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第二章:変わる、代わる

80.ミス

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魔物討伐をようやく終えたヴィラは自室に戻るなり荷物を放り投げ血に汚れた服を脱ぎ捨てたあと風呂に入った。だというのに熱いシャワーに落ちていく汚れはいつまで経っても赤茶色でヴィラは乱暴に自分の頭をかきむしる。自分でも信じられないぐらい気が急いていた。
今回の魔物討伐ではヴィラ自ら先陣を切ったものが多くその活躍のお陰で今回長期にわたると見込まれていた魔物討伐は数日で終わることになった。そのお陰でフランたちに探るような目を向けられることにもなったが、ヴィラの力を目の当たりにした兵士たちは畏敬の念を込めてヴィラを讃える。その盛り上がりは大きく祝勝会が開かれるまでになったが、主役のヴィラは会場に出向くことさえなく部屋に直行して現在に至るのだった。

――もう寝てるだろうか。

時間は夜の9時を過ぎた頃だ。以前その時間より前に寝ていた梓を思い出してヴィラは眉を寄せてしまうが、腕のなか顔を真っ赤にして睨んできた顔を思い出せば表情は緩んでいく。
ヴィラはようやく汚れが落ちた身体を適当にタオルで拭きながら服を着替え――そのまま鍵を取ってドアノブに差そうとしたところで止めた。ずくずくに濡れたタオルを放り捨て、新しいタオルで髪を拭く。
――髪を切ろうか。
水分を含んだ長い髪に舌打ちしてしまうが、こればかりはヴィラの一存ではどうしようもない。ヴィラは重い息を吐いてしまうが、部屋の灯りを消して今度こそドアを開けた表情は僅かに微笑みを浮かべている。ドアの先に続く部屋が明るかったからだ。

「……あ、ヴィラさんこんばんは。お仕事お疲れ様でした」
「……こんばんは」

梓はヴィラを見つけると柔らかい微笑みを浮かべたどころか労ってくれる。ヴィラは梓から目が離せず呆然と挨拶を返した。最近嫌がる梓を抱き枕にして寝るようになってからというもの猫のように警戒されることが多くなって、今梓が浮かべるような笑顔を見る機会は少なくなった。

――嫌がる……そうだ。分かっている。

梓がヴィラをいつまでもさん付けで呼んでしまうのも本人に呼ぶ気がないからだろう。
ヴィラを見てはいないのだ。

――分かっている。

ドアを開けたとき心に広がった気持ちがどこかへ消えてしまう。ヴィラは無言で梓の向かいにある椅子に座った。梓は大きな黒いストールに埋もれるように椅子に座っていて、目の前にヴィラが座ったのを見るとなにやら得意げに微笑みだす。様子がおかしい梓にヴィラが問いかけようとしたとき、小さな唇が意味の分からないことを語り出した。


「私、分かりましたよ」
「……何がだ」
「ヴィラさんが私にやたらと触ってくるようになった理由がです」


恐らくこの話しのために梓はヴィラを待っていたのだろう。自信満々な顔を見てヴィラの表情が緩んでいく。梓の顔に触れたくなったがそれをすれば話しを遮るなと怒られるだろう。
――ベッドのなかで話してくれたらもっといいんだがな。
それこそ梓が知ったら怒るだろうことを考えながらヴィラは頷く。ヴィラも興味がある話しだったからだ。

「聞こう」
「ずばり魔力欲しさです」
「……どういうことだ?」

気になることを言う梓にヴィラが素直に尋ねてみれば、ココアに息を吹きかけていた梓がヴィラを見上げた。茶色の瞳はヴィラを怖がってもなければ警戒もしていない。ヴィラも安心して椅子の背にもたれる。

「そもそも私達神子を召喚した理由が魔力のためですよね。ヴィラさんのように魔法が使える聖騎士は魔物と魔法で戦って消耗した魔力は女性で……神子で回復する。最近魔物と戦うのに魔法をいっぱい使ってるんじゃないですか?だからやたらと私に触るようになったんですよ。無自覚に神子から魔力を得ようと動いたってわけです」
「確かに最近魔法はよく使うが」
「そうですよね!それにもしかしたらヴィラさん、他の神子より私のときのほうが魔力の回復が早い……ですか?」

自分で言いながら梓は気まずくなって視線を逸らす。私のときのほうが、という言い方にテイルや千佳との会話を思い出してしまったからだ。
――別に他の神子より秀でたいわけじゃないし私を見てほしいからとかじゃない。
まるで自分が特別だと言っていることに恥ずかしくなる。そのうえそんな姿をじっと見てくる天然のせいで余計恥ずかしくなってくる。梓は困ってしまってついには返事のないヴィラを睨んでしまったが、いつのまにかヴィラは考え込むように口元を手で隠して視線を落としていた。そして他の神子との比較でも済んだのかヴィラは視線を梓に戻す。

「いや、変わらない」
「そうで――え?そうなんですか?」
「ああ」
「え……?」

恐らくヴィラは嘘を言っていない。真面目に頷くヴィラを見て梓は疑問に俯いてしまった。首を傾げながら考え込む梓は目の前のヴィラの表情には気がつかない。


「俺がお前に触れたいのは触れたいからだ」
「え?……いえ、その理由が魔力欲しさという話しです」
「魔力は傍に居るだけで移る。お前が自分で言っていたことだろう」
「え……?そうですけど、え?あ……触れるほうが早く回復するから触りたくなるんです。それなら結局理由は魔力欲しさになりますよね」
「さっきも言ったが他の神子とお前で違いは特に感じない……確かに時々魔力の回復が早いときもあった気はするが正直分からん。俺が気になるのはお前がこだわる理由だ。俺がお前に触れたい理由が魔力でないと困るのか?」
「困るわけじゃ……困ります」


そうだ、困る。
梓はヴィラの視線から逃げるようにココアを飲みながらルトとの検証を思い出す。
――魔力の回復は人による?
ルトには魔力の回復が早くヴィラには変化がない、その理由はなんだろうか。……分からない。なによりもこの空気からどうすれば逃げられるのか梓には分からなかった。前提が崩れてしまったらまたあの日の再来になりかねない。

「俺がお前に触れたい理由が魔力欲しさだと言えばお前に触れてもいいのか?それなら俺は魔力欲しさだと言おう」
「だからどうしてそんな話しになるんですかっ」
「分からんな。俺がお前に触れたいのだとずっと言ってきたつもりだ」

椅子から立ち上がったヴィラが梓の持っていたカップを奪い梓の手を握る。危険を察して同じく立ち上がりかけていた梓の身体は止まらざるをえない。ストールが床に落ちて夜の寒さが梓を襲う。蝋燭に揺れ見える景色はなんだろう。ヴィラは不満を抱く子供のような顔をしていた。そのくせその声は低く真剣で、黒い瞳は梓から逸れない。


「今までの神子は愛故に身体を重ねたいのだと言っていた。俺はお前に触れたいしお前が許してくれるのならいますぐ抱きたいと思う……それなら俺はお前を愛しているということになるのだろう」


目の前で話すヴィラは何を言っているのだろう。
梓は呆気にとられながら、恐らく告白といえる言葉を頭で反芻してしまう。

「え?ぁい?」

恋とは縁のなかった身だというのに愛という言葉を囁かれて梓は後ずさってしまう。それを逃げられるとでも思ったのかヴィラは梓の手をひいてその背を抱いてしまう。

「いや待って、待ってください。そもそも愛?愛故に身体を重ねるってそれありきじゃないと思いますし、抱きたいから愛してるってイコールはどうかと思いますし」
「神子はそうやって俺達に愛を願った」
「私はあなた達の身体なんて望んでませんって!気持ちとか、そういうのも欲しくないっ」

愛を説く神子がそれを得るためにセックスを使い、聖騎士は聖騎士で魔力が得られるセックスを拒まず――そのせいでこんなおかしな価値観が出来てしまったんだろうか。梓は混乱しながらもヴィラが真剣に訴えるように梓も必死でヴィラを見上げた。眉の寄った顔は怒っているようにも思える。けれどそれよりも傷ついた表情に見えるのは気のせいだろうか。
――私は間違ってない。
そのはずなのに梓の顔は自信を失っていく。

「それに、それは愛じゃないですよ。そんなのただヤリたいだけじゃないですか。別に、っ」

私じゃなくてもいい。
続けようとした言葉が途切れてしまう。手を握る強さに驚く梓を見て、ヴィラ自身も驚いた顔をしていた。それからヴィラは悩むように視線を落としたものの、梓を手放す。梓はすぐにヴィラから距離をとったがヴィラはそれを見るだけで。

「ならお前は知っているのか。俺がお前に触れたい理由はなんだ?それが魔力のせいだと言うお前を腹立たしく思うのは何故だ」
「それは……知りません」
「ならば誰が知ってる」
「へ?」

食い下がるヴィラに梓は困り果てて間抜けな声しか出ない。この問題を解決する答えを知っている人がいるのなら梓のほうこそ頼りたかった。恋愛関係に疎いところに価値観の違いや聖騎士と神子の歪な関係まで加わってしまえば梓の手に負える問題ではない。そんなことが出来る人なんて――いる訳がないと思った瞬間梓の脳裏に横切ったのは太陽のような笑顔だ。思いついた人物に梓の口はすぐに言葉を作り出す。

「白那……白那にでも聞いてください」
「アイツも神子だが……?まあいいアイツは知ってるんだな?分かった」
「え」

一人話しを完結させたヴィラは背を向けたかと思うとあっという間に部屋を出てしまった。梓は何が起きたのか理解できずしばらく呆然と立ち尽くしていたが、力が抜けて椅子に座り込む。

机に置かれていた蝋燭が大きく揺れて――消えた。





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