かれん

青木ぬかり

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10月1日(土)

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 10月最初の朝、真琴は6時半に目を覚ました。
 思いのほかスッキリした気分、気持ちの良い寝覚めだった。
 今日の予定は10時半から昼のバイト、そして午後4時からサークルだ。
 真琴は起き上がって冷蔵庫を開け、林檎ジュースを飲む。朝一番の水分補給……。甘酸っぱさが身体に染み込んでいくようだった。

 まだ時間あるな……。そう思った真琴はテレビでニュース番組を点け、再びベッドに横になる。そして金融政策の先行きを憂うニュースキャスターの声を聞きながら携帯電話でカレンを開く。

 掲示板の数は、昨日見たときからあまり増えてはいないようだった。

 どうしても白石さんの悪口が書かれた板に目が行ってしまう。

 書き込みの数は大して増えてないみたいだ。みんな、白石さんについて書くことがなくなったのかな。
 まあ、もともと意味のない板なんだから当然だ。それとも誰かが板の中でみんなを説き伏せたのかな。
 そう思いながら真琴は書き込みの総数が227と表示されている板〝白石っておばちゃんが内通者じゃね?〟を開く。

「あ……」

 思わず声が出た。開いた瞬間に、書き込みが増えない理由……それも予想外の理由が判ったからだ。



219)9/30/23:35金子由依(文2)
 おばちゃん、マジ俺ら目の敵にしてるもんな。
 なんで大学はあんなの雇い続けんだよ。
 俺らって、ある意味客だろ、大学からすれば。

220)9/30/23:39町田大真(経3)
 訴えればいいんじゃね? こいつ怪しいスよって。
 いちおう公務員だから、なんか処分あんだろ。

221)9/30/23:45古賀建人(理3)
 ……名前、でてるぞ

222)9/30/23:45町田大真(経3)
 !!!

223)9/30/23:46山崎哲平(文3)
 ああああああ!
 嘘です嘘です! ごめんなさい
 今までの全部冗談なんです!
 業がヤバかったんです!

224)9/30/23:49佐藤聖一(工3)
 地味に恥ずかしいな。
 金子由依くん……男かな?

225)9/30/23:58川口佑樹(教1)
 いきなりのルール変更……なんです?

226)10/01/00:18小林翔(理3)
 ここの板だけみたいだ。
 ……今のところだけど。

227)10/01/00:28笠井晃一(工2)
 たしかにここだけだな。
 どうなんだよ、これ。


 これは……怖いな。掲示板〝白石っておばちゃんが内通者じゃね?〟は、昨日までさかのぼって全部の書き込みに名前が表示されていた。そして227個目を最後に書き込みが止まっている。

 これじゃあ誰も書き込めない。書き込めるわけがない。人の悪口を言うだけの板なんだから……。
 たとえ多くの同意が得られる意見でも、ここに書き込んでいた人は〝匿名をいいことに他人の悪口を言う人間〟というそしりを免れない。……事実なんだから。
 書き込んでいた人の心中は穏やかじゃないだろうけど、痛快だ。……この板に限ったことなら。
 そう、ここに書いてあるとおり、この板に限ったことなら……。

 真琴は別の板を次々と開き、他の板の匿名性が維持されているかを確認する。
 あらかたの板を開いたが、どれも匿名のままだった。
 運営はこの板だけ匿名性を解いた……。なんのためだろう?
 あまりに醜いから? そんな良心が運営にあるだろうか……。

 いまだ運営の思惑が読めぬまま、真琴は板のタイトル一覧に戻る。
 そこにひとつ、目立って勢いのある板があった。

 〝助けて!どうやったら業減んの?〟

 ……そうなるよな、やっぱり。掲示板の匿名性が絶対的なものじゃなくなった以上は、他の板でもこの先、くだらない書き込みはしにくくなる。
 ホント、業ってどうやって減らすんだろ……。
 自分の業が安全圏とはいえ、気になった真琴はこの板を開く。

 果たしてそこにあったのは業の消費に焦る学生たちの足掻き、そして漂う手詰まり感だった。

87)10/01/02:58
 つまり結局、名前が出ても構わないような書き込みを続けるしかないってことだな。

88)10/01/03:00
 運営批判は安全か?

89)10/01/03:03
 わかんねえな
 でも、運営批判なら名前が出ても恥ずかしくはないよな
 みんなの共通の敵なんだから

90)10/01/03:07
 でもよ、運営批判ってそもそもがリスキーじゃね?
 掲示板で名前が出るとか以前に、いきなり処刑されそうじゃん。

91)10/01/03:09
 あの板だけ名前公開したのって、やっぱおばちゃんが犯人だからじゃねえの?

92)10/01/03:09
 なに話せってんだよ。大学批判か?

93)10/01/03:10
 あああああああああ

94)10/01/03:11
 ん?

95)10/01/03:12
 >>91
 やめろ。この板も危なくなる。

96)10/01/03:15
 減らねえ!

97)10/01/03:16
 どうした?

98)10/01/03:18
 93だ
 93の書き込みじゃ減らねえんだよ……業。

99)10/01/03:19
 まじ……かよ

100)10/01/03:22
 どいういことだってばよ?

101)10/01/03:24
 無意味な書き込みじゃ減らない……のか?

102)10/01/03:26
 あああ俺もうぜったいムリ
 もう首洗って待つは o rz

103)10/01/03:27
 カネか? カネなら払うから助けて!

104)10/01/03:28
 マジ怖え。怖くて書き込めねえよ。



 運営が「業の消費」という言葉を使ったのは最初に運営が立ち上げた板だけだ。それを受けてみんな、掲示板への書き込みが業を減らすという共通認識でいる。そして、現時点まで他の方法は示されていない。
 ……焦るよな、当然。真琴は、もし自分がたくさんの業を抱えていたとしたら……と想像し、掲示板に連なる悲痛な声に同調した。

 でも、ほんとになんであの板だけ名前が公開されたんだろう?
 真琴からみれば痛快だったが、運営がやったことはイレギュラーだ。
 そして書き込みにあるとおり、白石さん擁護にもみえる。
 みんなの中で、かえって白石さんが怪しくなったかもしれない。

 それにしても一方的なルール変更……。運営は学生たちが苦しむ姿を見て、腹を抱えて笑っているんだろうか?
 これからもどんどん新たなルール変更があって、学生はただそれに翻弄されながら10月10日、処刑の刻を待つんだろうか?

 いや、きっと何かの道が示される。これから……。
 みんなを処刑するのが目的なら、こんな……こんなまどろっこしいことをせずにさっさと処刑すればいいんだ。
 愛が言ったように、これから運営は学生たちに何かをさせようとするはず。
 そして、どんなに勝手にルールを変更されても、自分たちはそれに従うしかない。
 そう、黙って従うしかないんだ。……今は。

 それにしても……この囚われの若いエネルギーは相当なものだぞ、と真琴は思う。
 方向性が示されればそこに大挙する……きっと。追い込まれた若い集団は、集団であるが故に少々の犯罪など躊躇しないような気さえする。

 警察に期待……。それしか今は思い浮かばない。そういえば警察が本腰を入れて捜査することは運営にとって予測の範囲内だったんだろうか。
 ……まあ、これだけの規模、そしてこれだけの学生が罠にかかっているんだから、たぶん予定どおりなんだろうな。
 警察の捜査は今どうなってるんだろう。今日、サークルの前に現地本部……工学部の学食を覗いてみようかな。松下刑事がいたら声をかけてみよう。
 話しかけられるような雰囲気だったらいいけど……。


 業を減らす方法に煮詰まった掲示板は横道に逸れて、徳がどうしたら増えるかという話題になっていた。



123)10/01/06:28
 メッセージの内容によっても、たまーに増えてたような気がするな。
 まったく法則不明だけど。

124)10/01/06:31
 でも徳って貯めていいことあんのか?
 業と相殺できりゃいいのに。

125)10/01/06:35
 そういえば徳の特典って何があるんだろ?

126)10/01/06:39
 特典は分からんが、前期の結果、というか成績入力したら増えたぞ。けっこう


 そういえば、まだやってなかったな……成績の登録。
 成績を入力すれば取得単位数も出るし、学年が上がれば必要単位の把握にも便利……ではある。
 でも、これからも使い続けるんだろうか。……カレンを。
 真琴は考えた末、机のひきだしから成績表を出した。
 〝できるだけ徳を貯めてもらいたい〟という松下刑事の言葉を思い出したからだった。

 ちょうど成績の入力を終えたところでバイトに行く時間が迫っていた。
 家を出る前に、と思って真琴はカレンのステータスを確認した。

  287718B
  優等生
  徳:231
  業:041

 よし、久しぶりのバイトだ。
 真琴は制服をリュックに納め、もっすバーガーに向かう。


 急いで漕いだので、もっすバーガーに着いたころには息があがっていた。今日から10月だというのに暑い。
 真琴はアパートから僅か10分ほど自転車を漕いだだけで玉の汗をかいた。ハンドタオルを額に当てて汗を拭う。
 店舗裏、従業員用の入口から入ると休憩室にバイトの先輩、理学部3年の伊東京一がいた。伊東の手にはバイトのシフト表がある。

「おはようございます。今日から復帰します」

「ああ古川、待ってたぞ。いきなり土曜で大丈夫か? なんか妙に忙しいんだ、今日は」

「頑張りますっ。隊長」

 真琴は敬礼してみせた。伊東が優しく笑う。

「……うむ、健闘を祈る。で、これが今月のシフト。カレンのせいでみんなと連絡が取れないから、とりあえず夏休み前と同じように組んである。都合が悪かったら言ってくれ」

「了解しましたっ。……って、店長に聞けば電話番号なんてすぐに分かるじゃないですか」

 真琴の素朴な疑問に伊東が複雑な表情をする。
 ……あれ? なんか変なこと言ったかな……私。

「……悩んだんだよな、俺も。でも、いまさら店長にみんなの電話番号聞いたらバレそうじゃん。カレンのこと」

「あ、そういえばそうですね。カレンのことって、まだ広まってない……んですかね」

「それが分かんないんだ。でもニュースとかでは流れてないみたいだ。もしかしたら、あの……なんていったかな。警察がマスコミに『報道しないでね』って言うやつ」

「えっと……ああ、ありますね。なんでしたっけ……。あ、思い出しました。それは〝報道協定〟であります。隊長」

「そう、それそれ。そんなのだったら、ヘタに広めないようにした方がいいのかなって……考えたんだよ、俺なりに」

「さすが隊長、ご高察であります」

「そんなわけでこのシフト、まだ変更があるかもだけど、そんときは勘弁な」

 真琴は伊東からシフト表を受け取り、いまさらながら電話番号とラインIDを伊東と交換してから女子更衣室に向かう。

 真琴は更衣室でモスグリーンの制服に腕を通す。
 久々の感覚……。真琴はこの、働くための制服を身に纏う瞬間の気分が好きだった。

 チームの一員である証……。少し緊張するようで、そして少し憂鬱でもある。
 言葉にすれば嫌な要素しかないみたいだけど……。
 この気分を説明するにはきっと自分はまだ幼いんだ、と真琴は考えていた。
 大人になれば自然と分かるような気もしていたので、深く考えたりもしなかった。
 バイトのまとめ役である伊東は真琴がバイトを始めたころからよく面倒をみてくれたし、他のバイト仲間もいい人ばかり……。真琴は本心でそう思っていた。

 着替えを終えた真琴は「よし」と気合いを入れてからレジに入る。
 丸2ヶ月ぶりの戦場では、丸2ヶ月ぶりの懐かしい戦友たちが戦っていた。
 あくまでも職場なので再会の喜びは控えめだ。隊員古川真琴はあっという間に戦線に加わった。

 いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか……

 ご注文がお決まりでしたらどうぞ……



 そして午後2時半、真琴は今日の勤務を終えた。
 なんとかやり遂げた……。2ヶ月のブランクなどなかったかのように動いた……思う。
 とにかく働いている最中は余計なことを考える隙はなく、皆がそれぞれの任務に没頭していた。
 土曜の昼はまさに戦場……。ひとつのミスも許されない中で4時間、真琴は客に笑顔をふりまいた。

 バイト隊長、伊東は業務全体に目を配りながら、ときにキッチンをヘルプし、ときにカウンター業務に加わった。
 真琴は伊東の支えを背中に感じながら最前線で客に接した。

 また戻ってきたんだ、私……。なんとも言えぬ心地よい達成感に満たされながら着替えをした真琴は更衣室を出て、出入口がある休憩室に入る。
 そこでは昼のシフトを終えた戦友……バイト仲間たちが談笑していた。中心は伊東隊長だ。
 バイトはみんな広大生……。学部も学年もまちまちだけど、だからこそ生まれる空気があり、それは大切なものだった。

「まこっちゃん、おつかれ~」

「はい~。疲れました~」

「復帰初日にはヘビーだったよね~」

「はい、久しぶりですよ。この、笑顔が貼り付いた感じ」

「あ~分かる~」

「で、帰らないで何してるんですか? みんなで」

 皆が一瞬、黙る。その沈黙を伊東が受けた。

「カレンだよ。……今ならウチらしかいないからな」

 言われてみれば、今この部屋にいるのはバイトを終えた広大生だけだ。
 店長もいないし、社員さんもパートさんもいない。シフトが違うから。
 そうなると、カレンの話になるのは当然か……。でも、場にそんなに暗い空気はない。カレンの何を話してたんだろう。

「カレンの……何を話してたんですか?」

「あ、いや……このままカレンを使い続けるかどうか話してたんだ。古川はどうすんだ?」

「え、そうですね……。とりあえず10日までは使いながら様子見……ですかね。運営を無視するのも怖いですし」

「……だよな。古川はまだ半年だけど、長く使ってた俺たちはけっこう頼ってたんだよな、カレンに。その分愚痴も多いってカンジだよ」

「そんな、私だって……」

 言いかけて、やめた。カレンについて何かを語っても、かえって恥ずかしい思いをしそうな気がする……。理屈ではなく直感がそう告げた。

 そして真琴は「サークルがあるからお先します」と言ってそそくさと部屋を出る。「がんばって~」という声を背中で聞いたが、そこに好奇の色が混ざっている気がした。
 もしかしたら掲示板に書かれた私と島田くんのことを話してたのかもしれない……。

 自意識過剰……そうも思ったが、なにか妙な間、微妙に気まずい空気があった。今、確かに……。

 もやっとした気分でアパートに戻った真琴は、今度はプリント柄の白いTシャツと濃いネイビーの短パンに着替えた。そして卓球道具が入ったスポーツバッグを手に取る。
 よし、陰気なこと考えるのはやめよう。今からはサークルだ、理沙に会える。そしてたぶん、島田くんにも。
 会ってどうなるか分かんないけど、暗い顔して良いことはない。

 真琴は気持ちを切り替えて靴紐をきつく結び、再び家を出た。



 卓球サークル「ピンポンパン」が練習をする東体育館に行く途上、真琴は工学部の食堂を覗く。
 だが、大きなガラス窓の全部にブラインドが取り付けられていて、中の様子は見えない。
 どうしよう……入ってもいいのかな?

 気になることはいっぱいある。松下刑事に聞きたいことも……。
 ん? あれ? 何を聞いたらいいんだろ? 「犯人わかりましたか?」なんて聞くのもバカみたいだし……。
 暑さのせいでボーッとしてんのかな、私。


 真琴がそうして自転車に跨がったまま立ち止まっていると、食堂からワイシャツ姿の松下が出てきた。爽やかな笑顔で真琴に手招きしている。
 ……とりとめのない話でもいいかな。怒られることはないだろうし。
 松下の笑顔が真琴を吸い寄せる。真琴は自転車を食堂へ向けた。


「古川さん。連絡しようと思ってたんだ。さ、早く入って。あんまり人に見られないうちに」

「あ、はい」

 松下に促され、真琴は食堂に入る。食堂内は一変していた。

「これは……。警察署が引っ越してきたみたいですね」

 真琴の言葉に松下が「そう? ホントの警察署はもっと雑然としてるよ」と答えた。そして案内されたのは急ごしらえとは思えない立派な仕切りで設けられた小部屋だった。ちゃんとドアもある。
 机を挟んで松下が奥、真琴が手前に着席した。
 すぐに女性が入ってきて、コップに入ったお茶を出す。
 女性が退室してから、松下が切り出した。

「古川さん、古川さんは無事?」

「はい、今のところは。……まさか、また誰か犠牲が出たんですか?」

「いや、そんな把握はないよ。でもほら、ホントに分かんないんだよ。個別に脅されたりしてないかが心配なんだ」

「ああそうですね。そういうのも聞いてないです。私が知るかぎりでは……ですが」

 真琴の回答を聞いて、松下の顔に安堵が浮かぶ。

「よかった。肝心なことなのに、なかなか把握しきれないんだよ、被害の実態。……情けないけどね」

「……学生は非協力的、ですか?」

「ん? いや、そうじゃないんだよ。まあ警察もこんな事件は……少なくとも僕は初めてだからね。手探りって感じが強いんだけど、今の状態じゃ、実害を受けてもなかなか警察に言えない人が多いと思うんだ」

 確かにそうだ。真琴はふと、掲示板の書き込みのひとつを思い出した。
 〝カネか? カネなら払うから助けて!〟 そう書いている人がいた。
 要求額にもよるけど個別に金銭を要求されて、それに応じれば解放されるというのなら迷うことなく応じる人は少なくないだろう。
 私だって……分からない。お母さんに泣きついてお願いするかもしれない。

「目的が……まだ判らないんですね」

「そうなんだ。大々的なようでいて、そうでないような……なんともジリジリする事件だよ」

「警察や大学には何か要求がされているかもって予想してる友だちがいました」

「いや、それがないんだよ。あ、でも、警察が本腰入れて大学に乗り込んだのは運営の意図だよ」

「そう……なんですか?」

「うん。電話があったんだ。……匿名のね」

「……どんな電話だったんですか?」

 松下がちょっと考える顔をする。

「ごめん、それはまだ言えないんだ。例によって」

「いえ、それじゃあ仕方ないですよね。変にごまかされるよりいいです」

「ありがとう。助かるよ。ホント、教えてあげられることならなんでも答えるんだけどね」

「そういえば、昨日のアンケートの結果はどうだったんですか?」

「ああ、それなら……見てもらってもいい……と思う。ちょっと待ってて」

 そう言って松下は小部屋を出ていった。
 残された真琴はコップを手に取りお茶を飲む。
 よく冷えてるけど……うすい。香りが付いた水……そんなお茶だった。
 取調べ室ってこんな感じなんだろうな……。部屋の壁を眺めながらそんなことを思っていると、すぐに松下が戻ってきた。手には1枚の紙を持っている。

「おまたせ。これが昨日のアンケート結果。見せてもいいって言われたけど、口外しないでくれって」

「口外しないでって……。なんで私はいいんですか?」

「……古川さんは、言うの? 友だちに」

「言わないつもり……ですけど、私だけにっていうのも……ホントかな、と思って」

 松下がまた考える顔をする。言葉を選んでいるようだった。

「……古川さん」

「……はい」

「見てもらっていい。約束するかどうかは、見たあとで答えていいよ」

 松下さん、なんか意味ありげだな……。いいのかな、見ても……。真琴は机上のコップに視線を投げて逡巡する。
 心の内では「保身」と「関心」が綱引きをしていた。
 視線を正面に戻すと、松下はまっすぐ真琴を見つめている。
 穏やかだけど何かを祈るような表情……。それが「関心」の方の綱を引いた。

「……見せてください」

 松下は黙って紙を真琴に手渡す。受け取った刹那、真琴は松下の顔から表情が消えたことに気がついた。

 真琴は受け取った紙を広げる。A3……大きいな。
 そこには紙の大きさに見合うだけの情報があった。
 冒頭、左上には有効回答者数がある。

  5,928名(7,611名中)…77.9%

 この数はどうやら学部生だけの統計らしい。
 8割近く……。かなりの回答率だ。そして次に学年ごとの回答率があるが、4年生がやや低く、1年生が85%を超えていた。

 肝心のカレン利用率は

   H28度生:90.2%
   H27度生:93.6%
   H26度生:83.0%
   H25度生:58.5%

となっていた。アンケートに加わらなかった人が全員カレンを使っていなかったとしても、1年生から3年生まではカレン利用者の方が多数派だ。

 真琴は食い入るように資料を見て情報を取り込む。

 運営に握られた爆弾……つまり9月28日の午後8時以降に最初にカレンを立ち上げた時に再生ないし表示されたものの内容については、真琴と同じ〝性に関するもの〟が約42%で最多だった。
 次いでインターネットの検索履歴、動画の閲覧履歴となっており、これも恥ずかしいものの類いであることは想像できる。
 真琴は自分が少数派ではないことに少しだけ安堵したが、それは束の間で、真琴の関心はさらにその次、順位でいうと4番目に多いという項目に向けられた。


 4 その他犯罪行為にかかるもの:7.2%


「……なんですか? この、犯罪行為にかかるものって」

 言いながら真琴は松下を見る。まだ松下は表情を消していた。そして淡々と答える。

「それは言えない。……例によって」

「でも、気になりすぎますよ……これ」

 ここでやっと松下に表情が戻ってきた。瞳に優しさが灯る。

「うん。これは僕たちも予想してなかった結果なんだ。そもそもアンケートの回答項目に用意してなかったしね」

「……そうですよね。じゃ、これは……アンケート上では〝その他〟だったんですね」

「そう。〝その他〟の部分に『できるだけ具体的に書いてください』という欄を設けておいたから、そこに書かれていたんだ」

「何……が書かれてたんですか?」

「ごめん、具体的なことは言えないんだ。でも、とても一括りにはできないということは言える。単に『警察に捕まるようなこと』って書いてあるのもあったし、友だち同士で無免許運転や飲酒運転の武勇伝を語っている音声というのもあった。これは無記名で実施したからこそ得られた貴重なデータだよ」

「……口外できませんね。とても」

「うん。お願いするよ」

 真琴は資料に目を戻してさらに精読する。
 学年ごとの徳と業の分布……。曲線はおおむね標準偏差に近い。
 ……って、え? ……あれ?


「気がついたみたいだね」

 動きを止めた真琴の頭上から松下が声をかける。真琴は顔を上げた。

「……これ……は、なにかの間違いじゃないんですか?」

「間違いじゃない。そして無記名のアンケートなんだから、たぶん事実なんだよ」

「え、でも私、別に、特に……なにも……」

「分かってる。古川さんは特別じゃない」

「はい。そうですそうなんです。なんなんですか、これ」

 松下は穏やかに答える。

「古川さん落ち着いて。判らないんだ。……なんにも。でも客観的にみて〝何かある〟……そう思わない?」

「……思いたく……ない……です」

「古川さん」

「………はい」

「僕はこれ、運営が見せた数少ない心……隙のような気がするんだ」

「……わたし、なにも……」

「分かってる。でも、なにかの手掛かりになるかもしれない」

「どうしたら……いいんですか?」

「これ……この1人が古川さんだっていうことはまだ誰にも報告してない。でも現地本部……というか大塚班長は探してる」

「……探して、どうするんですか?」

「古川さん」

「はい」

「警察は、この1人を見つけたら正式に警察の協力者として運用したいとお願いするつもりだよ」

「……協力者、ですか?」

「うん。これもまた、いいことはなんにもない。あるのはリスクだけ。捜査の情報は他の人より聞かされるから、好奇心は満たされる……かもしれない」

「好奇心は……殺しますよ、人を」

「そのとおり。だから無理強いはしないよ。古川さんの危険が増しても今のところ警察は守る術がないから安全の保証もできないからね。古川さんが引き受けられないなら警察は他の手掛かりを探すだけ。これで深刻になることはないんだ」

「でも、怖いです。……これ」

 真琴は泣きたくなってきた。資料の文字が滲んでくる。

 松下も黙って資料に目を落とす。二人の視線の先にあるのは、明らかにイレギュラーな場所にある「1」だった。


 1年生の徳の分布……。なだらかな曲線を描いたグラフの下にある母数を示した表……。
 そこにある、まるで間違いみたいな……1。


  220~:0
  210~:0
  200~:1
  190~:0
  180~:0
  170~:0
  160~:0
  150~:0
  140~:3
  130~:8
  120~:21
  110~:53
  100~:101
   90~ ……


「……松下さん」

「うん」

「わたし、今は……もっと上にいます」

「そうなの?」

「はい、昨日からまた増えて、もう……230超えてます」

 それきり真琴は何も言えぬまま、うつむき続ける。

 警察の協力者……。きっとリスクは大きい。
 でも、この不自然に突出した背番号「1」を背負ったまま普通に過ごすのも怖い。
 このアンケート結果は松下さんが言うとおり、運営側からみて自分が何か特異な存在だという臭いがプンプンする。

 ここ何日かの行動で、自分は無意識のうちに〝その他大勢〟という枠組みから外れてしまったんだろうか。
 いろんな人から「目立つな」と言われていたのに……。
 いや、それは違う。徳は、それがSTDと呼ばれていた頃からの積み重ね……。つまりカレンが豹変する前から1年生の中ではもともと突出していたんだ、私の徳は。

 なんで? どうして……今までの私のどこが特別だったというんだろう。
 誰かにすがりたい。誰かに「心配ないよ」と言ってもらいたい……。

 松下さんは無理強いはしないと言った。
 そして……安全を保証できないとも。

「……古川さん」

 沈黙する真琴の頭の上から、松下の優しい声がする。
 真琴はゆっくりと顔を上げて松下を見る。

「この件は、今ここで決めなくていいよ」

「……そう……ですか」

 この、徳の実態を知らされて真琴はすっかり心細くなっていた。
 いっそ警察に身を委ねて、すべて警察の指示で動いた方が楽なのではないかとも思いかけていた。

「古川さんは今、こんなこと知らなければよかった。……そう思ってる?」

 知らなければ……か。それはどうだろう。
 この気分はそこまで単純じゃない。

「え……と、いえ、怖いですけど……怖くてショックですけど、知らないままでいる方がもっと怖かったかも……。そんな気分ですね」

「うん。よく解る。ホント、なんなんだろうね、これ。古川さん自身に心当たり……ないみたいだね、その様子じゃ」

「はい、まったく。私、なんにも目立ったことしてないです。大学に入ってから」

 そう、そうだ、そのはずだ。口に出した言葉が自らを励ます。私は特別なんかじゃない、と。
 自分が何かで突出するなんて、それもこんなに際立って……ずば抜けて。
 あり得ないと言いたいところだけど歴然とした事実らしい。本当に、何がどうなっているんだろう。

「それじゃ動揺するよね。いきなりこれは」

「はい。……助けてくださいよ。松下さん」

 真琴の懇願に、松下が困った顔をする。

「助けたいよ……本当に。古川さんのことはもちろん、僕たちは罠にかかった広大生みんなを助けたい。だから古川さん、君にはこれからも僕に協力してもらいたいんだ」

「……協力者として、ですか?」

「ん? ……ああ、それは大塚補佐……班長の希望だよ。僕の個人的な意見としては、正式に協力者になることは辞退……というか聞かなかったことにしてもいいと思う」

 松下の口から意外な言葉が出た。真琴はその意を確かめる。

「それは……どういう意味ですか?」

「危険だからだよ。警察では、徳が高いというのは運営から好評価を得ているということだと考えている。そして、徳が高い学生を運営に接近させて、あわよくば交渉に持ち込みたいと思ってる」

「運営に……接近? できるんですか? そんなこと」

「鍵は〝徳の特典〟だよ。古川さんはさっき、徳が230を超えてるって言ったけど、運営からどんな特典を受けてる?」

「え、えっと……自分で新しい掲示板を立てられることです」

 松下がわずかに首を傾ける。

「230を超えたのは……いつ?」

「……今日の朝、バイトに行く前にカレンで成績を入力したときです」

「そのあと、バイトが終わってからカレンを開いた?」

 そういえば開いてない。徳の値が増えたのを確認しただけですぐに家を出て、それっきりだ。

「いえ、開いてません。言われてみればSNS機能がなくなったんで、あんまり開く必要がなくなりましたね、カレン」

「古川さん。今、開いてみて。たぶん、運営からお知らせが届いてる」

「……そうなんですか?」

 真琴は半信半疑だったが、言われたとおり携帯電話でカレンを開く。ホントだ……来てる。
 松下が言うとおり、カレンの〝運営からのお知らせ〟というメニューの〝あなたへのお知らせ〟にNEWの表示がある。真琴は恐る恐るその内容を見る。


〝徳230突破おめでとうございます! 特典として、あなたはカレン上でアンケートを実施できるようになりました。是非とも有意義に活用してください!〟


「……松下さんは、どうして知ってたんですか? この、特典のこと」

「うん。警察が獲得した協力者のひとりに、徳が400を超えている子がいるんだ。だから、そこまでの特典については警察も把握してる」

「どんな……特典なんですか?」

「……言えない。ごめん」

「そうですか……」

 知りたいような知りたくないような、不思議な気分だ。正式な協力者になることを引き受けたら教えてもらえるんだろうか。
 真琴が黙っていると、松下がポツリと言う。

「いまから独り言を言うよ。口外されるとみんなが混乱するから困るんだけどね」

「…………。」

 真琴は再び机上に視線を落とし、松下の言葉の続きを待つ。

「ある掲示板が匿名じゃなくなった。これは運営がやったことじゃなくて、誰かが特典を使ったんだ」

 松下がこぼした意外な事実に真琴は一瞬、目を見開いた。
 白石さんの悪口が書かれた掲示板……。あそこの名前が公開されたのは、ひとりの学生の判断だということか。

 真琴の驚きを確かめたあとで松下は続ける。

「他にも、徳の特典はいろいろあるみたいなんだよ。その、徳が400を超えているその子の携帯では、掲示板の書き込み全部が名前付きだった」

 ……え? 真琴は松下の言葉が意味することを考える。つまり例えば、私の秘密を書き込んだのが誰なのかというのも分かるということか。ここで真琴は思わず顔を上げた。
 松下の顔は、真琴の心中を見抜いているようで、少し悲しげに見えた。

「全部ってことは、つまり、私の好きな人のことを書いたのが誰かってことも分かってる……んですか」

「独り言だよ。でも、誰がどの書き込みをしたのかは全部分かってる。もょもとに感謝の言葉を書き込んだのが誰かということも、ね」

 松下さんは私が書き込んだことを知っている。じゃ……本当なんだ。

「古川さん。僕の独り言は胸に留めてね。みんなが知ったら大学が混乱して、ヘタを打つと運営が予告なく引き金を引くかもしれない。もはや目的を果たせないと運営が判断してしまったらね」

 松下の言葉は真琴の耳に入らない。
 誰が……誰が私の秘密を書き込んだんだろう。
 知りたい。知って問い詰めたい。真琴はその気持ちをなんとか抑えた。

「ほか……ほかにどんな特典があるんですか? 徳には」

 ついさっき「言えない」と言われたばかりなのに聞いてしまう。

「言えないんだ。でも、その子は言ってたよ。『まるで自分が運営の一部になったみたいで怖い』って。あと、『あの醜い掲示板の名前を公開にした気持ちはよく解る』ともね」

 自分が運営の一部……か。確かに、掲示板の書き込み全部に名前が表示されるだけでも相当なものだろう。

 徳が上がるにつれ、カレン上での権限が強くなる……。

「松下さん」

「うん?」

「その、徳が400を超えている協力者がいるなら私は無用、なんじゃないですか?」

「……古川さん、カレン上で、徳の上位50人は学籍番号を公開されてるよね」

「そういえば……そうでしたね」

「その中でも本当に上位にいる学生たちは、みんな揃って口を閉ざしてるんだ」

「……そうなんですか?」

「うん。申し合わせたように学生説明会も欠席してるし、警察からアプローチしても、みんな『怖いから何も言えません』という感じなんだよ」

「……怖いから、ですか」

「そう。言い方はそれぞれだけど、とにかくウチら警察とは関わりたくないみたいなんだ。怖いからっていう理由は他のみんなと同じ、秘密を晒されることを指してる。それを言われると警察としては強制できないからお手上げだよ。そんな風で、上位50人に入ってる中でなんとか協力してくれることになったのが、徳が400を少し超えた子なんだ」

「……気になりますね、なんか」

「うん。いちばん徳が高い学生は値が600に近いから、何か運営に繋がるような特典……権限を持っていると思うんだけど、ずっと家に閉じこもってる。そして僕たちは門前払いだよ」

「大きな……権限……」

「それがなんなのかは判らないけどね。それで話を戻すけど、警察が古川さんを協力者にしたいというのは、単に徳が高いからじゃないんだ。カレンを使い始めてまだ半年、1年生の中では明らかに不自然だからなんだよ。なんていうか、運営の尻尾が掴めそうな、そんな期待があるんだよ」


 そうなのか。まあ、客観的にみればそう言われても仕方がないな。……たしかに。

 でもやっぱり怖い。警察に接近しすぎるのも、そして……何もしないのも。


「暗い顔しないで、古川さん」

「はい……」

「とりあえずこの話……1年生の頂点の正体が古川さんだっていうことはウチの人間にも言わないでおくよ。もう少し考えてもらっていい。なんといっても今はまだ、警察は安全を保証してあげられないんだから」

「……わかりました」

「でもね、僕と……というか警察との接触を完全に絶つのはやめてほしいんだ。これもあくまで、お願いなんだけどね」

「どうしてですか?」

「学生は被害者で、古川さんはそのひとりなんだ。そして警察の仕事は被害者を救うこと。被害者の状況を知らずして被害者のための仕事はできないよ。かといって、人数が多すぎて全員と話はできない。古川さんはたまにここに来て、事件が片付くまでのあいだ、僕と世間話をしてくれるだけでもいいんだ。被害者から直接、リアルタイムで被害の実態を教えてもらわないと警察は判断を誤るよ」

「……ああ、たとえば、いちばん初めに松下さんが私に聞いた『個別に要求があってないか』というのも大事な話……。そういうことなんですね」

 松下が大きくうなづく。

「そう。警察は常に被害状況を正確に把握していたいんだ。そして世間話の中にも思わぬヒントがある……。これはそんな事件……そういう気もするんだ」

「……わかりました。私一人のときはできるだけ顔を出します」

「ありがとう。あ、でも急を要するときはすぐに電話して。いつでも出るから」

「はい、ありがとうございます」

「古川さんの徳が突出してる件も、理由はさておき今のところ特別に危険だという臭いはしない。どうか冷静にね」

「わかりました」

 ここでようやく気持ちが落ち着いてきた。


「古川さんは、これからサークル……かな?」

 真琴が足元に置いたスポーツバッグを見ながら松下が言った。そういえば、もうサークルが始まる時間だ。

「はい、久しぶりなんでちょっとドキドキしてます」

「何のサークル?」

「卓球です。……地味ですよね」

「いや、そんなことはないよ。あんまりチャラチャラしたイメージがない分、むしろ好感が持てるね。そうか、卓球か……」

「どうかしたんですか? 卓球が」

 松下がなんだか言いにくそうに「いや、あの」と前置きしてから言う。

「その……今の格好は、卓球する格好だよね?」

「はい、そうですね」

「道理でね。あんまりにも露出が多いな、と思ってたんだ。正直、おじさんには眩しくて、目のやり場に困ってたんだ」

「え……」

「いやあの、変な意味じゃないんだ。体育館は暑いだろうからね、うん」

「こんなカッコ、大学じゃ普通ですよ」

 これに松下がすかさず返す。

「大学での普通が、世間の普通とは限らないよ。古川さん」

「え……」

 松下の口調がなんだかお説教みたいな雰囲気に変わったので、真琴は戸惑う。

「広大は、平成のはじめに引っ越してきた名門の国立大学だ。それ以来この街は、この大学を中心に発展したけど、根っこはぶっちゃけ……ド田舎なんだ」

「……そうですね」

「他の学生に埋もれてて自覚はないかもしれないけど、そんなに露出の多い服装で、人通りの少ない所を朝晩問わず一人で行動するのは危険なんだ。……本当に」

「そう……ですか」

「広大の女の子を見てると思うんだ。もっと客観的に自分を見て、警戒してほしいって。公になりにくいから、なかなか注意喚起も難しいけど、広大生の性犯罪被害はハッキリ言って多すぎる」

「そうなんですか?」

「そうだよ。大学が引っ越してきてから間もない頃は、わざわざ他の県から犯罪者がやって来てた。無防備な獲物を求めてね。でも、20年経った今も被害の件数そのものは高止まりだよ」

「……気を付けます。これからは」

「うん。特に古川さんはその……可愛いんだから、気を付けないと」

 突然おだてられて真琴は反応に困る。
 可愛いって……こんなストレートに言われたの、初めてかもしれない。
 その真琴の心理を見透かしたように松下が言う。

「古川さん……今、心が動いたよね?」

「……はい。いきなりその……可愛いなんて言われたんで……なんて返したらいいのか……」

 松下が笑う。

「古川さんはこれから、こんな甘言は軽くあしらうくらいにしたたかにならなきゃダメだよ。性犯罪の被害っていってもパターンはひとつじゃない。いきなり車に押し込まれるようなのはむしろ少なくて、話術でうまいこと丸め込んで、油断して付いていったら……っていうのが多いんだ。古典的だけどモデルの勧誘なんて手口もいまだに多い。着いた先には何人もの男がいて……。それこそカレンじゃないけど、全部を撮られて……」

 真琴の顔色が悪くなったのを見て松下が話を止める。

「ごめん、古川さん。怖がらせ過ぎたね」

「はい……いえ、いえ……はい、怖い……です」

「でもこれは現実、古川さんの身近で本当に起こっていることなんだ。でも、気持ちひとつで危険はグッと減る。どうか気を付けて」

「わかりました」

「カレンに話を戻すけど、古川さん、運営の目的ってなんだと思う?」

「運営の目的……。判りません……けど、みんなが掲示板に書いているように、業の多い人を懲らしめようとしているとは思います」

「それは何のために? 古川さんの想像でいいよ」

 ……何のために、か。復讐にしては対象が不特定過ぎるし……。
 いや、でも……大勢に紛れさせて標的を、というのもアリか。それにしても回りくどい。

「……いえ、判りません、やっぱり」

「うん。でもきっと、運営には運営にとっての大義がある」

「……そうですね。それは感じます」

「ひとつの可能性、聞いてくれる?」

「はい」

「運営は、今の大学の状況を憂いている。学生の質、学内の秩序、社会的評価……」

「……はい」

「カレン運営は、もしかしたらこのまま何もしないかもしれない」

「え?」

「このまま何もしなかったらどうなるか。10月10日を過ぎても誰も処刑されない。誰も処刑されないまま、1ヶ月経っても、2ヶ月経っても運営は尻尾を掴ませない」

「……どうなるんですか?」

「そうなったときの学生の気持ちは古川さんが想像したほうがリアルだよ。で、警察はどうするかというと、捜査と警戒を解くわけにはいかないから、体制を縮小して構内に居座り続ける。制服の警察官も、私服の警察官もね。これは間違いなく学内の秩序、治安を向上させる。ま、学生はたまったもんじゃないだろうけどね」

「日本は大学自治に過敏……私の父はそう言ってます」

「そう、そんな事態は異例だ。だから大学は、構内に警察が常駐することを世間に隠し続けられない」

「……じゃ、どうするんですか?」

「公にするんだ。そういうモデル大学として。構内を警察が守る治安の良い大学……。逆に売りにするんだよ。子を入学させる親には歓迎されるよ、きっと」

「それは……そうかもしれませんね」

「ひいては学生の質の向上、大学の評価の向上にも繋がるかもしれない。今、大学はどこも地位の向上に必死……そしてその中で、旧帝大に近い評価がありながらも旧帝大ではない広大は、少なからぬ危機感があるはずなんだ。妙手を打つ可能性はある」

「大学が、運営の正体だということですか?」

「そんなに単純じゃないだろうけどね。でも、現状を憂いている人はいるはずだよ」

 松下はそう言いながら、机上のアンケート結果の一部を指差した。真琴はその指先の文字を見る。


  その他犯罪行為にかかるもの:7.2%


 大学は今、乱れている……。そういうことか。
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