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テオドール、売り出す

黒い覆面

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 何か特別な容器でも使って冷やしたものか、その屋台のリンゴ酒はすばらしく冷えて口当たりがよく、美味かった。
 錫のゴブレットに注がれた金色の液体を、アーニスはこくこくと喉を鳴らして飲んだ。

 喉の渇きをいやした僕たちは、あちこちの屋台を歩き回って、つけ焼きにした小鳥や蜂蜜のかかったねじり揚げパン、チーズを包んで鉄板で焼いた油じみたクレープ風のものなど、およそ貴族の食卓ではお目にかからないようなものをたらふく詰め込んだ――おもに僕が。

「あの、テオドール様、すこし食べ過ぎなのでは……?」

「むぅ……ぷふぉぅ……んもぅだべられ゛ない゛よぅ……」

 ふざけてことさらにもんにょりした発音で答えると、アーニスがたまりかねてぶっと噴き出した。

「やめてください、やめ……やだもう、お腹痛いです」

 苦しそうに笑う彼女に謝りながら、学院での生活を思い出す。実のところ今のは同じ寄宿舎にいた同期生の一人の、できの悪いものまねだ。謝りながら、僕も笑った。こんなに笑ったのはずいぶん久しぶりだった。

「……ありがとう、アーニス」

「え?」

 アーニスはきょとんとした顔で僕を見た。

「いや……なんだかさ。ずっと迷宮の中をさまよってて今初めて地上に帰ってきたような、そんな気分を味わったよ」

「そうなんですか?」

「ああ、やっと学院での暮らしを明るい気持で思い出せた」

「それは、良かったです……」

 アーニスが僕の腕をとって、胸の前に抱くような形で身を寄せて来た。

「アーニス?」

「すみません、お許しください。こうすればテオドール様の明るい気持を、少し分けてもらえるかなと思って」

「そっか……うん、いいよ。僕の腕でよかったら気の済むまで」

 彼女の言うことは、わかるような気がした。故郷の二ーガスがどうなったのかもわからないままこんな遠くまで売られてきて、彼女も心細くて仕方がなかったのだろう。
 僕たちは学院と優しかったころのアナスタシアの思い出を通じて、それぞれの最良の日々といまだつながっている。

「空が黄色くなってきましたね」

 広場にたむろする探索者たちの上には雲の隙間から西日が差して、彼らの兜を黄金のように輝かせていた。彼らが抱いている栄華の夢が、一瞬だけ現実になったかのような風景だった。

「よし、暗くならないうちにすずらん亭に帰ろう」

 再び連れ立って歩きだす。すれ違った探索者の一人が、面白いものを見るような目つきで僕に声をかけて来た。

 ――よう。誰かと思えば、最近ニーナ・シェルテムショックにくっついてた坊やじゃないか。浮気とは隅に置けんな――

「うわっ……そ、そんなんじゃありませんよ! この子はニーナさんの助手で……!」

 男はますます面白がって、僕たちの方へ近づいてきた。

「まあそう照れるなって。わかるとも、お前さんみたいな坊やが付き合うならその嬢ちゃんみたいなウブそうな子のほうが釣り合うってもんだ。ニーナが相手をするのはよほどの金持ちか高貴な身分の男だけだろうからな……今日なんかなんだか金ぴかの馬車に乗りこんでどっかへ向かう様子だったぞ」

「金ぴかの馬車?」

 奇妙なことを聞いたものだ。このエスティナで馬車を見ることはあまりないからだ。
 ここの住人は馬車などめったに使わない。道路も治安も劣悪で、馬車など「襲えば金がありますよ」と宣伝して回るようなもの。ニーナがすずらん亭のような入り組んだ路地の奥のおんぼろ宿屋に下宿しているのは、その方が安全のためにかかるコストが少なくて済むからだ。

「今日は鑑定の依頼がある、とおっしゃってましたから、多分それでだと思います――」

 アーニスがぽんと手をたたいて、ニーナの今日の予定を説明した。立ち入りすぎずに必要な事だけを伝えている。侍女として彼女ははかなりできる部類なのだろう。

「そうか。ふむう……俺のとこでもこないだ珍しい細工の彫像を見つけたんで、鑑定を頼みたいんだが……ほら、馬車だと何日もかかるとこまで行くかもしれんじゃないか」

「ああ、それなら大丈夫でしょう。ニーナ様は、今日中には帰る、とおっしゃってましたから」

「そうかそうか、それなら安心だな……いやいや、邪魔した。じゃあ『ふらふら探検隊』のアルヴァンが予約を入れたいって、伝えといてくれ」

 アルヴァンと名乗ったその男は、僕の肩に腕を回して馴れ馴れしくそう伝えてきた。

「分かりました」
 
 話しながら何ブロックか一緒に歩いていたが、三つ目の角で僕たちはそれぞれの方角へ分かれる形になった。その最後のところで――

「じゃ、気をつけて帰りなよ。最近この街で妙な奴がコソコソ何か動き回ってるってもっぱらの噂だ」

「妙な奴ら?」

 別れ際の微妙なタイミングで、なんとも気になる話を振ってくるものだ。あのオークたちを思い出したのか、アーニスがまた僕の腕をぎゅっと抱き寄せた。

「それって……くちばしみたいなマスクをつけてる?」

 アルヴァンはけげんな顔で首を振った。

「いんや。さすがにそんな怪しいのは聞いたことがないぞ。ただそのな、露店の水薬や触媒をバカみたいに買い漁ったり、勝手に空き家に入り込んだりするやつらがいるらしい」

「確かに、ちょっと気になるけど……妙な奴がコソコソ、って感じじゃないですよね?」

「いやそれがな、そいつらいつも同じように黒覆面をしてるっていうんだ。おかしいよな、そんなことをすればかえって目立つのにさ」

「変ですねえ……」

 くちばしマスクについてはアルヴァンにも僕たちの遭遇した事件をかいつまんで説明しておいた。話好きな男のようだし、一週間もすれば町中にうわさが広がりそうだ。

 すずらん亭の前まで戻ってくると、ちょうどジェイコブとポーリンが大荷物を抱えて戻ってきたのに出くわした。ポーリンの部屋に敷く絨毯を買ってきたそうだ。
 四人がかりで部屋の家具を出して、その新品の絨毯を床に広げる。

 そんなことをしているうちに夜になった。だが、その夜ついにニーナは帰ってこなかった。
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