで自分の望みを叶えていました。それにそれは1度じゃない。だから私は……この世界で生きていくために、一緒に生きる人として選べない。彼にも選ぶ権利があるように、私にも選ぶ権利がある」
淡々と、ともすれば穏やかに話しているのに吐き出される言葉は冷たいものばかりだ。
(終わったこと……そう)
八重は相槌を打ったが、それは梓には聞こえないほど小さなものだった。微笑み浮かべていた顔が視線を落として、ついには口を閉ざしてしまう。
そんな八重を置いて会話は続けられる。こうあればいいと望んだ光景が目の前にあるのに、八重は笑みを浮かべることができない。
「テイルは……どうなの?」
「……一緒に生きてほしい人です」
「そう……」
恥知らずと怒ることもできない。
おめでとうと言うこともできない。
莉瀬と梓は言葉を探して視線を落とすも、仲がいいことに同じタイミングで顔をあげて先ほどの八重のような表情を浮かべる。
情けない笑みを変えたくて、梓はポツリと呟く。
「私……テイルって、言い方が乱暴というか生意気って感じですけど、はっきりものを言ってくれるから好きなんです」
「……分かるわ。自分の言いたいことは言うけどちゃんと私の話も聞いてくれるから……好き。テイルはいつも私に新しい世界を見せてくれるの」
「分かります。怖がっても手を差し出してくれますよね。情けないこと言ってもそんなの当然だろって……子供っぽいとのに急に大人みたいな余裕をみせるときありませんか?」
「ふふっ、そうよね。年上なのに可愛いって思うときがあるの」
「分かります」
テイルのことを話す2人の微笑は作り物には見えない。それどころか幸せそうにはにかんでいて、いつぞやの喧嘩が嘘のようにお互いを見る目は優しい。話せば話すほど、静かに同意するだけでなくお互い強く頷くようになる。
きっと八重がいなければ2人ともまだ話していたことだろう。八重は眩しそうに眼を細めて、歪んだ表情にふさわしい声を吐き出した。
「私はもう汚れてしまっているのがよく分かったわ。私のほうがよく分かってる自慢にしか聞こえないのに……なにその顔……本当に凄いわ……羨ましい……」
葡萄ジュースをあおったかと思えば、負けたとブツブツ言いながら項垂れている。もしかしたら葡萄ジュースではなくお酒だったのかもしれない。そして酔い癖は絡み酒なのだろう。八重は昔話をしながら笑い、壁のようにあろうとしていたメイドに葡萄ジュースのおかわりを頼む。
メイドは了承とあわせて食事を片づけて、時間をさほどかけず戻ってきた。机におかれたのは葡萄ジュースだけでなく、2人分の紅茶と可愛らしいケーキもある。八重はもうすでに自分のケーキを食べて美味しいと太鼓判を押していた。
あと必要なのは、がらんどうな空間を埋めるような。
「……樹さん。その、勉強会はまだしているんでしょう?」
「翻訳本作りですか?はい、まだしています」
「参加してあげてもいいわ。私もこの世界で暮らし続けるなら……必要だと思うから」
会話をふったのは莉瀬だった。
思わぬことが続いて梓は目を丸くする。それは八重も同じだったが、莉瀬を見る表情はたちまち笑顔に変わった。
「いいじゃない!私も面白そうだから見学したいわ。異国の王子様もくるんでしょう?」
「え?異国……?」
「あ、はいそうなんです。この国にいる限り言語習得は難しいと思ったので、アルドアという国に留学するのはどうかって話があがったんです。留学をすぐにというのは難しかったんですが、まずは顔合わせという話になって、アルドア国の人と会う場が設けられるようになりました」
「へ、え……そう、なの」
「はいはい怖気づかないの。自分で参加するって言ったんでしょう?いい機会だから自分がいかに何も知らないか体験しなさいよ」
「……」
戸惑っていた表情がむくれて黙ってしまう。八重の大きな笑い声は莉瀬に追い打ちをかけて反感を買っているが、きっと承知の上のことだろう。
母親らしくない説教を思い出して梓の顔にも笑みが浮かぶ。
傍目にはこんなにも微笑ましくみえるものらしい。そして当事者になると、また混乱させられる。
ついに反論しだした莉瀬を適当に宥めていた八重は、梓の視線に気がつくと、にいっと唇をつりあげた。
「私、あなたのことがとても好きになったわ。やることなすこと可愛くて面白いのよ。だからこれからは沢山おしゃべりしましょうね。樹は私のことが苦手だろうし、もちろん白那たちと一緒でもいいわ。とにかく、たくさんおしゃべりしましょう?」
「……おしゃべりというより面白いから近くで見たいだけに聞こえますけど」
「違いないわね。あ、でも本当におしゃべりもしたいのよ?」
自由奔放な人だ。理不尽と思うようなことも平気で言ってカラカラと笑って、ずるい言葉をつけたしたあとは唇つりあげて判断をゆだねてくる
「八重さんって私のお母さんに似てます」
「そんな年じゃないって一応言っておくけど、光栄よ。でもそれなら樹はお母様と全然似てないのね」
「五月蠅いです」
「でもさっきも言ったけど私はあなたのことがとても好きよ?」
「……五月蠅いです」
母のようにそんなことを言うものだから、弱くなった涙腺はすぐに反応してしまう。梓はごまかすために眉を強く寄せるが、楽しそうに笑う人にはどんな表情をみせても変わらないだろう。
「どんなふうに呼ばれてたの?梓?梓ちゃん?」
「負けました。負けましたからもう好きにしてください」
「あらやった。それじゃあ梓って呼ぶわね」
「梓……?」
情報通の八重のことだから知っているだろうとは思っていたけれど、名前のことまで畳みかけられて梓は笑ってケーキを食べるしかなくなる。ケーキを食べつくすまでの会話に改めての自己紹介はうってつけだろう。
梓は混乱する莉瀬に「実は」と話だした。
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