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【囚われの、】
23.無能な神子
しおりを挟むなにか音が聞こえた気がして梓はゆっくり目を開ける。そして見え始めた光景は見慣れないものばかりで、一瞬まだ夢を見ているのかと思った。そうではないのだと分かったのは見慣れない家具に紛れる見慣れない男を見つけたときだ。床に寝る男の足には鉄球と繋がっている鎖が嵌められている。手は吊るされていなかったが、壁には男を吊るしていた枷がついたままだ。どうやら昨日のことは現実で、男の現状はシェントが来たことにより改善されたらしい。床とはいえ絨毯が敷かれた場所で眠る男を見下ろしながら梓は目を擦る。ぱさりとかけられていたらしい毛布が床に落ちた。
「……?」
いつの間に寝てしまったんだろう。
梓は毛布を取って畳みながら辺りを見渡す。鉄格子で囲われているものの施錠はされていないらしい。試しに扉を押してみたらキィと音を立てて開いてしまう。
──こんなに不用心でいいんだろうか。
梓は変に心配してしまう。もしかしたら梓にとって男は救世主になるのかもしれないが、そのぶんこの国にとって男は目障りな存在のはずだ。それが施錠されない牢屋のなか鉄球という重りをつけられているものの男の拘束を外した状態だ。
──逃げられない自信がある?そうだとしたら昨日の状態はいったい?シェントさんと知り合いだから?この件がシェントさんの預かりになったから状況が改善された?この人はシェントさんと知り合いみたいだった。アルドア国の第二王子……。
「おはようございます、樹様」
思考に沈みそうになった梓を現実に連れ戻す鈴のような可愛らしい少女の声。あまりにも場にそぐわないからか梓はぞっとしたものを覚えて振り返る。白と黒を基調としたエプロンドレス、ナイトキャップのような帽子からこぼれる緑色の髪──カナリアだ。少女ながらカナリアは上品に微笑んだ。
「お務めご苦労様です、樹様。差し出がましいこととは存じますが、一度、部屋へ戻られてはいかがでしょうか?」
牢屋につれてこられる一端を担ったカナリアに言われているからだろうか。どこか皮肉めいた言葉のうえ突然の提案に梓はひきつりながらも微笑む。
カナリアは続けた。
「テイル様より伺いましたが風邪を召されたとのこと。ご自愛下さいませ」
風邪?テイルがそう言ったの?
疑問に眉を寄せたがカナリアには違う意味に解釈されたようだ。カナリアは微笑んだまま、はっきりとした口調で言う。
「いまからその男の包帯を代えなければなりません。失礼ながら樹様には難しいかと思いますので退出してくださるととても助かるのですが。……ああ、それともご覧になりますか?この男も生まれが違えば聖騎士となれるはずだった者。丁度いい相手でしょうから」
今度こそ悪意ある言葉に梓は目をぱちくりとさせる。微笑むカナリアの梓を見る目は冷たい。
「……そうでしたか。それは失礼しました。ですが仰る通りお努めしなければならないもので」
「ああ、それでしたら夕方から朝方までの間にお願いいたします。それ以外の時間はご遠慮ください。……テイル様は他の神子様が癒して下さっていますので残りの時間をこの男にお使いください」
「分かりました。それでは」
ここで追及しても非難しても疲れるだけだろう。あからさまに態度を変えたカナリアの様子を見るにあの男が言っていた”無能な神子”という言葉はこの国にとって大きな意味のある言葉のようだ。きっと意味は言葉通り。神子として無能なのだ。手っ取り早い方法に抵抗を見せ、それどころか触れられないように魔法をかけてもらったり聖騎士と距離をとったりする神子なんて、この国からすれば都合の悪い存在でしかないだろう。そんな無能な神子を敬い諂う理由はないということだ。
梓はカナリアとの会話を早々に打ち切って踵をかえす。部屋への道のりはうろ覚えではあるが、カナリアに聞くよりは迷ったとき見つけた誰かにでも聞けばいいだろうと判断した梓の動きはまっすぐだ。そんな梓の後ろ姿を見る少女は忌々しそうに眉を寄せている。
「無能のくせに神子を名乗るなんて、恥ずかしくないの」
感情露わに暴言を吐くカナリアの姿は歳相応だったが、床で寝る男が身じろぎした瞬間人形のように表情を消す。
「……ああ、こんな奴殺してしまえばよろしかったのに」
そしてカナリアは仕事を始めた。
「ここどこ……」
そして梓は見知らぬ場所で溜息を吐いていた。
記憶を頼りに歩いたものの、そういえば牢屋に向かうときパニック状態だったうえ不穏な空気を感じてからはそれどころじゃなかったし牢屋での出来事は前後の記憶をあやふやにしてくれた。つまり、本当にうろ覚えだったのだ。
──神子だからある程度の場所はどこでも行けるとは言ってたけど、無能な神子として認知されている状況じゃ話も変わりそうだしなあ……。
無能な神子として認知された瞬間牢屋に送られたのだ。少々疑り深くなってしまうのは無理もない。
「……それなりに仲良くやれてたと思ってたんだけどな」
いい年して迷子になってしまったせいもあるのだろうが、梓は急に心細くなって弱音を吐いてしまう。
無能な神子として直接判断できるのはいまのところ二人しかいない。梓の聖騎士として一緒に過ごして梓が魔力を渡した相手、ヴィラとテイルである。”良い”神子としての判断材料はシェントにかけてもらった魔法のことや日頃のこともあるのだろうが二人の意見は大きいだろう。
『受け入れられないものに対してとった自分の行動に謝罪は必要ない』
『お前は欲がないのか』
『……邪魔をする』
『喜んだのなら、なによりだ』
『なにかあれば、俺を頼れ』
『うっわ、ほんとに触れねーんだ。マジで意味ねえじゃん』
『だからお前も仕事しろよ?』
『なんでてめえらはそんなに顔見たがんだ?』
『っ』
『樹』
一か月と数十日。その間に過ごした時間を思い出してなにか胸がぐっと苦しくなる。
『おめでたい話だ』
──自分で言ったくせにこんな気持ちになるなんて、馬鹿げてる。
梓は自分を嗤い、溜息を吐く。その眉が悲し気に寄ったのはあのとき描いた人物を見つけてしまっただろうか。白いワンピースに淡いピンク色のカーデを羽織ったボブカットの女──千佳。控えめに微笑むのが似合う清楚系の彼女が怒り露わにメイドに向かって叫んでいた。
「アラストは私の聖騎士なの!なんで他の女のとこになんかいかなきゃいけないわけ!?」
「申し訳ございません神子様。これは決まりですので……どうか、どうかご容赦くださいませ」
「はあ!?私の言うことが聞けないの?!」
「千佳」
──見て見ぬ振りもできた。けれど千佳の感情的な姿に自分を少し重ねてしまったのか、梓は話に割って入る。突然の梓の登場に千佳は面食らった様子だがすぐに顔を歪めて梓を睨み上げた。
「なに。なんかよう?」
「ソレはその子に言っても意味がないのは千佳も分かってるでしょ?」
普段言うことを素直に聞いてくれる存在だから駄々をこねた可能性もあるが、二人目を担当してから日が経っているのにも関わらずこの発言をメイドにしているというのはただ単に怒りの矛先を向けやすいだけだからのようにしかみえない。
「シェントさんとかに言ったほうがまだ話は通るんじゃないかな」
「五月蠅いな……無能な神子のくせに」
「無能な神子」
なんの気なしに反芻すれば、梓がかばった形になったメイドがびくりと肩をはずませた。見れば見知った顔だ。メイドのなかで梓が一番親しみを覚えているメイド、リリアだ。帽子からのぞくくるりとした茶色の巻き髪に蒼い瞳が可愛らしいが、怯えているせいか涙目だ。
千佳が大きな舌打ちをする。
「そうよ!アラストが言ってたわ!聖騎士には神子の癒しが必要なのにアンタはまるで手を貸さないって!私と違って無能な神子なんだって!本当は私だけがいいんだって言ってたんだから!」
「そう」
「アラストは私と一緒にいたいのにこの国のためにって我慢して……!それなのにアンタはなーんにもしないのに本ばっか読んで最低だよね!アラスト達は魔物と戦ってるんだから!そんな人たちを助けないでよくそんなにのんびり生きてられるよね!」
「そう」
「アラストは私のなんだから!なのになんで他の女のとこに……っ」
「そう」
「……鬱陶しいんだけど、なにアンタ」
爪を噛んでいた千佳が梓を睨むどころか呪いでも呟くように暗く低い声で悪意を向ける。
たまらず、梓は噴出した。
とたんに千佳が声を上げようとしたが、それを梓が内緒話をするように人差し指を立て微笑んだのを見て止めてしまう──見惚れてしまったのだ。梓は柔らかく微笑み、穏やかに話す。
「アラストが言ってたんだ?私はシナイけどアンタはヤッてくれるって、私とは違って有能な神子だって、本当はソンナ神子だけがいいんだって」
「は、あ?」
「魔物と戦う聖騎士とヤッて癒してあげてるんだからメイド甚振って金切り声上げるのは別にいいんだよね?」
「なにアンタ」
「そこまでしてあげてるアラストはいまどこ?他の女とヤッてるんだろうね、っ!」
梓が淡々と、千佳が一番面白くないだろう言い方で返せば、怒りを堪えきれなかった千佳の平手が梓の頬にとんできた。あまりにも強い力に梓はよろめき倒れそうになるがなんとか堪える。ヒリヒリする頬に手をやれば既に熱を持っていた。俯く前に歪んだ笑みをみたが──その顔はすぐに見えなくなる。
「いっ!」
千佳が床に倒れこみ頬をおさえながら梓を見上げる。けれど見えるのは微笑む梓でまさか思い切り平手打ちをしてきた相手には見えない。
「五月蠅い」
梓が少し赤くなった手を払いながら言えば、千佳は声を出すことはしなかったものの言葉なく表情で怒りを叫ぶ。
──わざわざここまで恨まれるようにしなくてもよかった。そもそも関わらなければよかったし、関わるにしてももっと穏便に済ませることができたはずだ。必要以上に敵を作る意味はないのに……。
「ちょっとはスッキリした?」
「はあ?」
だけど同じ誘拐されてきた身として少し心配してしまう。
それに千佳が抱いた恋心とは違うけれど、少し、ほんの少し心を許してしまった自分と同じだと思ったから慰めたかった。言いやすい相手のうえ同じ立場だしイエスマンだらけと違って指摘してくる相手にぶつけたほうが楽になるだろう。いや、だからこそ私自身千佳に八つ当たりをしたかった?……分からない。
「……気持ち悪い。ほんとウザいんだけど」
ショックから立ち直った千佳が立ち上がると同時に悪態吐いて去っていく。梓はその背に「同感」と呟き、そらを見上げた。
──結局やることすべて自己満足だ。
梓は言いながら、だけど自分の気持ちが少しスッキリしたのを自覚して千佳に申し訳ないやら感謝してしまうやら複雑な気持ちを抱いてしまう。
とりあえず、
「リリアさん。私道に迷ってしまいまして……花の間まで案内してもらえないでしょうか」
「へ、え!」
事態についていけず唖然としていた可哀想なリリアに梓はにっこり微笑んで声をかける。
リリアはいまにも泣き出しそうな子供のような顔をしたあと小さな声で「畏まりました」と呟いた。
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