かれん

青木ぬかり

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 秋らしい夕焼けをステージの袖から覗きながら、真琴は島田にささやく。

「うわ……。けっこう多くない? 人」

「……ま、予想はしてたけど、こうして上から見ると壮観だな」

 さすがの島田も緊張を隠せない。


 10月9日午後6時20分、真琴と島田は総合科学部前の広場に設置された特設ステージの舞台裏にいた。

 一昨日、ミツキの反省を確かめた真琴は、そのミツキに対し〝学生からひとりの犠牲も出さず、高山先生を隠したままの結末〟を用意するよう指示したうえで、以降カレンについては島田と二人で静観すると告げた。
 この瞬間だけ、真琴はミツキの上司のようだった。
 ミツキのしおらしい返事が耳に残っている。

 〝……承知しました〟と。


 そうして昨日は島田がふたたび用意した車で大学を離れ、真琴は文字どおりカレンを「静観」した。


 方向が定められたミツキの誘導は強力かつ的確で、学生はみるみるうちに業を減らし、掲示板は動きを止めた。
 結果、今朝までに大半の学生が自ら安全圏に入ることとなった。
 そして午前9時、ミツキの判断で1日延期された「道徳試験」の成績発表に伴い実施されたカルマトール1000の配分により、ついにすべての学生の業が500を切った。

 つまり今、ステージの前にいる学生は「解放された者たち」の集団といえた。
 そこに険悪な雰囲気は微塵もなく、あたかも「祭の前」の様相だった。


 静観を続けていた真琴たちを呼び戻しのは昼過ぎ、ミツキからの「電話」だった。
 今までいきなり喋りだしていたミツキからの電話に、真琴はあらためてミツキの「礼節をわきまえた」側面を確かめた。

〝準備が整いました。今日の午後6時半から臨時の学生集会を行いますので、おふたりは30分前にお越しください。総科前です。例の表彰もあります〟

 それがミツキの言葉だった。
 回想したのち、真琴はふたたび学生の集団を見渡す。
 あたりまえだが熱気を感じる。
 その熱気は、カレンの結末を見届けるという意思に加えて、昨日に一斉報道された「全国統一大学生テストの実施」も少なからず影響していた。

 この時期に唐突に、それも一方的に閣議決定された異例の事業……。
 それがカレンと無関係であるはずがない……。
 学生のざわめきはそう語っていた。

 真琴は腕時計を見る。
 ……時間だ。

 そして反対側の袖から司会者らしき男性が現れ、所定の場所に着く。

 ん……。
 この司会の人、誰だ?
 見たことあるような気もするけど……。

 大学の人じゃない。
 見たのは……警察の詰所?
 いや違う。
 ……誰だっけ?
 歳は大塚警部と同じくらい……かな。

 薄暮の中、その司会者にスポットライトが当たり、聴衆の注目が集まる。
 プロなのか、司会の男性はまったく動じることなく注目を受け止める。
 そして、原稿があるのか演壇に目を落として集会の開始を告げた。

 まずは今回の騒動の結末について、大塚警部による報告があるようだ。
 司会者に促され、大塚警部がステージ中央のマイクを握る。

 大塚の話は、真琴の予想に反してシンプルなものだった。
 まず理不尽な押し付けに耐え、自力で安全を勝ち取った学生たちを讃えた。
 次にカレン運営について、運営の一部を確保しているものの捜査は途上であり、詳細については未だ報告できる材料がないことを告げた。
 また大塚は、学生の安全は運営が約束したことと、学生個々が見せられた爆弾の中身については、ひとりの運営しか見ておらず、決して流出しない状態にあることが確認された旨を付け加えた。

 大塚がここで間をとり、ステージ前に集合している学生を見渡す。
 その学生の反応……〝沈黙〟を確認して、大塚はすこし意外そうな表情を見せる。
 少なくとも真琴の目にはそう映った。

 そして大塚は、視線を落としてから結びを口にする。

「…………このような」

 ……ん?
 大塚さんの様子がおかしい。
 もしかして……言葉に詰まったの?

「この期に及んでこのような情けない報告しかできないことを、県警を代表し、この場を借りてお詫び申し上げます」

 言い終えると同時に大塚は深々と頭をさげる。
 それは心からの謝罪であり、また、崩れた表情を見せぬための意地だった。

 真琴の目は捉える。
 大塚の悔し涙を。

 大塚さん……。
 そんな、そんなハナシじゃないじゃん。
 なんで泣いたりすんのよ。
 警察は強くなきゃいけないんでしょ。
 そこの責任者なんでしょ。

 真琴はきつく目を閉じる。

 こんなところで泣いちゃダメだ。
 ダメだ……。

 ダメだ……。

 釣られて込み上げるものを必死で押さえている真琴の耳に、パラパラと拍手の音が流れ込む。

 え? ……なに?

 感情の逃げ場をその音に求め、真琴は観衆に目を向ける。
 広場を埋め尽くす学生が出した、大塚への回答……。
 その拍手の音は瞬く間に膨れ上がり、満場に鳴り響いた。

 野次でも罵倒でもない。
 讃えてるんだ……。みんな。
 警察の……努力を。

 頭を上げるまで鳴り止みそうにない気配……。
 それを大塚も感じ取ったのか、口をきつく結んで大塚は顔を上げた。

 そして今度は軽く一礼し、ステージを去る。
 大塚は、去り際も拍手に送られた。
 真琴は大きく息を吐く。


 なんとか持ちこたえたけど……。
 なによこの集会……。
 なによこの……雰囲気は。
 私、出番があるんでしょ?

 真琴が胸の高鳴りを必死で抑えていると、拍手が鳴り止んだ頃合いで司会者が口を開く。

「さて、ただいまの大塚警部の報告には含まれませんでしたが、このカレン騒ぎの捜査と併せて、警察は大仕事を成し遂げました。皆さんもご存知のとおり、平成7年に起った〝強制わいせつ致死事件〟の犯人2人の逮捕です」

 うん、そうだよ。
 ホント、警察はその実績を誇っていい。

 気を持ち直した真琴は司会者の次の言葉を待つ。

「まあこれは、騒ぎの最中に示されたとおり、運営の〝目的のひとつ〟でした。運営から突き付けられた20年前の難事件の解決……。その運営からの要求にみごとに応え、運営から直接みなさんの安全を保証するという約束を取り付けた警察の実績は小さくありません。どうか今いちど、今回の捜査に携わっている県警のみなさんの労苦に、拍手をください」

 促されたものであるにも関わらず、広場は割れんばかり……天にもこだましそうな拍手に満たされる。
 真琴は感じた。この聴衆が単なる「出席者」ではなく、能動的な「参加者」であることを。

 まだ集会は冒頭なんだろうけど……上手いな、この段取り。
 さすが「ミツキプロデュース」だ。
 早くも聴衆に一体感を植え付けた。
 そのうえ運営の影が薄い。

「そしてこの難事件の解決に多大な功労があった学生に対し、警察庁長官賞が授与されます」

 あ。
 なんだか出番っぽいぞ。
 マズい。ぜんぜん平常心じゃない。

「受賞者を紹介します。ひとりめは教育学部1年、古川真琴さんです。古川さん、どうぞステージへ」

 司会者が、袖に控える真琴の方を向く。

 ……やっぱり。
 でも、賞状もらうだけ……でしょ?

 真琴はおずおずとステージに立つ。
 ここでも拍手が起こった。

「次に、法学部1年、島田直道さんです。どうぞステージへ」

 真琴とは対象的に颯爽とした歩みで、島田は真琴の横に立つ。

 うお……。
 なによこの「新婚さんいらっしゃい」状態は。
 さっさと終わりたい……。この式次第は。

「最後に、経済学部1年、清川理沙さんです。どうぞステージへ」

「あ」

「あ」

 ……そうだった。忘れてた。
 松下さんから表彰のこと言われたとき、理沙も加えてくれるように言ったんだった。

 理沙……どこにいるの?

 呼ばれた理沙がステージに現れないので、会場が一瞬、静まりかえる。

「…………ミー?」

 声がしたのは聴衆の中、理沙は学科の友だちと一緒に来ていたようだ。

 これは……理沙にとってはサプライズになったのか?
 だとすれば……。うん、今までの仕返しだ。

 さんざん私をイジッて遊んできた理沙への……仕返し。

 理沙は戸惑いを浮かべながらも、聴衆の拍手を受けながらステージに登る。
 そして、チーム「つるぺた」が並んだところで司会者が場を進める。

「贈呈は、本県警察本部長、水上功さんにおねがいします」

 その言葉を受けて司会者側の袖から、礼服姿で貫禄のある男性が姿を見せる。
 この人が県警の……本部長。

 贈呈はステージに呼ばれた順に、ごく普通に行われた。
 1番手の真琴のときだけ全文を読み上げ、島田と理沙は「以下同文」だ。
 それぞれ拍手を受けながら賞状を受け取った。

 ああ、これでまたステージの袖に引っ込める……。

 真琴がそう思った矢先、司会者が真琴の横に立った。

「それでは、受賞したみなさんから、今の気持ちをひとこといただきたいと思います」

 え……。
 なによそれ。
 これって、そういう賞じゃないでしょ。

 真琴がそんなことを思っているうちに、司会者は「まずは古川さん、どうですか?」と言ってマイクを向けてきた。

 なにも考えてなかった真琴はただ「いえ、その……できることをした。それだけです。あ、でも光栄です。ありがとうございました」とだけ答えた。

 島田はさらに短く「右に同じです。ありがとうございます」と述べた。

 そして司会者が理沙にマイクを向ける。

 理沙はなかなか第一声を出さないが、司会者は理沙の言葉を待つ。


「……こんな」

 理沙がそれだけ言って口を止めたので、司会者は一旦マイクを理沙から外して理沙に問う。

「こんな……なんですか?」

「こんなショボい事件に……」

「ショボい事件……ですか? 皆さんが功労くださって解決した平成7年の事件は、決して小さな事件ではありませんよ」

「違う」

 ここで理沙は司会者からマイクを奪い取った。

 そして、やおら聴衆に向かって語り始める。

「私がショボいって言ってんのはカレンよ、このカレン騒ぎ。なんなのよ、みんなして大騒ぎしてさ」

 会場が静まりかえる。
 それを端から端までゆっくりと眺めてから、理沙は続ける。

「最初に私たちが運営から見せられたものは、人に見られたくないものだったんでしょ? み~んな。でもね、それは恥ずかしいものだったかもしれないけど、決して醜いものじゃなかったはずよ」

 理沙が聴衆を睨み付ける。

 ただ、もう日が暮れてしまっているので、理沙がしているのは、「睨み付ける」というパフォーマンスだ。

「そんなのに踊らされてさ、みんながこの10日間で見せたものこそが醜いものだったじゃない。自分も含めて恥ずかしいよ。ここに集まってるみんなが醜いものを持ってる。それを引きずり出されたんだ。クソ運営に」

 クソ運営って……。

 理沙、アドリブでやってんの? これ。

「あの醜い掲示板の書き込みはぜんぶ、今ここにいるみんなが見せた……いや、見せられた醜い部分でしょ? それこそが辱しめ……。このまま終わっていいの? そんなもんなの? みんな」

 ここで聴衆から〝そうだ〟とか〝清川の言うとおりだ〟という声援が飛び始める。

 ……なに? これ。

「うちの大学、こんなもんじゃないでしょ。違う?」

〝そうだそうだ!〟

 聴衆が乗ってきてる……。
 すごいな、理沙。

「昨日発表された全国統一テスト? あれだって運営の思惑に決まってんじゃん。こんなタイミングでさ」

〝そうだ!〟

〝絶対そうだ!〟

「だったらさ、見せてやろうじゃないのよ。ビミョーな評価のウチの大学の、ホントの実力を」

〝う、うおおおぉ〟

「だてにカレコレやらされてねえぞ!」

〝うおおぉおぉおおおお〟

「知力! 体力! 時の運!」

〝うおおおおおおおおおおっ〟

「ニューヨークに行きたいかー!」

〝おおおおおおおおおおおおおおっ〟

「イエー!」

〝いええぇぇえぇえ〟

「……終わります」

 理沙はストンと表情を戻し、スッと司会者にマイクを戻した。

 ……仕返しのつもりが理沙の独壇場になった。
 やっぱり理沙は私にないものを持ってる。

 というか、ただものじゃない。
 すごいチームだったんだよな、ウチら。

 退場するときには、もう会場はスタンディングオベーションの様相だった。
 真琴と島田が頭を下げて退場するのに対し、理沙は両腕を挙げて歓声に応えていた。

 袖に引っ込むなり真琴は理沙を捕まえる。

「なによあのパフォーマンス。サプライズじゃなかったの?」

「ん? サプライズだったよ」

「……なんであんなマネができんのよ」

「え? ああ、あのね真琴、わたし卓球は初心者じゃん?」

「……だからなによ」

「ちょっとだけ演劇やってたんだ。高校のときにね」

 ……読めないキャラの理由はこれか。
 どんな振る舞いもできるんだ。
 立派な「スキル」だよね、これ。

 真琴が理沙に尊敬の眼差しを向けていると、「続きまして、ですが」と言って司会者が式を進める。

「今回の騒動で皆さんが強制的にやらされた〝カレンコレクション〟というゲームには、ひとつ仕掛けがありました」

 …………。

 仕掛けって……。

 仕掛けのカタマリみたいなもんだったじゃん。

 なんのこと? ってか、どれのこと?

「ゲーム内の農学部ステージ近くにいたキャラクターが出した質問……。あれは実は農林水産省が実施している『食の安全に関する作文コンクール』とリンクしていました。みなさんは、図らずも大学を挙げてこのコンクールに参加したことになっています」

 ……ああ、なんだ。
 それのことか。
 なんかこう、もっと重大な発表があるのかと思ったのに。

 真琴は、すこしだけ肩透かしを食らった気分になった。

 だが、司会者は淡々と進める。

「ついては、その取り組みに対し農林水産省から広北大学に感謝状が届いています」

 そう言ってから司会者は、演壇に用意されていたらしい感謝状を両手で広げて学生たちに向ける。

「この感謝状を、みなさんを代表して、本学の学長にお渡ししたいと思います。学長、どうぞステージへ」

 そう促され、恰幅のいい男性が司会者側の袖から姿を見せる。

 そして司会者から感謝状を手渡されて学長は笑顔で握手を交わす。
 ここでも盛大な拍手が起こる。

 ん……と。待てよ。
 ニコニコ握手してるけど……。
 ウチの大学の学長ってことは、4年前にいっぺん田中美月事件をもみ消した張本人なんじゃないの?
 そう、少なくとも責任……ってか、決定権はこの人が持ってたはずだ。

 そこに考えが至り、なんとなく真琴はモヤッとした気分になった。

 対面の袖に控える真琴のそんな顔をチラッと見てから司会者は「学長はそのままで」と告げて演壇に戻る。

「さらに喜ばしいお知らせがあります。本コンクールにおいて、その最優秀賞を本学の学生が受賞しています。発表いたします。教育学部1年、古川真琴さんです。どうぞステージへ」

 ああ、なんかそんなことも言ってたよね、高山先生が。

 …………てか私?

 なに? またステージ行くの? 私が。

 ぼんやりしている真琴の背中を島田が叩く。

「呼ばれてるぞ、古川」

「え、ああ、うん、そだね」

 なんだか心が定まらないまま、真琴はふたたびステージに立つ。

 そして、真琴が学長と並んだところで司会者が続ける。

「さらにもうひとり、これは優秀作品ですが、本学から受賞者がでています。紹介します。古川さんと同じく教育学部1年、大神愛さんです。大神さん、どうぞステージへ」

 え? ……愛?
 ……そっか。そうだよね。
 愛はぜんぶ知ってて、ぜんぶ本気でカレコレやってたんだもんね。

 真琴がそんなことを考えていると、どこに控えていたのか真琴たちがいた方の袖から愛が現れ、ステージに立つ。

 愛は、真琴から見てよく分からない表情をしていたが、真琴はそれを緊張によるものだと理解した。
 そして真琴と愛、二人ならんで表彰状を受け取った。

「それでは本学の功績と二人の受賞者に、今一度盛大な拍手をお願いいたします」

 司会者に促され、会場は、この集会何度目かの拍手に包まれる。

 称賛のなか、愛が学長に握手を求め、学長は笑顔でそれに応じた。

 それは極めて自然な行為に見えたが、学長の手を握りしめた瞬間、愛が低い声で呟く。


「やっと…………捕まえた」


 学長の顔は強張り、真琴はその場で泣き崩れた。
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