かれん

青木ぬかり

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10月3日(月)

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 なにか音がしたような気がして真琴は目を開ける。

  ……私、どのくらい寝てた?
  何時だろ? 今……。

 ちょっとだけ休むつもりが、かなり寝入っていたような感覚……。
 真琴はボーッとする頭で島田の方を見る。
 起きた真琴に気付いたのか、すぐに島田と目が合う。

 え……あれ? 島田くん?


「お、起きた」

「……島田くん、今、もしかして……泣いてた?」

「え? いや、泣いてないよ」

「そう……ならいいけど」

「……まあ、近い気分では……あった」

「え……なに? どうしたの?」

「いや、カレコレやってただけ……なんだけどな。なんかこう……話が、な」

「泣ける話だったの?」

 島田が目を伏せて考える。

「う~ん……。泣かせるほどの話じゃないとは思うんだけど、なんかな。まあ起きろよ」

「うん」

 真琴はひとつ大きな伸びをしてから起きあがり、目をこすりながら島田の隣に座る。

 書類……カレンコレクションの解析結果はちゃぶ台の上に置かれていた。

「これ、もう読んだの? てか私、思いっきり寝てた? もしかして」

「だいたい読んだよ。古川は……うん、ガッツリ寝てた」

 ガッツリ寝てた……のか。
 なんか恥ずかしいな……。

「それで、なにか分かった?」

「分かったことは、いっぱいある……ような、ないような」

「なによそれ」

「……古川」

「ん?」

「刑事はこれ、この書類を古川に渡して、古川に何をしろって?」

「え? ええと……たしか、今の運営の目的を探ってほしい、とかなんとか言ってた」

「……目的?」

「うん。まだ目的が分かんないみたいだよ。ホントに」

「今の運営の目的……か。古川、聞かせてよ、刑事から聞いたこと」


 念のためにお互いの携帯電話を玄関の靴箱の上に置いて部屋のドアを閉めてから、真琴は松下から聞いたこと、それをかいつまんで話した。

 賢者のことは松下の推測の範囲まで。伊東とのこと……本物の「賢者」から事実を聞いた出来事を悟られぬよう、あくまでも松下から聞いた話に留めることに真琴は注意した。

 それでも真琴の話は島田を充分に唸らせた。

 真琴は松下から聞いたこと、それを頭の中で整理しながら順を追って説明していく。

 勇敢な学生「もょもと」は架空の存在で、そもそも騒ぎの発端から運営の意によって学生は欺かれていること。

 晒された二人の男子学生はそれぞれの犯罪で逮捕されており、動画を晒したのは運営による私刑、それと学生をカレンに縛るという運営の目的によると思われること。

 そして保護された1人の学生のアカウントを通じて警察が一方的に運営からの連絡を受けている状況であること。


 ここまでの事実を島田は黙って聞いたが、やはり驚きを隠せないようだった。


 さらに、捜査がそれなりに進んでいる一方で、いまだ運営の目的が不明であること。

 また、運営が握る人質……身代がデータであるという性質上、犯人の特定すなわち解決というのが難しいこと。

 そして「賢者」という肩書きを与えられている学生は、今回の騒ぎよりもずっと以前から運営に囚われていた者で、カレン改変前から手足のように運営に使われていた者である可能性が高いこと……。


 このあたり、島田はときおり真琴に問い返して確認しながら聞いた。

 多くの情報を素早く飲み込んでから島田は真琴に問う。

「……それで古川には、今の運営の目的を探れって?」

「うん。ひとりのカレンユーザーとして、って……」

「今の運営の……目的、か」

「もしかしたら誰かにカレコレをクリアさせることが目的かもしれないって言ってたよ」

「……その刑事がそう言ったのか?」

「え? うん、そだよ」

「そっか……」


 島田は真琴の話を聞き終え、ひとつ大きなため息をついてから真琴に言う。

「よし、やろう。カレコレ」

「……そうなるの? 結局」

「うん、たぶんそう。なんとなく見えた」

「見えたって……なにが?」

「ん? え……と、運営の目的を知る方法……かな?」

「なによその……方法って」

「カレコレをクリアすることだよ。刑事は『誰かにクリアさせること』が目的かもしれないって言ったんだろ?」

「うん」

「それはたぶん、ちょっとだけ違う。カレコレをクリアした者が運営の目的を知るんだよ、きっと」

「……なにか違うの? それって」

「うん、たぶん違う。俺はカレコレの中身を知りながら進める。そして古川は知らないまま進めよう」

「……どして?」

「俺もクリアを目指すけど、先入観が足を引っ張る可能性があるんだよ、これ。だから古川は、素のままの古川でやるんだ。詰まったら俺が教えるからサクサク進むよ、きっと」

「ふ~ん……」

「それに運営は、プログラムが警察に解析されることも見越していた。たぶんね」

「……そうなの?」

 これに島田は答えず、ちゃぶ台の上の書類を手に取りページをめくり始めた。そして「あった」と言って手を止める。

「たとえばこれだ。古川、カレコレの売店じゃ、持ってるカネで買えるものしか表示されないだろ?」

「え、うん、そうだね」

「これが売店で売られるなかでいちばん高いもの……だよ」

 そう言って島田は、開いた書類の一点を指差す。
 真琴はそれを見た。


 ・しんじつ  20,000,000円


「……なに? この……真実って」

「判らない」

「判らない……の?」

「うん。これを買った人に何が起こるのかはプログラムにない。答えはサーバにあるんだ」

「……そうなんだ」

「肝心な部分は全部そう。クリアした先に何があるのかもサーバ……というか運営の手の中だよ。しかもこの『しんじつ』っていうヤツ、話の本筋と関係なさそうなんだよ、ざっと読んでみたかぎり」

「カレコレをやらなきゃ分からないんだね。結局」

「うん、運営はカレコレで俺たちを試してる……そんなカンジだ。だったらやるしかない。そして聞いてやるんだ。この偉そげな運営サマの目的……言い分とやらを」

「うん、わかった。やるよ。……あんまりやりたくないけど」

「俺はさっき、ちょうど法学部ステージが終わったんだ。古川は法学部ステージの初めからだろ?」

「うん、そうだったね」

 真琴はカレンを開き、カレコレを立ち上げた。
 昨日は終了時刻までパチンコをしてたので、再開地点はパチンコ屋の前だった。

 表示されたチーム「つるぺた」のステータスを見ると、星……スターの数がかなり増えているような気がした。真琴が寝ている間に、島田は相当な数の問題を解いたようだ。
 そして星の上、所持金を示す数字は小刻みに変動していた。

「……ねえこれ、もしかして理沙、またパチンコしてる?」

「そうみたいだ。やけっパチ、だな」


「……島田くん。寒い、寒いよ」

「ん? だっこか?」

「…………ばか」

 たまにはダジャレも悪くないな……。そんなことを考えながら真琴は画面の「まこと」を法学部に向かわせた。


 真琴は、昨日見つけられなかった講堂の場所を島田に聞いてから「まこと」を法学部内の講堂に向かわせる。
 講堂に入ると、学生らしきキャラで7割方の席が埋まっており、演壇では教授と思われるキャラが小刻みに動いていた。
 まあ……確かに講義中っぽい雰囲気ではあるな。いちおう。

 そして真琴は講堂の後ろの方の席に

『Zzz』

という吹き出しが付いた男の子のキャラを見つける。

 いた。この人がこのステージの主役……。

 その寝ているキャラに真琴は後ろから話しかける。
 すると『!』という表示されたあとで男の子は左右をキョロキョロしてから後ろにいる「まこと」の方を向いた。


『……なんだよ。せっかくいいところだったのに』

 いいところ、とは講義の内容ではない。寝てたんだから。つまり夢の中で「いいところ」だったんだろう。

 出会いからしてこの男の子が「不真面目キャラ」という設定だというのは真琴にも理解できた。
 そして、ちょっと間があってから男の子のセリフが続く。

『用がないなら起こすなよ。……ったく』

 あ……。
 男の子はそう言い放ってまた前を向いた。
 そしてすぐに『Zzz』と吹き出しが表示される。
 また寝ちゃった。なんなのよこの人……。
 真琴がそう思うのも束の間、画面はゆっくりと切り替わり、別の場所を映し出す。

 映し出された場所……。そこは和室で、真ん中に女のキャラがひとり座っていた。
 キャラの後ろには段ボール箱のようなものがいくつも置かれている。
 そしてセリフが表示される。

『さ、頑張らなきゃ。たかしも頑張ってるんだし』

 そして「ポイン」という音と共に、その女のキャラから黄色い車が飛び出す。
 1個……2個……3個。

 これ……この黄色い車はオモチャ。そしてこれは……内職だ。この女の人は内職をしてるんだ。
 たぶんこの人は、あの寝てる男の子のお母さん……。

 今でもあるのかな、こんな内職の風景。
これ、いつの話なんだろ。
 いささか時代遅れな気がして真琴は興ざめした。

 健気な母と不真面目な息子……。
 これはたぶん、「親の心子知らず」といった類いのベタなストーリー…。それを今から読まされるんだ。
 真琴はそう確信した。

 そしてストーリーは、概ね真琴の予想どおりに展開していく。
 主役である男の子「たかし」が次々と場所を変え、遭遇するたびに話が進むシステムは理学部のときと同じだった。
 真琴は予備知識を持つ島田のサポートがあるので詰まることなく話を進める。


『たかしが弁護士になるまでガマンしなくちゃ』

『忙しいんだろうな、たかし』

『たかしも、こんなオモチャで遊んでたわね。ふふふ』

『あの子優しいから、悪い人にだまされたりしてないかしら……』


 話が進むたび、部屋で内職をする母は「たかし」を想う言葉を口にする。
 そして回を重ねるごとに狭い和室の中、黄色い車が増えていく……。

 一方で、肝心の「たかし」の方は遊ぶ。どこからお金が湧いてくるのか贅の限りを尽くして遊びまくる。

 合コンを仕切り、海でナンパをし、徹夜でマージャンをして、出席をとらない講義はサボってパチンコをする……。
 とにかく寝てるか遊んでいるかの二つしかないような生活のようだった。
 最初、講義中に起こしたときは夢の中で「いいところ」だったんだから、寝ているあいだも遊んでいるようだ。

 そしてさらに悪いのは、この「たかし」の言動だった。
 単に遊び呆けているだけではない、性根の悪さを窺わせるものばかりなのだ。


『ブスのくせに合コン来んなよな、ホント』

『ウチ、マジで貧乏だからさ、チョー苦労してんだ、オレ』

『俺の親、俺が弁護士になれるって本気で思ってやんの。いい加減に悟れよな。自分の子なんだから』

『まあ院に行くから、まだしばらく楽勝だよ』

『やっぱバカだとロクな仕事ねえよな』

 これ……は、救いようのないクズだ。でも、これはゲームだし、この清々しいクズっぷりも……まあ、架空のお話として我慢できる。
 それに理学部の場合と違って、バッドエンド……この男の子に天罰が下ることに抵抗がない。

 主役「たかし」のクズっぷりは徹底していた。実家で内職する母親を見下して馬鹿にする一方で、母親からの留守電は無視する。
 携帯電話が一般的じゃないほどに昔の設定だということが判る。

 母親を軽んじる「たかし」は、家計の事情で仕送りが少なかったときなどはものすごい剣幕で電話をした。
 また「免許ぐらいとらせろよ」と金を無心したりもした。

 早くこのクズに天罰を……。真琴は話を進めるうちに、この話の終わりを願っていることを自覚する。


 そして次の場面は「たかし」の部屋で、「たかし」はタバコをくわえながら仲間とマージャン卓を囲んでいた。
 部屋はタバコの煙で白く煙っている。

『楽して儲かる仕事ってなんだろな……』

 そう言いながら「たかし」が煙を吐くと、部屋はそのまま真っ白になった。

 そして例によって場面は実家……母親が内職を続ける和室に切り替わる。

『よいしょ、よいしょ。……ふう』


 あ、ヤバい……。そっちか……。
 ……そうだよな。これはカレコレなんだ。

 真琴にそう悟らせたのは母親の異変だった。それまでと違い、母親の顔が真っ青なのだ。

 部屋は、もはや冗談のように黄色い車で埋め尽くされている。

『よいしょ……と。……! ……う。……く……う』

 そう言って母親は倒れた。二頭身の四角いキャラなので向きが変わっただけなのだが、喘ぐ様……苦しみは痛いほど伝わる。

 そのまましばらく母親は横になったまま小刻みに動き、苦しんだ。
 やがて母親のキャラは動きを止める。


『たかし……。ああ……おかえり……たかし……』

 そのセリフを最期に画面はモノクロ、そして無音になった。


    ポッ


 そんな音がして、部屋を埋め尽くすモノクロの車のひとつが黄色い花に変わった。

    ポッ

    ポッ  ポッ

    ポポポポポポッ

 みるみるうちに部屋は黄色い花で埋まった。

 そして花畑の中、重厚な効果音と共にモノクロの母親の体から天使の輪をまとった白装束の母親が天に登っていく。


 お母さん……死んじゃった……。


 あんな……あんなクズのために生きて……。
 真琴は必然、感傷的になる。

 やっぱりこの、カレコレは苦痛だ。
 だけど理学部のときほどのダメージはない。今回はそう、導入部分からある程度の予想はできた……ベタな話だった。


 真琴がそんなことを考えていると、画面は通常画面……法学部前に切り替わった。
そこにいるのは「まこと」を先頭にしたチームつるぺたの列だけだ。

 と、そこに突然、天使になった母親がストンと降りてきて最後尾に付いた。

「うわおっ!」

 真琴は思わず声をあげた。そして島田に尋ねる。

「なんかお母さんが列に加わったよ。どうすんの? これ」

「たかしに会うんだよ。……お母さんを連れて」

「え……」

「お母さんが死んで終わりじゃないんだ。たかしの姿を見せるんだ。……お母さんに」

「……マジで?」

「マジで。お母さんが死ぬ場面までなら……まだよかった」

「それで、どこにいるのよ。……たかしは」

「北の方の……居酒屋だよ」

「……また合コン?」

「ま、行ってみろよ」

 会いに行くのか。……お母さんの霊を連れて。
 真琴は途端に気が重くなった。

 絶対……絶対に救いようのない終わり方になる……。
 せめてそれが「たかし」の改心……「たかし」がこれまでの所業を悔いて改心する結末であってほしい。
 真琴はそう願った。

 そして、母親を最後尾にしたチーム「つるぺた」は北の方にある居酒屋に着く。
 店の看板には「ビール菌」と書かれていた。
 ヘンな名前……。真琴はそう思いながら店内に入る。


 店内、夜の酒場は明るかった。
 照明もBGMも、ここまでのカレコレで最も陽気なシーンのように思われた。

 客も多い……。どれも似たようなキャラなので、どれが「たかし」か分からない。母親の霊が自分で動きだして「たかし」を探す様子もないので、仕方なく真琴はそれらしき男の子キャラに話しかけながら「たかし」を探す。

 そして何回目かに「たかし」を見付けた。
 その「たかし」の手には小さな瓶がある。

『グヒヒ……。高いだけあって良く効いてら。今日はこいつをお持ち帰りだ。ウヘヘ』

 そう言う「たかし」の隣にいる女の子のキャラは横になっており、吹き出しが表示されている。
 吹き出しの中身は記号だらけ、言葉になっておらず意味不明だ。

 女の子に薬を盛ったんだ……「たかし」は。
 とことん最低……これ、犯罪じゃないの? もう。

    あ……。

 そこで、それまで黙って最後尾にいた母親の霊が、何も言わずにスッと消えた。

  お母さん……。

 そして母親のキャラがいた場所に水滴がひとつ現れて床に落ちた。

 これは……お母さんの、涙だ。

 そして落ちた涙は白い玉に変わり、ふわりと「まこと」のところに飛んできて重なり、そして消えた。

 これでこのステージは終わり……か。

 そして理学部ステージの終わりと同様、画面は空……大きな光の玉を映し、玉が放つ光の筋がまた一段と太くなった。

 再び通常画面に戻ったときは法学部前、チーム「つるぺた」の3人だけがそこにいた。


「お母さん、絶望しながら逝ったんだね……」

「ん、終わったのか。うん。切ないな、ホント」

「これは、さすがにフィクションだよね……」

「そうだろうな。ま、似たようなヤツはいるかもしれないけど」

「次……は、教育学部……なのかな?」

「そう。まずは屋上だ」

 真琴は時計を見た。午後10時過ぎ……。
 スムーズに進めれば2時間くらいでひとつのステージが終わる。
 できるだけ進めておこうか。
 考えながら真琴は改めて画面のステータスを見る。


  つるぺた まこと
  ¥:286160円
  ☆:782個
  ○:①②


「……理沙、今日もパチンコ勝ってるね」

「うん。まあ、放っとこう」

「あ、そうだ。スターで徳が増える食堂ってどこよ」

「法学部の西にあるけど、用はないだろ」

「用はない……のかな?」

「そこはホントに徳が増えるだけ。古川は増やしたいのか? これ以上、徳を」

 いや、増やしたくはない。当初は松下さんから徳を増やすことも期待されてたけど……それはもう、どうでもいいことになったと思う。

「じゃ、行くよ。屋上に」

「うん。カネも星も今はどうでもいい。それより刑事が言ったように話を進めるのが優先だ。ちゃんと問題を解きながら」

 問題を解きながら、か。入試レベルの問題が終わったあと、いったいどんな問題が出てくるんだろ。

 真琴が第3ステージ……教育学部の屋上に向かう最中、敵が出してくる問題は既に中学三年のレベルになっていた。



 そして「まこと」が率いるチームつるぺたは教育学部の建物に入る。
 エレベーターの前に立看板があった。


   屋上
   立ち入り菌糸
      支部長


 ……なによ菌糸って。それに支部長って……。
普通は「学長」とか「学部長」とかじゃないの?
 そんなことを考えながら真琴はエレベーターに乗る。

  何階に行きますか?
  →・1F
   ・2F
   ・3F
   ・4F
   ・R

 真琴は迷わずカーソルを「R」に合わせて決定ボタンを押した。


 「まこと」が屋上に着くと、BGMが珍妙なものに変わった。
 これはラップ? ……いや、レゲエっていうんだっけ……。

 独特のリズムを聞きながら屋上を進むと、ラジカセを傍らに寝そべっているキャラがいた。なんとも優雅な雰囲気だ。

 なんだこの人……。この人が寝てるこれ……なんていうんだっけ……よくプールサイドとかに置いてあるヤツ…。
 なんでこんなもの屋上に持ち込んでんの?
 訝りながら真琴はそのキャラに話しかける。

『ん? なんだ貴様。立ち入り禁止って書いてあったろ?』

 ……なんだろう、この人は。法学部ステージの「たかし」同様のろくでなしのようにも思えるけど、貴様って……。ずいぶん居丈高だな、勝手に屋上を占拠してるみたいだし。

『チッ。せっかくいい気分だったのによ』

 そう言ってそのキャラはタバコを取り出して火を着けた。そして紫の煙を「まこと」に向かって吹き掛ける。
 すると「まこと」が一歩後ずさり、画面がグニャリと歪んだ。

 不気味に歪んだ画面がゆっくりと元に戻る。
 そして真琴は再度そのキャラに話しかけるべく「まこと」を動かす。

 ……あれ? 押し間違えた。
 え? あれ?

 真琴は方向キーの右を押したつもりが、意に反して「まこと」は下に動いた。しかも「まこと」ひとりで。
 チームつるぺたの他の二人は動かない。
 真琴は慌てて方向キーの上を押すが、「まこと」はさらに下に動く。
 真琴がどの方向を押しても「まこと」は下に動く。チームを置き去りにして。

 なにこれ怖い。どういうこと?

『あはははは、おい危ないぞ。あんまり動くなよ』

 動くなよって……。なによこれ……。
 そうか、タバコじゃないんだ。さっきの煙は……。
 そして「まこと」は屋上の端のフェンスに突き当たって止まる。
 どうしたらいいの? これ……。

 どうしたらいいのか島田に尋ねようとしたとき、「まこと」はフェンスを飛び越えて落ちた。

「あ……。島田くん、落ちちゃったよ、わたし」

「大丈夫。屋上に戻ればいい」

 大丈夫……なの? たしかここ4階の屋上だったよな。

 画面は地上、教育学部の入口に切り替わり、上から「まこと」が落ちてきた。
 立ってるし……。ホントに大丈夫みたいだ。


 真琴は気を取り直して再度屋上に向かう。
 「まこと」は概ね思いどおりの方向に動くが、時折変な方向に動いた。
 後ろにチームの二人がいないことを心細く感じた。

 意図せずヨロヨロ歩きながらエレベーターに乗り、屋上のキャラまでたどり着いた。
 チームの二人「りさ」と「なおっち」の姿はない。

『……お前すげえな。よし、仲間にしてやる』

 仲間とはなんの仲間だ?
 とりあえずこの人は危険……。仲間なんてまっぴら御免だ。

 しかしウインドウに表示されている選択肢は普通ではなかった。

 ・はひ
 ・ほへ

 ああ、これは……どっちを選んでも仲間にされる流れだ。
 それでも真琴は下、「ほへ」を選んだ。

『そうか、よし決まりだ。早速みんなに紹介してやる』

 ああ、やっぱり。
 そして「まこと」は引きずられるように連れていかれ、エレベーターに消えた。

 場面は切り替わり、なにやら集会所のような一室を映す。
 それなりの広さがあるようだが古い。全体的に汚れた、暗い部屋だった。何かのサークルの部屋、そんな印象だ。
 10人程だろうか、室内にいるキャラは統制があるのかないのか、無秩序に配置されているのにみんな同じ方向を向いていた。
 そしてそのキャラたちの向く先には、屋上で出会ったあの怪しげな男のキャラと「まこと」が並んでいた。

『みんな、紹介する。新しい同士、まことだ。こいつ4階の屋上から飛び降りても平気なんだ。すげえだろ』

 男がそう言って「まこと」を紹介すると、ボロい室内はなんとなく歓迎ムードとなった。
どのキャラの言葉か判らないが、ウインドウに『イエー!』とか『うおおっ』などといったセリフが流れる。
 そして部屋にいるキャラの1人がツーッと「まこと」の前に来て告げる。

『我らオオクワガタ研究会にようこそ、まこと』


 …………。

 …………え?

 なに? ……なんの研究会だって?


 頭の片隅にもなかった単語に半ば思考停止し、真琴はウインドウに表示されたセリフをもう一度よく確かめながら、隣に座る島田に尋ねる。

「島田くん。なに? この……オオクワガタ研究会って」

 自分の携帯電話でカレコレを進めていた島田が手を止めて真琴を見た。
 困惑する真琴の顔を確かめてから答える。

「ワケわかんないよな、やっぱり。俺はあらかじめ知ってたから……うん、やっぱり古川は何も知らないまま進めた方がいいみたいだ」

 島田は何かひとりで納得している。
 あまりに意味不明なカレコレの展開……。
そしてこの島田の反応に、真琴はにわかに苛立ちを覚えた。

「なにひとりで納得してんのよ。マジで意味不明だし。教えてよ、ちゃんと」

「あ、うん、ゴメン。でも……うん、大丈夫。すぐに分かるから。そのまま進めればいいよ」

「教えてくれないつもりなの?」

 真琴の剣幕に島田がちょっと困った顔をする。
 だが、島田にも何か考えがあるようで、困りつつも返す言葉は真琴の求めを容れない。

「うん、そう。悪いけどそういうことになる。あくまで……というか、できるだけ古川は事前の情報……雑音のない状態でカレコレをやって、カレコレが示すものをそのまま感じておいた方がいい。そう思うんだ」

「なによそれ、なんのため? 昨日と言ってること違うじゃん。昨日はネタバレもオッケーみたいなこと言ってたのに」

 これは真琴の言うとおりなので、島田はますます困った顔になる。
 失望されるのは本意じゃない……。そんな島田の気持ちが見てとれたので、今度こそ島田は折れるだろうと真琴は踏んだ。

「……二人は要らないよ、同じようなヤツは」

「……え?」

「あらかじめ大筋を知った上で進めるのは俺がやる。だから古川は素のままでいくんだ」

「……なんか意味あんの? それに」

「たぶん、ある。……かもしれない」

「なによそれ」

「いいか古川、俺は解析結果の書類を見た。だから話の中身を知った上でカレコレを進めてる。つまり単なる作業なんだよ。でも古川は違う」

「作業だよ。……充分」

「まあ、やりたくないのにやってるっていう意味じゃ作業だ。でも古川がやってることは、俺がやってることに比べれば……ええと、そう、読書に近いんだ」

「なにが読書よ。読みたくないし、こんなの」

「読みたいかどうかは問題じゃない。先の展開が分からないまま話を読むことで、感じるものは俺と全然違ってくる。現に今、ワケわかんないんだろ?」

「そうよ。ワケわかんない」

「でも進めれば分かる。で、その先にあるのは……たぶん俺とは違う感想だよ」

 苛立ちは残るものの、島田が言わんとすることは真琴にもなんとなく理解できた。
 ……たしかに感想は違ってくるかもしれない。そして私まで先にストーリーを知ってしまうのは、これも確かにそう、同じような人間を一人増やすだけ……。
 つまり島田くんはプログラムの解析結果を読んだ上で、松下さんと同じ結論を出したんだ。
 私は見ないまま、素のままでカレコレを進める方がいいかもしれない……。松下さんもそう言ってた。

「……先入観のない感想が……あとで意味を持つの?」

 真琴が理解を見せはじめた。その手応えを確かめてから、島田はゆっくりと答える。

「うん、たぶんそう。進めた先で問われるのはきっと人間性……。それも、カレコレに込められた思いを正しく認識した上での答えを求められるはずだよ」

 そっか……。そこまで見越して言ってるのか、島田くんは。

 伝えた情報だけでは届かないはずの見立てを島田が口にしたので、なおのこと真琴は例の書類……プログラムの解析結果が気になった。
 しかし同時に、島田が言うことを履行するのがおそらく正解であろうということも理解した。
 そして不承不承ながらこの話を呑む。

「……進めれば……分かるのね?」

「そう、分かる。迷ったらすぐ聞いてよ」

「わかった、やるよ。……とりあえず、ね」


 真琴は画面に目を戻し、画面の中の分身「まこと」を眺める。
 しょうがないか。でもホント……なにこの展開……。チームから引き剥がされて、ヘンなとこに連れてこられて。
 真琴は「まこと」を動かし、例の怪しげな男のキャラをはじめ、部屋にいるキャラたちに話しかける。

 その結果、そこは「オオクワガタ研究会」のメンバーが集まる場所で、強引に「まこと」を連れてきた男はメンバーから「支部長」と呼ばれていることが分かった。
 メンバーの中には、酔っているのか何度話しかけても「キャハハハ」としか言わない者もいた。
 あらかたのキャラに話しかけたところで「支部長」が「まこと」に寄ってきて告げる。

『まこと、さっそく明日から頑張ってもらうぞ。まあ今日はゆっくりしていけよ』


 ……頑張るって、何するんだろ。……クワガタ採んの?
 たしかに部屋の中にはそれらしい道具が置かれた棚があるけど……。
 これ……いつの時代の設定なんだろう。

 真琴がそんなことを考えていると、画面はゆっくりと暗転する。そのあとで画面に

    そして翌日……

と表示された。その文字が消えるとパッと次の場面が表示される。

「……え?」

 表示された場面の状況を飲み込めず、またしても真琴は戸惑う。
 広場のような場所、そこに「支部長」らしきキャラと「まこと」らしきキャラが並んでいた。

 これ「まこと」……なの?
 やだ……。
 ……かわいい。

 真琴が思わず「かわいい」と感じた画面の中の「まこと」は、サングラスとマスクをしていた。「支部長」らしきキャラも同じ姿をしている。
 かわいいと思ったのも束の間、すぐに真琴はこのキャラの可愛さはあくまでも、このチープな二頭身のキャラが醸し出す雰囲気であって、現実にこの格好をしている人間が決して可愛くないことに思い至る。
 滑稽ながら怪しい身なりをした2つのキャラの後ろには「オオクワ」という、これまた間の抜けた登り旗が立ててあった。
 そしてやにわに「支部長」がメガホンを持ち、第一声を放つ。


『みなさん、野生のオオクワガタは今、絶滅の危機に瀕しています』


 ………。

 ……だから、なに?


 まあ、それが事実だとして、オオクワガタ研究会なんだからそれを憂いてもいい。
 いいけど……なんでそれ力説してんの?
 うわ……「まこと」、ビラ配ってるし。
 ヤバい……。やっぱりこの「まこと」……かわいい。

 真琴がそんなことを思いながらウインドウに表示される演説をぼんやり眺めていると、演説の内容はたちまちのうちに破天荒な論を展開し、なぜか日本の格差社会と貧困問題を切実に訴え始めた。
 そして勢いそのまま、今の日本の政治を「金持ちのための政治」だとして批判する。
 ここまできて、ようやく真琴は「まこと」の境遇を悟る。

 あ、これ……学生運動なんだ。オオクワガタ研究会なんてのは隠れ蓑……。「まこと」は何かの政治団体に飲み込まれたんだ。
 そしてこの人は、その団体の……この大学の支部長……。

 そう気が付いたものの、画面の「まこと」は懸命にビラを配り続ける。真琴がどんな操作をしても、ただ支部長の演説が進むだけだった。

 延々と演説は続く。仕方がないので真琴はその演説の内容を追う。

 ふざけたキャラがふざけたフォントで繰り出す演説は、雰囲気とは正反対に真剣だった。
 共感できる部分もあればそうでない箇所もあり、浅慮がみてとれる部分もあれば未知の事柄も含まれていた。
 ともあれ熱弁する「支部長」は大真面目であり、非常に賢く、そして弁が立つことはよく理解できた。

 そして何人かの聴衆の拍手と共に演説が終わった。

 画面は再び暗転し、例のボロい部屋に替わる。

『まこと、おつかれさん。これからもよろしくな』

 「支部長」からねぎらいの言葉をかけられる。


 そこからは、この「オオクワガタ研究会」を舞台にした人間模様……ドラマが展開された。

 そのなかで真琴は、この研究会が単に政治団体の隠れ蓑ではなく、ちゃんと名のとおり「オオクワガタ研究会」として活動していることを知る。
 みんなでオオクワガタの養殖をしており、ときに採取のためのキャンプもしていた。
 メンバーも実に様々で、政治団体の思想信条に染まっている者もいれば、オオクワガタをこよなく愛しているだけの者もいた。
 そして、単に寂しさを紛らわすために籍を置いている者もいた。

 政治団体の支部とクワガタ研究会、どちらが本体ともいえない見事なバランスでこの団体は活動していた。
 ある程度まで大きくなった幼虫や、羽化まで育てた成虫は業者に出荷しているのだが、この業者も政治団体の息のかかった人間であり、対価は金だけでなく「いい煙草」と称するドラッグもあった。
 このドラッグが目的で研究会にいる者もおり、そういう者は政治団体の思想に抵抗もこだわりもなくデモや公演に参加していた。

 そんな中で繰り広げられるドラマは「寝た」だの「寝取った」だの、「敵」だの「味方」だの、「辞める」だの「辞めない」だの、およそ狭い世界の安い愛憎劇だった。
 不思議なのはメンバーたちが醜く対立しながらもこの団体が離散しないことだった。
 この人たちは、そういうドラマを楽しんでる……。真琴はそんな感想を抱いた。
 ヒロイズム……自らが主役のドラマ……。
酒と性とドラッグにまみれた若気の至りの物語。それを当人たちも解ってるんだ。
 本気の人も一部にはいるみたいだけど……。

 そして劇中の時は進み、「支部長」は就職活動に入るために引退の日を迎える。
 盛大な支部長交代の儀が終わり、夜、「まこと」は支部長の自宅の片付けを手伝う。
 部屋にたくさんあった機関誌や資料、ビラなどは紐で結んでリサイクルボックスに捨てた。
 役割を終えた元「支部長」は暗がりの中、捨てた紙束の山の方を向いたまま言う。

『まこと、ありがとな。……オレが言うのもアレだけど、お前はいいヤツだ。だからあんまり……いや、なんでもない。……じゃあ、な』

 寂しく別れを告げて、元支部長は去っていく。が、画面の端で『!』という吹き出しを発して立ち止まる。
 そして白いワンボックスカーが元支部長の前で停まる。

 ワンボックスカーは元支部長を乗せて走り去った。
 画面では、古びた製紙工場のリサイクルボックスの前で「まこと」がポツンとひとりで佇む。

 リサイクルボックスの中、二人で捨てた紙束が鈍く光り白い玉に変わったあとで「まこと」に飛んできて重なり、そして消えた。

 画面がゆっくり暗転していき、次に映し出されたのは建物の前で倒れている「まこと」と、それを見つめるチームの二人、「りさ」と「なおっち」だった。
 「まこと」が起き上がり、左右をキョロキョロする。

りさ『あ、気が付いた!』

なおっち『まこと、だいじょうぶか?』


 画面の中で「まこと」は、なおも左右を見る。


りさ『いきなり飛び降りるからビックリしたよ』

なおっち『でも、だいじょうぶみたいだな』


 ……いきなり飛び降りた?
 つまり、話は「まこと」が屋上から飛び降りたところまで戻ったってこと?

 チームが元どおり列に戻ったので、真琴は再度建物……教育学部に入る。
 果たしてそこには『立ち入り菌糸』の掲示もなく、屋上に「支部長」はいなかった。


 夢オチ……なのか。このステージは……。
 たぶん今までと同じ、なんか白い玉が「まこと」に重なった時点でこのステージは終わりなんだ。

 通常に戻った画面……真琴はステータスを見る。


 つるぺた まこと
 ¥:316640円
 ☆:885
 ○:①②③


 うん、いちばん下の○が3つになってる。
 この丸は、たぶんクリアしたステージを表してるんだろう。
 理沙は相変わらずおカネを稼ぎ、島田くんは問題を解いて星を貯めてる。
 このままじゃ下手するとランク入りするんじゃないの?
 島田くん、お金も星も今は使うつもりないみたいだし……。


 真琴はここで一旦カレンコレクションを閉じた。
 カレンのメインアプリに戻れば画面上端に携帯電話の時刻表示が出るのでそれを見る。
 この時点で時刻は23:38になっていた。

 ここまでかな。今日のカレコレは。
 そう思いながら真琴は島田に言う。

「教育学部、終わったみたい。いいかな?今日はおしまいで」

「ん? あ、ホントだ。もうこんな時間か……」

 島田はカレンコレクションを立ち上げたまま壁に時計を探し、それを見た。

 壁の時計……。もとの配置を知らない島田は何も言わないが、真琴はテレビ同様、壁掛け時計の向きも変えていた。

 ……時計が見えて、時計から視られないように。

 カメラが仕込まれた気味の悪いテレビも時計も、壊すなり棄てるなりさっさと処分するのが当然……。運営による大がかりな盗撮が発覚した当初に真琴はそう考え、実際そうしようとしたこともあったが、いまだ行動に移せずにいた。

 たぶん、壊すのはできるけど、簡単には棄てられない……。
 その結論がこの中途半端な状態を招いていた。

 お世辞にも機械に詳しい方ではない真琴は、仕込まれているカメラの詳細、機能を知らない。
 そんな真琴にも分かること、それは現代の技術の高さだった。
 つまりある程度のデータを蓄積するのに大きさは無用だということと、携帯電話……肌身離さず持ち歩いている多機能なスマートフォンの放棄が運営から禁じられている間は、家電を処分することに大した意味はないということだ。

 もちろん処分してしまいたい気持ちはある。だが自分の無防備な私生活が記録されている可能性が高い粗大な物品を安全に処分する方法が見当たらなかったのだ。
 盗撮家電の存在が明るみとなった今の時期、衆目をすり抜けて他のゴミに紛れさせるのは難しいし、業者にはとても任せられない。
 これに関しては、信頼する親にさえ委ねることができなかった。
 忘れもしない9月28日午後8時に見せられた自分の恥ずかしい動画……。
あんな……あんなのがいっぱい残ってるかもしれないんだし……。

 物を棄てる、それだけのことがこんなハードなミッションになるなんて……。

 そして生まれた今の状況、それは真琴の生活の中から「無防備な私生活」の「無防備な」の部分を奪い取ってしまった。
 ホントに気を緩めたいなら、まずスマホの電源切って、時計の電池抜いて部屋のブレーカー落とさなきゃ……。

 それが真琴にとっての現実であったし、早紀が「もうホントに安心できる場所なんて無い」みたいなことを言っていたことから、他のみんなも似たり寄ったりなのだろう。

 だからつまり、なにかしらの決着が付くまで安息はない。そう思うしかないんだ。

 端的に言えば携帯電話を筆頭に自分の所有物から監視されている生活で、その息苦しさは騒動が始まってから日が経つほどに耐え難くなりつつあった。
 というのも、騒動が始まった当初においては他の際立つ要因による混乱や不安に対応すべく神経が張り詰めていたからで、今、カレン騒動そのものが日常……常態化しつつある中で、疲弊し、安息を望みながら否応なく「長期戦もあり得る」と自覚しはじめたからだった。
 おそらく……どうやら少なくとも10月10日まではこのまま気の抜けない生活が続きそうだ。ホントにそうなるのか分からないけど、その覚悟はしておかなきゃいけない。
 心がゆっくりとそれを受け入れるのに併せて、ゆっくり真綿が絞まっていく。そんな感じだった。

 これ、個人差あるだろうけど、絶対出てくる。……耐えきれない人が。
 まあ、もう今さら……なるようにしかならないから考えても仕方ないんだろうけど。


「ね、島田くんはどこまで進んだ?」

 油断すれば暗くなりがちな気分を払うように、真琴は島田に話題を投げて自分の関心の向きを変えた。

「ずっと先、だよ。教えないけど」

 適度に気を引く良い回答だ。
 低い場所にある気分が少し上を向く。

「なにもったいぶってんのよ偉そうに。こたえ見てから進めてるくせに」

「まあね。古川は教育が終わったって?」

「うん」

「じゃあ、えっと……あの、クワガタ研究会のヤツ?」

「そう、それそれ。まだ全然わかんないよ、運営がなに言いたいのか」

「……ん……そっか」

「ていうか、どんどんワケわかんなくなってない? なんなの? あのクワガタ研究会の話」

 島田が真琴の表情を窺う。
 言葉だけではなく、全体で真琴の真意を視ようとしているようだ。

「……なにジロジロ見てんのよ、エッチ」

「……エッ……チ」

「………なんでゆっくり復唱すんのよ、そこだけ」

 動揺する真琴を見て島田は嬉しそうに頬を弛める。
 島田といい理紗といい……。どうやら特定の人間にとって自分は相当からかい甲斐のある存在らしい。

 単純なの? 私って……。いや、でも……理沙より単純となると、それは人としてヤバい気がする。

「ホント、すぐ顔に出るよな……古川」

「なによ。なにも出てないし」

「いや出てる。『分かんない』って言いながら、内心そんな簡単じゃないだろ? 実際」

「え……えと、そりゃまあ、そうね。ちょっと高尚過ぎんじゃない? とは思うよ。ご高説はいいから結局それでウチらになに求めてんの? って」

「うん、だからたぶん……ひとことじゃ言えないことなんだよ、たぶんね」

「なんか『大学の裏に潜む危険』みたいな話ばっかだけど、それが多数じゃないじゃん。そんな悪い所じゃないよ。ここ」

「んー……でもさ、最初の話と……あ、あと2番目の話の最後の……あのクスリ盛られてるヤツ、あれで女の子たちの警戒心は高まっただろうな。意識しなくても」

「……まあ、そうかもね」

「でも実際さ、フィクションの界隈じゃ陳腐な……ありふれた話でもあるよ。あんなの」

「そうね。……あるね、確かに」

「だからあんまり心に響かない人もいる。俺は実際、クワガタ研究会の話の方が考えさせられた」

「……そうなの?」

「あれってさ、あ、いや、あくまで俺の感想なんだけど、学生が作る団体の在り方みたいなのがテーマじゃないのかな」

「ん? なに?」

「あの話、学生運動とか政治団体の主張を叩いてるようで、実は違うと思うんだ。学生がみんなで何かするなら、ちゃんと名乗れって言ってんだよ、きっと」

「ん……んん?」

「あれさ『オオクワガタ研究会』だったろ? でもさ、あんなの研究会でもなんでもないじゃん」

「でも、そういう活動もしてたよ。半分」

「いや、してない。あれはクワガタ遊びだよ。単に養殖したり採ったり、そして売ったり。研究だなんておこがましい」

「つまり『研究会』の名に値しない……ってこと?」

「そう。っていうか、まがりなりにも最高学府、研究機関の機能を持つ総合大学の中で、学生の集まりが『研究会』を名乗ることがそもそもおかしいって言いたいんじゃないかな」

「ああ、ええと、う~ん……つまり、研究するなら余所でやれっての?」

「違うよ。研究するなら、大学のどこかにちゃんとその場所があるだろってこと。大学なんだから」

「ああ、なるほどね。じゃあ、大学の外ならまだしも、大学の中で軽々しく『研究会』なんて名乗んなってことね」

「そう、それ。だから大学の中に実在する『研究会』はみんな必然的に、絶妙にピントがずれた名前になるんだよ。カレコレに出てきたクワガタ研究会なんてのはその皮肉だ」

 真琴は島田の言葉の意味を考える。
 ……必然的に……ピントがずれた……。
 ……必然的に、絶妙に……。

「……あ、ああ解った。そうよね、そりゃそうよ。そのものズバリを名乗れるワケないんだ」

 真琴が理解したことに島田は満足する。

「うん。大学の中に『法学研究会』とか『物理学研究会』とかがあったら、さすがにみんな気付いちゃうだろ、そのおかしさに」

「うん。バカなの? ってなるね」

「だけど『オオクワガタ研究会』にしろ『広告研究会』にしろ、ピントずらしてるようでもやっぱり大学の中に『研究会』ってのは、なんとなく示しがつかないよな。理学部で甲虫学、経済学部でマーケティングを本当に『研究』してる研究者がすぐ隣、というか同じ団体にいるんだから。いろんな知識を持った学生が集まって何かを実践するのはいいことだけど、相応しい名前は『研究会』じゃない」

「確かにね。高校までなら向学の期待も込めて研究会を名乗っていいけど、さすがに大学なんだから大学で研究しろよってことよね。ま、禁止もきないけど」

「そ、やっぱアレだ。ドーム球場のど真ん中で、ジーパン姿の集団が百均で買ったバットとボールで野球してるカンジだ。俺たちのサークルがもし『卓球研究会』だったらあんまり人が寄り付かないぞ」

 え……。それはそれでちょっと違うんじゃ……。
 真琴が詰まったので、島田が続ける。

「だから『アプリ研究会』も然りなんだ。ホントに絶妙な名前だと思うよ」


 ………え、なに?
 今、アプ研のこと言ったの?


「……アプ研……も?」

「うん。正体は不明だよ。実際は善意の関係者がほとんどだろうけど、そこがまた難しいよな」

 なんでまたアプ研……。それも島田くんの口から。

「アプ研はそんな変なとこじゃないよ。島田くんだって昨日、私と一緒にアンケート考えてアプ研助けたじゃん」

「ああ、あれは……うん。だって、カレコレのパチンコの原作で採り上げられてピンチになってたのはアプ研っていうより、そこに関わった善意の参加者だろ? アプ研の正体はまだ不明だよ」

「……そうなの?」

「違うのか?」

「違う……と思うけど」

「昨日はあの場を収めるためのアンケートを作ったんだ。そして実際にその通りになったよ。でもな古川、あのアンケートに第3の選択肢『分からない』を入れてたら全く印象の違う結果になってたはず。俺はそう思う」

 そんな……そんなことは……。
 いや、島田くんの言うとおりか……。『分からない』なんて選択肢を設けてたら、それがダントツ一番という結果になってた。……きっと。

 この、予想していなかった話題に真琴は考え込む。

「そもそも不自然に注目されすぎなんだ。初っ端の騒動から自演だとしたらかなりの策士……。パチンコで気付かれるのは必然だったし、ここにきて『研究会』というワードでまたみんなの頭によみがえる。運営にとってアプ研は標的なのか、或いは運営そのものなのか、どっちの可能性も残されたままだろ?」

 ……いや違う。そんなんじゃ……。
 ここで真琴の脳裏をよぎったのは伊東のことだった。

 夕方のアプ研の部屋……。衝撃の出来事だったが、真琴は未だに伊東を憎めないでいる。
 優しくて頼もしいバイト隊長……。その人物像が根本にあるので、伊東に対する好ましい感情は変わらないのだ。
 そして伊東の告白で受けた衝撃が去った今、落ち着いて考えてみれば、真琴は伊東の行動に何ひとつ答えを持たない。

 アプ研にいた隊長は、運営から突き付けられたという「罪」によって縛られ続けていたと言った。でも、その罪というのがなんなのかは聞けていない。
 罪という表現を使ったからといって、それが即ち「犯罪」じゃない。
 隊長が自らの行いを悔いた何らかの行為……それしか分からない。

 そして隊長は、運営に恨みはないと言っていた。
 運営のおかげで道を外さずに済んだ……。そんなことまで言ってた。

 その隊長は、カレンを使い続けることが因でアプ研と疎遠になっていたらしい。
 丸2年も距離を置いていたのに、この時期にあの部屋にいた理由がそもそも謎すぎる。

 隊長の行動をもう少し突き詰めていけばアプ研と運営の関連性に説明がつきそうな気もする。
 だけど、隊長のことは島田くんには話せない。

 とりあえず今、この場はこの話題から抜け出して、ひとりになったときに考えてみよう。

 そう、島田くんには言えない……。
 隊長を軽蔑してしまえるなら話は別かもしれないけど。

「まあ…考えてみるよ。いろいろね。で、今日どうすんの? 今から」

 真琴は話題を切り替えた。
 これに島田は、真琴をじっと見つめながら返す。

「どうすんのって、どうすんの?」

「……なにその返し」

「もう帰れってこと?」

「そんなこと言ってないじゃん。一緒にいたいし」

「じゃ、今日は帰んなってことか?」

「………島田くん。けっこう意地悪くない?」

 ジトッと睨む真琴の視線に島田が慌てる。

「あ、いや……悪気はないんだ。ん……と、じゃ、そうだな……。うん、よし。じゃ、今から二人でピロートークだ」

「ピロートーク?」

 なにそれ美味しいの?

 それは真琴にとって聞き慣れぬ単語だった。
 真琴の顔に浮かんだ「?」のマークを見て島田が言う。
 島田くん、なんだかニヤけてる……。

「ああ……知らないのか。うん、あのな古川、ピロートークってのはそのまんまの意味だ。ゴロゴロしながらダラダラ話をするんだよ」

「ああ、ピローって、枕のピロー」

「そう。とりあえず掲示板見ながらダラダラしよう。でも……そういや腹減ったな。なんか食いに行く?」

「……今から……外に?」

「うん」

「なんかつくるよ。簡単に」

「おお、すげえ」

「すごくないよ。ガッカリするよ。たぶん」

「なにつくんの?」

「ちょっと待って」

 真琴は立って冷蔵庫を覗く。
 冷凍のうどん……それかギョーザ、じゃなければ、冷凍したごはんがあるからチャーハンかな……。レトルトのカレーもあるけど。
 すぐにできそうなものを島田に報告すると、島田は「チャーハン最高」と即答した。

 冷凍ごはんを温めてからつくった即席のチャーハンを、島田は美味そうに掻き込む。

「んまい!」

「そ……そう。よかった」

「女の子ってさ、料理ってさ、大人のスキルだよな」

 島田がなんだかおかしなことを言い出した。

「なにそれ。なに言ってんの?」

「それと化粧もだよな。うん、そういうのって学校の勉強と違うじゃん。みんな、いつ身につけるのかなってさ、不思議だなって」

 ああ、そういうこと。
 そういう……生活の力みたいなのは……。いや、でも、性別は関係ないんじゃないの?

「まあ、教わらなくてもお母さんのお手伝いとか、あと雑誌とか……じゃないの? あ、お化粧は、そうね……うん、お化粧って、はじめは上手じゃなくても、ジワジワ必要になってくるから、ジワジワ上手になるんじゃない?」

「ジワジワ……上手に……」

「……なんかビミョーなところ復唱するよね、島田くん」

「あ、いや、上手い表現だなって。他意はないよ、うん」

 他意ってなによ。どんな他意よ。


 とりとめもない話をしながら島田と食卓を共にして空腹を満たすと、思いのほか気分が晴れた。
 食器を台所に放り込み、真琴は座布団を枕にして寝転がる。

「お、なんかラクーな感じになってるな」

「さあやるよ、ピロートーク」

「…………あ、うん」


 真琴に促され、島田も座布団を枕にして寝転がる。
 そして各々が携帯電話でカレンを立ち上げた。

 島田は真っ先に掲示板にとりかかったようだが、真琴はその前にランキングコーナーを開く。

 また増えたカレコレの¥と☆。チーム「つるぺた」の名がランク入りしていることを懸念したからだ。
 しかしその2つのランキングは昨日から更新されていないようで、昨日と同じ額面のまま「¥」のランキングに愛たちのチーム「三中」を見つける。
 一方で他の2つ「徳」と「業」のランキングは、ほぼリアルタイムで更新されているようだった。
 こちらは個人、それも学籍番号の表示なのでぼんやりとしか見ていないが、「業」のランキングは全体的に数値が減っているようだった。
 みんな躍起になって減らしてるんだ、きっと。

 それを確認したあと、真琴も掲示板を開いた。
 カレコレのプレイ時間が終わったこの時間、学生たちが一斉に掲示板に集まっているらしく、いろいろな板でどんどん書き込みが増えていく。


 そこで地獄が幕を明けていた。


 すごい勢いで書き込みが増えている板は、〝カレコレ攻略情報〟と〝カレンについて語ろう〟だったが、その他にも勢いがある板がいくつもあり、そのなかには
   〝チームってなんだよ?〟
というような目新しい板もあれば、昨日炎上した板
   〝アプ研、やっぱり運営とグルだった!〟
も勢いを取り戻していた。

 ……どういう流れだ? これは……。
 真琴はまず、目新しい板〝チームってなんだよ?〟を開く。

 〝チームってなんだよ?〟

1)10/03/21:53
 チームって意味あんのかよ
 うまくいくわけねえじゃん、こんなの

2)10/03/21:58
 だな。俺んとこもさっきケンカ別れした。
 あ、土木3年の中村隼人はクズだからみんな気をつけろ。

3)10/03/22:03
 いきなり実名晒してワロタ

4)10/03/22:05
 あいつ、ろくに稼ぎもしないくせにチームのカネ使いまくりやがった。
 もう追い出したけどな。

5)10/03/22:08
 使いまくりってカルマトール?

6)10/03/22:11
 そう。自分は売店近くでウロチョロして、3000円貯まったらソッコー買うの。
 仲間でもなんでもねえから追い出した。

7)10/03/22:14
 ウチも似たような状況になりかけたけど、なんとか持ちこたえた。
 でも、たしかにチーム組む意味ねえよな、これじゃ。

8)10/03/22:16
 いやでもさ、問題のレベル、そろそろヤバくね?
 高校まできたら途端にムズいし。覚えてねえし。
 俺、自分じゃ解けねえよ。

9)10/03/22:17
 やっぱ1年捕まえねえとだな。
 追い詰められたヤツでチーム組むことに意味はない。これが結論。

10)10/03/22:20
 体育会のいくつかは強制的に縦割りチーム作ったみたいだぞ。うまいことやったな。

11)10/03/22:22
 こういうとき上下関係厳しいところは有利ッス

12)10/03/22:23
 生物3年の小山晃はゲス
 みんな相手にすんなよ

13)10/03/22:26
 ゲスはテメーだろ原口
 原口智則くんよ

14)10/03/22:30
 ああ? てめえなんか「たかし」そのまんまじゃねえか。
 全部バラすぞ、ここで。


「…………。」

 どうやら崖っぷちの方から秩序が崩れ始めたようだ。
 カレコレ時間の最中に立ち上げられたこの板は、深夜0時を過ぎてその勢いをいや増し、今や300近くまで書き込みが増えているが、多くが実名での誹謗中傷……。怨嗟がとぐろを巻いていた。

 名も知らぬ人たちの悪行の数々が書き綴られているが、書く方も反論する方も感情むき出しなので、もはや真偽が定かではない。

 最後まで目を通してなんとか分かったこと、それは「業で困っている人たちが次々と仲間割れして足の引っ張り合いを始めた」ということ、そして「敵が出す問題は、やはり3年生には難しいらしい」ということだ。
 最新の書き込みでは、チームを追われて独りになった人たちが、いかにして1年生を捕まえるかを論じていたが、その中には「金で契約する」という現実的なものもあれば「脅すしかない」という物騒なものまであった。
 ともあれ今、受験勉強のブランクが短くて問題を解く力があり、かつ業も少ない1年生はなんとしても仲間にしたい存在であることがよく分かった。

 そしてこの板の中でひとつ、特筆すべき新事実が明かされていた。


151)10/04/00:21
 これさ、答え間違うと増えるよな、業

152)10/04/00:23
 だよな! やっぱそうだよな!
 なんか計算合わねえと思ったんだよ。

153)10/04/00:24
 こマ?

154)10/04/00:26
 だとしたら俺ら詰んでね? ガチで。

155)10/04/00:27
 許せねえよな、のんきにやってる1年。
 単に日が浅いってだけだろ? あいつら。


 …………。なんで今ごろこんな……。
あ、そうか、最初のうちは問題が簡単だったから間違えることがなかったんだ。
 だんだん難しくなってきて、誤回答をする人が出てきて分かったんだ。

 真琴はタイトル一覧をスクロールして、他に見るべき板を探しながら島田に話しかける。

「3年生、ヤバい感じになってるね」

「……うん。まあ、こうなるだろうな、とは思ってた」

「暴動になったりしないかな」

「どうだろ、分かんないな。とにかくアレだ。俺たちはしっかり固まっとかないといけないのは確かだ」

「理沙、大丈夫かな」

「ああ、清川は大丈夫。こういうのには鼻が利くからな。それより古川、アプ研の板……見てみろよ」

「なに? またアプ研叩かれてんの?」

「いや、まあ、そんな書き込みもあるけど、メインはパチンコのことだ」

 パチンコのこと? なんだろう。
 真琴は言われたとおりにその掲示板を開く


184)10/04/00:11
 やっちまった…
 6万負け…orz

  ~ ~

191)10/04/00:38
 そのうち当たると思ったんだよな。
 結局1回も当たらず。
 -5万

  ~ ~

196)10/04/00:44
 この流れで言うの怖いけど、今日も勝ったぞ。
 +12万

197)10/04/00:46
 ……! 勝ったヤツもいるのか。

198)10/04/00:47
 いや、そういうもんだろパチンコって。

199)10/04/00:48
 でも明らかに昨日までと違うじゃん。


「……負ける人が出はじめたんだね。これは島田くんの予想どおり?」

「うん。当たりまくるのは最初のうちだけ、あとはカネを絞り取られるだけだよ、たぶん」

「理沙が今日も勝ったのは……たまたま?」

「なんとも言えないな。このパチンコ自体、純粋な運勝負とは思えないし」

「……どういうこと?」

「困ってる人は当たらない。困ってない人は普通に当たるように裏で判別してるかも……だよ」

「……なんの……ため?」

「パニックを煽るためだよ。そもそもカレコレにパチンコがあること自体が胡散臭い」

「パニック煽ってどうすんの?」

「う~ん……うまく言えないけど、バーチャル……つまりカレコレで醜い話を見せるだけじゃなくて、リアルでも人の醜さを炙り出そうってカンジ?」

「いやこれ……事件起こりそうじゃない? なんかの」

「まあ既に大事件なんだけどな……。うん、なんかヤバいよな。気をつけろ、古川」

「うん……」

 その板ではパチンコの話だけでなく、板のタイトルどおりアプ研に疑惑を突き付ける書き込みも相当数あった。
 こちらは昨日までの二度のアプ研騒ぎとは異質……冷静な雰囲気のものが多かった。
 類似点を挙げたうえでカレコレの「オオクワガタ研究会」がアプ研を暗示しているというものや、原作がパチンコに採り上げられたことに理由を求めるもの、そして従前からカレンを危険視してカレンを使っていなかったアプ研の主要メンバーは今回の騒動では傍観者……運営の脅威を回避しているという事実を指摘し、それを根拠にアプ研を怪しむ書き込みもあった。
 とにかくあいつらは無関係じゃない……。そんな空気ができつつあった。

「また疑われてるね、アプ研。……じわっと」

「うん。でも今度のは簡単には消えない動きだよ、静かだけどね」

「……消えないの?」

「だって本質じゃん。俺だって疑問だよ、なんでアプ研のアプリをパチンコで採用する必要があったのか。まあ、もともとカレンの危険性を訴えてたんだから、運営にとって目の敵……今になって仕返しされてるだけかもしれないけど」

「ああ、なるほど」

「でもそれだけじゃないような気もするんだ。カレンは危険だってどんだけ言っても無視された挙げ句、逆方向にキレたのかも。『ああそうですか、痛い目みないと分かりませんか』ってね」

「アプ研に……できること? それ」

「それは知らない。でも、アプ研に別の顔があっても不思議じゃない。それこそオオクワガタ研究会みたいに」

 真琴の脳裏にアプ研の部屋の光景が浮かぶ。
 高級なソファ、贅沢な機材、たくさんの女の子との関わり……。
 資金源はアプリの売り上げだけだろうか。立派なアプリを作っているのは間違いない。でも、まっとうな団体と怪しい集団は同居し得る。カレコレはそれを指摘した。

 そんなことを考えていると、携帯電話が「お知らせ」の新着を告げた。

『¥ランキングと☆ランキング、更新しました!』

 真琴は携帯電話で時刻を見る。午前1時……。
 これからは定期更新されるのかな、これ。

 そんなことを思いながら、更新されたランキングを開く。

「……は?」

 まず開いた『¥』のランキング、そこにチーム「つるぺた」の名前はなかった。
 それはいい、それはいいんだけど、なによこの……額は。
 なんで1日でこんなになってんの?

 真琴が驚いたのは、そのランキングに表示されているチームの所持金だった。
 1位のチーム……これは、いちじゅうひゃくせん……

   1位「うんこ」1,588,714円

 2位以下も軒並み150万円前後、表示下限の20位でも136万円あった。
 昨日とケタが違うじゃん。……なにこれ?

「島田くん、この……おカネのランキング、どういうこと?」

「ヤバい……ヤバいぞ、これ。あのな古川、古川は俺に聞きながら、ほぼ最短ルートで話を進めてたから気が付いてないけど、カネが借りられるんだよ。カレコレで」

「……え? そうなの?」

「ちょうど大学の郵便局のところ、あの場所がカレコレだと金貸しになってんだ。『アイコム』って」

「……じゃ、みんなそこでおカネ借りたってこと?」

「この額は……たぶん……そう」

「……バカじゃないの?」

「たぶん結果的には……バカだ」

「返済……あるよね」

「うん。利子はないけど、返済期限は48時間」

「……利子はないんだ」

「でも返せないのは目に見えてる。返せなくなった先にあるのは過酷な取り立てだよ。プログラムの解析に載ってた」

「まあ、返せないよね……。地道に問題解くだけじゃそんなに稼げないし」

「でも地道に稼いだカネで業を減らすしかないだろ。こんなあからさまなワナにかかるヤツはもう、まともな判断ができてない」

「このおカネって、たとえば私が借りてもチームの所持金になるよね」

「うん、だからそれを俺が使っちゃうこともできる。借りたカネを増やそうとしてパチンコに行くヤツもいるだろうし、マジで人間関係ドロッドロになってそうだな、追い詰められたチームは」

「ひとりで放り出されて思い詰めた人が1年生脅して、おカネ借りさせるってのも、ありそうじゃない?」

「ああ、ありそうだな。そしてそれは立派な犯罪だ。強要罪」

「大丈夫かな。明日から」

「まあ分かんないけど、警戒するに越したことはないな。これは」

 カレンの中での脅威が現実の世界に溢れ始めた。
 そんな恐怖を抱きつつ、真琴はもうひとつの「☆」のランキングを開く。
 1位は1306個か。
 真琴は画面をスクロールさせる。

「あ……」


  16位「つるぺた」889個


「……島田くん、入っちゃったよ、ウチら」

「みたいだな」

「どうしよう」

「いいんじゃないの? 星は……べつに。みんな関心ないだろ。……今んとこ」

「そう……なのかな」

「それにこのランキング、あんまり意味ないよな。カネや星をいっぱい持ってるチームが進んでるかっていうと、必ずしもそうじゃない。カネも星も消費できるんだから。ランキングに載るのがイヤなら、食堂で徳に替えちゃえばいいんだし」

 確かにそうだ。ランキングは進捗状況とは正しくリンクしていない。でも目安にはなる。
 チーム「つるぺた」は、グレた理沙がパチンコしてても私と島田くんの二人で問題を消化して星が889……。そして今、科目にもよるけど「高1」と「高2」の問題が多い。

 この1位のチームは星が1306……。
 もしかしたらこのチームは受験問題の先……。
未知のジャンルに到達したかもしれない。
 いったいどんな問題が出てくるんだろう。

 真琴は眠気をこらえながら他の掲示板を探す。
 大きなあくびをしたので島田が笑う。

「……古川、ベッドで寝ろよ。電池が切れかけてる」

「あ、うん。そうだね。島田くんは?」

「泊まっていいならここで寝るよ」

「ここでって……床で?」

「うん」

 ……それはさすがに申し訳ない。けど、ウチにお客さん用の布団なんてない。


 そして真琴は決断した。


 ベッドに転がり布団を被ってから、布団の右側をめくる。

「おいでよ……島田くん」

「……いいの?」

「……いいの」

 そして島田もベッドの上、真琴の右側で横になる。
 枕もひとつしかないので、真琴は島田に枕を貸す。
 するとお返しのように島田の左腕が真琴の頭上に置かれた。

 これは……いわゆる「うでまくら」だ。
 はじめての……添い寝……。

「……島田くん」

「ん?」

「眠くなくなったよ、わたし」

「俺も。でもまあ、そのうち眠くなるよ」

 島田の言葉に真琴は微かな落胆を覚える。
 やだ。なに期待してたんだろ……わたし。

 そんな浮わついた気持ちはその直後、島田の向こうに壁掛け時計の横顔を見て醒めた。

 そうだった。今はまだ、気を緩めるときじゃない……。


 眠れない二人は再びカレン掲示板を漁る。
 真琴はとりあえず最初からある板〝カレンについて語ろう〟を開いた。

 そこも案の定、実名の悪口が多数を占めていたが、板の趣旨がわずかに影響しているのか、個人的な恨みごとではなく、「○○が怪しい」という内容が多かった。
 とりわけアプリ研究会のように、研究会の名を冠する実在の団体を怪しむ書き込みが目立った。
 真偽はさておき書き込みの内容がやけに具体的なのだ。
 カレコレに乗じてこの機会に怪しげな団体を糾弾しようという雰囲気すら感じられる。

 そして驚いたことに、ごくごく一部ではあるが運営がやっていること、或いはやろうとしていることについて、手段の是非はともかく共感する書き込みが散見されるのだ。
 だが、それらの書き込みはいずれも直ちに総叩きにあっており、流れを成すには至っていなかった。
 まあ無理もない……けど、脅しがなければ……やり方がこんな方法じゃなければ、きっと、もっと信者は多い。

 宗教……か。

「島田くん、カレンってホントに宗教かもしれないね」

「うん、掲示板だとすぐに潰されてるけど、なんとなく運営を支持しはじめてる人がいるね」

「これさ、今さ、『安全を保証するから我に従え』って運営が宣言したら……どうなると思う?」

「……それは一大勢力……いや、最大勢力になるかもな」

「だよね、そうだよね。弱味握ったやり方はエゲツないけど、そのあとずっときれいごと並べてるもんね」

「まあアレだ。運営の処刑ラインにないウチらは当面、明日……というか今日からか。見えない運営よりも現実の身辺の方が危険だ。それもかなりの危険」

「だね。あ、ねえ、わたし『カレコレ攻略情報』って板は見ない方がいいの?」

「ん? ……ああ、そういうこと。見ていいよ。例の資料のおかげで俺たちは進捗度でいえば先頭に近いからネタバレはないよ」

「そっか。じゃあ見てみる」

 そして開いた板〝カレコレ攻略情報〟、そこは攻略情報というよりは感想……意見を交わす場になっていた。

 理学部の事件が本当らしいという書き込みもあれば、遊び呆ける「たかし」を見て激しく反省したというもの、学生運動について熱く語るもの、そして島田のように学生が成す団体の在り方を考察するものまであり、ひとことでいうなら「まとまりのない板」になっていた。

 ……なんだかよく分かんないな、これじゃ。

「なんかメチャクチャになってんだろ?」

「あ、うん。そだね」

「いかにも匿名掲示板らしくなってきたじゃん。ホントに参考になる情報は、目を凝らして探さなきゃなんない。そもそも書き込むヤツは大抵、冷静じゃない」

「……ホントにね。なんか機能不全ってカンジ」

 それから真琴は狭いベッドで島田と二人、カレンのことや理沙のこと、サークルのことなどをとりとめもなく話し、やがてどちらともなく眠りに落ちた。

 眠りに入る寸前に島田が言った「運営が定めた期限はきっと時間稼ぎだよな」という言葉がぼんやりと真琴の頭にこだました。
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