8 / 33
テオドール迷宮へ行く
鉄箱の坂道
しおりを挟む
僕はそのあと探索者としての登録を済ませた。と言っても名前と探索者としての『職業』を記録してもらうだけのこと。僕の職業はジェイコブと同じく、戦士だ。
ニーナはすでに登録済みだった。ジェイコブに同行したという三人の名前を書き留めていたが、彼らには特に際立った風聞はないという。
「すぐに向かった方がよさそうだけど……あなた、防具はもう少しそろえなくても大丈夫?」
僕は改めて自分のいでたちを見回した。厚手の革靴とコーデュロイの胴着、確かにお世辞にも重装備とは言えないが。
「学院では鎧をつけての訓練もやったけど、あまり動きが妨げられない方がいいな……」
実地の経験はないが、迷宮については一通りのことはすでに知っている。『梯子』は実のところそれほど直接的な敵意に満ちた場所ではない。
探索者の前途を阻み命を奪うのは、敵対的な動物や凶暴な魔物というよりも、主にその人知の理解を阻む構造と、位置を見失わせる性質の悪い罠だ。
注意深く立ち回れば、戦闘のほとんどは避けられる。ジェイコブの手紙にはそうあった。
「軽めの盾と、視界を妨げない程度の兜があれば十分だと思うんだけど」
「ああ、それでよろしければ、教団のものをお貸ししましょう」
神官が思いがけない提案をしてきた。
「願ってもないですが、なんでまたそこまで?」
「ハリントン様は最近、未発見の階層への入り口を見つけられましてね……継続的に情報の提供をお願いしていたのです。我々を含め、探索者は基本的に相互に助け合うのが建前なのでね。そういうわけで、あなた方にはぜひ捜索に成功していただきたい」
神官は左手にはめた地味な指輪に触れると、どこかへ連絡を送りはじめた。
(伝心の指輪か……)
今でも軍隊でごくまれに使われる、魔法の品だ。数個セットで作られることが多く、一日に二回まで三分間の間、どれだけ離れた場所とでも会話を交わすことができる。
ともあれ神官の言葉は、僕たちにある種の確信をもたらした。ジェイコブの最近の活動はこの聖堂できちんと共有されているのだ。
――ええ、そうです。お一人は熟練者ですから、あなただけで大丈夫でしょう。では、頼みましたよ――
通話を終えると、神官はこちらに向き直って微笑んだ。
「下に着いたら、下級神官のエリンハイドにお声をおかけください。あなた方に同行するよう、伝えておきましたから」
何から何まで世話になる形だ。僕たちは盾と兜を受け取って神官に礼を言うと、その足で聖堂の裏手へ向かった。
そこには帆船の甲板に据えられる巻き揚げ機に似た大掛かりな装置が据え付けられ、そこから太いロープが伸びていた。
ロープの先には馬車のキャビンに似た鉄製の箱があって、どうやらそれが、目の前の床に口を開けた巨大な斜坑の中へ出入りするようになっているらしい。
「なんだ、これ……」
手紙には、こんなことは書かれていなかった。多分紙数の都合だろうけれども。
「ああ。知らなかったのね。地上から『梯子』の一層目までは、ざっと1リー(※)。この索道で三十分かかるのよ」
「そんなに深く降りるのか……もしこの装置が壊れたら大変なことになるんじゃ?」
「そんなに心配しなくても大丈夫。探索が始まったころは、階段しかなかったらしいから」
垂直に降りるわけではないが、それでも相当な深さだ。まだ母上が存命のころ、物見遊山でロッツェルの灯台地下に降りたことがある。あの時は地上との行き来に徒歩でせいぜい五分くらいだった。だがあそこだって相当大きな遺跡なのだ。
案内係の下級神官に見送られてその鉄の箱に乗り込む。座席だけでも十人以上座れる長さがある大きなものだが、乗客は僕たち二人だけだった。メリメリ、ゴトゴトと気色の悪い軋み音を立てて乗り物が動き出し、しばらくすると窓の外は暗闇と時々視界を横切るランプの明かりだけになった。
僕とニーナはそれぞれ真向いの座席に座って顔を向き合わせていたが、不意に彼女が席を立ち、僕の横にきてそのまま腰を下ろした。
古びたクッションが沈み込んで、互いに寄りかかるような姿勢になりかける。僕は背筋と脇腹に力を込め、何とか重力に抗して彼女との距離を確保した。
「ところでね」
「うん?」
「あなたがここに来る前の、婚約だか婚約破棄だかの事情、もう少し聞かせてもらっていいかしら?」
「……詳しく聞いたって面白い話とは思えないんだけど」
「そりゃあなたにとってはそうでしょうね。でも、どうも気になるのよ」
そっと横目でニーナの顔をうかがう。瞳に宿る好奇心の輝きは傍目にも明らかだが、唇がきつく結ばれその片端をぐっと引きゆがめた表情が独特だ。どうも、単に下世話な興味だけではないらしい。
僕はため息をついた。一件のいきさつには、僕としてもどうも腑に落ちない部分がある。というか、まったくもって納得できていない。
だが、もしかしたら――
この美しく聡明で洞察力にあふれる自称『高級娼婦』――魔法の心得まである彼女なら、僕の身に起こったことの本当の意味を、解き明かしてくれるのではないだろうか?
(※)リー:この世界の長さの単位。地球におけるおよそ5キロメートル弱ほどに相当する。いわゆる『身体尺』に類するもので、その基準は「人間が一時間に歩けるおおよその距離」である。
ニーナはすでに登録済みだった。ジェイコブに同行したという三人の名前を書き留めていたが、彼らには特に際立った風聞はないという。
「すぐに向かった方がよさそうだけど……あなた、防具はもう少しそろえなくても大丈夫?」
僕は改めて自分のいでたちを見回した。厚手の革靴とコーデュロイの胴着、確かにお世辞にも重装備とは言えないが。
「学院では鎧をつけての訓練もやったけど、あまり動きが妨げられない方がいいな……」
実地の経験はないが、迷宮については一通りのことはすでに知っている。『梯子』は実のところそれほど直接的な敵意に満ちた場所ではない。
探索者の前途を阻み命を奪うのは、敵対的な動物や凶暴な魔物というよりも、主にその人知の理解を阻む構造と、位置を見失わせる性質の悪い罠だ。
注意深く立ち回れば、戦闘のほとんどは避けられる。ジェイコブの手紙にはそうあった。
「軽めの盾と、視界を妨げない程度の兜があれば十分だと思うんだけど」
「ああ、それでよろしければ、教団のものをお貸ししましょう」
神官が思いがけない提案をしてきた。
「願ってもないですが、なんでまたそこまで?」
「ハリントン様は最近、未発見の階層への入り口を見つけられましてね……継続的に情報の提供をお願いしていたのです。我々を含め、探索者は基本的に相互に助け合うのが建前なのでね。そういうわけで、あなた方にはぜひ捜索に成功していただきたい」
神官は左手にはめた地味な指輪に触れると、どこかへ連絡を送りはじめた。
(伝心の指輪か……)
今でも軍隊でごくまれに使われる、魔法の品だ。数個セットで作られることが多く、一日に二回まで三分間の間、どれだけ離れた場所とでも会話を交わすことができる。
ともあれ神官の言葉は、僕たちにある種の確信をもたらした。ジェイコブの最近の活動はこの聖堂できちんと共有されているのだ。
――ええ、そうです。お一人は熟練者ですから、あなただけで大丈夫でしょう。では、頼みましたよ――
通話を終えると、神官はこちらに向き直って微笑んだ。
「下に着いたら、下級神官のエリンハイドにお声をおかけください。あなた方に同行するよう、伝えておきましたから」
何から何まで世話になる形だ。僕たちは盾と兜を受け取って神官に礼を言うと、その足で聖堂の裏手へ向かった。
そこには帆船の甲板に据えられる巻き揚げ機に似た大掛かりな装置が据え付けられ、そこから太いロープが伸びていた。
ロープの先には馬車のキャビンに似た鉄製の箱があって、どうやらそれが、目の前の床に口を開けた巨大な斜坑の中へ出入りするようになっているらしい。
「なんだ、これ……」
手紙には、こんなことは書かれていなかった。多分紙数の都合だろうけれども。
「ああ。知らなかったのね。地上から『梯子』の一層目までは、ざっと1リー(※)。この索道で三十分かかるのよ」
「そんなに深く降りるのか……もしこの装置が壊れたら大変なことになるんじゃ?」
「そんなに心配しなくても大丈夫。探索が始まったころは、階段しかなかったらしいから」
垂直に降りるわけではないが、それでも相当な深さだ。まだ母上が存命のころ、物見遊山でロッツェルの灯台地下に降りたことがある。あの時は地上との行き来に徒歩でせいぜい五分くらいだった。だがあそこだって相当大きな遺跡なのだ。
案内係の下級神官に見送られてその鉄の箱に乗り込む。座席だけでも十人以上座れる長さがある大きなものだが、乗客は僕たち二人だけだった。メリメリ、ゴトゴトと気色の悪い軋み音を立てて乗り物が動き出し、しばらくすると窓の外は暗闇と時々視界を横切るランプの明かりだけになった。
僕とニーナはそれぞれ真向いの座席に座って顔を向き合わせていたが、不意に彼女が席を立ち、僕の横にきてそのまま腰を下ろした。
古びたクッションが沈み込んで、互いに寄りかかるような姿勢になりかける。僕は背筋と脇腹に力を込め、何とか重力に抗して彼女との距離を確保した。
「ところでね」
「うん?」
「あなたがここに来る前の、婚約だか婚約破棄だかの事情、もう少し聞かせてもらっていいかしら?」
「……詳しく聞いたって面白い話とは思えないんだけど」
「そりゃあなたにとってはそうでしょうね。でも、どうも気になるのよ」
そっと横目でニーナの顔をうかがう。瞳に宿る好奇心の輝きは傍目にも明らかだが、唇がきつく結ばれその片端をぐっと引きゆがめた表情が独特だ。どうも、単に下世話な興味だけではないらしい。
僕はため息をついた。一件のいきさつには、僕としてもどうも腑に落ちない部分がある。というか、まったくもって納得できていない。
だが、もしかしたら――
この美しく聡明で洞察力にあふれる自称『高級娼婦』――魔法の心得まである彼女なら、僕の身に起こったことの本当の意味を、解き明かしてくれるのではないだろうか?
(※)リー:この世界の長さの単位。地球におけるおよそ5キロメートル弱ほどに相当する。いわゆる『身体尺』に類するもので、その基準は「人間が一時間に歩けるおおよその距離」である。
0
お気に入りに追加
144
あなたにおすすめの小説
別れてくれない夫は、私を愛していない
abang
恋愛
「私と別れて下さい」
「嫌だ、君と別れる気はない」
誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで……
彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。
「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」
「セレンが熱が出たと……」
そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは?
ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。
その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。
「あなた、お願いだから別れて頂戴」
「絶対に、別れない」
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
女神から貰えるはずのチート能力をクラスメートに奪われ、原生林みたいなところに飛ばされたけどゲームキャラの能力が使えるので問題ありません
青山 有
ファンタジー
強引に言い寄る男から片思いの幼馴染を守ろうとした瞬間、教室に魔法陣が突如現れクラスごと異世界へ。
だが主人公と幼馴染、友人の三人は、女神から貰えるはずの希少スキルを他の生徒に奪われてしまう。さらに、一緒に召喚されたはずの生徒とは別の場所に弾かれてしまった。
女神から貰えるはずのチート能力は奪われ、弾かれた先は未開の原生林。
途方に暮れる主人公たち。
だが、たった一つの救いがあった。
三人は開発中のファンタジーRPGのキャラクターの能力を引き継いでいたのだ。
右も左も分からない異世界で途方に暮れる主人公たちが出会ったのは悩める大司教。
圧倒的な能力を持ちながら寄る辺なき主人公と、教会内部の勢力争いに勝利するためにも優秀な部下を必要としている大司教。
双方の利害が一致した。
※他サイトで投稿した作品を加筆修正して投稿しております
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
王子は婚約破棄をし、令嬢は自害したそうです。
七辻ゆゆ
ファンタジー
「アリシア・レッドライア! おまえとの婚約を破棄する!」
公爵令嬢アリシアは王子の言葉に微笑んだ。「殿下、美しい夢をありがとうございました」そして己の胸にナイフを突き立てた。
血に染まったパーティ会場は、王子にとって一生忘れられない景色となった。冤罪によって婚約者を自害させた愚王として生きていくことになる。
【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた
杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。
なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。
婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。
勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。
「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」
その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺!
◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。
婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。
◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。
◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。
◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます!
10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる