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第二章:変わる、代わる

150.お相子

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すっかり日が落ちた夜の時間、ギイっと小さく軋みながらドアが開いた。揺れる蝋燭のなか顔をあげた梓は瞬いたあとベッドからおりる。シェントが帰ってきた。数日をまたぐ遠征にでたときは寂しさや不安も少なからずあったが、これからのことを考えて色々と取り組むこともできると思えばそんな時間もいいだろうと思っていた。
けれど見えたシェントの姿に震えた心臓はどんな虚勢も意味がないほどに正直だった。梓を見て嬉しそうに笑った顔、梓を呼ぶ声、伸びてきた大きな手。読んでいた本が床に落ちたことも気づかないまま梓は駆け寄る。

「お帰りなさい。無事でよかったです」
「ただいま梓。会いたかった」

口づけて、微笑んで口づけて、抱きしめられた強い力に足が少し浮く。心臓は五月蠅くて嬉しさで高ぶった感情に顔は熱くなってと忙しい。そのくせ抱きしめられるとホッと安心して、ようやく呼吸ができた心地になる。
どうやらそれはシェントも同じようで、梓の頭に深いため息がかかる。顔をあげればシェントが眩しそうに目を細めた。

「座ってください。いま、お茶淹れますね」
「ありがとうございます」

用意していたお茶が無駄にならなくてよかった。梓はシェントと話ながらようやくシェントにお茶を淹れることができると表情を緩ませる。
遠征の話はやはり恐ろしい魔物が占めていて微笑みは息をひそめてしまうが、それでも、大事な話だからと意見を交換し合う。連携をとることや動きに変化がみられる魔物は以前と違い人を殺すという単純な思考だけでなく進化しているようにもみえる。明らかに数が増えたという兵士も多く、最近は討伐だけでなく大規模な調査も進められているらしい。そのせいでシェントは長い遠征にでることになったのだが、これからを考えれば必要なことだろう。その結果によっては梓たちのこれからも変わることになる。

「麗巳さんと話しました。召喚を無くす件について可能なぶんだけ力を貸してくださるそうです」

苺を口にしたシェントが梓を見て瞬いたあと、しばらくすると頷く。
夜も遅いからとジャムティーはやめて紅茶にしたものの、苺が好きだと言ったシェントに食べてほしくて買っておいた苺はシェントの心を少しでも癒してくれるだろうか。そんなことを思いながら梓は神子全員と話したことや麗巳とのことを話していく。たくさんのことがあった。そのすべてを話し──話そうとして、結局最後までルトのことは口にできなかった。ズルい心は醜くて甘い苺を食べて誤魔化そうとしたものの甘すぎて喉越しが悪い。誠実じゃない自分の姿に思い出した人は梓を責めるようにじっと梓を見て口を開こうとする。なにを言うか分かっている梓は紅茶を飲んで、今度こそ誤魔化せた。

(シェントさんもきっと私に言ってないことがある……そうだったらいい。そしたら私も同じだし……そうじゃなかったらいい)

我ながら面倒なことをと思いながらも梓は会話を続ける。
穏やかな、ゆっくりとした時間。チクタク時計が鳴って蝋燭は短くなっていく。冷えてきた身体にストールをきつく巻き付けた梓は、ふと考えて、俯く。

(抱きしめてほしい)

甘い時間に溺れたい。そうすれば余計なことを考えなくていいうえにシェントだけのことを考えていられる。ああでもここで生きるにはそれじゃ駄目だ。ああでも……冷静に囁く自分を消してしまいたい。
まだ生理が終わっていなくてよかったのかもしれない。恥を忘れてシェントにねだる自分の姿を想像してしまって梓は顔を赤くする。



「……テイルとは話しましたか?」



突然ふってきた言葉は冷水のようで、梓は声を失う。顔が熱を失って、ドキリとはねた心臓は隠れるように小さく音を鳴らす。白那に聞かれたときは違って強く返せない。


「話していません」


顔をあげて答えた梓は微笑んで、落ち着いたものだ。よく見たことがある顔にシェントは困ったように微笑む。嬉しいと言ったらきっと梓は拗ねるだろう。

「……でも、莉瀬さんにシェントへの伝言を頼んだので、もしかしたら近々ちゃんと会って話せると思います」

梓はポツリポツリと莉瀬とのことを話しだす。ずいぶんと言葉を選んで話を進めるなか自分を責める言葉は流暢でシェントは表情を崩せない。梓らしいといえばそうだが、メイドに伝え聞いたような強い意志を持った姿とはまるで違って、また、悩んでいるのだと察しがつく。
話してほしいと思いつつも、そう簡単にできないことも分かってシェントは梓の頭を撫でる。お相子だ。見上げてくる不安そうな瞳にシェントは笑った。
その顔があまりにも優しい表情をしていて、梓は首を傾げてしまう。

「気を悪くしないんですか?えっと、この世界と価値観がズレてるっていうのは分かっていますし、シェントさんも他の夫を提案してたけど……そういう人のことで悩んでるのって……私だったら嫌」

可愛い独占欲だ。そう、きっとこれは独占欲で、シェントは喉が鳴る。思い出す言葉に胸が震えて笑みは暗い感情を隠すようにつりあがる。こんなに嬉しいことはない。


「……少し嫉妬しますが、そうですね。お願いがあります」


頬に触れれば腫れは残っていないようだった。安心しながら肌を撫でれば甘えるように擦りつけられて、シェントは幸せに目を細める。

「どんな相談にものりますよ。テイルや他の男でも、誰であろうと、どんな相談でも」

他の夫に梓が抵抗を覚えているのは元の世界の価値観だけでなく、シェントへの想いがそうさせている。その確信に心の底から微笑むことができるシェントは自分がどれだけ心の狭い人間かよく分かってしまった。その枷を外してやれるのは自分だけで、きっとそれは新たな枷になって梓に残り続けることも、よく分かった。

「ですがあなたが私だけのことを考えていると確信できる時間がほしい」

それない視線がゆっくり閉じられて、口づけを受け入れる。
我儘を嫌な顔どころか受け入れられることが嬉しい。触れることのできる関係が嬉しい。想いを打ち明け合って自分と同じような表情を浮かべる存在が嬉しい。

「私も、あなたが私だけのことを考えてくれてる時間がほしいです」

漏れた甘い吐息にのせられた言葉が頭を狂わせる。シェントは梓に口づけながら自分の中に芽生えているおかしな感情が正常のような錯覚をしてしまう。このままでいてほしい──梓には笑ってほしい──そのまま悩んでほしい──幸せでいてほしい──他の夫と自分との間で悩んでしこりを残してしまえばいい──悩むことなく穏やかな時間を過ごしてほしい。相反する感情が揺れに揺れて一気に傾いてしまいそうだ。


「──さん、シェントさん」


シェントを呼ぶ乱れた声に我に返ったシェントは梓が目を閉じて息を整えているのをいいことに、ゆっくりと、表情を変える。穏やかに微笑み「梓」と呼び、梓が肩の力を抜いて信頼に微笑むことができるように返事をする。
けれど目が合った梓は気まずそうに視線をそらし、落ち込むように俯いてしまう。

「あの、わたし今日生理で……だからできなくて……でも、一緒に眠りたいんです……ぎゅって抱きしめてほしい、です」

ようやく話し始めた顔は恥ずかしさに歪んで、最後は不安そうに表情を落とす。
なぜそんな顔をするのか分からない。分かるのはそんな顔をさせてしまったということぐらいで、シェントは有無を言わさず梓を抱き上げる。伸びてきた手がシェントの肩におかれ、脚はシェントを捕まえるように挟んでくる。驚きに目をぱちくりとさせる梓を見上げれば、混乱しているのかじっとシェントを見続けるだけで、ああ、それも嬉しい。

「梓、愛しています。私はあなたのことが愛しくてたまらないんです。あなたはもっと自覚したほうがいい」
「えっ、あ」
「あなたと肌を重ねるのは正直好きですよ。あなたが私のことだけを考えていると、よく分かる。普段見せない顔も甘くねだる声も、私を求めてくれているのだとよく実感できますし、肉体的にも精神的にも気持ちがいい」
「う、あ」
「けれど肌を重ねるのが目的じゃないんです。あなたがほしいんです。あなたの隣にいる権利がほしい……梓、愛しています」
「わ、分かりました、分かりました!」
「いいえ、不安になんてならないように何度でもいいます。私はあなたを愛しています。それに肌を重ねるだけが私だけのことを考えさせるものじゃないでしょう?それとも梓は私だけのことを考えるのはその時間だけですか?」
「違います!ちが、シェントさ……んっ」

梓の唇を塞いだシェントは長い拘束のあと微笑む。シェントを抱きしめる身体はすっかり緊張を緩めていて、照れを混ぜた嬉しそうな微笑みはシェントだけを見ている。こんなに嬉しいことはない。
布団をめくってゆっくりと梓をベッドにおろせば散らばる黒い髪。隣に寝転がって、お互いの姿が隠れるまで布団をかければ暗闇に浮かんだ顔が微笑んでシェントの名前を呟いた。


「あなたが大好き。愛しています」


梓の甘い囁きにシェントはうまく微笑むことができたか分からなかった。
(ほんとうに、もっと自覚したほうがいい)
温かい小さな身体を抱きしめてシェントは梓の名前を呟く。そしてもうきっと梓が不安を口にすることはないぐらいのたくさんの想いをこめて、その耳に言葉を囁く。


「愛しています、梓」


(──もう手放すことを考えられないぐらいに)
最後まで口にしなかった言葉は、きっと、これからも言えない。そうであるといい──そうでなければいい。相反する感情を抱きながらシェントは幸せに微笑んだ。







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