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第二章:変わる、代わる

131.「奇遇ですね」

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神に見放された。
それは神を身近に感じその目で見た者さえいるこの世界には絶望に値するもののはずだ。しかしシェントは自嘲するだけで畏れ嘆いているようすではない。

「いまよりはるか昔、この国の王子が魔物を退けるため神に祈ったのだそうです。仲間は死に王も死に、けれど民を守るため1人で戦う王子に神は祈りに応えて祝福を……神子を授けました」

神話や絵本の【ひとりぼっちの王子様】と同じ話だ。
大丈夫。王子さまはもう1人じゃない。

「魔物はびこる地に召喚された神子は魔法を使う王子の助けとなって瞬く間に魔物を一掃されたのだそうです。神子が召喚された場所は神の祝福を受けた地として神殿が建てられ、城も神殿を中心として再建しいまの王都ペーリッシュとなりました。そして神子が召喚された年から5年ごとに月と太陽が重なるようになり、その日に魔力を奉げて祈ればこの世界の者でも召喚が行えることが判明しました。そもそも祈らずともその場所は神の祝福のおかげか近くに存在するものの魔力を奪って召喚という役目を果たしてしまう。そこからはこの世界の滅びを食い止めるべく神子の力を借りながら魔物を退けていき、殲滅までは叶いませんでしたが人が外を歩けるようになりました。この功績によって王都ペーリッシュは神に祝福を受けた国として世界に広まり、神子を一目見ようと多くの者が訪れ……そのなかの1人が神子に心を奪われて神子を浚いました」

誘拐。
ヒヤリとして手を握り締める梓は思わず眉を寄せてしまう。めでたしめでだしで終わる絵本ではないのだ。現実には続きがあって、そして現在がある。変えられないことだ。
シェントは話を続けていく。

「それを機に人同士で戦争が起き神子の奪い合いとなったのですが、結果この国は勝利し、けれど、神子の重要性を思い知った王は安全のためにと神子を城の奥に閉じ込め人の目に触れさせないようにしたのです。神子の身を守ろうとした心は本当だったのでしょう。ですがいつしか神子は人ならざるものとして敬われ、そして、続けられる召喚に増えた神子のことを魔力が宿るものとして扱うようになった」

アラストに恋する千佳をみて抱いた冷めた気持ちを思い出す。
神子は道具だ。道具に恋なんてしないだろうに。
そんな考えをこの世界の人間も持ったのだろう。

「戦争で多くの人が死に次を担う子さえおらず、この世界の者は神に救いを求めたというのに自ら滅びようとしていた……滅びてしまえばよかったのでしょうがね。この世界の者は人と反して増え続ける魔物に対抗すべく神子を道具として扱い自らを救おうとした。建前は人として扱いながらも部屋に囲って自由を許さず、望み通りにならなければときに凌辱さえして死ぬまで魔力を奪うようになったのです」

麗巳の笑い声を思い出す。悔しくて苦しくて……笑うしかない。
ああ、だから。

「そんな日々に耐えかねて1人の神子が命を絶った日……その日こそが神が降臨し神子麗巳の願いを叶えた日です」
「自殺……」
「はい。私はその場にいなかったので詳細は分かりません。確かなのはその日、この国の王を含め神子に害した魔物どもを神子麗巳が自らの手で断罪したこと、神がそれに喜び麗巳の願いを叶えたことです」
「……」

すぐには受け入れられない事実には梓は視線を伏せる。
神子が自殺し、麗巳が自身を害する者たちを自らの手で断罪し、それを喜んだ神は麗巳の望みを叶えた。麗巳がこの国の人間を断罪できたのは魔法が使えるようになってからのはずだ。魔法以外の方法を手段として持っていたのならもっと早くに殺していたはずだろう。なにかがおかしい。

「麗巳さんが神様を喚んだんですか」
「神は神子麗巳の叫びに応じるように姿を現したと聞いています。神子麗巳は神の姿を見て咽び泣き、それからは神子麗巳の叫びを神は喜びながら聞いていたということは分かっていますが、その内容は誰も知りません。というのも言葉が分からなかったからです」
「……言葉が分からない?」
「はい。梓、いま私たちが会話をして意思疎通ができているのは神の魔法によるものです」
「え?」
「それまでは神子の言葉を知る者は誰もいませんでした。神子が違う世界から召喚されていた人であることが分かったのも言葉が分かるようになってからです」

日本語はこの世界ではまったく別の言語で通じないものだった。人ならざるものとして扱っていた神子の理解できない言葉は同じ人とは思えないひとつの要因となったのだろうか。
──ああ、だから。
分かるたびに苦しくなって喉が震える。浚われ奪われ、人として扱われなかった境遇だからこそ願っただけではなかったのだ。
梓はヴィラとのひと月が始まったばかりのころ、1人で広場にいたときのことを思い出す。寂しい。1人で心細くて、悩みや寂しさを紛らわせたくても心の底から頼りにできる人はいない。気軽に相談できる人も、馬鹿な話ができる人も、愚痴を言える人もいない。
『ねえ、ちょっといいかな?』
突然現れたフランに恐怖よりも驚きが勝って、誰かと話せる嬉しさに笑みさえ浮かべてしまった。
──麗巳さんにはいなかった。
だから、話すことにだけ死という重いルールを科した。矛盾した気持ちが分かって、きっとそのとき同じように泣いただろう麗巳のように梓はボタボタと涙を落とす。これは麗巳の復讐だった。話したくても話せず奪われる辛さを思い知らせてやりたくて、けれど、自分自身に欲しかった救いを残して知ることを止めはしなかった。重なった命令から選べるようにさえして、この世界に召喚される神子にも選べるようにして。
──麗巳さんがこの魔法をかけたのはもしもの先が見たかったからだ。
もしも、言葉が通じていたら。
もしも、話すことができていたら……。
──それで、自分を責めてほしかったんだ。なんでこんな酷いことをしてるんだって止めてほしいんだ。


「梓。いちど休憩しますか?」
「いえ、このまま教えてください。麗巳さんがこの世界の人と会話ができるように魔法を使ってからどうなったんですか。神様と麗巳さんはなにを話したんですか」
「神子麗巳が?……そうですね、それからの会話は嘆き叫ぶ麗巳に応える神の姿とともにこの国の人間すべてが聞きました。他国の者には聞こえず、この国の人間だけ例外なくです」


ジャムの店主がしてくれた神を見た日の話を思い出す。
『あなたは神子様なのですか?』
畏れる声は神子の呪いじみた願いを神が喜んで叶えたことによるものだったのかもしれない。

「神より魔法を授かってすぐ神子麗巳は自身を捕まえようとした者を殺し、叫びました。『絶望してしまえばいい。大事な人を奪って私を物として扱ったこいつらも同じような目に遭えばいい。奪われる辛さを思い知ればいい』そう言ったあと神子麗巳は自身を害した者たちをすべて断罪してみせ、そのあとルールを作りました。ルールは命令されない限り秘密を話してはいけないというもので、破れば死という罰がくだります。その場にいた者をあわせて作った聖騎士は神子の願いを叶えるために存在するものとし、自身が守る神子以外の神子に会ってはならない決まりがあります。このルールを神は喜びに笑みながら了承しました。そして次代の王は神が自ら選ぶと宣言し、姿を消したのです」

そして現在に至ると話し終えたシェントと目が合う。自嘲し、それていく視線にすぐ声をかけることはできなかった。
どうにも違和感が残るのだ。梓と麗巳が似ているという前提で考えればおかしい点がいくつかある。きっとこれはシェントにとっての真実なのだろう。梓がそうだったようにシェントだって、たとえば罪というフィルターでその日を覚えている可能性がある。
──だけどどうしたって私は。
喉が渇いて唾を飲みこむ。きっと難しいだろう。麗巳でさえ出来なかったのなら神に願っても無理なのかもしれない。それでも梓は決意に拳を握り締める。

「私、最近フィルターごしに物事を見て好きなように歪めてるって知ったばかりなんです」

違う真実があるのかもしれない。
けれど梓にとって確かなのは召喚魔法で誘拐されすべてを奪われた事実だ。

「だからシェントさんが見てきたものだって全てじゃないって……そう思うんですが私……私は神子の召喚を無くします。召喚がなくなればこの国が滅びかねないのは分かりますが……いえ、そうだとしてもです。そうですね、私はこの国を滅ぼそうと思います」

許せないのだ。どうしても、許せない。召喚魔法をこの世界から消してしまいたかった。
消す方法も分からなければ、消せたのだとしてもその後どうするかもまるで分からない。これからさき魔物が襲ってきても、これまで通りいまいる神子が死ぬまでは問題ないだろう。だが、召喚が途絶え神子も全員いなくなった未来はどうだろう。そこまで責任を持つ必要はないだろうか。いや、それ以前に神の祝福が消えたことで魔物がより襲ってくる可能性もある。それどころか神の祝福を奪った者としてこの国のみならずこの世界の人間から追われることになる可能性だってある。

──でも。

許せない心は揺らがない。けれど不安に震えて息をひそめてしまうのは怖くてたまらないからだろう。
シェントはなにも言いはしなかった。長く感じる沈黙が不安をよぶ。シェントも召喚を消してしまうことができなかったと言っていた。けれど、それなら生きるためにと続けその罪を背負うと決めたシェントはこの決意をどう思うだろう。できるわけがないと否定し、今更と悲観に暮れる可能性だってある。もしかしたら拒絶し反対する可能性だってある。
──拒絶されたらどうしたらいいんだろう、なにを言えばいいんだろう。
決意を変える気はないのに怖くてたまらなくて自己嫌悪に手が震えて、


「奇遇ですね」


聞こえた返事に耳を疑った。
梓を見て微笑んだシェントはそのまま穏やかな声で続ける。

「私もこの国を滅ぼしてしまいたかったんです。形だけ残して滅んだようなものですが、跡形もなく消してしまいたいんですよ。神への妄執に囚われて関係のない者を犠牲にしてでしか生きられない国は滅ぶべきだ」
「……」

思いがけず力強い味方ができたのは心強いが、邪気なく微笑むシェントにつられて微笑んだ梓の笑みはそのまま固まる。
──シェントさんって結構、怖い?
物騒な発言がするすると出てくるシェントに思わず手を小さくあげながら聞いてしまう。

「でも、召喚を続けることにしたのはこの国に生きる人を守るためだったんじゃ?」
「あの日以降生まれた者を守りたい気持ちはありますね。魔物はまた多くなって苦しい状況の日も増えましたし、生きるためには力が必要なのは確かです。ですがあの召喚を消してしまうことができるのなら私は喜んで力を貸しましょう。召喚は5年ごとに確実に起きてしまうと言いましたが、神の祝福として機能するときよりも多くの人間で祈ったほうが召喚される神子の人数は少ない傾向があるんです。私は……召喚を消せないのならせめて犠牲者が少なくあればと思い儀式に参加しているだけなので、消してしまえるのならこれほど嬉しいことはありません」

淡々と話すシェントに梓は初めて召喚された日のことを思い出す。
『今回の神子は3名か……』
感情なく呟いた声が梓たちにここが異世界なのだと思い知らせるように使った輝く魔法を思いだす。
『樹は怖くないですよ。ただ、どう接したらいいのか分からないときが沢山あります』
自分の言動を神子に委ねる自己犠牲じみたところを、思い出す。
──それしか方法がないから生きるためなんて言って勝手に罪を背負ったんだ。
いろいろと腑に落ちて顔が歪んでしまう。そんな梓を見てシェントは手を伸ばしかけたが、結局、握りこぶしに変えてしまってそのまま止めてしまった。いつもならと思ってその理由に思い至った梓は胸を焦がす感情に目元を緩める。
歪んだ視界が消えてシェントの顔がよく見えた。


「馬鹿な人ですね」


笑った梓の目から涙が落ちて頬を伝う。たまらず手を伸ばしたシェントはそのまま梓の頬に触れて涙を拭っていった。触れることのできる身体。感じる体温に苦しいほど嬉しくなる。
──私、この人が好きだ。
隅から隅まで丁寧で作られたような人の正体はとんでもなく不器用で馬鹿と思ってしまうほど真面目な人。人を責めるより自分を責めるほうが得意で、ああ、だから『馬鹿ですね』と笑ったのだろう。
俯き泣く梓を抱きしめる手は子供をあやすように背中を撫でてくる。しゃくりあげながら泣く梓が穏やかな寝息をたてるまでずっと、ずっと。
──シェントさんも同じだったのかな。
心を満たすむずがゆい気持ちは口元を緩めてしまってしょうがない。同じ想いでシェントが梓を『馬鹿ですね』と笑って愛を告げたのだというのなら、それはなんて嬉しいことだろう。幸せに喜ぶ心は嬉し涙まで流してしまう。
『神子麗巳が作ったルールに神は喜びに笑みながら了承しました』
──神様は、なんで喜んだんだろう。
梓が喜ぶものと比べればずいぶんと恐ろしいことに喜んでいる。その場にいた人たちはなにを想っただろう。麗巳と神はなにを話したのだろう。
神。
信じられない存在、理解できない存在、遠い存在……人生を簡単に狂わせ生死を握ってそれを高みの見物する。
──どんな存在なんだろう。
どんな。




「この世界の奴らの願いを叶えたのなら私の願いも叶えなさいよ!糞野郎!」




ふわり漂う夢のような世界が、泣き濡れた怒声に破られる。








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