かれん

青木ぬかり

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10月7日(金)

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(聞こえますか? 上野さん)

 真琴と松下が見守るなか、ミツキが上野に語りかける。

 ホントに自然な声……。
 なにも知らない上野くんは、この「運営」を名乗る声の主がAIだなんて思いもしないだろう。
 しかも、なんか丁寧口調だし……。

 この場所に来てから反抗的な態度しか見せていない上野は、真琴たちの手前もあるのだろう、どんな態度をとるべきか困っているようだった。


(古川さん)

「はい」

(席を外してもらってもいいですか? 申し訳ありませんが刑事さんも)


 ミツキ……。こんな人に気を遣ってんの?
 でもまあ、ミツキがそう言うんなら仕方ないか。
 真琴は松下と目で合図を交わし、無言で退出する。

 そして向かう先は、もちろん隣の部屋だ。
 ミツキが何をするのか見逃すワケにはいかない。

 松下も同じ気持ちなのだろう、先に部屋を出た松下が隣の部屋のドアを開けた。
 そして真琴は松下にささやく。

「……なにをするつもりなんでしょうか、ミツキは」

「分からない。でも、かなりご立腹みたいだね。なんでだろ?」

「それは……あの人の態度があんまりだったからじゃないんですか?」

「あんまり? ……なんのこと?」

 なんのことって、あの上野ってヤツの態度に決まってんじゃん。
 松下さんこそ、なに言ってんのよ……。

「あの上野とかいう人がここで見せた態度に決まってるじゃないですか」

「……ああ、そっか。そうなんだ……」

 そうなんだって……他人事みたいに。
 呆れに近い驚きを見せる真琴に、小声のまま松下が説明する。

「あのね古川さん。僕らが普段相手にしてるのはああいう手合いばっかりだよ。もっと露骨に敵意を剥き出しにする人間も多い。あんなのは……うん、あの程度のヤツに腹を立ててたら勤まらないよ」

「そう……なんですね」

「うん。だからミツキが怒ってるのはそこじゃないと思うんだ」

「……他の理由がある。そういうことですか?」

「たぶんね。まあ見てみよう」

 そう言って松下は、壁に設けられた覗き窓を開ける。
 どうやらマジックミラーはこちら側が「見える側」らしい。

 ……いや、考えてみれば当たり前か。
 あっちの部屋に「窓」はなかった。
 あったのは「鏡」だけ……。

 松下は椅子を2脚、そっと窓の近くまで運んだ。
 そうして真琴は、松下と二人で観戦体勢に入る。
 松下の横顔……その表情は真剣だった。


(聞いてもいいですか? 上野さん)

 ミツキが尋ねてる……。
 スピーカーホンにしてあるから、壁越しでもハッキリ聞こえる。
 すっかり怖じ気づいてるな。上野くんの方は……。
 なにも言えずに、なにを聞かれるのかに怯えてる。


(聞こえてるんですよね、上野さん)

(……はい)


 まだなにも話してないのに、上野の表情は死んでいた。

 そんなに運営が怖いなら、運営が示した道に従っておけばよかったんだ。
 警察が来たから安心……。そんな風に警察を頼ってたのは自分の方だったことには気が付いたかな、さすがに。

 その警察が最初の学生説明会で、この事件の難しさをあれほど説明したのに……。


(最初の運営の目的はただひとつ、田中美月さんを襲った犯人を処罰することだったんです)

(最初の……運営?)

(そうです。田中美月さんの命を奪っておきながら、なにくわぬ顔で暮らしていた犯人を、最初の運営は許せなかったんです)

(それならもう、運営の目的は果たせたんじゃ……)

 上野の口調がしおらしい。
 いい気味だ、と真琴は思う。
 決して誇りうる感情ではないと理解しつつも……。

(ひとりの運営の願い……つまり犯人の逮捕は、ひとりの力では成し遂げられないほどたくさんの障害があったんです。だから協力してくれる人を募って、運営は集団になりました。分かりますか?)

(それは分かる……あ、分かります。……けど、目的が果たせたなら、僕ら学生はもう……なんというか、その……)


 窓から見えるものを、真琴は無言で凝視する。
 まるでその場の空気までをも読み取るように。

 ミツキが運営の成り立ちから説明してる……。
 あんな馬鹿のために、わざわざ。
 上野はミツキの機嫌を損ねないように必死で言葉を選んでるけど……。
 きっともう……手遅れなんだ。

 真琴はミツキの行動が予測できず、そして恐怖した。


(目的が果たせたなら学生という人質は不要……そう思いますよね?)

(……はい)

(運営が純粋に最初の目的だけを求めるなら、たしかに上野さんの言うとおりです)

(違う……んですか?)

(運営が目的を遂げるためには数年間の準備が必要でした。その過程で運営は、小規模ながら集団となった。……上野さん、人は集団になると、集団としての意思を持つんです)

(集団の……意思?)


 この話……。これは今までの私には想像するしかなかった部分だ。
 それを今、運営の核たるミツキが話してる……。

 これ……この話に限っては、ミツキは上野に言ってるんじゃない。
 私に聞かせてるんだ。……窓越しに。


(あるいは思想と呼んでもいいかもしれません。宗教とか政治団体とか、そういう代表的なものに限らず、ほんの小さな人の集まりでも集団は意思を持つんです)

(よく分かんね……あ、分かりませんけど、それが俺たち学生がまだ解放されない理由なんですか?)

(結果的には、そうです)


 結果的には、というミツキの宣告に真琴の心がズンと重くなる。
 結果って……その最後の判断をしちゃったのは、もしかして私ってこと?
 恩赦を使わずに、試験をすることで学生に考えさせて、さらに学生がカレコレのメッセージに向き合うように強いたのは私……。

 でもそれは、きっと運営がそう望んでると考えたから……。
 私……間違ってた? それとも正しかった?


(……なんなんですか。その、運営の意思って)

(ひとことでは言えません)

(そんなにたくさんあるってこと……ですか?)

(違います。ひとことでは言い表せない〝思い〟なんです)

(それじゃなんだか解らないじゃないですか)

(でも、最後の意思決定をした運営は学生に道を示した。違いますか?)


 やっぱり私なんだ。その、最後の意思決定をした運営っていうのは……。

 真琴の心はさらに重くなるが、同時に自信を持ち始めていた。

 私の選択は間違ってない……。
 それに、その選択には私自身の意思も加わってるんだ。
 最後の運営……その権利として。
 
 それでも心細い真琴は松下の横顔を見上げた。
 気配を察した松下が真琴を見る。
 そして小さく頷いた。……優しい笑顔で。
 それが真琴に安心を与える。
 真琴は気を取り直して窓の向こうに視線を戻す。


(道を示したって……。それってつまり、あの道徳の試験を受けることとか、自力でカレコレをクリアすることとか……ってことですか?)

(まあ、そうです)

(それを俺たちに強要するのは……)
(とばっちり……そう言いたいですか?)

(……はい。運営にそんな権利はない……と思います)

(たしかにそうです。犯罪でもあります)

(それなら、やっぱり俺たちは被害者なんじゃないですか?)


 ……うん。冷静になった上野くんの言葉は、情けないかぎりの泣き言ではあるけど正論なんだ。
 結局ここ……運営の罪という問題に戻ってくる。
 ミツキ……ここからどう説明するの?

 真琴は固唾を飲み、ミツキの次の言葉を待った。


(上野さん)

(はい)

(犯罪は処罰されるべき、ですよね?)

(……そう思います)

(私はさっき、運営の意思という話をしましたが、今から話すことは私個人の意思だと思って聞いてください)

(……はい)

(上野さんはさっき、刑事さんとの会話を無断で録音していました)

(……はい)

(相手の了解を得ずに録音することは犯罪ではないですか?)

(え? いや、だって……みんなが、ちゃんと録音しとけよって……)

(私は上野さんに聞いてます。どうなんですか?)

(え……あ、その……よく分かりません)

(よく分からないというのは、犯罪かどうか分からないという意味ですか? それとも私のお尋ねの意味が解らないという意味ですか?)

 あ……始まる。
 なんだか判らないけど……。
 ミツキの……攻撃が始まる気がする。

(犯罪かどうか分かりません)

(じゃあ、いつか勉強しておいてください。ではこれはどうですか?)

〝……なに言ってんの? バカだろアンタ。あのね、文句言いにきたのはこっちなの。分かる?〟

(……これ……は……)


 上野が驚いている。
 自分が乗り込んできたときの威勢の良い啖呵が突然再生されたのだ。
 そりゃビックリだよな……。


(断っておきますが、これについては無断で録音だとかいう問題は生じません。常時警戒を必要とする場所に備え付けられた正当な設備の記録です。で、どうですか? 上野さんのこの言動は犯罪ですか?)

(……いや……これくらいじゃ……)

(犯罪です。構成要件でいうなら3つくらいの犯罪を構成しています。これを事件として取り扱わなかったのは、上野さんが小者だからです。ヤクザだったらこんなこと絶対に言いません。すぐにその場で捕まりますから)

(…………。)

(どうします? 犯罪ですけど、処罰してもらいますか?)

(あ……いえ……すみませんでした)

(さらにいうなら、上野さんが9月28日に運営から見せられたものは、上野さんの犯罪だったんじゃないですか?)

(え……でもあれは……他にもいっぱいやってる人が……)

(やってる人が他にもたくさんいる犯罪は問題ない。そういうことですか?)


 ……やってる人がたくさんいる犯罪? なにそれ?
 なにを見せられたのよ、上野くんは……。

 ここで上野は押し黙る。
 答えようがない様子だ。
 無理もない、と真琴も思う。
 しかし、ミツキからの責めは終わらなかった。


(上野さん)

 すっかり真下を向いていた上野が、ミツキの声に応じて画面を見る。
 そしてビクッとする。
 なにが映っているのかと真琴も画面に目を懲らしてみると、そこには上野の顔がアップで表示されていた。
 それでも上野はなにも言えない。

(いま画面に映ってる人、なにをしてる人に見えますか?)

(これ……俺、ですよね)

(はい、そうです。この前20歳になった上野裕太という人です。年齢的には成人ですが、なんの仕事をしてる人に見えますか?)

 この質問に上野は困惑する。
 学生に向かってなにを聞いてるんだ……。
 上野の顔にそう書いてあるようだった。


(え……と、あの……俺はその、学生だし……)

(この軽薄な身なりが大学生のスタンダードですか?)

(いや、それは人それぞれっていうか……)

(質問を戻します。この人はどんな仕事をしているように見えますか?)

 ここでまた上野が黙る。
 しかし今度は仏頂面だ。
 理解できない質問への不満が出ている。

(私には、この人がまっとうに働いているようには見えません。もっとも上野さんが言うとおり、上野さんはまだ学生です)

(……はい)

(言動が軽率なのは古川さんからも言われたとおり、そして身なりはこのとおり。20歳といえば働いている人はたくさんいます。上野さん、大学生ってなにをする者なんですか?)

(……それはもちろん勉強する人……です。学生だから)

(上野さんはしてるんですか? 勉学を)

(……してる……つもりです)

(大学で勉強してる人がこんなことを書くんですか?)

 そこで上野が机上の画面を覗き込む。
 なにが表示されているのか真琴には見えない。

(これ……って、まさか)

(今朝の試験、上野さんの答案です。憶えてないなら読み上げましょうか?)

(…………いえ、いいです)


 なに? これがミツキを怒らせてたの?
 なにを書いたのよ。……いったい。

 真琴の目に映る上野は、反論こそできずにいるものの、さっきよりもさらに不満そうな顔つきになっていた。
 そこにミツキが追い打ちをかける。

(ぅわっ……)

 突然画面が切り替わり、自分の顔が鏡のように映し出されたので上野が声をあげて身体を反らせる。

(運営である私がこの答案を持ってるのを知って〝ちくしょう、大学は運営とグルだった〟なんて考えてそうな顔ですね)

(いや……でも……)

(上野さん。あなたは古川さんの放送を聞きましたか?)

(聞いたけど……でも……)

(あの放送で、古川さんが話す前に説明があったはずです。古川さんは他の学生と同じだと)

(……はい)

(そのうえで古川さんは言ったはずです。〝私の言うことは運営から託された「運営からの要求」だと思って聞いてください〟と)

(……どういうことですか?)

(つまり今朝の試験は、そもそも大学が主催したんじゃない。運営が主催したんです。学生の気持ちを量るために)

(あ……)

(ほとんどの学生はそれを理解して答案を書いてくれました。〝これは運営に自分の思いを伝える唯一の機会だ〟と理解して)


 真琴は時計を見る。ほとんどの学生って……。
 まだ試験が終わってから4時間くらいしか経ってないじゃん。
 ミツキ、もう採点したの?


(上野さんにお尋ねします)

(…………。)

(一度しか聞きません)

(…………。)

(上野さんは、ご自分が書いた答案をどう思いますか?)


 なに? ホントなに書いたのよあの馬鹿は。
 口調は丁寧なままだけど、ミツキの怒りは尋常じゃない。
 これ、これの答え方次第ではとんでもないことになる……。
 お願いだから素直に答えて……。上野くん。


(……深く……考えてませんでした……)

 消え入るように上野が答えた。
 真琴はミツキの反応に怯える。
 どうなの? この答えは……。


(残念です。上野さん)

(え……)

(ここまで言っても上野さんはナメきってる。……世の中を)


 ……ダメだったの? 今の答えじゃ。
 この馬鹿も反省してたじゃん。
 怖い……怖いよミツキ。

 真琴は思わず、傍らにいる松下の袖を握る。
 しかし松下はそれに反応せず、じっと窓の向こうを見ていた。

(深く考えなかったからこんなことが書けたの? 「年寄りは害だから全員施設に入れろ」「役に立たない能なしは間引け」「肉体労働者は負け犬」「一夫一婦制は建前」「学校の先生は人間のクズ」「結局うつ病は甘え」「自殺したいヤツはすればいい」「戦争する覚悟を持て」……まだまだあるけど、これを「道徳」にしろって? 考えが足りなかったら書けるの? これが)


 ああ、これはダメだ。完全にアウトだ。
 真琴は目を閉じて嘆き、そして案じた。
 ……この修羅場の結末を。


(アンタはね、深く考えなかったんじゃない。徹底的にフザけてコケにしたんだよ。つまりケンカ売ったの。分かる?)

(いや……そんなつも)

(自覚もないなら口答えすんな。ここまで世の中ナメたこと書いといてタダで済むと思うなよ、このクズが。私は運営なんだ、警察ほど優しくない)

 優しくないって……。ミツキ、なにすんのよ……。
 たしかにコイツは馬鹿だけど、だけど……。

(アンタみたいな勘違い野郎がいるせいで世の中の大学生のイメージが地に落ちたんだ。大部分の学生はホントは真面目、だけどアンタは腐ってる。アンタだけは腐ってる)

 なにこれ、なにモード?
 機械の頭脳なんだから言葉を生むのは瞬間なのかもしれないけど……。
 それにしても怒濤すぎる。人間だってこんなに感情を言葉にできない……。

(ちょっと日本の大学がユルいからって図に乗って、アンタどこで生きてんの? 異世界なの? それでいざ社会人になるときは切り替えられるつもりでいんの? ここまで堕ちてさ。ハッキリ言っとくよ。アンタみたいになにもかも斜に構えてさ、努力がカッコ悪いみたいな態度のヤツはホントみんなの邪魔でしかないんだよ。み~んな思ってるよ、アンタみたいなヤツのせいで大学生が悪くみられるんだってね)

 うわあ……。
 気が付けば真琴は口が半開きになっていた。
 見られていたら恥ずかしいと思って松下を見ると、松下は笑っていた。
 それも、こみ上げる笑いを必死で抑えながら……。

 なに? 深刻じゃないの? ……この状況は。
 真琴は松下の袖を引き、そっと尋ねる。

「……なんで笑ってるんですか」

「え? ……いや、あんまり痛快だから……つい、ね」

「大丈夫なんですか? ……これ」

「ん? ああ、ミツキのこと?」

「……はい。なんかこう……暴走っていうか、すべてブチ壊しちゃいそうな……」

「大丈夫だよ、なんにも心配ない。ま、ミツキ様のお怒りは相当だけどね」

「そう……ですか」

「すべて計算ずく。まあ、しっかり見ておこう。きっとミツキは上野くんを罵りながら古川さんを意識してる」

「え、私を……ですか?」

「うん。これは運営のひとりとしてのミツキの思い……。それを古川さんに伝えてるんだよ、きっと」

「そう……ですか」

 そうなのか……。心配要らないのか。
 でも、上野くんは生きた心地しないだろうな……。


(この答案、みんなにお披露目してもいい? いいよね、別に)

(いや……それは……)

(心配ないよ。いちばん優秀な答案だって紹介するから。鼻が高いでしょ? あ、著作権の心配も要らないよ。この答案に著作権はないから)

(……ごめんなさい。……許して……ください)

(は? ごめんなさい? アンタ運営を捕まえろとか言ってたんじゃないの? なに運営に謝ってんのよ。ホラ、戦争する覚悟はどうしたのよ)

(ホントに、勘弁してください)

(掲示板も匿名なら試験の回答もナイショで済むと思ってたの? 甘えないでよ。自分が産んだ言葉なら責任取んなさいよ)

(……ホントに、ホントにすみませんでした)

 ミツキの攻撃は止む様子がない……。
 どこまで行くつもりなの……ミツキ。

(アンタの問題はそれだけじゃない)

(……え?)

 ……え?


 不謹慎極まりない答案の件だけでも追いつめ過ぎだと感じていた真琴は、別の火種の存在を示すミツキの言葉に耳を疑った。

 なによ……これだけじゃないの?
 まだなにか出てくんの?
 でもミツキ、これ以上追いつめたら……。
 たぶん壊れちゃうよ。上野くんが。

 ミツキの指示だったとはいえ、調子に乗っていた上野を懲らしめる先陣を務めた真琴は小窓の向こう、まさに虫の息にまで生気を失っている上野の心を案じた。
 そして、いかに優秀とはいえAIであるミツキが果たして「人のこころ」というものが耐えうる限界を量ることができるのかと憂慮した。
 なので真琴はあらためて松下に確認する。

「……ホントに大丈夫なんでしょうか。……さっきとはちょっと意味が違いますけど」

 見れば松下の笑顔も消えていた。
 そして松下は、上野を見据えたまま答える。

「信じるしかない……かな。そもそも僕らはミツキの前では無力に等しい。ミツキも自分の立場は判ってるはずなんだけどな……」

 ミツキの……立場?
 ああ、存在自体が機密ってヤツか……。
 ホントだったんだ、あれは。
 そうだよね……。私は「ミツキ」って呼んでるけど、ホントの名前は知らない。
 私がどう呼んだらいいか聞いたから「ミツキって呼んで」って言われた……それだけなんだ。
 松下さん……もっと知ってそうだな、ミツキのこと。

 でも、無力……か。
 いや、それでも目の前で人が壊されるなら……それはやっぱり暴走だ。
 私は止める。止めに入る。
 たとえミツキが止まらなくても……。


(……秘するべき趣味は秘するべきなんだよ)

 ……ミツキが切り出した。
 やけに意味深げな言い回しだ。

(なんの……ことですか)

(アンタが勉強そっちのけで夢中になってる趣味よ)

(…………。)

(分かるでしょ? こういうヤツのことよ)

 また画面になにか映し出される。
 あれは、エッチなマンガ……か?

(これ……は……。でもこれは、普通に売って……)
(そう、普通に売ってるね。そういうお店に行けば)

(……はい。売ってます)

(刺激的だよね、たしかに)

(……なにが……言いたいんですか)

(今さら日本で、この手のエロマンガを規制しろとか言うつもりはないんだよ。私も)

(そう……なんですか?)

 蒼白だった顔をにわかに赤面させていた上野だったが、理解を示すかのようなミツキの言葉を聞いて、わずかに安堵の気配を見せた。

(でも、これはやっぱり秘密の趣味にとどめなきゃいけない。たとえ簡単に買えるものだとしても)

(…………。)

 ここまできたらもうミツキに対して恥ずかしいという感情はないのだろう。
 上野は黙っているが、明らかに納得していない。
 ただミツキの怖さを身に染みて理解しているから言葉には出さない……。
 表情で反論……上野はそんな面持ちだった。
 かくいう真琴も、ミツキが言わんとするところを掴み損ねていた。
 
 たしかに過激な……過激すぎる本があるけど……。
 たしかカレコレにも出てきたよな。似たようなハナシ。
 そう、本だけじゃない。映像だってある。
 でも趣味としては認めといて、それは秘するべきって……どういうこと?


(人間には残虐な一面がある)

(……はい)

(人間は人を苦しめて殺すことを愉しみ、それを芸術の域にまで高めた歴史がある)

(はい)

 いわゆる拷問とか公開処刑とかの歴史だ。
 日本ではサラッとしか教えないけど……。
 上野くんもそのあたりは理解してるようだ。
 ミツキへの返事に力が戻ってきてる。

(でも今の時代、そういうのは世界的タブー。じゃないの?)

(そうだと思います)

(じゃあこれはなんなのよ。創作とはいえ、こんな……女の子をいじめ抜いて辱めて壊して終わるだけの物語は)

(……でも、これは創作だから……)
(そうね。このマンガで描かれてることが現実に起こったら犯人は死刑だね。命まで奪ってる話も数え切れないもん)

(ですから……これは現実じゃ……)
(アレでしょ? ロリコン犯罪者が捕まるたびにアニメやエロマンガが叩かれるのは筋が違うって理論でしょ?)

(…………。)

 上野は、再び激しつつあるミツキの気配を察して返事をしない。
 しかしその佇まいは、ミツキの言葉を肯定していた。
 創作と現実は違う……。その主張はもうマジョリティーだ。
 しかも、サイレントじゃない方のマジョリティー……。

(ヘンタイ的な趣味があるのと、現実に凶悪犯罪を起こすことを結びつけることはできない。それはそのとおりだと思う)

(……ホントにそう思ってるんですか?)

(思ってるよ。私だってヘンタイだしね)

 ミツキの突然のカミングアウトに、小窓の向こうの上野は面食らっているようだ。
 そしておそるおそるミツキに問い返す。

(……それ、ホントですか?)

(ホントよ。かなりのヘンタイと思ってもらっていい)

 ミツキの言葉に、上野は首を傾げている。
 真琴もそんな気分だった。ミツキがこれからなにを言おうとしているのか見えない。

(そういう点で、日本は私たちヘンタイにとって天国だよ。特殊な性癖を満たすメディアが簡単に手に入る)

(……たしかに、そうかもしれません)

(性とか、あとはそれに関する表現の自由とか、それは世界の国によって様々。性に開放的な日本、最大限に保障された日本の表現の自由……大いに結構じゃないの。私はそう思うよ、ホントに)

(ホントにそう思うなら、別にいいじゃないですか)

(私が言いたいのは、それを享受する側の意識のことよ。恵まれてる……恵まれすぎてることの自覚が足りないんだ。……致命的に)

(致命的に……ですか?)

(良識あるヘンタイはそれをわきまえてる。でも、アンタみたいな腐った倫理観の持ち主にはそれを望むべくもない。アダルトなもの……それも特殊な嗜好のものを手にするためには18歳なんて基準じゃ低すぎるんだ)

(……そう……でしょうか)

(たとえばこれ、画面に表示したアンタのコレクションのひとつだけど、女の子が徹底的に蹂躙されてるよね。まあ創作……フィクションだけど。刺激的だからかなりの需要がある……若い性欲には)

(……はい)

(これ、中東に持ってってみんなに見せてみてよ。私が飛行機おごるから)

(……いや……遠慮します)

(だよね。アンタ殺されちゃうもんね。よくてテロ組織の仲間と見なされるくらいかな。つまりね、日本で許されてる非人道的なフィクション創作は、世界では現実に起こってたりするんだよ。救いがないことに残虐な趣味を満たすだけの物語だからなんのメッセージ性もなかったりする。世界にはね、刃物で切り刻まれながら犯されてる人が実在するんだよ。アンタみたいなのが勘違いしてそうだから言っとくけど、これはいわゆる「クールジャパン」じゃない。平和に浮かんだ島でガラパゴス的に進化した悪趣味……前時代的なんだよ。大人はそれを理解してる。そういう趣味を持ってる人でもね。だから秘密の趣味にとどめてる)

(でも……マンガやアニメは日本が世界に……)

(黙れ)

 ……ダメ。今のミツキに反論しちゃいけない。
 まったく別次元の話をしてる。
 これがミツキ……。
 ネットに繋がった、感情を持つAI……。
 
(案の定アンタは今、クールジャパンのハナシをしようとした。クールジャパン政策がなんであるかも知らないくせにね。マンガやアニメなんてのは政策のごく一部、そして「誇れるもの」をアピールするんだよ。アンタの趣味はそれじゃない。萌えとかコスプレとかが認知されて、みんな境目を見失ってるけど、超えちゃいけない一線……恥ずべき文化と隣合わせなんだよ。たとえばこれ)

 ミツキの言葉を合図に、携帯電話の画面がエッチなマンガから別のものに切り替わる。

 なんだ? 今度は……。
 今度は普通のマンガに見えるけど……絵が細かくてよく見えない。

(こういう刺激も好きみたいね。上野くん)

(これは……これこそ、けっこう人気の……)

(どんな国にも歪みはある。そして程度の差もある。さらにいうなら個人の意見もある。でもね、私が許せない「日本の歪み」はこれ。そしてこういうのを誇らしげに喧伝するアンタたちみたいなヤツ)

(……描写が残虐……ってことですか)

 ……ああ、今度はそういうマンガなのか。
 たしかにそういうものもあるよな。
 残酷なシーン、その刺激がウリの……。

(これも性的搾取と同質……。この、人を苦しめて殺すシーンは、世界標準だったら描けない。外国映画だって具体的なシーンに入る前にアングルを変えるなりの工夫をしてる)

(…………。)

(世界を見ないから自覚がないんだよ。いや、世界を見なくても察することはできる。国連の人権委員会が日本の女性蔑視に苦言を呈したニュースを聞いても、アンタは「なにトンチンカンなこと言ってんだ」くらいにしか思わないんでしょ、どうせ。大学生なら考えなさいよ。どうしてそれに対して日本政府が遺憾の意……つまり「心外です」くらいの態度しかとれないのか)

(……どうして……ですか?)

(本来は秘密の趣味にとどめて然るべきものを、アンタみたいな馬鹿が世界に向けて絶賛してるからよ。あのね、日本語で書いても呟きは世界に向けてんの。そして今の時代、普通のパソコンでも簡単に自国の言葉に翻訳できんのよ、これの意味が解る?)

 割と世間に認知されてるメジャーなマンガでも説教されて、上野の表情は憮然……。納得していないのが明らかだ。
 でも、そんな顔をしちゃいけない。
 とにかく、今のミツキには……。
 
 これでもまだミツキは正気なのかと、真琴は松下の顔を窺った。
 その表情は真剣……。なにも読み取れないので真琴は尋ねる。
 
「これ……これが素のミツキなんですか?」

「……たぶんそう。普通の人が見ないダークウェブの世界にまで繋がってるAIで、しかも感情があるんなら……無理もないかもしれない」

 これが……この憤りがミツキの思いなら、カレンのことなんてとるに足らないことなんじゃないの?
 まあ、高山先生を手伝いたかったって気持ちはあったとしても、ミツキがイニシアチブを握っちゃうのは必然だ。
 電脳空間に繋がった、人の感情を備えたAI……。
 産まれちゃいけない存在……。
 そんな言葉が真琴に浮かんだ。
 だって、ミツキの倫理観が正常だからまだいいけど……。
 これが……そう、たとえば上野くん程度の倫理観だったら……。
 終わるかもしれない……世界が。

 そしてミツキの言葉は続く。

(これにはなかなか納得できないみたいね。認知されてるマンガなだけに)

(…………そうかも、しれません)

(さっきも言ったけど、人間は残虐……それが歴史の証明。だけどそれは前時代的……。そこに異論はある?)

(それは……ありません。はい)

(アンタのフザけた答案晒そうかってハナシ、やめてあげてもいいよ)

(え……ホントですか?)

(5分)

(え……)

(今から私が見せる映像、目を逸らさずに5分間見たらやめてあげる。約束するよ)

(……わかりました)

 いや……簡単に受けちゃダメだ。この話……。
 ここまでの流れから、きっととんでもないものを見せられる。

 だけど……ミツキの正体を知らないままの上野くんには想像が及ばないか……。
 松下さん……。

 気付けば真琴は、松下の右腕にしがみついていた。
 その松下が真琴に言う。

「古川さんは見ない方がいいだろうね。これは……」

 やっぱり……。松下さんも同じようなことを想像してる。
 だったら、止めなくていいの? ミツキを。

「古川さんは見ちゃいけない。……できれば音も聞かない方がいいと思う。僕が見ておくよ。そして止めに入るべきと判断したら僕が止めに行く」

 そんなことを話している間に、隣の部屋から切り裂くような悲鳴が聞こえた。
 日本語じゃない……。なにか必死で叫んでる。
 でも、淡々と喋る声も聞こえる。
 そのとき、もはや声になっていない断末魔のような叫びが壁を震わせた。

「古川さん、耳も塞いで」

 すぐに真琴は言われたとおりにした。
 小窓に背を向けて、全身を丸めて震えた。

 そして横目で松下の足元だけに集中する。
 ……動かない。まだ松下さんは動かない。

 耳を塞いでもかすかに聞こえる、とても人間とは思えない「なにか」の声、そして音……。
 真琴は涙を流しながら震え続ける。
 途方もなく永い5分間だった。


 目はきつく閉じていた。
 ……なにも聞こえない。
 聞こえなくなった……。
 しかし真琴は動けない。

 動けなかったのは、音が止んだという状況が果たして隣室の惨劇が終わったからなのか、それとも入ってくる情報を拒絶する本能がそうさせているのか、真琴自身にも判らなかったからだ。

 そうして動きと思考を自ら遮断して丸くなっていた真琴の背中に、そっと手が置かれる。
 おそるおそる目を開けた真琴は、視界の端に松下の靴先を捉えた。
 両耳から手を放す。
 手のひらは腕を従えて垂れ下がった。

「古川さん。もう大丈夫だよ」

 このときの真琴にとって、耳にしたのは声ではなく「音」だった。

 真琴は、聞こえた音を懸命に思い出して繰り返す。
 だいじょうぶだよ……。だいじょうぶ……。
 大丈夫……。誰が? ……私が?
 私……私は、大丈夫。

 あ……。
 大丈夫……なの?
 あの……誰だったっけ。
 ほら、ミツキにやりこめられてた……。
 駄目だ……思い出せない。思い出せる気がしない。

「……どうなったん……ですか?」

 上野の名を思い出せぬまま、真琴はそう口にした。
 自分が口にしたものが言葉だという感覚すら希薄だった。


「なんとか無事……なのかな?」

 無事……無事……。
 生きてる……。生きてるんだ。

「生きてるんですね? ……あの人」

 真琴はどうにか言葉を絞り出した。
 松下は、この真琴の言葉にジョークをみたのか、少し頬を緩めながら答える。

「うん、生き延びたよ。でも介抱が要るみたいだ。古川さん……手伝える?」

「あ……はい……」

 松下が手を差し出したので、真琴はそれに掴まって身体を起こす。

 これじゃ私が介抱されてるみたいじゃないのよ……。
 でも、なんとか生き返ったかな、私も。

 松下の先導で隣の部屋に入ったが、はじめ真琴は人の姿を見つけられなかった。

 携帯電話は机にあるし……。

 あ……いた。
 って、これ……ホントに大丈夫なの?

 上野は椅子を机から離し、身体を大きく前のめりにしていた。
 頭の後ろで手を組んで、そして離れた位置からも判るほどに身を震わせていた。
 そして床には上野が吐いたものが大量に広がり、上野のズボンの裾を汚していた。

 いやこれ……大丈夫じゃないでしょ。
 私なんか壁越し、しかも耳を塞いでギリギリ耐えたのに。
 それを、目を逸らさずに5分間……。
 考えただけでもゾッとする。

 真琴はできるだけ上野を刺激しないようにしてその横に立ち、少しかがみ込んで背中に手を置く。
 上野はビクッと身体を強ばらせたが、それも一瞬で、うつろな目をしてなにかをつぶやいていた。
 真琴は少し顔を近付けて、その呟きを拾う。

「……んなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 つぶやきながら上野は泣いていた。
 真琴は背中を優しくさすりながら「上野先輩、もう大丈夫ですよ」と声をかけるが、上野には聞こえないようだった。
 真琴は上野に同情する。

 ミツキ……。いくらなんでもやりすぎだよ、これは。
 アンタがどれほどの存在だか知らないけど、ここまでやる権利は……それこそアンタにはないんじゃないの?

 ここまでやった真意……。
 納得いく説明がないなら、私はもう……運営であることを放棄する。
 いや違う。権利は私にあるんだ。
 そう、最後の運営として別の判断をしてやる。
 こころを粉々に砕かれた上野の背中をさすり続けながら、真琴は再び涙を流す。
 そして真琴はミツキとの対峙を決意して携帯電話を睨み付けた。
 ねえ、今も見てるの? 聞いてるの?
 ……ミツキ。

 そこに、いつの間にか部屋を出た松下が手配したと思われる若い刑事が大量のトイレットペーパーとゴミ袋を運んできて床を拭き取り始めた。
 真琴はまだ動けない上野の背中をさすり続けた。
 自分の涙も溢れるままにして……。
 
 そして、松下が部屋に戻ってきた。
 松下もトイレットペーパーを抱えている。
 松下は真琴の面持ちを確かめ、静かに真琴と視線を合わせる。
 その松下の表情は少し悲しそうに見えたが、それがそんなに単純な気持ちではないことが読み取れた。
 そうしてなにも言わずに松下も床にトイレットペーパーを広げ、後始末に加わる。
 
 あらかた拭き上げたあとで、ようやく松下が真琴に声をかける。
 
「今は上野くんの心配だけしてあげてほしい。複雑だろうけど」

 ……バレてる。
 そりゃバレるよな、あんな顔してちゃ。
 今は……。今は……か。
 そうよね、今は考えない方がいいかもしれない。

「……上野先輩」

「え……あ……。……俺……あ、俺……」

「いいんです。なにも悪いことは起きてません。安心していいんです」

「……俺……その、俺……」

 上手く喋ることができない上野を見て、またも真琴は頬を濡らす。

「なんにも心配いりません。もう先輩に悪いことは起こりません。起こさせません……私が」

「あ……ああ……」

 震えが止み、上野は小さくしゃくりあげながら泣き始めた。
 その姿に真琴は安心する。
 この涙は心が動いた証……。
 心が息を吹き返したことを示す涙だったからだ。

 真琴は別の椅子を上野の横に添えて座り、黙って上野の背をさすりながら上野が落ち着くのを待つ。
 思いのほか大丈夫そうだ。
 部屋に入ったときは廃人だったけど……。
 あの状態を松下さんは「大丈夫」と言い切ったけど……。
 松下さん……いや、刑事という人種は、そんなことまで見定めされるの?
 
 いや……案外そうなのかもしれない。
 取調べ室では、極限まで追いつめられた人間のドラマが展開されるんだ。
 TVドラマなんかより、もっと生々しく……。
 
 
 上野がほぼ落ち着いたころ、この上ないタイミングで松下がお茶を持って部屋に戻ってきた。そして対面の席に着く。
 ……なるほど、こういう使い途もあるワケね。あの小窓には。
 

「……少しは落ち着いた、かな?」

 真琴は上野を見る。
 まるで病院に付き添う母親みたいだなと自嘲した。

「はい、その……すみませんでした」

「いや、いいんだ。そんなことは。上野くんが無事なら」

「はい……もう大丈夫です。……恥ずかしいです。自分のしたことが」

「そう思うなら、これから気をつければいいだけなんだ。ここであったことは誰にも知られないし、ヘンに恥じ入る必要はないんだよ。ほら、警察っていろんなことがあるから」

「……ありがとうございます」

 上野くん……見違えるような態度だ。
 荒療治だったってこと? ……ミツキの。

「手強いだろ? あの運営は」

「……そうですね。殺されるかと思いました。……電話越しなのに」

 すっかり毒が抜けた上野は、むしろ好青年……。
 知的な雰囲気すら帯びていた。
 松下と上野の会話を聞きつつ真琴は考える。

 これがホントの上野裕太という人間なら、この人をおかしくさせていたものはなんだろう。
 カレンじゃない。カレンの騒ぎのずっと前からおかしかったんだ。それがカレンであぶり出されただけ。
 ああ、理沙の言葉が思い浮かぶな……。
 
「上野くんが話したのは運営のひとり。あんなふうに携帯電話を簡単に遠隔で操るような連中が学生のデータを握ってるんだ。救出は一筋縄じゃない」

「はい、そうですね。よくわかります」

「だからまずは、学生のみんなには自力で安全なところに逃げてもらいたいんだ」

「はい。……でも俺、バカだったから……もう業が……」

「さっきの運営は上野くんを散々責めたけど、なにも上野くんが飛び抜けてヒドい学生だなんて思ってないよ。さっきの運営だって」

「え? ……そう……なんですか?」

「うん。言い方は悪いけど、上野くんは掲示板に乗せられて警察に乗り込んできちゃったから、その、飛んで火に入る……ってカンジで格好の標的にされたんだ。それだけだよ」

「ああ、そうですよね」

「だから今からでも遅くない。あの運営とは別の、最後の運営っていう人が絶妙な判断をして学生に時間をくれた。だから取り立てで出てくる問題は、パソコンで調べるなりズルをしてもいいからちゃんと消化するんだ。そうすれば……えっと、なんだっけ古川さん」

「間違えないで問題に答えればおカネも増えますが星も増えます。星を徳に替えて、ある程度の徳がある状態でクリアすれば、エンディングに〝運営〟っていうキャラが出てきてデータの消去を約束してくれるんです。クリアするときの業の数値が関係あるのかは……分かりません」

「でも、やっぱり業は関係あるんじゃないかな……」

「道徳の試験、その成績に応じて学生有志がカルマトールを分ける用意をしてる」

「……そうですよね。ちゃんと真面目に答えなきゃいけなかったですよね」

「いや、たぶん上野くんの成績は悪くない」

「……え?」
「……え?」

 思わず真琴も声を出していた。
 なに言ってんのよ松下さん……。
 上野くんの答案は、史上最低……でしょ。

「上野くんは特別補習を受けたんだよ、運営から」

「……思い出したくないです。……吐きそうです」

「さっきも言ったけど、上野くんが飛び抜けてヒドい学生というワケじゃない。それなのにあんなに怖い思いをしたんだ。割に合わない」

「そんなこと言ったって、仕方ないですよ。俺がやったことですし」

「いや、捕まえなきゃならない警察官がこんなこと言うのは問題があるかもしれないけど、運営には情がある。そして運営は嘘をつかない。ポリシーなんだろうね」

「嘘を……つかない?」

「言ったじゃないか。いちばん優秀な答案でしたって」

「いや、でも、あれは……」

「まあ、たしかに怖がらせるための言葉だったかもしれない。でも運営はひとりじゃないんだ。あんな思いをして、今こうして別人のように話してる上野くんを悪いようにはしないよ。他の運営が許さない」

「……そうでしょうか」

「僕はそう思う。あ、そうだ、古川さんはどう思う?」

 ……なによ松下さん。ズルくない?
 ひとつしか答えが用意されてないじゃん。
 まあ、私もさっき自分で言っちゃったしな。

 真琴はしっかり頷きながら言う。

「私も……悪いようにはならないと思います」
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