かれん

青木ぬかり

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10月4日(火)

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 ……いつもの目覚ましで起きた。
 横には、口を開けた島田くんがいる。
 そして頭の後ろには島田くんの腕……。

 ……痺れないのかな。腕枕って。

 真琴は携帯電話のアラームを止めて、そろっと身を起こす。
 島田はまだ夢の中、気持ち良さそうに寝ている。

 その島田の顔を見て真琴は、一度起こした体を倒す。
 そうして島田の寝顔をしみじみと眺めた。

 島田くんの顔、こんなに近くにある……。

 昨日、なに話したんだっけ。
 それにしても幸せそうな顔だな。……これ。

 つられて自分も幸せな気分に浸っていたところで島田の携帯電話が鳴る。
 ……こんな朝早く、誰からだろ?

 電話の音に反応して島田が動く。
 島田は目を開けないままで布団をまさぐりながら音の出所……携帯電話を探している。
 ああ、これはアラーム……。そして、これが朝の島田くんなんだ。
……ふふ、かわいい。

 真琴は島田の携帯電話を拾いあげて奪い、その微笑ましい光景を眺める。
 島田はうめき声をあげながら、なおも目を開けずに腕で携帯電話を探している。
 やがて島田の手が真琴に触れた。

 柔らかくて生暖かい感触に違和感があったのか、島田は一瞬だけ動きを止め、それから確かめるように「それ」を揉む。
 そしてようやく島田は目を開けた。

「ふふ。……おはよ」

「ん……ん? ……あれ? ここ、古川んち?」

「そだよ」

「……一緒に……寝たのか。……昨日」

「そ、責任とってね」

「責任……」

 島田は眠い目をしながら考えている。
 昨日の夜のことを思い出しているようだ。

「責任って……。いや、まだ発生してないだろ。それ」

「ええっ! そんな……ヒドい……」

「………じゃ、今から責任を伴うことをしようか」

 からかうつもりが、たった二言で形勢をひっくり返され真琴は顔を真っ赤にする。

「うう………バカ」

「でも、いつ眠ったのか覚えてないな。まさに寝落ちだな」

「うん、ホントだね。ね、朝ごはんにしよっか」

「ああ、うん。……このまま二度寝もいいけど」

「………ダメ」

「ダメ……か」

 しぶしぶ起きた島田は大きく背伸びをする。
 なんとも呑気な朝……。だけど、うん、ずっと緊張しとくなんて無理……。
後ろ指差されるようなことしなけりゃいいんだよ。うん。

 島田と一緒にいることで、真琴は昨日より心が軽くなっているのを感じた。

 真琴は昨夜に続き冷蔵庫を物色する。朝からうどんというのもおかしいかとは思ったが、島田が「いいね、うどん」というのでうどんを茹でて二人で啜った。

「そういえばさ、昨日島田くんが言った『運営の期限は時間稼ぎ』って、あれ、どういう意味?」

「ん? ……そんなこと言った? 俺」

「言ったし」

 島田が箸を止めて考える。どうやらあんまり覚えてないようだ。

「……前後の話が思い出せないから……よく分かんない。けどまあ、意味は解るよ」

「どういう意味よ」

「うーん。つまり運営が期限みたく宣言した10月10日って、実は大した意味ないんじゃないの? ってね」

「なんで?」

「なんとなく、だよ。10日までって期限があるなら、そこまでは運営は持ちこたえる……っていうか、そこまでは生かされる、いや、おねがいだからそこまでは生かして、みたいな」

「なにそれ」

「警察は優秀だから運営の正体を暴くのにそんなに時間はかからないと思うんだ。んで、正体バレてからも運営は粘る。……学生の身代を盾に。うん」

「ああ、うん。でもなんのために?」

「そこが肝、この事件の要じゃないかな。警察は運営の『目的』を知りたがってるんだろ? それこそ古川に期待するほどに」

「そうだね」

「運営は時間稼ぎしてる間に目的を果たそうとしてるんだよ、きっと。時間稼ぎが長く通用しないのも分かってるから自分で期限を設けたんじゃないかな」

「つまり、10月10日までにけりを付けるから、それまでは手を出さないでって?」

「ま、だいたいそんなカンジかな」

「ん? ……じゃあさ、さっさと言えばいいじゃん。目的ってのを」

「……ん。……なんかあるんだろうな、理由が」

「なによ、理由って」

「………準備……とか?」

「……それ、テキトー?」

「うん、テキトー。でも、当たってるかもよ。だとすれば期限よりも前に決着するかもね」

「やっぱりカレコレ……なの?」

「だな。いまのところ運営は自分から目的を明かす気はないみたいだし、というか、カレコレをクリアした人にだけ教えたいんじゃない?」

「遊んでるってこと?」

「違う。ふざけてなんかないよ運営は。愉快犯とは正反対、なにもかも必要があってのことだよ。そう考えるとなんとなく見えてくる……ような気がする」

「なによ、結局分かんないんでしょ」

「今はまだ、ね」

 うどんを平らげ、食器を洗い終えた真琴が島田を見ると、島田は壁のコルクボードにピン留めされた紙、バイトのシフト表を見ていた。

「なに古川、今日バイト入ってんの?」

「あ、うん。平日は火曜木曜だよ」

「18時から22時って……。これじゃカレコレ進まないじゃん、今日」

「まあ……そうなるね」

「ん……。でもまあ、仕方ないか。バイト終わったら教えてよ」

「うん、わかった」


 真琴も島田も1コマ目から講義が入っているので、そそくさと身支度をしてから揃って家を出た。
 二人とも総合科学部の一般教養だが講義は別、そして島田は原付バイク、真琴は自転車なので、二人はアパートの外で手を振って別れた。
 遠ざかる島田の背中を眺めながら、真琴の頭の中では1コマ目を共にする理沙のことが気になりはじめていた。


 教室に着いた真琴はそっと中を覗く。……いた。
 理沙はパックのオレンジジュースを片手に携帯電話をいじっていた。
 真琴はおそるおそる近付き、隣に座る。

「……おはよ、理沙」

「……前置きはいらないよ」

「昨日は……ゴメン」

「だから前置きはいらないって」

「……なんのこと?」

「聞かせなさいよ。昨日の修羅場、その顛末を」

 理沙は真琴の方を見ずにそう告げる。
 真琴はドキリとした。……修羅場?
 昨日の修羅場といえば、アレだ。あのアプ研の部屋……。
でも、なんで理沙が……。
いや、さすがの理沙でもアプ研での出来事は知らないはず。

 じゃあ、じゃあ修羅場って、なんのこと?

「なに? その……修羅場って」

「なおっちと一悶着あったでしょ。その話に決まってんじゃん」

 なおっちって……島田くん?
 いや、別に島田くんとの修羅場なんてなかったし。

「……べつに、修羅場なんてなかったよ」

「じゃあ何してたのよ、ふたりで」

「昨日はずっとピロートークしてたもん」


    ……ゴフッ


 文字にすればそんな感じの聞き慣れない音を出して理沙が停止した。
 そして機械のような動きでゆっくりと真琴の方を向く。

「……理沙。……なんか出てるよ、鼻から」

「アンタがやったんじゃない。なにその捨て身ギャグ」

「……え、なに? よく分かんないよ理沙」

「……知らぬ間に腕を上げたね、アンタ」

「え? え? ホント、なんのこと?」

 理沙は真琴の顔を覗き込む。そこに悪意がないことを読み取り、ポツリと「なおっちか……」と言って携帯電話をいじりはじめた。
 なに? ……なんなの?

「はいどうぞ~」

 理沙が真琴に携帯電話を差し出す。その表情はなにやら嬉しそうだ。
 真琴は差し出された携帯電話の画面を見る。

   ~ ピロートークとは ~

 ……ん。んと……え。………え?

「……………。」

 真琴の顔がほんのりと良い色に染まっていくのを見て理沙が言う。
 理沙はもう満面の笑みだ。

「お分かりいただけたかしら?」

「……ねえ理沙。……わたし、さっき、どんくらいのボリュームで言った? この言葉……」

「叫んでたよ。自慢げに。してたもんっ! って」

「い……いやいや、そんな……」

「3秒くらい凍りついたよ、この教室」

 うわ……。なにこの辱しめ。
 真琴はあまりの恥ずかしさに周囲を窺うこともできない。

「こんなエグいトラップ……。なかなかどうして、やるね……なおっち」

 変な汗をかき、湯気が出そうな顔をノートで扇ぎながら、真琴は努めて今の数分間を忘れようとした。
 しかし落ち着くにつれ、ひとつ疑問が残った。

「あ、そうよ理沙、そもそも修羅場ってなんのことよ」

「ん~? ああ、そのこと? なおっちが気にしないならいいんじゃない? べつに」

「……だからなんのことよ」

「……聞いてないんだ。…さすがなおっち」

「なにひとりで納得してんのよ」

「あのね真琴」

「なに?」

「昨日サークルでね、3年の先輩がウチらに耳打ちしたんだよ。『古川ってたしか、バイトの3年と付き合ってんじゃねえの?』って」

「え……」

「アンタが電話繋がらなくて、私も大概ムカついたんだよ。でもアンタの家に押しかけなかったのは、なおっちが『俺が古川を問い質すから清川は来るな』って言ったから。ああ、これは修羅場だぞってね」

「そんな……そんなこと、島田くんはなにも……」

「……やるなあ、なおっち」

 そんなことが……。それなら……なるほど理沙が引き下がったのも納得だ。
 島田くんはそのネタ、理沙をあしらうために利用したんだ。
 そして自分は、自分が言ったことを守ったんだ。

  ……疑うなよ、か。

 その耳打ちをした先輩というのが誰なのか気にならないこともなかったが、知ることに意味がないことを真琴はなんとなく理解した。
 これからは、こんなこと当たり前になるんだ、きっと……。

「今日はサークル来んの?」

「ごめん、バイト。10時まで。終わったら連絡する」

「おおっ……疑惑のバイトだね」

「……そんなんじゃないし」

「火のないところになんとやら、よ」

 くっ……。島田くんはなにも言わなかったのに、この女……。

「まあ、案外モテるのかもね、わたし」

「どこが魅力よ?」

 真琴はここで伊東の言葉、真琴に対する伊東の評を思い出す。

「裏表がないところ……とか?」

「前と後ろの見分けがつかない女のどこに魅力あんのよ、キーッ」

 キーッて……。それはこっちのセリフなんじゃ……。

 普段なら一緒に学食で昼ごはんを食べてから別れることが多いが、この日はここで理沙と別れた。
 理沙はここでも真琴を怪しむ言葉を吐いたが、それが本気でないことは真琴にはよく解っていた。

 理沙と別れたのは、午前中の講義の最中に母からメッセージがあったからだ。

『大丈夫なの? そろそろ心配でお父さんが倒れるよ』

 メッセージが来たとき真琴はハッとした。
 メチャクチャ心配してるよ……。
なんだかんだで連絡してなかった。
これじゃ「たかし」とおんなじだ。

 そして母に電話するために一人になり、ゆらゆらと教育学部の食堂に向かう。
 ……完全に寝不足だな、こりゃ。

「古川さん」

 後ろから呼ばれた。
 今の声……誰だ?
 だが、振り返ってみても疑問は晴れなかった。
 そこでは見知らぬ男子学生がひとり、笑顔で真琴を見ていた。

 ええと……どちらさま?

「……わたし……ですか?」

 おそるおそる真琴は尋ねた。
 男の顔がパッと明るくなる。

「そうそう、古川さんだよね。俺、覚えてる?」

 ……いや、覚えてない。どこで会った?
 何年生かも判らない。

「ありゃ、覚えてないか……」

「はい……ごめんなさい」

「いや、無理もないよ。春の新歓でちょっと話しただけだから」

 春の……新歓。って、どの新歓?
 入学したての4月、みんな似たようなものだろうけど、「新歓」と銘打ったイベント……飲み会が山ほどあった。
 18歳でも大学生はお酒飲んでいいんだと勘違いさせる雰囲気だったな、そういえば。

 でも、この人は思い出せない。聞き返すのも申し訳ないような、一方で「覚えてるワケないじゃん」と思う自分もいた。

「いや、いつかまた話したいなと思ってたんだよ。あ、俺、木原っていうんだ。経済の3年」

 ……これ……は、ナンパか?
 白昼堂々、構内で……。
 まあ、そのぶん怪しさは少ないけど。

「わたしと、話……ですか」

「うん、いつか知り合い……っていうか友達になれないかなって、思ってたんだ。古川さん、カッコいいから」

 カッコいいって……。まあ「可愛い」だとか「好み」だとか言われたら下心まる出しだけど、これが常套句なのかな。
 でも、私の方は話なんかない。

「あの、ごめんなさい。そういうのは、ちょっと……」

「そういうのって?」

「え、あ、いえ、友達とかは……今、べつに」

「なんで? 多くてもいいじゃん、友達」

「いえ、今、付き合ってる人もいるんで……」

「だから友達だよ、と・も・だ・ち」

 木原と名乗るこの男に引き下がる気配はない。
 真琴はだんだん怖くなってきた。

「いえ、間に合ってますんで……失礼します」

 そういって立ち去ろうと踵を返す。
 が、背中で聞いた言葉で立ち止まった。
 真琴は思わず振り返って聞き返す。

「……今……なんて?」

「ん? ああ、画像と違ってお堅いんだなって言ったんだよ」

 一瞬で血の気が引いていく。
 なんとか持ちこたえ、かろうじて聞き返す。

「……なんの……ことですか」

 男……木原の顔がわずかに歪む。

「あ、いや、大した意味はないよ。それよりもさ、場所変えようよ。ね?」

 なに? ……なにこれ、どういうこと?
 ヤだ……怖い。画像ってなによ……なんのことよ。
 真琴は恐怖で固まり、その場に立ち尽くす。

「真琴、お待たせ」

 その時、さらに背後から声をかけられる。
 今度は何? でも、この声は……。
 振り返った先にはサークルの先輩、野崎がいた。
 なぜか片手で「ゴメン」という仕草をしている。

「どした真琴。怒ってんの? ん? 誰これ」

 野崎が真琴に歩み寄ると、木原という男は舌打ちして足早に去っていった。
 真琴は半ば放心して野崎を見る。

「古川、大丈夫か?」

「……野崎さん。わたし、今、あの、なにがなんだか……」

 危険は去った……。そして今になって体が震えだした。
 そんな真琴の頭に野崎が優しく手を置く。

「あいつは業の上位にいるチャラい奴。古川は今、あいつに騙されかけてたんだよ」

「……そう……なんですか」

「そ、ああいう輩は口先だけは一級品だからな。よっぽど注意しとかなきゃ危ないぞ。……ったく、何やってんだよ島田は」

「え? 島田くん……ですか?」

「うん。古川にしっかりその辺を警戒させないようじゃアレだ、彼氏失格だ。こんな情勢なのに」

「こんな情勢……なんですね」

「そうだよ。さっきのあいつ、あの男だってカレンが変わるまでは周りにいつも仲間がいる人気者だったんだぞ。あの日を境にいきなり孤独だ。もう見境なし。なにするか分かんねえよ」

「……そうなんですね。助かりました。……本当に」

 瞳を潤ませた真琴が心からの礼を言うと野崎が笑った。

「……古川」

「はい」

「お前、いつかお礼しなきゃ、とか思ったろ」

「はい」

「……じゃあ、俺の頼みを聞いてくれよ」

「……え」

「……嘘だよ。でもな、それくらい注意しろってこと。まあ今回の件は……そうだな、もう一回お前が俺に勝ったらチャラにしてやる」

「……はい」

「じゃあな。くれぐれも気を付けろよ。あ、そうだ、いい加減サークルにも顔出せよ。いつまでもお前が1位じゃサークルの恥だ」

「はい。分かりました」

 そして野崎は、少し離れた場所に待たせていたらしい友達のところに戻っていった。



 危険はそそくさと逃げて行った。しかし真琴を救った野崎も友達のところへ戻ってしまった。
 残された真琴はひとり立ち尽くして自分の非力を噛みしめる。

 野崎さんは教えてくれた。今の大学が安全じゃないことを。
 教えられてもなお真琴を不安にさせているのは、先刻のようなこと……あの木原のような男にまた狙われたとして、自分が無事で済むという自信がないからだった。

 木原という男が口にした「画像」というワード……。
今になって考えれば、あんなのはカマかけ……当てずっぽうだ。
 みんな何らかの秘密を運営に握られていて、その多くは動画や画像だ。
あんな言われ方をして無反応でいるには相当な気構えが要る。

 口先だけは一級品……か。さっきの男は私の反応を見て「これはイケる」と思ったはずだ、きっと。

 このままひとりで立ってたら、きっとまた怖い思いをする……。
 そんな不安に追われ、真琴は気配を殺し構内を速足で北に向かう。
 その真琴の心、それは忍者というよりは捕食に怯える小動物のそれに近かった。

 軽く息を弾ませてなんとか教育学部に近くまできた。教育学部の食堂も見える。
 この辺りになると見知った顔が多く、それだけで真琴は少し安心した。
 よく見る顔がいっぱいだ。話したことないけど。
 でもここなら……何かあっても大声で助けを呼べる。そんな気がする。
 ここは私のテリトリーなんだ。

 群れるタイプの人を真琴は今までなんとなく軽蔑していた。
しかし今の真琴はその人たちの気持ちを理解できるような気がした。
 不安……。自分でも把握できていない不安……。
 自分が大丈夫であることを確かめていたい気持ち……。
 そんな感じなんだろうな。
 今の自分がそうであるように。

 今まで……普通の状態では私に見えない危険、感じない不安を、その人たちは普段から感じてたんだ。
 私は知らないから、見えてないから平気……怖くなかっただけ。
 知らない方がよかった……。そんなひとことで片付けていい話じゃない。
 だってそれじゃ「知る」と「失う」がセットになる。

 まとまらない気持ちで食堂に入り、適当におかずを選んでからレジの手前でごはんと味噌汁を注文する。
 あれ? なんか……人……少なくない?
 こんなだっけ? いつも。

 午前の講義が終わった昼食時なのに、チラホラ空席がある。
 いつもならトレー持ってウロウロするような時間帯のはずなのに……。
 真琴は微かな違和感を感じたが、邪推しないことにした。
 空いてるなら……ここでお母さんに連絡しよう。

 そして真琴は席に着き、昼食を頬張りながら母にメッセージを打つ。

『私なら大丈夫だよ。お父さんにも言っといて』

 すぐに返事が来る。

『本当に大丈夫なら声を聞かせなさい』

 ……なるほど、さすがお母さん。
 う~ん……。さっきの、あの怖い出来事がなければ普通に話せたけど、まだ落ち着かない。
 ……どうしよう。

 真琴が悩んでいると、携帯電話が着信を告げる。
 お母さん……。やっぱりごまかせないな。
 真琴は観念して電話に出る。

「もしもし。ゴメンね、連絡しないで」

(大丈夫なんて信用できるわけないでしょ。声を聞いて私が判断するの。おおかた電話したくない心境なんでしょ?)

「電話するつもりだったんだよ、さっきまで」

(……さっきまで?)

「うん。さっき、歩いてたら変な人に騙されそうになった」

(……で、無事だったの?)

「うん。サークルの先輩が通りかかって助けてくれた」

(……その先輩っていう人は信用できるの?)

 あれ? お母さんってこんなに鋭かったっけ……。野崎さんと同じこと言ってる。
 助けてくれた人も怪しい……。
すぐにお母さんがその発想になるってことは、きっと世の中そんなことが多いんだ……。

「大丈夫。その先輩はなんの見返りも求めてないよ。助けてくれた人を簡単に信じるなって言ってたし」

(ああ、それなら本当に信用できそうね)

「私はまだ大丈夫。だけど大学はなんか急に危ないところになっちゃったみたい」

(信用できる人……いるの?)

「ああ、うん、いるよ。できるだけ一緒にいるようにする」

(それがいいと思う。うん、まあ……大丈夫そうね。危険だっていう認識がなかったら怖いけど、ちゃんと分かったみたいだし)

「ほんのさっきだよ。実感したのは。気を付けろって言われてたんだけど」

 母の軽い溜め息を電話越しに聞く。

(それで、いつまでそんな状態が続くわけ?)

「え? それは……まだ分かんないよ」

(犯人は捕まりそうにないの? あなた、刑事とも話してるんでしょ?)

 犯人か……。どうなんだろ、実際のところ。

「なんかね、犯人突き止めるのと捕まえるのは別の問題みたいだよ。犯人は爆弾持ってるから」

(まあ……そうね。じゃあ、どうなるの?)

「警察はもうすぐ……ってか、もうだいたい犯人分かってるのかもしれない。だけど、犯人の目的が分かんないみたいだよ」

(目的? なにそれ)

「なにそれって、目的だよ。私たちは人質みたいなもんなんだから」

(なんの要求もないの? まだ)

「そうみたい。ホントに」

(……本当かしら、そんなの。でも、そうね目的が……不明。まだ不明……)

 電話の向こうで母が考えている。
 まるでお父さんみたいだな、今日のお母さん。

(……真琴)

「うん?」

(お父さんが帰ってきたら一緒に考えてみる。だからここまでの状況を教えて。簡単でいいから)

 簡単でいいって……。
 簡単じゃないんだけどな……状況は。

(真琴)

「なに?」

(あなた今、そんな簡単じゃねえよって思ったでしょ?)

 図星だ。でもホントだし。

「思ったよ。だって簡単じゃないもん」

(そこ、あえて簡単に説明してみなさいよ。意外と発見があるものよ)

「え……うん」

 いつもと違う母の雰囲気に戸惑いながら真琴は頭の中を整理する。
 その作業は何故か真琴に軽い既視感を覚えさせた。
 あ、そうか、この感じは……こどもの頃にお母さんに勉強を見てもらってたときの……あの感じだ。
 お母さんもお父さんも大学は同じ……知見は同等。
いや、もしかしたらお母さんの方が世の中を知ってるのかもしれない。
 控えめ……そう、ひけらかさないだけ。

 真琴は頭をフル回転させてカレン騒動のここまでの経緯、その概要を整理する。

 えっと……どこまで知ってるんだっけ、お母さんは。
 最後にお父さんと話をしたのが、たしか9月の最後の日……。
だからカレコレが始まったことや、あ、そうか、学生アンケートの結果も知らないんだった。

 真琴はまず学生アンケートの結果……「運営」を名乗る犯人に弱味を握られている学生が学部生の大多数を占めることを報告した。
 カレン上の「業」という数値の嵩によって10月10日から晒すと脅されているので、当初に父も予想したとおり、今、業が多い上級生はなりふり構わない雰囲気になってることも実感を込めて報告した。
 そして犯人……「運営」は何ら要求を明かさないまま、学生には10月1日から毎晩、得体の知れない説教くさいゲームを強いていることと、その説教くさいゲーム「カレコレ」の概要について母に説明した。

 松下から得た情報のうち、騒動の発端で晒された2名の学生が実は警察に逮捕されていたことや、父も気にしていた「賢者」の正体などについては、なんとなくまだ話してはいけないことのような気がして報告から省いた。

 それと、1年生の中で真琴の「徳」がズバ抜けていることについても、話せば長いうえ、要らぬ心配をさせるだけだと考えて触れなかった。

 報告を聞き終えた母が電話の向こうで考えている。

(……真琴)

「ん?」

(よくよく気を付けるのよ)

「え? うん」

(お父さんが帰ってきたら話してみる。でも、そうね……)

「……なに?」

(目的っていうか、標的は……うん、なんとなく分かる気がする。でも目的……か。たぶんそれは、その方法でしか果たせないことなんだろうね)

「え? 標的は分かるの?」

(なんとなく、よ。でも真琴が自分で考えなさい。お父さんのセリフじゃないけど、自分が渦中にいないからね。まあ、今いちばん困ってるところと関係あるとは思う。目的は、そうね……なんでこんなまどろっこしい方法をとったのかがポイントじゃない?)

「え~教えてよ。ケチ」

(ケチとは心外ね。客観的立場からの貴重な意見よ。あとは彼氏と考えなさい)

「な……」

 突然飛び出した「彼氏」という言葉で真琴は気勢を削がれた。
 その隙に母が逃げを打つ。

(ふふ、お父さんにはナイショにしとくわ。じゃあね)

「あ……」


 電話が切られる。
 逃げられた。くそう……島田くんのことなんて何も話してないのに簡単にバレた。それも確信をもって。

 まあ、お父さんにナイショにしてくれるならいいか。
 無事を報せるという最低限の目的は果たした。
 それよりも、だ。

 いちばん困ってるのって……誰? いや……何処?
 この方法でしか果たせないこと……って、何それ?

 これは……また島田くんと考えよう。
 あ……お母さんの言ったとおりだな、これじゃ。

 真琴はなんとなく、自分がなにもかも母に及ばないような無力感を味わいながら食事を済ませ、トボトボと午後の講義がある教育学部学部に向かう。

 そうだ、昨日の学生ミーティングってどうなったんだろ。
 愛たちに聞かなきゃ……。


 教室まで歩くあいだ、真琴は母とのやり取りを反芻する。
 お母さん、そこまで深刻なカンジじゃなかったな……。
 つまりこの状況、お母さんはそんなに心配してないってこと?
 いや、でも、午前中にお母さんからきたメッセージには『心配でお父さんが倒れるよ』って書いてあった。

 うん。お父さんがものすごく心配してるのは簡単に想像できる。
……たぶん平気なフリしてるだろうけど。

 でもお母さんは……。なんだろう……言葉では「注意しろ」とか言ってたけど、伝わってくる雰囲気は楽観的だった。
 アパートに駆けつけてくれたときの優しさ、あれは私を安心させてくれるためだった。
 さっきのはそれと違う……。私が言ったことの中に、なにかお母さんを楽観させるものがあったの?

 だとすれば……なに?

 それにしても……いちばん困ってるところ、か。

 それはたぶん……大学だ。個々の学生じゃない。
 大学が運営の「標的」……。

 いや、でも……そうだ。そもそも標的なんて言葉はお母さんが言い出したんだ。
 なにか分かったんならハッキリ言ってくれればいいのに。

 目的は分からない……。
標的が分かってて目的は分からないって……。
 ああもう、松下さんが言うとおり……ジリジリするな、これ。
 大学が標的なら、ズバッと要求突き付ければいいじゃん。大学に。

  この方法でしか果たせないこと?
  そんなのあるの?


 考えても悶々とするばかりの真琴は、悶々としたまま教育学部、午後の講義がある大きめの教室に入った。
 開始まで時間があるからか、来ている学生はまばらだ。
 でもまあ、教育1年の必修だから、そのうち来るだろう。
 そんなことを思いながら真琴は窓際の席に着いてガラス越しに外を眺める。

 なんか、あっという間に秋になったカンジだな……。



 教室の入口に愛と早紀の姿を認めた。
 手を上げる真琴を見付けて隣に座る。

「ういっす、真琴」

「うん……」

「あれ? どした? 暗いじゃん、やけに」

「ああ、そうかもね」

 改めて言われると、いろいろあったな……昨日から。
 でも、アンタが明るいだけじゃないの? ……早紀。

「彼氏……島田くんだっけ。ケンカでもした?」

「え? ううん、そんなんじゃないよ」

「なら……なによ?」

「んー、なんだろ……。あ、さっきね、ヘンな3年に絡まれたんだよ」

「……なにそれ」

「なんかナンパみたいに声かけられて、メッチャ怖かった」

「お、モテモテだね、真琴」

「バカね早紀。そんなんじゃない……でしょ? 真琴」

 愛は理解したようだ。
 ナンパみたいの「みたい」の意味を。

「うん、騙されかけた。なんか業をいっぱい抱えてる人だったみたいで、サークルの先輩が助けてくれた」

「騙すって……どう騙すのよ?」

 ん、これ……は、答えにくいぞ。「画像と違ってお堅いんだな」なんて言葉に惑わされたとは言いたくない。
 答えあぐねる真琴を見て、愛が話を切る。

「まあ、そのテの話術はプロ並みなんじゃない? 業を積んだ〝つわもの〟なんだから。ね? 真琴」

「あ、うん、そだね。すごい慣れた感じだった」

 ……助かった。相変わらず愛は察しがいい。

 感謝しながら、しかしこのとき真琴の頭に浮かび上がったのは「賢者」というキーワードだった。
 そうだった。愛もまた隊長と同じ「賢者」なんだ。
 つまり、他のみんなより前から運営に捕まってた……。

 いつから? 大学入ってまだ半年じゃん、ウチら。

 たぶん……かなり早い時期だ。初めて会ったときのことは憶えてないけど、私の中で愛はクールで思慮深くて、悪く言えば暗い……そんなキャラ。
記憶にある限りでは愛の人物像は一貫してる。
 その愛が、ここにきて明るくなった。それはやはり松下さんが言うとおり「賢者」にとって今の状況は悪くないということだろう。

 愛の「慎重さ」や「思慮深さ」は運営によって造られたものだった。
 きっと今が本来の愛の姿に近いんだ。

 愛は賢者、隊長も賢者……。あらかじめ囚われていた人。
 でも、何で囚われたのかは……やっぱりタブーだ。
 自分のことを明かす覚悟がなきゃ聞けない。

 でも、それでも……愛にはまだ聞くべきことがある。
 聞かなきゃ……。早紀がいなくなった隙に。

 愛も、そして隊長も、賢者はどうして運営を恨まないのか。
 そして……どこまで運営を知っているのか。


「あ、そういやさ、ランク入ってんじゃん。つるぺた」

「……うん、入っちゃった」

「ウチらもあと少しで入ったんだけどね。星ランク」

「どうでもいいじゃん、ランキングなんて。ん? ていうことは結局早紀たちもみんなで頑張ったわけ? カレコレ」

「ああ、うん、そう。愛は絶対やるっていうし、私も平野も……まあ、それなら……ってね」

「どこまで進んだ?」

「ええと……あれ? 誰がいちばん進んでんのかな? 愛」

「そうね……私、かな。教育終わったとこ」

「ああ、じゃあそうだね。真琴は?」

「私も教育が終わったとこだよ」

「おおっ? なんか速くね? 出遅れたわりに」

 ……そうかもしれない。先を知る島田くんの情報で迷うことなく進めてるんだから。
 カレコレに関する掲示板を見ても教育学部ステージから先に関する書き込みは見当たらなかったし、進捗具合だけなら先頭集団に入ったのかもしれない。

「そう……かな。まあ、あんまり迷わず進めてるカンジではあるよ」

「ふ~ん。真琴、あんまりゲームとかしなそうなのに。なんか意外」

 早紀は思ったままを口に出す。
 その先で愛がこっち見てる。

 怖いな……愛。なに考えてんの?

「そういやさ、昨日のアレ……学生ミーティングってどうなったの?」

 真琴は話題を変えた。そして愛から、昨日真琴が抜け出してから行われた「緊急ミーティング」の結果を聞く。
 どうやら予想どおり、1年生にとって利するところのない散々なものだったらしい。
 上から目線の3年生が大学の危機を語り、強引な理屈で一致団結の必要性を説き、結局は1年生を囲い込もうとしたようだ。
 具体的には既存の3年生チームと1年生チームの間で約束を交わして、状況に応じてメンバーをスワップ……つまりいつでもメンバーを入れ替えできるようにしたかったらしい。

 1年生側はおとなしく話を聞いたが、ほとんど誰も提案を受けなかった。
 1年生から「それ、いいことないですよね、俺たちには」というもっともな声があがり、それに3年生のひとりが「いい考えだと警察も言ってる」と答えたのを皮切りに場は収拾がつかなくなり、騒然としたまま散会したらしい。

 よくもまあ、そんな無茶な提案をしたもんだ。
 不安を煽ったところでそんな話に乗るほど1年生は幼稚じゃないのに。

「あ、そうだ。ねえ、なんでみんなおカネ借りてんの? カレコレで」

「ん? ああ、おカネの方のランキングね。うん、あれはビックリしたけど、なんか掲示板によるとね、最初はね、利子がないなら借りるだけ借りてみて、売店に何が並ぶか見てみようってカンジだったらしいよ」

「ああ、なるほどね。で、それから?」

「……真琴、あんたホントに進んでんの? カレコレ」

「え? なんで?」

「進んでるわりには、あんまり知らないみたいだから」

 そうだろう。でも、理由は言えない。

「……そうかな」

 真琴にはこう答えるしかなかった。
 勘繰られることはないと思うけど……。

「まあいいや、あのさ真琴、アイコムで1人50万円まで借りれんじゃん?」

「うん……」

 そうなのか。まあ、試行錯誤しながら話を進めてるなら知ってて当然なんだろな。

「でね、いっぱいおカネ持って売店に行くと、売ってるんだよ。……ヤバいのが」

「……なによその、ヤバいのって」

「……カルマトール1000」

「また……カルマトール?」

「うん、業が1000減るよ」

 1000……。それは確かに強力だ。
 千単位で業が減るなら……状況を一変させる効き目だ。
 窮する人にとっては。

「……いくらすんの? それ」

「80万」

「え……。じゃ……ひとりじゃ買えないんだ」

「だね。おお怖い」

 おお怖い……か。この早紀の言葉にはいろんな意味があるな。
 内輪での抜け駆け、裏切り、取り引き……。
 外に獲物を求めて脅し、謀り……。

 たいていの3年生チームは……地獄だ。たぶん。

 そして学科の首席教授、高山が前から入室してきた。
 もう時間か……って、まだ少なくない? 学生。
 必修なのに……これ。

「ね、なんか少なくない? ……人」

 真琴は隣の早紀に小声で尋ねる。

「そういや……そうだね。それどころじゃないのかな? みんな」

「でもこれ、1年生の講義じゃん」

「ま、1回くらい欠席しても……ってカンジ?」

「ねえ、後ろ……あれ、警察じゃない?」

 そう言ったのは愛だった。真琴は後ろを見る。
 一番後方の席、そこに髪を短く刈り上げた若い男が3人並んでつまらなそうに座っていた。
 学生の集まりが悪いことも手伝って、その3人は浮いていた。
 場所的にも、雰囲気的にも。

「なんか、それっぽいけど、どういうこと? 高山先生疑われてんの?」

 真琴の言葉に愛が少し考えて応じる。

「そうかもしれないし、大学全体が危険になってんのかもしれないよ」


 そして講義が始まった。
 高山教授は学生の集まりが悪いことにも、そしてカレンの騒ぎにも触れずに講義を進める。
 日本の教育制度の歴史と現状について語る口調は熱く、聴く者に使命を植え付けるようだった。

 講義の間、真琴はときおり後方の、違和感を放つ男たちを見た。
 男たちも教授の話に聞き入っているようだった。が、やはり同級生とは思えず、大学生とも思えなかった。
 あの人たち……たぶん警察だ、ホントに。
 ホントに疑われてんのかな。大学の上の方……高山先生たちが。


 講義が終わり教授が退室すると、後方の男たちも無言のまま教室を去った。
 ざわつく教室の中、早紀の相方の平野が来て早紀を呼ぶ。
 平野に呼ばれて早紀が「ちょっとゴメン」と言って席を立つ。

 ……なによ、ふたりでコソコソと。
 ん……でも、これはチャンスか。
 真琴は尻をひとつ右にずらし、愛に声をかける。

「……ねえ愛、あの……さ」

「うん? なに?」

「愛……は、どこまで知ってんの? 運営のこと」

 愛の目が真琴の問いを受け止める。
 さすがに言葉を探しているようだ。

「どういう……意味?」

「愛は……賢者なんだよね?」

「……ああ、そういうこと。じゃ真琴は、賢者がなんなのか知ったんだ。……すごいね」

「みんなより早くから運営に囚われてた人だってことだけ……ね」

 愛は真琴から視線を外して前を見る。

「囚われて……か。初めはそう思ったけど……。今は、う~ん……なんて言ったらいいんだろ」

「なんか愛、憎んでないよね。運営を」

「そう……ね。うん、そんな気分じゃない」

「……どうして?」

 愛は再び真琴に視線を戻す。

「じゃあさ、真琴は憎んでるの? 運営」

「え? そりゃまあ……うん」

「……ホントに?」

 ……憎んでる。私は、運営を憎んでる……。
 憎んでる……はず。憎んでる……と思う。

「……真琴」

「ん?」

「憎む理由はあると思うよ。特に真琴たちみたいに、今回一斉に騒ぎに巻き込まれた人は。うん、運営がやってることは許されないしね。……でも今は『知りたい』の方が強い。少なくとも私はね」

 なるほど。知りたいという気持ちの方が強い……か。

「知りたいってことは、つまり知らないってこと?」

 愛の口の端に自嘲気味の笑みが浮かぶ。

「そ、知らない。正体も、何がしたいのかも」

「……それ、ホント?」

「うん。……今思えば『賢者』なんて不自然な肩書き、簡単に人に言うべきじゃなかったんだね。同じ境遇の仲間が一気に増えてちょっと浮かれてたんだ、私」

「ホントに知らないんだ……。じゃあ、『賢者』同士に繋がりはないの?」

「ないない、そんなの。誰も知らないよ、自分以外の賢者なんて。だから怖かったんだよ。ずっと、独りで」

「独りでって……。私も早紀も仲間でしょ?」

「でも言えなかった。これに関しちゃ独りで抱えるしかないじゃん」

 言えなかった……か。
 その心理は想像に難くない。

「……でも愛は今、運営に惹かれてる」

「惹かれてる、か。うん、そうだね、ハッキリ言って」

「悪くないの? 運営は?」

「悪いよ、もちろん。でも私は憎めない」

 運営は悪、愛はそれを承知で惹き付けられてる。
 基準は善悪じゃない……。そういうことか。

 憎めない悪……か。

 身近な友の複雑な心に触れ、それでもその友に反論できず、真琴の心は焦点を失いかける。
 愛が運営に握られているもの、それが予想以上に大きいのかもしれないけど、これ以上は聞けない。

 続く問いを諦めて真琴が目を伏せる。
 愛は表情を変えずに前を向いていた。
 そこに早紀が戻ってきた。

「ゴメン、おまたせ。出よっか」

「うん。真琴はこれからサークル?」

「あ、えと……うん、そう。ゴメン」

「……そっか。じゃあね。気を付けるんだよ。彼氏によろしく」

「うん、バイバイ」

 今日はバイトだからサークルには行かない。
 そしてバイトまでは時間がある。
 なのに私、嘘ついちゃった。なんでたろ。

 ……たぶん私、疲れてんだな。
 空いた時間……気持ちを整理しよう。
 バイトもあるし。

 真琴は荷物をカバンに納めて席を立つ。
 教室内……集まりは悪いのに捌けも悪い。
 かなりの数の学生が残り、そこかしこで集まって何か密談するような雰囲気で声を潜めて話をしている。
 1年生でもこんな……妙に牽制し合うようなカンジになってる……。

 いや、さすがに邪推だな。
 家に帰って少し考えよう。
 真琴は自転車の鍵を握る手に力を込めて教室を出た。


 トンボが舞う高い秋空の下、なにを思えばいいのか判らない真琴はなにを考えるでもなく自転車を漕いで、のんびりとアパートに向かう。
 なんだか周りの景色がやけに新鮮だ。
 危険に逸る気持ちが小さく見える。

 そうだよ……。騒いでもいいことはなんにもない。
 真琴の胸中に自然とそんな気持ちが生まれた。
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