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【テイルと過ごす時間】
18.魔物
しおりを挟む「遅い」
「うるせーなー。遅れたっつっても5分ぐらいじゃねえか」
聞いたことがある声が2人分、どこか遠くで聞こえてくる。
──気持ちよく眠ってたのに。
梓はひとりごちながら真っ暗な視界を開いてそちらのほうへ意識を向ける。眠さにぼやけた視界のせいか彼らは真っ暗な景色のなかぼんやりと浮かんでいた。まだ寝起きで目の焦点が合わないらしい。そう考えたのは正しかったようでしばらくすると彼らヴィラとテイルの姿がはっきりと映りだした。おかしなことに2人がいる場所は森の中だった。てっきり部屋で話しているものだと思ったのにこれはどういうことだろう。いや、部屋にヴィラがいたらそれはそれでおかしな話なのだが。
──変な夢。
梓は目を擦りながら彼らを見下ろす。2人は話を続けている。
「最近俺遠征多すぎねえ?」
「文句を言うなら上にあがれ」
「横暴~」
同じ聖騎士だからなのか軽口を言い合う2人を見ながら梓は不思議な気持ちになる。2人は森のなかを歩きながら話していた。見慣れない景色のうえ見慣れない組み合わせだからおかしく感じるのだと思った──けれど違う。梓はふと自分自身に意識を向け、ぎくりと身体を強張らせる。
──浮かんでる。
梓はぷかりと空に浮かんでいた。ベッドに寝転び本を読んでいるような態勢で、まるで幽霊のように浮かびながら2人の姿を見下ろしていたのだ。
意識した途端ヒュッと肝が冷えて恐ろしさが身体を支配する。梓はすぐさま近くにあった木に捕まって木の枝に足をおろした。不安定ながらもしっかりと足裏に感じた足場にホッとしたのも束の間、梓は息を詰めることになる。
「……」
ヴィラが梓のいる場所へ目を向けたのだ。けれど黒い瞳は森を見続けただけで、眉をひそめたあとは踵を返した。
──目が合わなかった。
ドクンドクンと高鳴る胸を押さえながら梓はヴィラの背中を見る。ヴィラには梓が見えなかったらしい。
「どーしたんだよ」
「……いや、なんともない」
ヴィラの視線を追ったテイルが疑問を口にするがヴィラはテイルを置いて先に進む。テイルの目もやはり梓を捉えはしない。
──これは、夢?
それにしてはとてもリアルな夢だ。梓は自分の手を見る。閉じて、開いて──首を傾げ悩む。
──おかしい。
そんなふうに考え行動できるぐらい目は覚めているが、2人に梓の姿は見えず、梓は梓で幽霊のように空に浮かんでいる。しかも木に掴まっていたはずなのに、梓の身体が急に透けて木を掴めなくなる。それだけでも十分驚くのだが、梓の身体は木から落ちるでもなく2人が去った場所へと勝手に動き出したのだ。いや、運ばれていく。梓自身は歩いていないし誰かに引っ張られている訳ではないのだが、景色が2人を追うように通り過ぎていくのだ。
移り行く景色を見るのは気味が悪く思えたが、車窓の眺めとひどく似ていたから、いま、見えない電車に乗っているのだと思えば気は楽になった。電車に乗って見慣れない景色を眺める夢。おかしなことは続くけれどそれはそれで面白いものだった。しかしそうだとしたらこの電車の目的地はどこなのだろう。そう考えた瞬間、なぜかぞくりと肌が粟立つ。
またあの2人の姿が、声が聞こえてくる。
「ここまで来たのに襲って来ねえな」
「住処を移したのかもな」
「本部が襲われてたりして」
「それはない。……だとしてもフランがうまいことやるだろう」
「だろーなー」
静かな森にテイルの間延びした声が響く。それをいやにはっきりと耳にした梓が見たのは嘘みたいな光景だった。いつも生意気な表情をして人をおちょくってくるテイルがはっとしたように梓のほうへ顔を向けた。そして目を見開き梓を見たかと思うと──獰猛に笑う。その手に掴んでいるのはどこからか取り出した槍で、テイルは地面を踏みしめたかと思うととてつもない勢いで走り出した。
梓は恐れることも驚くこともできずただ立ち尽くす。なにもできなかった。テイルを眺め続けているうちに綺麗だと思った緑色の瞳さえ見えてくる。その緑色の瞳が梓ではなく梓の近くのナニカを見ていたのは少し前に気がついていた。
ただ、そのナニカを見る勇気が梓にはなかった。
梓が身体を動かせたのはすぐ近くから聞こえた森を割るような咆哮を受けたときだ。咽込んでしまうような圧が身体中に響いて梓は地面に倒れこむ。
──魔物。
ナニカが魔物だということは一目見て分かった。説明に聞いていた通り大きな体躯をしていて、想像以上の恐ろしさを持っていたからだ。禍々しい角を生やす魔物は2足歩行でその手足は人間のようだが、顔を占めるのは梓の身体の半分ぐらいの大きさをしている口だ。その口からのぞく牙は唸り声に合わせてカチカチと震えていて、隙間からボタボタ落ちる涎は元からそうなのか、それともなにを口に含んだからなのか赤い色をしている。丸太のような腕が振り上げられる。
「あぶ、な……い」
思わず口にした言葉。震えた言葉をかけられたテイルといえばこの恐ろしい光景にも関わらず笑ったまま槍を手に魔物へと果敢に向かっている。高く跳躍したかと思えば地面を駆け回り魔物を翻弄するテイルに普段の姿は微塵も感じられない。赤い血が飛ぶ。それが魔物の血なのかテイルの血なのか梓には分からなかった。いまの梓に分かるのは恐怖だけだ。
──もうこんなの見たくない!
蹲ってぎゅっと目を閉じた梓が最後に見たのは、魔物を貫通した血濡れの槍だった。
「──なんだよ全然フォローしてくんなかったじゃねーか、団長サマ」
槍を力強く振り下ろして血を飛ばすテイルは嫌味を込めて言うが、警戒しているのかどうなのかヴィラは森を眺めたままで反応しない。テイルはお手上げだとばかりに両手をあげると他にもいるかもしれない魔物を探した。
「……お前の神子だが、どんな様子だ」
「あ゛?あー?はあ?」
思いがけないヴィラの発言にテイルは魔物を見たときよりも驚きに目をひんむく。なにせヴィラが神子を気にかけた発言をしたのは初めて聞いたからだ。引き継ぎという形で神子のことを話す機会があるとはいえ、自分の神子でなくなった神子の現在を尋ねる者は誰もいない。いたとしても問題を起こしそうなときぐらいのものだ。
それが、どうだ。
「……どんなってどんな」
「……」
自分でも変な質問をしたと思っているのかヴィラは眉を寄せて黙る。こうなると口を開くことはないだろう。テイルもヴィラと同じように眉を寄せたが、大きな溜息を吐いたあと普段の調子で笑って言った。
「アイツは外れだな」
なにせ大人しく部屋におらず効率的な魔力の回収にも非協力的だ。そのうえ聖騎士に反抗的な態度もみせるのだ。
「上にはもうそう伝えてんぜ?……ヴィラもそうだろ?」
そう言いながら思い出すのは本を読みながら紅茶を飲む梓の姿。どんな内容の本を読んでいたのか口元を緩めていた。じっと見続けていれば目が合って、今度はなにか用かと眉が寄る──そんな表情は見ていて面白かった。そう。梓は外れだが面白い。
テイルは微笑みながら槍を消してぐっと伸びをする。
──触ったらどんな顔すんだろ。
いつもすました顔をしていて、時々呆れたり疲れた顔をして、そして稀にテイルを見て微笑む。あの表情は、イイ。茶色の瞳がテイルを映して動くのも、風に揺れる黒い髪も、憎まれ口を叩く唇も、イイ。
──触ってみたい。
血の匂いにあてられたのか思考がおかしなものになっている。テイルは自身を冷静に分析すると一度気持ちを落ち着かせるため本部へと戻ることにした。一応ヴィラへ呼びかけはしたが反応はなく、思考に沈むヴィラが我に返るまで待つ気持ちはさらさらなかったテイルは手を振ったのを最後に1人本部へと移動する。そんな行動は本来のヴィラなら許さなかっただろう。しかしヴィラは森を眺めたままだ。
「気のせいか……?」
そこは先ほどまで梓がいた場所だった。
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