かれん

青木ぬかり

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10月6日(木)

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 真琴と愛は高山の部屋を出た。
 肩を並べて歩きながら、前を向いたまま真琴は愛に尋ねる。

「愛、上手くいくと思う?」

「うん。私はいいと思うよ。断られることはないはずだし」

「だったらいいけど……」

「真琴のアイデア聞いて、やっぱり真琴が選ばれてよかったって思った」

「そう?」

「うん。だってさ、私が選ばれてたらさ、田中美月の件が解決したところで燃え尽きてたよ」

 たしかに愛の言うとおりかもしれない。
 まあ、私が選ばれた以上は考えても意味ないな。

 
「あ、そういえば愛の肩書きって、まだ『大賢者』なの?」

「違うよ」
 
「そうなんだ。なんになったの?」

「要石」

「それはまた……重要っぽいね」

「うん、もしかしたら私と繋がりがあるっていうのも選ばれる要素に入ってたのかもね。……さすがに考え過ぎかな」

「私を選んだ人たちに聞かなきゃ分かんないね。それは」

「そうね。それにどうでもいいね、そんなことは。もう」

 そう言った愛の横顔は、とても晴れやかだった。


 ふたり並んで教育学部を出ると、先刻までの雨は上がり、日射しが戻ってきていた。
 雨上がりの爽やかな空気の中、ふたりは「またあとで」と言って笑顔で別れた。


 島田の部屋に戻ったときには午前10時を過ぎていた。
 島田が松下にどんな報告をしたのか、そして、そもそも自分には他にどんな特典が来ているのか気になっていた真琴は、真っ先にそれを尋ねるつもりだった。
 急かされる気持ちで島田の部屋のインターホンを押す。


(開いてまーすよ)

 島田の間の抜けた声がした。
 真琴は玄関ドアを開けて中に入る。
 コーヒーの香りが真琴の鼻腔を抜ける。
 島田はテレビを点けてニュースを見ていた。

「なんでニュースなんか見てんの?」

「田中美月の犯人、捕まったんだな」

 なるほどその件か。もうニュースになってるんだな。

「ね、犯人って誰だったの?」

「知らない人だよ。……って、当たり前か。えっと、〝在学中だった平成7年に同大学に在籍する女子学生を〟ってなってたから、広大の卒業生だな」

「……そうなんだ」

「犯人はふたり。両方とも結構な社会的地位がある」

「え? ……そうなの?」

「うん、片方は国交省の……役職は忘れたけど、なんか大層な肩書き持ってたし、もう片方は建設会社役員ってなってた」

「え? 公務員なの? 片方は」

「そう。それが〝捜査中止〟の圧力なのかもしれない。……この人たちの肩書きじゃ足りないような気もするけど、国交省のイメージダウンは間違いないから、むしろ国交省のお偉いさんがストップしたのかもな」

 想像するしかないな……。その辺のことは。
 とにかく捕まったんだ。今は前に進もう。

「ね、残りの特典のこと、聞かせてよ」

「うん、いいよ。……古川はどこまで見たんだっけ」

「恩赦ができるってヤツ。ま、恩赦の中身までは見てないけど」

「そうだったな。あ、コーヒー飲む? インスタントだけど」

「あ、今はいいや。それより早く知りたい」

「ん、わかった。恩赦の次、950の特典は『欠片の記憶』が見られる」

「は? 欠片の記憶? ……なにそれ」

「たぶん、ホラあの、カレコレのいちばん最初でさ、理学部の上に落っこちた光の破片を見に行く場面があったろ?」

「ああ、あったね。なんか一瞬だけパパパパって画像が出てきたヤツね」

 島田は時折コーヒーを啜りながら真琴と話す。
 島田が床にあぐらをかいているので、真琴はベッドに座る。

「そう、それ。あれな、歴代の運営の……ってか、運営に関わってる人たちの自首みたいなもんだよ」

「……自首?」

「たぶん、カレコレの中で出てきた画像は、画像しか出てなかったと思うんだけど、この『欠片の記憶』ってヤツだと、名前とその人の〝罪〟が分かるようになってた」

「その人の……〝罪〟?」

「うん。例えばビール飲んでる男の写真には、その人がいつ飲酒運転したかが書いてあったし、サングラスをかけてる背広の男はヤミ金をやってる。他にも部屋いっぱいで大麻を栽培してる写真では、栽培してる人の名前と、もちろん罪として〝大麻栽培〟って書いてあった。後はひき逃げした人とか、美人局してる女の人とかだね。全部、運営に関係した人がそれぞれ自分が持つ〝罪〟を白状するみたいになってた」

 一気に説明してから、島田はまたコーヒーのマグカップを口に運ぶ。

「……つまり、運営は悪人の集団だったってこと?」

「2通りの想像ができる。ひとつは、この人たちは運営だったけど、俺たち学生同様に運営の核に弱みを握られてたっていう可能性」

「ああ、今まで運営の活動をしてた人たちも、運営の中でもその中枢みたいな人に操られてたってことね」

「うん。でも俺は、もうひとつの方がホントだと思う」

「もうひとつってなによ」

「さっき言ったとおり、運営の自首……。運営は自分たちのやってることが許されないと自覚してるから、自分たちの罪も自白して〝捕まえられても構わない〟って言ってるんじゃないかな。ほら、カレン騒ぎについてはスケールが大きすぎて、なんの犯罪にあたるのか俺もよく判らない」

「え? ……それってつまり、カレン運営としての罪はないってこと?」

「いや、あるよ当然。でもなんだか刑法じゃなくて特別法……たとえば不正アクセス禁止法とか、迷惑防止条例の累犯とかになるような気がする。弱みを握って、それをネタにカレコレを強いたのが脅迫とか強要になるのかは学生個々のケースバイケース」

「そうなんだ……。いまいち理解がついてこないけど」

「それでいいよ。とにかく運営は自分たちが持ってる罪を示した上で、判断は最後の運営……古川に任せるって姿勢だよ」

「え……それってつまり、その人たち……運営のメンバーを訴えるかどうかは私次第ってこと?」

「うん、そういうこと」

「画像が出てくる運営って何人くらい?」

「えっと、たしか6人か7人」

「……分かった。じゃ、次の1100のヤツは?」

「ああ、それは分かりやすかった。ユーザ全員に向けてにメッセージを送れる。あくまで運営名で、だけど」

「運営名で、メッセージ?」

「そう。ユーザに対してああしろとかこうしろとか、自由にメッセージを送れる」

「別に私、みんなにさせ……あ、ううん、なんでもない」

「ん? なんだか気になるな。でもいいや。この〝メッセージを送れる〟っての、恩赦を合わせれば、いかにも運営ってカンジのことができる」

「ああ、つまり……例えば、手書きのレポート100枚書いたら恩赦してやるってメッセージも送れるってことね」

「そう。極端なことを言えばね」

「それで、最後の〝運営になったあなたへ〟は?」

「新たなルールを設定していいらしい。既存のシステムの範囲内なら」

「新たな……ルール? なによそれ」

「これ、どんなルールを定めるかは、入力フォームで運営に送信するようになってる。たとえば執行の期日を10月末まで延ばすこともできるし、カレコレのプレイ時間を変更することもできるんじゃないかな」

「ああ、えっと、つまり〝こういうルールにしたい〟ってのを運営に送るんだね」

「うん、そんなカンジ。他にも使いようがありそうだけどね」

「恩赦は個別の学生に対してできるの? なんかイメージとしては〝みんないっぺんに〟ってイメージなんだけど」

「あ、そっか。古川に与えられてる恩赦は、いわば制令恩赦だな。じゃ、さっき言ってたレポート100枚書いたらってのは無理……なのかな?」

 島田の言っていることの意味が理解できない真琴は、首をひねる。

「ゴメン。解るように言ってくんない?」

「あ、うん。簡単に言うと、特定の〝誰か〟を恩赦するんじゃなくて、刑の基準をイジれるんだよ。今だったら業が500で執行される部分を1000まで引き上げることができる」

「あ、なるほどね。じゃ、執行される最低ラインを5000とかまで引き上げちゃえば誰も執行されないんだね」

「そうなるな」

「それなら……たしかに、生かすも殺すも私次第だね。だって、引き下げることもできるんでしょ?」

「……古川がその気になれば、ね」


 真琴は考える。これだけの特典があれば、たしかに全権に近い。
 実質的に執行される学生をゼロにすることもできそうだ。
 でも、それじゃ一律……。やっぱり私は、人を選んでやりたいな。
 だから、愛と一緒に考えたことは無駄じゃない。

 矢継ぎ早の質問が止まった真琴を見て、島田が補足する。

「あとな古川、補足だけど600の特典で配信された動画は、やっぱり匿名じゃなかった。罪としては比較的軽いけど、学生の犯罪の証拠になるものだった」

「……へえ、そうなんだ」

「俺が思うに、特典のなかで特筆すべきは、運営が自分の素性を明かした上で判断を古川……最後の運営に託したって点だよ」

「ああ『欠片の記憶』ってヤツね……。うん、〝今さら自分たちだけ許されるつもりはない〟って意思を感じるね」

「そこまで理解したなら充分だな。で、これからどうするんだ?」

「そう……ね、まずは徳700の特典を使うかな。それで、その後はちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだ」

「手伝う? 俺が?」

「そう、お願い。午後の講義までにね……。あ、そうだ。島田くんにお願いした件はどうなったの?」

「ん~と、どれのことだろ。松下さんへの報告は、欠片の記憶……つまり本物の運営の自白みたいなの以外は全部報告した。いちおう、報告の古川が判断じゃないことを付け加えたから、松下さんならその意味が解ると思う」

「ああそっちね。……うん、それでいいと思う、ありがと。で、島田くんのエンディングはどうだったの? カレコレ」

 そう言ったとき、真琴の腹が音をあげた。

「……古川、腹減ってんだろ? なんか食いにいく?」

「なんかないの? 家に」

「あいにく切らしてる。ろくなもんはないよ」

「じゃ、ちょっとしたらファミレスに行こうよ。でも、あとちょっとだけ」

「いいよ。えっと、俺のエンディングは古川と同じだった。『運営』のキャラも出てきたし、黒幕も出てきた」

「そうなんだ。じゃ、つまり一定のステータスがあれば『運営』のキャラが出てくるから、カレコレで運営が言ったアレ……〝責任をもってデータを消去します〟に〝お願いします〟って答えれば、その人は自分の安全だけは確保できるんだね」

「たぶんそう。でも、そしたら黒幕は登場しないんじゃないか?」

「あ、そうだ。例の雲……買った?」

「買った。そして使った」

「どこで使うものだったの?」

「カレン塔」

「は?」

「カレン塔だよ。とことんパクリ」

「どっかにあった? そんな塔」

「広大タワーだよ」

「ああ、あの煙突。じゃ、そこで例の雲を使うと登れるの?」

「うん」

「なにがあるっての? 上に」

「『黒幕』ってキャラと話ができる」

「え? ……そうなの?」

「うん」

「なにを……話したの?」

「なんか……とりとめのないこと。例の雲を買うだけのおカネは残してあるから古川も買ってみるといいよ」

 おカネを残している……。
 その言葉で真琴は思い出す。

「そういえば、もひとつお願いしてたね。カルマトールの大人買いは?」

「買ったよ、たっぷり。清川もパチンコ当てたから50個くらいかな」

 よし、さすが島田くん、いいカンジだ。
 これに愛たちの分も加えれば……。

 真琴は、ファミレスに行く前に、と徳700の特典「指定した統計データの公開」を開いて2つのデータを公開する作業をした。
 真琴と島田、ふたりの携帯電話が同時に不協和音を鳴らし「みなさんへのお知らせ」の新着を告げる。

 真琴が「公開」にしたのは
  ・講義を除く平均学習時間(学年・学部ごと)
  ・講義の出席率および課題の盗用率
だった。

 それを眺めた島田がなにかを言おうとしたが、真琴はそれを遮った。

「さ、ファミレス行こ島田くん。そこで作戦会議だよ」

「……それはいいけど、なんなんだ? これ。なんでこれ公開したんだ?」

「運営の成仏のため、だよ。島田くん」

「……これが? この、ガッカリするようなデータが?」

「まずは自覚を持たせなきゃ。とにかく運営は今の広大……ううん、日本の大学の現状を憂いてんのよ、とにかくね」

「……なるほど。じゃ、行こっか。俺は古川に付いていくだけだ」

 そうして真琴と島田はアパートを後にした。

 徒歩で行ける範囲にあるファミリーレストランは、平日の午前中だけあって客は少なかった。
 真琴と島田は遠慮なく4人掛けのテーブルに着き、まずは空腹を満たすために早めのランチを注文する。
 二人で一緒にドリンクバーに行き飲み物を選んで一息つくと、島田が切り出す。

「で? 作戦会議ってなんだ?」

「うん、あのね、今日の午後……3コマの講義の初めにね、全部の教室で中継放送するから、その原稿を考えるの」

「中継放送……原稿って、まさか古川が喋るのか?」

「うん、私が喋るの。最後の運営として」

 島田がめずらしく心配そうな表情になる。
 それを見て、真琴が補足の説明を始める。

「心配ないよ。私はあくまで不運にも運営に選ばれた〝学生のひとり〟として喋るから。事実そうじゃん。権限はあるけど、人質の中身……データが未だ運営にあることにはかわりないんだし」

「それはそうだけど……。キリがないだろ。データなんていくらでも複製できるんだから」

「それよ。だからこそ、運営のもうひとつの目的……大学の変革、いや学生の意識改革みたいなもので運営を満足させなくちゃ運営の目的の成就はないんだよ」

「ん~。ま、なんとなくは解る」

「だから私、今日の午前中の会議で提案してくれるように、ウチの学科の教授にお願いしたんだ。運営からの言葉を午後の講義で放送させてくれるよう提案してって」

「……そんな目立ちたがり屋じゃないだろ? 古川は」

「そうね。でも今回だけは……なんかこう、使命感みたいなのを感じてる。やらなくちゃ……ってね」

「そっか。分かった。じゃ、今からそのスピーチの文を考えるんだな?」

「うん。あ、まずさ、島田くんは理沙に電話して、理沙がカレコレをクリアしたときに徳がどれくらいだったか聞いてみて」

「ん、わかった」

 島田にそう指示したあと真琴はテーブルでノートを広げ、水性ボールペンを手に取る。
 そしてまず、スピーチに込めなければならないメッセージを箇条書きにしていく。
 大きな権限があることなど余計なことを言ってしまえば標的にされると考えたからだった。

・自分は、たまたま運営に選ばれた「学生」のひとり
・運営の目的のひとつは田中美月の事件解決だった
・もうひとつの目的は「学生の意識改革」
・学生が減少するなかで、広大の格も安泰ではない
・これから全国的に「大学再編」が進む
・カレコレで多額の所持金を手にした学生は、それを他の学生に還元する用意がある
・徳250前後でクリアした学生は、データを消してもらえた

 ここまで書いて、真琴は島田に尋ねる。

「理沙、電話出た?」

「うん。120くらいだったと思うって」

 それを聞いて、さらに1行加える。

・徳120前後でクリアした学生は、データを消去されなかった

「これくらいかな……」

 真琴は箇条書きにした紙をノートから切り離した。
 島田はそれを食い入るように見つめる。

「還元する用意ってのは、みんなにカルマトールをあげるってことか?」

「うん。でもタダじゃあげない」

「……なにすんの?」

「臨時の試験。もちろん希望者だけでね」

「試験って……いつ?」

「明日」

「勉強するヒマないじゃん。それじゃ」

「勉強は要らないよ。誰でもかける作文だから」

 そんなことを話しているところに注文のランチがきた。
 チキンソテーをほおばりながら、島田はなおも真琴に尋ねる。

「全員を救うだけの権限があることはナイショなんだな」

「うん。それ知られちゃったら、〝だったらすぐに助けてくれよ〟ってなるでしょ? でもそれは運営が望むことじゃないんだよ。それじゃ成仏しない」

「……なるほど。じゃ、さっさと食って、これを原稿にしようか」

「うん」

 そのあと真琴と島田は無言でランチを平らげ、原稿の作成に取りかかった。


 午後0時50分、大学のタイムスケジュールでいえば3コマ目の開始時刻、真琴は学生課の放送室にいた。
 島田も、そして松下も同席している。

 放送の開始は午後1時……。今、各教室では放送についての説明が行われているはずだ。
 真琴の胸は緊張に押しつぶされそうだった。
 そんな様子を見かねて、松下が柔らかい声で真琴に声をかける。

「古川さん、心配ないよ。まず僕がちゃんと説明するから」

「はい……」

「ぜんぶ良い方向にいってる。それもみんな古川さんのおかげだよ」

「はい……」

「初めは意識してゆっくり。話している内に調子とリズムが出てくるんだよ。こういうのは」

「……そうですね。ありがとうございます」

「島田くんもいるんだ。だいじょうぶ」

「はい、わかりました。やります」

 真琴は目の前にあるお茶をひとくち飲む。
 あと10分を切ったのに、また尿意をもよおした。

「すみません。またトイレ行ってもいいですか?」

「もちろん。行っておいで」

「じゃ、行ってきます」


 結局、チョロッとしか出なかった……。
 こんなに緊張するのっていつ以来かな。
 受験のときよりも緊張してる気がする。

 脂汗でベタベタする手のひらを念入りに洗いながら、真琴はそんなことを考えた。
 そうして放送室に戻る。

 放送室ではもう松下がスタンバイしていた。
 真琴の緊張がさらに高まる。
 そこで島田が言う。

「古川、もし言葉が出なくなったりしたら俺が変わる。だから、なんにも心配要らない」

「うん。ありがと」

 そして午後1時、放送開始を告げるチャイムのボタンを押したあとで松下がマイクに向かって話しはじめる。

「午後1時になりましたので放送を開始します。私は、工学部食堂を借りた捜査本部でカレンの捜査にあたっている県警本部の松下です。すでに簡単な説明は各教室で聞いていることと思いますが、まず私から、この放送の趣旨について説明させていただきます」

 真琴は大きく深呼吸する。
 松下の落ち着いた放送を聞いて、緊張が少し陰を潜め、武者震いに似た使命感が芽を出した気分だった。

「今から学生の代表者に『運営からの要求』を伝えていただきます。誤解のないよう申し上げておきますが、今から話をしてもらう学生、古川真琴さんは、運営ではありません。運営の意思をみなさんに伝えるために運営に指定された、みなさんと同じ学生です。この1週間、みなさんと同じようにカレンに翻弄され続けた同士です。どうかそのつもりで聞いていただきたいと思います。それでは代わりたいと思います」

 自分のセリフを終えた松下が静かに席を立ち、真琴の方を向いて、手で着席を促す。
 いよいよ自分の出番を迎えた真琴は、ゆっくりと席に着いて、机の上で原稿を広げた。
 原稿の一番上には、いつの間に書いたのか、島田の文字で「読めばいいだけ、楽にやれ」と記されていた。
 真琴は覚悟を決めた。

「教理1年の古川真琴といいます。私が今からお話しすることは、みなさんに伝えるよう私が託された『運営からの要求』と思って聞いていただきたいと思います」

 そこまで一息に言ってから、ふと正面の窓を見ると、そこには右手の親指を立て「グッド」のサインをする島田が映っていた。
 真琴は勇気を得た。

「みなさんもご存知のとおり、本日未明、平成7年に在学中だった田中美月さんを襲った犯人2人が逮捕されました。これはカレン運営のひとつの大きな目的でした。ですがこのカレン騒ぎそのものはまだ終わりではなく、運営にはもうひとつ別の目的があるようです」

 真琴は視線を上げて再度、窓に映る島田を見る。
 島田は無言ながら、勢いよく何度も頷いていた。
 真琴の緊張がみるみる和らいでいく。

「運営のもうひとつの目的、それは大学の変革です。それは本学に限った問題ではなく、日本の大学全体に共通するもので、現在の日本における大学の『最高学府』たる資質に疑問を投げかけるものです。それはもちろんすぐに改善されるという性質の問題ではありませんが…………」

 ひとたび滑らかになった真琴の言葉は、その後、しっかりとした落ち着きと説得力のあるリズムで原稿を読み上げていく。

 真琴はまず初めに、学生を対象に明日の1コマ目に臨時の試験を行うことを伝えた。
 その試験の内容は学生個々の考え方を尋ねるものなので特段の準備は不用であること、そしてその試験の採点結果によって、業を減らさなければならない学生に対して「カルマトール」を与える用意があることを伝えた。
 
 そこで真琴は一呼吸置く。
 おそらく各教室では、学生たちが今の話の内容を咀嚼しているはずだと思ったからだ。
 島田と一緒に作成した原稿にも、ご丁寧に〝ここで一呼吸置く〟と書いた。
 

 次に、と言ってから真琴は運営がカレコレで伝えたいと思ったことの自分なりの解釈を述べる。

 カレンコレクションというゲームに盛り込まれた悲しいエピソードの数々は、事実であることが証明された田中美月の件によらず、往々にしてあり得る物語であって、未だ親に養われている自分たち大学生が果たしてどれほど学生の本分に尽くしているか、それを今一度よく考えてもらいたいという想いが込められていたのだ、と。
 
 そして最後に真琴は、カレンコレクションというゲームがマルチエンディングであり、基準は不明と断った上で、徳が120程度でクリアした友人は普通のエンディングであったが250前後でクリアした友人はエンディングに「運営」というキャラが出現して、データの抹消を約束してくれたことを紹介した。
 受験問題のような敵の出題は確かに難解になっていくが、途中で諦めずに消化し、そしてそのあとの漠然とした質問の数々には真剣に回答をして、チームで仲間割れなどをしないでクリアを目指してもらいたい旨を伝えて真琴の放送は終わった。
 
 
 放送のスイッチをオフにして、真琴は大きくため息をつく。

 どうだったろう?
 ……ちゃんと伝わったかな?
 私、ヘンじゃなかったかな。
 怖くて振り替えれない……。
 
「最高の放送だったよ。古川」

 島田の声を聞いてようやく振り替える。
 島田は笑顔、そして松下は音を鳴らさず拍手をしていた。

「……あれでよかった……のかな?」

「うん。古川さん、良かったよ」

 ……よかった。慰めじゃないみたいだ。
 真琴はそれを実感し、胸を撫で下ろす。

「じゃ、今ごろ教室では試験の説明が配られてるところですね。きっと」

「うん。それと明日の臨時休講もね」

「え? 臨時休講……ですか?」

「あれ? まだ言ってなかったっけ」

「はい、聞いてないです……」

「これも朝の会議で決まったんだ。明日は1コマ目の臨時試験だけで、それ以外は2コマ目以降の講義も含めて大学はお休みだよ」

「どうして……ですか?」

「明日の試験を受けて、ちょっとくらいゆっくり考えてみる時間をあげるのもいいんじゃないかなって結論になったんだよ。ダラダラと通常運行するより、学生が自分のことを考えるだろうってね」

「そうなんですね……」

「ところで古川さんも受けるの?」

「はい、もちろん」

「……でも、古川さんが考えた問題だろ? カンニングじゃないか」

「ふふ……確かに役得、ですね」

 ここでようやく真琴は笑うことができた。


 放送を終え、真琴は島田と共に学生棟を出る。
 朝方の通り雨は、大気の汚れを洗い流したようで、秋の盛りの蒼い空は高く澄み渡っていた。
 真琴は空を見上げ、手を組んで大きく伸びをした。

「なあ古川、これからなにしたらいいんだ? 俺たち」

 島田が真琴の背中に問う。
 真琴は、空の向こうを眺めるような遠い目をして考える。

「……わかんないや」

「そっか」

 田中美月の事件が解決して、学生には進むべき道を示した。

 これでひとまずは構内も落ち着くはずだ。
 今日は講義もサボッちゃったし……。
 あ、そういえば昨日もか。

「ねえ島田くん」

「ん?」

「総科に行ってみない?」

「総科? ……あ、もしかして、みっちゃん……か?」

「うん、そう」

「……そうだな。墓前に報告はできないけど、現場で祈ろうか、冥福を」

「うん。じゃ、行こ」

 真琴は、後ろを歩く島田が自分の真横に来るまで待った。
 そして島田に腕を絡める。
 初めてのアプローチであったが、島田のリアクションはなかった。
 しかし島田のその態度はむしろ好ましく、真琴の行動を優しく受け入れる雰囲気に満ちていた。

 そして2人は、一般教養の講義が行われる総合科学部の建物の横、池のほとりに着いた。
 驚いたことに、既にいくつかの花束が置かれていた。
 そのおかげで真琴たちは目的の場所を知る。

「……あったんだね。慰霊碑」

「うん、気付かなかったな」

 転落した場所から少し建物寄りの平らな場所……。
 そこには小さな石碑が建ててあったのだ。

「今度また、花を買ってこよう」

「うん」

 思いつきでここに来た2人は供えるべき花を持たなかったので、しゃがんで石碑に対面し、手を合わせた。

〝ずいぶん時間かかっちゃったけど、捕まったよ。犯人……〟

 真琴は強く祈った。

 背後に足音を感じたので振り返る。
 そこには、花束を携えた松下の姿があった。
 真琴たちが振り返ったのを見て、少し照れたような表情を見せる。

「……さすがだね。ここに来るなんて」

「それは松下さんですよ。ちゃんとお花まで持って……」

「これ、班長の命令なんだ。捜査本部にいる人間全員に言ったんだよ」

「……そうなんですね。大塚さんもやっぱり正義の人なんですよね、ホントに」

「うん……」

 松下の短い返事には、いろいろな思いが込められているように感じられた。
 真琴がそんなことを考えていると、島田が松下に尋ねる。

「警察の方も一段落……なんですか?」

「うん、そんな感じだよ。おかげさまでね」

「ホントに速かったですよね、犯人捕まえるの。どういうカラクリですか?」

「うん……なんていうか、タレコミみたいなもんなんだ」

「タレコミ……ですか」

「そう、タレコミ。それも、すぐに逮捕できちゃうくらいのね。なんだか初日……9月28日を思いだすね」

 話ながら松下は、真琴たちがいる場所に近付いてくる。
 正しくは石碑……田中美月の慰霊碑がある場所にだ。
 松下が石碑に祈るのに併せ、真琴と島田も再度祈った。

 二度目の祈りを終え、真琴が松下に尋ねる。

「タレコミって誰からですか? この事件のことは、例のアレ……報道協定があるから世間一般は知らないはずですよね」

「2つあった。ひとつは黒幕、もうひとつは大学関係者から、だよ」

「黒幕……ですか? それって……」

 松下が軽く首を傾げた。

「ん? ああ、違う違う。古川さんが会った人とは別人だよ。あの人は黒幕なんかじゃない。あの人はあくまで運営に決心をさせた人、だろ?」

「まあ……そうですね」

「だから今朝、電話で僕は聞き返したんだよ。古川さんの言う黒幕って誰? って」

「……じゃ、まだ別にいるんですね? ……黒幕と呼ぶに相応しい人が」

「うん、そうなるね」

「……誰なんですか? それ。……ちょっと想像できないです」

 松下はここで「そっか……」と独りごちた。
 会話が途切れたのをみて、島田が割って入る。

「松下さん」

「ん? あ、島田くんもお疲れ様。ホントに助かったよ、その優秀さに、ね」

「あ、いえ……。そんなことはいいんですけど、僕は聞いてもいいんですか? この事件について古川が知ってること」

「え? ……知らないの?」

「はい。あえて聞いてません。運営の主体が誰で、古川が今朝、誰と会ったのかも」

 この言葉に、松下が驚いた顔で真琴を見る。
 島田もそれに倣い、ゆっくりと真琴を見た。
 ……なによ? 言っちゃってもよかったの?

「ホントに義理堅いんだね、古川さん」

「褒め言葉に聞こえません。さすがに」

 松下が笑う。心からの笑顔だ。
 ああ、ホントに上手くいったんだ……。
 真琴はそれを実感した。

「義理堅いのは島田くんも同じだろ?」

「……まあ、たしかにそう思います。もしかしたら……いえ、絶対に私以上の石頭です」

「褒め言葉に聞こえないな。たしかに」

 松下がふたたび笑う。「ホントにいいコンビだな」などと呟いている。

「古川さん」

「はい」

「全部言っちゃっていいよ。島田くんになら」

「……いいんですか? 運営の正体も、私が今朝、誰に会ったのかも」

「うん。君たちは情報を共有していい。……それにしても、よくまあ島田くんはガマンしてるね。教えてもらえなくて」

 これには真琴が反論する。

「ガマンを褒めるならなら私の方ですよ。松下さんの気まぐれのせいで私、めっちゃイライラしながらカレコレやってたんですよ」

「気まぐれ……。たしかにそうかもね。古川さんと島田くんは逆でもよかった。でもさ、逆にしてたら島田くんを納得させるのに苦労したんじゃないかな? 〝カレコレを進めろ。ただし攻略本はあるけど見るな〟って」

 この松下の想像に島田が応じる。

「それは……そうですね。あの時点では、それを僕に納得させるだけの理由を用意するのは難しかったかもしれないです」

「うん、解析結果の存在自体を隠すって手もあったけど簡単じゃなかったと思う。いずれにしても、せっかく恋人同士になったのに隠し事だらけの船出になっちゃったね」

「そんなことないですよ。もっとヒドい隠しごとを抱えてるカップルなんて山ほどいそうな気がします」

「そうか。……そうかもね、うん」

 そこで会話が途切れ、3人は改めて慰霊碑を見る。
 そして真琴がポツリとつぶやく。

「田中美月さんのご両親は、どう思ってるんでしょうか……」

「喜んでたよ。心から」

「……ホントですか?」

「うん。事故だったっていう結論は、ご両親が時間をかけて〝自分たち〟に納得させてたんだ。ホントは事件を疑ってた。……その気持ちは推して知るべし、だろ?」

「……たしかに……そうですよね。お酒を飲んだからって、わざわざあんなに道を外れて池に落ちるのは不自然です。それに、少なくともサークル棟を出るまでは肝試しに行こうとする程度の酔い方だったんですからね」

「うん。そうなんだ。だから運営は、襲った犯人を許せないと同時に、平成7年に大学が執った措置にも疑問を抱いてた。なにか隠蔽したんじゃないかってね」

「……そうなんですか?」

 ここで島田が割り込む。

「つまり、移転して間もなかった広大の評判を気にしたかもしれないってことですね」

「それ、そのとおりだよ島田くん。ま、ホントのところは最初の運営しか知らない。あ、そうだ。カレン騒動とは別に、田中美月の事件の解決功労者として表彰したいんだけど……構わない?」

「え? 表彰……ですか? 私を?」

「うん。決定的証拠とともに重要事件を告発してくれた大功労者だからね。古川さんと島田くんの2人でいいかな?」

 突然の申し出に、真琴と島田は顔を見合わせる。
 そして、表情でお互いの意思を確認し、真琴が松下に答える。

「もう1人お願いします。……清川理沙を」

「あ、もうひとりのチームメイトだね。うん、わかった。チーム3人が揃った方がいいね。たしかに」

「はい、お願いします」

 そうして真琴たちは松下に「失礼します」と言って立ち去ろうとした。
 そこで、思い出したように松下が告げる。

「あ、そうだ古川さん」

「はい」

「古川さんの……〝最後の運営〟のもうひとつの要求も、どうやら通りそうだよ」

「ホントですか? ……けっこう無茶な要求だと思ったんですが」

「いや、案外タイムリーだったのかもしれない。……まあ、もちろん人質の重さも考慮されたのは間違いないけど」


 そうしてみっちゃん……田中美月の慰霊を終えた二人は、今さらながらに空腹を覚え、総合科学部の学生食堂に入る。

「古川、さっき松下さんが言ってた〝もうひとつの要求〟ってなんのこと?」

 二人での遅い昼食……。島田はトンカツをほおばりながら真琴に尋ねてきた。

「それはお楽しみにしといて。そう遠くないうちに分かるから」

 島田が苦笑いする。

「あとで分かる……か。なんか立場が逆転しちゃったな」

「あ、ホントだ。よし、思いっきり焦らしてあげるね」

「松下さんは俺には教えてもいいって言ってたじゃん」

「うん。よかった。私もイヤだったんだ。隠してるの」

「じゃ、教えろよ。ぜんぶ」

「いいよ。あのね……」

 島田と向かい合って座っていた真琴は席を立ち、島田の横に座りなおす。

 そして真琴は島田に聞かせる。
 松下と大塚の電話中継を一緒に聞いたので、おおよそ知っている部分もあるが、なにか発見があるかもしれないと思い、真琴は経緯を初めから説明していく。

 4年前に県内の写真店に持ち込まれた使い捨てカメラが問題のネガとなったこと。

 ネガは直ちに警察に持ち込まれたが、田中美月が所属していたサークル関係者の中に犯人はおらず、被疑者は判明しなかったこと。
 警察内では捜査続行の意見もあったが、当時の西條署で刑事課長をしていた大塚が捜査の中止を宣言し、部下であった松下に廃棄を指示したこと。

 松下はその措置に納得できず、大塚が広大の卒業生で平成7年当時に在学していたことを知っていたために大塚と大学を怪しみ、大塚が師事していた高山教授にネガを託したこと。

 ネガを託された高山教授は大学の問題として対処しようとしたが、そのうち、当時中学3年生であった写真店の娘が口止めのような脅しを受けたこと。

 無関係である写真店の娘が脅されたことを知り、高山は犯人を許さない決意をしたが、ひとたび警察が「捜査中止」の断を下した事件であるだけに、それを覆すためには相当な材料が必要であると考えたため、このカレン計画を企てたこと。

 そして、その写真店の娘というのが大神愛……つまり真琴の親しい友人であること……。


「……つまり、当初の想定では、古川の友だちの、その大神愛っていう1年こそが〝特別〟だったんだな」

「そうだと思う。犯人への憎しみと大学への失望は私なんかよりずっと大きかったはずだし、最後の決断を下すのに相応しいと思う」

「でも古川が選ばれた」

「うん、そうだね……」

「そういや、放送の最後にカレコレをクリアすればデータを消してもらえるってヤツ入れただろ? あれ、徳120ってのは清川のことだけど、250って誰のことだったんだ?」

「あれは早紀。山本早紀っていう、ホントだったら私とチーム組んでたはずの『三中』のひとりだよ」

「ああ、なるほど」

 食事が終わったので、二人は返却口に食器を返し、自動販売機でコーヒーを買ってからテーブルに戻る。
 既に午後3時に近く、学食内は閑散としていた。

「じゃ、本格的に高山先生が運営として準備を始めたのは3年半くらい前からなんだな」

「そうなるね」

「朝な、古川が愛って子と話をしに行ってるあいだ、俺、結構調べたんだ。恩赦できる特典を持ってる人、つまり徳が850を超えてる人、5人くらいいる」

「え? そうなの? じゃ、その人たちが恩赦しちゃったら無駄になっちゃうね。私のアイデア」

「ん……古川のアイデアはつまり、安易に恩赦しないで、学生みんなに自省を促すこと……だろ?」

「えっと……まあ、そうだね」

「まあ、徳850超えてるってことは、当然それ以前の特典……ユーザの統計データとか、業の特典の中身とか見てるから、古川の意見に同意なんじゃないかな?」

「うん……そうだといいけど……」

「念を入れとく? 心配なら」

「……どうやって?」

 ここで島田がコーヒーを啜る。
 そして島田がなにかを言おうとしたとき、真琴が先に口を開く。

「なんかさ、島田くんってさ、〝いいこと閃いた〟的なこという前に一呼吸置くよね」

「なんだよいきなり」

「いや、なんとなく。分かりやすい癖だなって」

「癖じゃない」

「……え?」

「意識してやってんだよ。今から自分が言おうとしてることは、ホントにそれでいいのかってね」

「ああ、なるほどね。……島田くんらしくていいね、それ。で、どうやんの? 念を入れるって」

「〝運営となったあなたへ〟の特典を使うんだ」

「え? なんだったっけ……それ。……てか私、自分で見てないんだよね、まだ」

「ルール変更ができるってヤツだよ。システムの改変を伴わない範囲で」

「ああ、そんなこと言ってたね。……なるほどね。使おう、それ」

 真琴は早速、携帯電話を手にとって、カレンのトップページに新たに追加された「ルール変更申請」というボタンをタップする。
 入力フォームが表示されたので、変更すべき内容を入力する。


〝最後の運営が誕生しましたので、学生を恩赦するという強い権限は、念のため運営の承認を得てから行うものと定めたいと思います。ですので、徳850の特典を有するユーザに対して『恩赦を行う場合は、事前に運営(ラインID:makorin660)に伺いをたてること』をいう内容のお知らせを配信してください〟


 うん、これでいいかな。
 真琴は送信のボタンをタップする。
 すると、ものの10秒もしないうちに「あなたへのお知らせ」が届いた。
 真琴はそれを開く。


〝了解! 送っといたよ!〟


 …………え?
 なに? この軽いノリ……。

 思わず真琴は、携帯電話の画面を見せながら島田に尋ねる。

「ねえ……なんかメッチャ軽いノリの返事が来たんだけど……」

「ん? どれ……。あ、これ、このカンジ……『黒幕』と同じだ」

「……黒幕って?」

「さっきファミレスに行く前に説明したろ? カレン塔の上にいる『黒幕』ってキャラがこんなノリなんだよ」

「……そうなの?」

「うん。オレもちょっと面食らった。今日のカレコレが始まったら古川も話してみるといいよ」

「……わかった。そうする」

 返事をしながらも、真琴の中に奇妙な違和感が残った。

 ぜんぶが順調だからなのかな……。
 それにしても、威厳もなにもない……。
 まあ、この件は、それこそ今日のカレコレで試せばいいか。
 
 そして真琴はもうひとつの念押しをする。
 それは徳1100の特典、運営名でのメッセージ配信だった。
 真琴は、今しがたの特典と同様にトップページに追加されていた「メッセージ配信」というボタンをタップし、配信するメッセージを入力する。


〝このところ大学構内で学生同士のもめごとから事件が多発しています。今後、学生同士のもめごとで警察の手を煩わせるような事件を起こした学生は、その内容によって随時、業の特典を執行します〟


 うん、いいかな。これでホントに構内は落ち着くだろう。
 真琴は決定ボタンをタップする。
 すぐに真琴と島田、両方の携帯電話がお知らせの新着を告げる。

 島田がお知らせの内容を見て真琴に尋ねる。

「これ、古川がやったの?」

「うん。だって、昨日ホントに大変そうだったんだよ、警察。だからついやってみたんだけど……マズかった?」

「ん……いや、いいんじゃないかな。うん、いいと思うよ」

「それならよかった。これでみんなが冷静になるといいな」

「……それはそうと、さっき別れ際に松下さんが言ってた〝もうひとつの要求〟ってなんだ? 古川が要求したんだろ? つまり」

「ん……そうだけど……。それはまだナイショ」

「なんだよ、ぜんぶ教えてくれるんじゃなかったのか?」

「えっと……そうね。今日はたっぷり時間もあるし、サークル行かない?」

「……別にいいけど……話が変わってないか?」

「教えてあげる。……私に勝ったら、ね」

「それ……そういや前にも言ってたな。断っておくけど手は抜かないぞ」

「島田くん、そんな余裕はないよ。……きっと」

 この真琴の言葉で、島田の眉間にしわができる。
 そのとき、真琴の視界に奇妙なものが現れた。
 島田の背後、下の方から現れた「それ」は、両方の手で島田の顔を横に広げて見せた。

 突然に突きつけれた島田の珍妙な顔に、真琴は思わずコーヒーを吹きそうになる。
 なんとかこらえたが、鼻の奥にツンとしたものが走った。
 
「……理沙、アンタ今、どこから現れた?」

「え? 見てたでしょ? 下からだよ」

「……じゃ、質問変える。どうやってここまで来たの?」

「え? そんなの決まってんじゃん。這って来たんだよ」

「……そう……そうよね。それしかないよね。で、なんでそんなことすんのよ」

「真琴……アンタ大丈夫? 見つからないようにするために決まってんじゃん」

 ……ダメだ。なにを言っても無駄な気がする。

 突如として現れた理沙は、真琴と話しながらも島田の顔幅を横におよそ1.5倍に保っていた。

 やる方もやる方だけど……。なんのリアクションもしない島田くんもすごいよな、ある意味。

「古川、茶色い鼻水が出てる」

「…………お願いだから、その顔のまま喋らないで」

「で、どうしたんだ清川」

「たまたま、だよ」

「たまたま?」

「そう」

「こんな時間にメシ食ってる俺たちを、たまたま発見したのか?」

「うん。放置プレイに耐えかねて家を出て、アンタたちを見なかったかって聞き込みしながらウロウロしてたら、たまたま見た人がいたんだよ」

「……ああ、なるほど」

 ちっとも「たまたま」じゃない……。
 思いっきり探してんじゃん。
 ま、でも無理もないか。理沙のことはすっかり放ったらかしだった。
 理沙にしてみれば、やっと連絡が来たと思ったら「クリアしたとき徳いくつくらいだった?」っていう島田くんからの電話だもんな……。

「ゴメン理沙、ホント、放ったらかしだったね」

「そうよ。聞きたかったのに。真琴の公開羞恥オンエア」

「……話は聞いてんだね」

「もんちろよ。知りたいことは必ず知る。学生の鏡だし」

 学生の鏡……か。こぼれ出たのが理沙の口からだっただけに、その言葉はやけに印象的に真琴に残った。

 ん……。あ、そうか。放送を聞いてない学生もいるのか。
 盲点だったな、これは。

「島田くん」

「ん?」

「私ちょっと先生と連絡取らなきゃ。明日の試験のことで」

「ああ、分かった」

「それでさ、島田くんは理沙に説明しといてよ。運営のこととか、黒幕の……じゃないか……私が朝に会った人のこととか、とにかくぜんぶ」

「……いいのか? 松下さんは俺には教えていいって言ったけど……」

「いい。私が決めた。それに理沙の頭は、取り込む情報を自動で選択するらしいし」

「分かった」

 理沙の相手を島田に託してから、真琴は白い携帯電話を取り出して電話帳をスクロールさせていく。
 この電話は松下さんと高山先生の連絡用に使われてたんだ。
 だから高山先生直通の電話番号が登録されてるはず……。

 しかし、電話帳にはそれらしい登録が見当たらなかった。

 20件くらいしか登録されてないのに……。
 あ、そうか。これは偽装……。高山先生の息子さん名義だって言ってたな。

 そして真琴は通話履歴をさかのぼる。

 ……あった。〝お父さん〟……これだ。たぶん。
 多少の不安はあったものの、真琴は〝お父さん〟にダイヤルする。

(はい……)

 名乗らない……。さすがに警戒してるんだな。

「あの、古川です。今朝お伺いした」

(あ……ああそうか。この電話は今、古川さんが持ってるんでしたね)

「はい。先生、今、お話できますか?」

(はい大丈夫ですよ。これも古川さんのおかげですね)

「……いえ、そんなことは……ないです」

(いいんですよ。古川さんは自分の行動を誇っていい……そう思います)

 自分の学科の主席教授に褒めちぎられて、真琴の脳裏に「もしかするとこれは学生生活に有利に働くかもしれない」などと不純な計算がよぎった。

 私だって100%キレイな成分でできてるワケじゃないんだよな……。
 うん、要は程度の問題なんだよな。……なんでも。

 そして真琴は、明日の試験のことについて打ち合わせをした。
 結果として、ほとんどのことは高山が手配済みだったので、真琴がするべきことは徳の特典を使って全ユーザに対して連絡をするだけだった。
 真琴はすぐにメッセージを配信する。


〝明日の1コマ目に実施される試験の会場は、9月30日(金)に実施された学生説明会と同じ場所とします。出題内容は一般的なことがらです。なお、辞書や資料の持ち込みも許可します。成績発表は明後日、10月8日(土)の午前9時に「あなたへのお知らせ」で通知します〟


 真琴は配信前に文面を確認する。そして思う。
 ホントに1週間ちょっとしか経ってないんだよな、と。
 それに、試験のことは今朝決まったばっかりなのに、ホントに手際がいい。
 ほとんどの段取りは高山先生のところで決まってた。
 それだけ〝運営〟の名前が大きいんだろうけど……。

 でも……1日で採点できるの? どうするんだろ、高山先生は。
 ……院生にでもお願いするのかな?
 いや、それじゃ採点が偏るし……。

 いくつかの漠然とした疑問を残したまま配信を終えて真琴が考え込んでいると、理沙が話しかけてきた。

「真琴、この男コテンパテンにしちゃっていいよ」

「……え? なんのこと?」

「ぜんぜん信じてくんないんだよ。私のハナシ」

「だからなんのことよ」

「古川式卓球術」

 ……それか。まあ無理もないよね。
 よし、今日は久々のサークルだ。
 
 3人は総科の食堂を出て、東体育館に向かう。



「わたし思うんだけどさ」

 3人並んで歩くなか、そう切り出したのは理沙だった。

「ん? なに?」

 食堂からの流れで、どうせロクでもない話だと思った真琴は、ぞんざいに聞き返す。

「やっぱ高校とは違うよね。大学って」

「……なにが?」

 このところ、理沙の話は着陸地点が見えない。
 真琴はにわかに警戒した。

「ぜんぜん知らないじゃん。お互い」

「……どういう意味よ」

「真琴、私の親が何者か知ってる?」

 どうやらこれはフザケてない方の理沙だ……。
 そう判断した真琴は、すこし言葉を選んでから答える。

「知らないね。言われてみれば」

「中学とか高校までの友だちはさ、割と知ってたりしなかった?」

「まあね。でもそれって、友だちの家にお邪魔したりしてたからじゃないの? ほら、独り暮らしになっちゃったから、そもそも話題になんないよね」

「うん。でも……それだけかな?」

「……なにが言いたいの?」

 問い返しながら、真琴は理沙の言わんとするところをなんとなく感じ始めていた。

 そう、むしろ家のことに触れるのを敬遠してるんだ。私たちは……。
 一緒に過ごすのには関係ないし、それに、もしかしたら「重い」かもしれないから……。

 現に、愛の家が写真屋さんだなんて、まったくの新情報だった。
 もう半年も一緒にいたのに……。

「でもまあ、真琴のウチってなんとなく想像できちゃうよね」

「なによそれ」

「いやほら、その……どんな環境なら真琴みたいなのが仕上がるのかって考えたらさ」

「どんなのよ? 私みたいなのって」

「え? う~んと、え~と、なんて言ったらいいのかな……」

「無農薬」

「おお……。なおっち、それイイね。いい表現」

 真琴と理沙のやりとりを静観していた島田がボソッと放った言葉に理沙が反応する。

「……どういう意味よ。それ」

 真琴は言葉の元……島田を睨んでみる。
 この真琴の問いに、島田は質問で返す。

「古川は俺んちがどんな家庭だと思うんだ?」

「え……」

 聞いてるのはこっちのはずなのに……。
 なによいきなり……。
 真琴は言葉を返せない。

「カレンの騒ぎがあったから、俺は古川の家……というか古川のお父さんがなにしてる人だとか、広大の先輩だとか、いろいろ知った。けどそれって、たまたまだよな、ホント」

「そう言われれば……そうだけど……」

「俺んちは、たかしに近い」

「え……」

 島田の言葉に、真琴はとうとう返す言葉を失う。
 たかしって……。カレコレに出てきた〝たかし〟のこと?
 あの、お母さんが家で内職してた……。

「ま、内職はしてないけどね。母子家庭なんだ。俺んち」

「そうなんだ……」

 なんだか重い話題になってきたなと感じながらも真琴は、島田の家庭環境を想像すると同時に別のことを考える。

 高校を出て、大学への進学を選んだ私たちは「大人」になることを先延ばしにしたんじゃないかと……。
 そして、高校を卒業して就職した人たちは、たとえ18歳でも「大人」なのではないか、と。
 
 広大は、たぶんひとり暮らしの学生の割合が多い。
 ド田舎にあることも要因のひとつだし、遠方からでも入学するだけの価値がある大学という一定の評価もある。
 でもここは、大人になることから逃げた子どもの「最後の楽園」……。
 そんな、なにかのキャッチフレーズのような言葉が頭に浮かぶ。

「……ゴメン。なんか暗いハナシになっちゃったね」

「あ、ううん。そんなことないよ理沙。ところで理沙はどうなのよ。理沙のウチってどんなカンジなの?」

「ウチ? う~ん……。普通のサラリーマン家庭だよ。でもお金持ちじゃない……のかな?」

「なんで疑問形?」

「いや、お父さんはそれなりに稼いでるみたいだし、お母さんもパートしてるんだけど……。4人兄妹なんだよね、ウチ」

 ……なるほど。だから理沙は奨学金を受けてるのか。
 そうなると、私は恵まれてるんだろうな。……経済的には。

「清川、おまえ何番目?」

「3番目」

「おまえ以外の3人は男だろ?」

「うおっ。よく分かったね。なおっちってメンヘラ?」

「……なんか違ってないか? 言葉が」

「なにマジに返してんのよ。真琴じゃあるまいし」

「なによそれ」

「それよそれ」

 理沙の返しに島田が笑う。
 そして理沙が続ける。

「ホント、なおっちがさっき言った『無農薬』ってピッタリだね」

「なによそれ」

「なんてえの? 余分なもの使わないで、ヘンな虫がつかないように手間隙かけて……ってカンジ?」

「……バカにしてる? もしかして」

「してないよ。羨ましい……ってのも違うかな。でも悪口じゃない。……なんだろね、このカンジ」

 そう言った理沙は遠い目をしていた。
 その横顔は、やけに大人びて見えた。

「比べることに意味がないんだろ。きっと」

「お、いいこと言うね。さすがナルっち」

「清川……サークルでその呼び方したらチームから外すからな」

 そんなことを話しているうち、3人は東体育館に着いた。
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