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3 宣告
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午前10時少し前、真琴は東体育館の入口にいた。
気持ちが昂っているのだろう。一睡もしていないのに眼はもちろん、頭も冴え渡っている。
近くにある学生棟の方からは、ガヤガヤと学生たちの声が聞こえる。
罵声や怒号は聞こえないので暴動などにはなっていないようだが、かなりの人数がいることは判る。真琴は高校の学園祭を思い出した。
やがて自転車置場に理沙の姿を認めた。理沙も真琴の方を見たので、お互いに小さく手を振る。
「ゴメン真琴、待った?」
「待ったっていうか、早く来た。……眠れなかったからね」
「私も。あのまま真琴の家に泊まればよかった」
「ホントね。私、一晩中カレンいじってた」
「うん。……ね、晒されたね……2人も」
「あんまりだよね。……アレは」
「あの晒されたヤツ、全世界に発信されてる。結構伸びてるよ。……再生数」
「……え?」
真琴は思わず聞き返した。……全世界?
「ホラ、2人の動画が晒されたときのお知らせに書いてあったじゃん。パオドゥでも見れるって」
……そういえばそうだった。真琴はカレン上でしか動画を見ていないが、確かに書いてあった。「カレン動画とパオドゥでご覧になれます」と。
全世界に発信されてる……。それはネット上から永久に消えないというのと同義だ。
真琴はパオドゥという動画サイトを使ったことはなかったが、一般的な知識として、専用のアプリを使えば動画サイトにアップされている動画をダウンロードできてしまうことは知っていた。
一生消えない傷だ、これは……。
私だったら立ち直れるだろうか。
真琴は晒された2人を案じ、もょもとが掲示板で報告していたとおりの手厚いケアがなされていることを切に願った。
「……理沙、警察は強制的にネット上から削除したりできないのかな?」
「うーん、どうなんだろ? でも、警察が動いてくれるんだから、きっと捕まるよ、犯人。私、犯人が誰なのか早く知りたい」
理沙も〝勇者もょもとの戦い〟を見たのだろう。警察が動いてくれるということで楽観的になっているのが雰囲気で判る。
「理沙、あんまり楽観しない方がいい。警察は本腰入れるって言ったらしいけど、現にまだカレンのサイトは生きてるし、動画も消されてないじゃん」
「だね。犯人捕まるまでは晒されないように大人しくしとかなきゃね」
いいんだろうか、その程度の認識で……。昨日理沙は、握られた秘密は親にも打ち明けられないと言ってたのに。
「……理沙、アンタ心配じゃないの?」
理沙と自分の心境に隔たりを感じた真琴は尋ねる。
「え? ……そりゃ心配だよ。だから大人しくしとかなきゃって思うよ。警察が犯人捕まえる前に晒されたら大変だし」
「簡単に捕まると……思うの? ……理沙は」
「簡単かどうかは知らないけど、こんだけおおっぴらな騒ぎになって、捕まらないことはないんじゃない? それに、掲示板見ると自分だけじゃないんだって判ったし」
……自分が心配しすぎなんだろうか。かろうじて共通しているのは「大人しく」という部分だけど、根本的な何かが違うような気がする。
でも、ここで私が理沙に何を言おうと、そして理沙が私の言うことに神妙な返事をしたとしても、きっと理沙は「真琴は心配性だなあ」と思うだけ……。
一度不安から目を背けて安堵に浸ってしまった心はそう容易く翻らない。
きっと心を正常に保つための防御本能のようなものがそうさせているんだから……。
真琴は、理沙の不安を呼び覚ますことに利はないと考え、あえて反論しないことにした。
「行ってみよっか。学生棟」
「うん、行こ。もういっぱい来てそうだし」
真琴と理沙は学生棟に向かう。その途上で真琴は、同じものを抱えていても感じる重さは個の性質に依るという、人の心の不思議について考えていた。
すぐに学生棟が見えてきた。500人くらいか……。やはり相当な人数だ。
だが、その人だかりを直に見ても、雰囲気はやはり学園祭のそれに近かった。
それも、祭りのあとの……。
学生棟の前に着いた。集まっているのはほとんどが男子学生だった。そのなかに理沙が知り合いを見つけて尋ねる。
「ね、ね、どうなってんの? 今」
「ああ清川か。どうもこうもねえよ。中に人はいるけど、俺たちは門前払いだ」
「……どゆこと?」
「学生課な、今は警察が調べてるんだ。んで、入口には貼り紙がしてある」
「貼り紙?」
「ああ、明日の午後イチ、大講堂とかほかの大きな講堂いくつかで説明会があるらしい。見といた方がいいぞ、学部で場所が振り分けられてる」
「そうなんだ……。学生課が調べられてるってことは、大学の関係者が犯人なの?」
「それはわかんねえよ。でもカメラが仕込まれた家電とかは、構内で売られてたろ? 調べられるだろ、当然」
「そっか……じゃ、明日の説明会まではどうしようもないのかな」
「ま、そうなるな。だから俺はもう帰る。帰って寝る。……あ、そうだ清川、お前のラインID教えてくれ」
「あ、うん、そだね」
理沙はその男子とID交換したのを皮切りに、他の知り合いとも連絡先を交換し始めた。
真琴は人だかりを見渡して考える。そうか、門前払いされても人が捌けないのはこのためなんだ……。
カレンの豹変によって遮断された通信網の復旧作業……。よく見ればこの場にいる人はすでに集団ではない。目的を共有していないのだ。
各々が知り合いとIDなり電話番号を教え合っている。真琴も友達を探してその作業に入った。
真琴がその場にいた知り合いとあらかた連絡先交換を終え、不安な昨夜について学科の友達と語り合っていると、学生棟の出入口の方にざわめきが起こった。
見ると、建物の中から「捜査」という腕章を着けた刑事たちが出てきていた。10人以上いる。
建物内での用件を終えたと思われる刑事たちは、今度は学生から話を聴くべく、近くにいる学生に片っ端から声をかけている。
警察への協力……。真琴は、喧騒に消えた勇者、もょもとのことを思い出した。
刑事たちに対する学生の反応は大きく2つに分けられた。
ひとつは、多勢を駆って刑事を質問攻めにする人たちで、もうひとつは、そそくさとその場から立ち去ろうとする人たちだった。
……どちらも協力ではない。真琴はもょもとの書き込みを思い出す。
警察に協力してくれ……。あの勇敢な人はそう言った。そしてみんなが了解したはずだった。それなのに。
……情けない。目の前の光景に真琴はやるせなさを禁じ得なかった。
みんな……この程度なの?
真琴は意を決して、理沙に「ごめん、バイバイ」と告げてから、刑事を囲む男子学生の一団に歩み寄る。
そして男子たちの肩越しに刑事に声をかける。
どいてよ。……腰抜けは。
「あの、私、お話しします」
男子学生たちが真琴の方を見たが、真琴は口を固く結んで睨み返した。
自然と眼前に路ができる。……ふん。
「ありがとう。お願いします」
刑事は穏やかに真琴を見つめ返す。
そして真琴は刑事と一緒に学生棟に入る。
真琴に触発されてか、何人かが刑事たちに協力を申し出ていたようだった。
真琴は学生棟の廊下を刑事と並んで歩く。刑事は背が高く、30歳くらいの優しい雰囲気の人だった。
「……大変なことになったね、広大」
声も優しい……。低くて落ち着きのある、相手を安心させる声だ。
警察なら、あっという間に犯人を捕まえてくれるかも……。真琴はそんな気さえしてきた。
理沙に偉そうなこと言えないな、これじゃ。
「学生課を調べて、なにか分かったんですか?」
真琴が尋ね、それに刑事が優しく答える。
「いや、まだよく分からないんだよ。調べるべきことは定まった……。そんなかんじだね」
「……そうですか」
刑事が足を止めたのは、小さな事務室の前だった。
「この部屋を借りてるんだ。さ、入って」
促されて真琴は事務室に入る。事務机が……5脚くらいか。ここは普段誰が使ってるんだろ。
面接をするような造りにはなっていないので、真琴と刑事は横並びの机に着く。
ええと、と言ってから刑事が切り出した。
「助けてくれてありがとう。いきなり取り囲まれてビックリしてたんだ」
助けてくれてありがとう……か。
本当に、あの男子学生たちの振舞いにはガッカリした。真琴は思ったままを口にする。
「いえ、あの男子たちを見てたら、なんか情けなくなって。……刑事さん、ウチの学生、あんな人たちばっかりじゃないんです」
真琴の言葉にうなづきながら刑事が微笑む。
「うん、分かってる。広大生は優秀だよ。みんな平常心を失ってるだけ。僕らもちゃんと分かってるよ」
よかった。真琴は自分が苦労して入った大学が変な評価をされていないことに安心した。
「早速だけど、君は……1年生、かな?」
「はい。教育の理科です」
「名前から教えてもらっていいかな。あ、僕は県本部にあるサイバー犯罪対策課の松下というんだ」
そう言って松下刑事は警察手帳を示したあと、真琴に名刺を差し出した。肩書きは主任、階級は巡査部長と記載されていた。
真琴は自分の名前と生年月日、それと携帯電話番号を松下刑事に伝えた。
「古川真琴さん……綺麗な名前だね。ええと、昨日は大変だった?」
「大変……でしたね。親にも来てもらいました。結局一睡もできませんでした」
「親御さんに相談できたんだ……。うん、それが正解だと思うよ」
「はい。きっと、親にも言えてない人がたくさんいると思います」
「古川さんは、その……例の、というか、春に構内のテントで家財を買った?」
「はい、そうです。刑事さん、あの売場って春だけなんですか?」
「どうもそうらしいね。3年くらい前から毎年、春に新入学生が入学手続きをしたりアパート探しをしたりする時期に設置されてたみたいだね」
「単純に考えれば、その業者が犯人ですよね」
真琴の言葉に、松下刑事の表情が少し曇る。
「単純に考えれば、ね。でも、現実はそこまで単純じゃなさそうなんだ」
「そうなんですか?」
「もちろん無関係ではない。だから警察はその業者を特定して、今、警察署で事情を聴いてる」
「え……。もう業者を捕まえたんですか?」
「捕まえたっていうか……。まあ、テントを設置していた人間は確保したよ。昨夜のうちに」
いちばん怪しいと思われる人間を確保したというのに、松下刑事の顔は暗い。
つまり業者はハズレ……。犯人ではなかったということなんだろうか。
「……その業者は、主犯じゃないんですね?」
「ん? ……ああ、うん。主犯じゃないというか、共犯ですらない……かもしれない。この騒動の大元を考えれば」
ん……。気になる言い方だ。どういう状況なんだろう。
真琴の疑問が顔に出ていたのだろう。松下刑事が申し訳なさそうに言う。
「古川さん。君はまだ若いから、今まで警察と関わったことなんかない。違うかな?」
「え……まあ、そうですね」
「警察っていうのは嫌われ者なんだ。嫌われるのが宿命なんだよ」
「え? そんなことは……」
そんなことはない。真琴は本心でそう思っていた。
確かに警察は恐いイメージがあるし、あまり関わりたくはないけど、みんなのために悪い人間を捕まえてくれてるんだ。
警察を嫌うのは、自分に後ろ暗いところがある人だろう。真琴はそう考えた。
「悪い人間からは当然嫌われる。まさに敵だからね。でも、僕が今言ってるのはそこじゃない。警察に協力してくれる人からも、結局は嫌われることが多いんだ」
「どうして……ですか?」
「警察は、警察が聴きたいことを聴くばっかりで、みんなが知りたいことは全然教えてくれないからだよ」
……そう……なのか。言われてみればそうかもしれない。
でも、それは仕方のないことだろう。
「それは仕方がないこと……。古川さん、今、そう思ったのかな?」
「はい。でも、実際そうですよ……ね」
松下刑事がにっこり笑う。ほんとに感じのいい人だ。
少なくともこの人は嫌われることなど無いように思えた。
「そう理解してくれると助かるよ。お互いに聴きたいことが山ほどあるのに、僕が古川さんに教えてあげられることなんかほとんどない。現に、売場を設置していた業者が何者なのかも話せない。それに古川さんは優しそうだから、昨日犠牲になった2人がどうなっているのかも心配だろうけど、それも話せないんだ」
そうだった。2人は大丈夫なんだろうか。
「2人は……大丈夫ですか?」
「僕から言えるのは、警察はできる限りのケアをしている、ということだよ。何をもって大丈夫というのかは人による。恥ずかしいものを晒された時点ですでに大丈夫じゃないんだ。僕はそう思う」
「……そうですよね」
「ね? こんな具合で言えないことだらけなんだ。教えてあげられることは教える。でも、そうだな……たとえば誰かが勇気をもって警察に話してくれたことを、今ここで僕が古川さんに教えたら、古川さんは逆に僕を信用できなくなるだろ?」
そうだ、確かにそのとおりだ。誰かが警察に話したことを警察が私に教えてしまえば、それは翻って私が話したことも広まっていくことを意味する。
「教えないことが信用……なんですね」
「やっぱり広大生は優秀だよ。いまの理屈、世の中には納得してくれない人の方が多い。他人はさておき我こそは知るべきって意識の人がね」
「そうかも……しれませんね」
「さ、前置きが長くなった。僕は古川さんが知りたいことにはほとんど答えられない。それなのに僕は古川さんにいろんなことをしつこく尋ねる。この最低の条件でも、この騒動を解決するために警察に協力してくれる?」
松下刑事は誠実だ。真琴は即答する。
「もちろんです。……できるかぎりで」
真琴の返事を噛み締めるように聴く松下刑事は心から嬉しそうだった。
松下刑事はノートと資料を広げ「さて、じゃあ何から聴こうかな」と考えている。
真琴は松下刑事にお願いをしてみることにした。
「あの……松下さん」
「ん? なんだい?」
「お願いをしてもいいですか?」
「お願い? どうぞ。僕にできることなら」
「はい。今回の騒動で、今、警察がどんなことを把握していて、どんなことを捜査しているのか、さっき松下さんが仰った……教えられる限りでいいので、まずそれを教えていただけませんか。それを伺ったら、あとは何も質問しませんので」
松下刑事はペンを額に当てて少し考える、そして何かに納得するようにひとつ頷いてから言った。
「古川さんは相当に賢いね。いい段取りだよ、それ。それなら古川さんは僕から聞いた情報を踏まえて答えることができる」
「はい、ぜひお願いします」
「わかった。……まず、警察が今回の騒動を知ったのは、昨日の21時過ぎに一人の学生が西條署に駆け込んできたのが最初だった」
……もょもとだ。真琴はうなづきながら松下の話を聴く。
「警察はこの時点まで、カレンというアプリの存在を誰ひとりとして知らなかった。だからこの、署に駆け込んできた子の話を、初めはネット詐欺のようなものだと思って聴いていたんだ。ところがこの子は冷静で、カレンが改変されたときに流れた動画を別の携帯で撮っていたんだ。だから署の刑事はすぐにこれを脅迫事件と捉えた」
うん、もょもとの報告のとおりだ。
「脅迫事件として話を聴いている最中に、学生2人の動画がアップされた。アンインストールしたから……ただそれだけの理由で。そして西條署は本部に、この事件が計り知れない数の被害者予備軍を抱えた大事件の可能性が高いことを伝えて、そして本部の捜査員が集められた。警察も、いつ次の被害者が出るかも分からない状況に戦々恐々だったよ」
それは想像に難くない。署は大騒ぎだっただろう。
「すぐに大学の関係者も呼んで話を聴いたし、学生が持ち込んだテレビも分解した。そしてカレンというアプリのプログラムの分析作業を始めると同時に、アプリを公開している株式会社CURRENTや、盗撮家電をバラまいた業者の実態を捜査した。西條署に駆け込んできた子は本当に賢明で、持っている2台の携帯の片方はカレンを立ち上げないままにしていたから、警察はアップデート前のカレンのプログラムをすぐに入手できたんだ」
「大変でしたね。警察も」
松下は、真琴の言葉を「大変なのはこれからだよ」と受けてから続ける。
「そして判ったこと……これはだいたい明日の学生説明会で話されることだけど、明るい材料がほとんどない」
「……そうなんですか」
「まず盗撮家電を売ったと思われた業者、これは大学の敷地を借りる申請のために名義を貸しただけで、本当に売っていた人物にはたどり着いていない。そしてCURRENTという会社の実態は、少なくとも日本には無い。さらに、アップデート前のカレンというアプリ……これが悪意のかたまりだった」
「悪意の……かたまり……」
「うん。カレンをインストールしている携帯は、事実上カレンに乗っ取られていたと言っていい。どんなデータも吸いとられるし、遠隔で録音も録画もできる。通話やメッセージ送信だって勝手にできるような状態だった。正規のアプリマーケットには絶対に登録されない代物だよ」
「…………。」
真琴は絶句する。インストールしたとき、さすがにそこまでの権限は求められなかったはずだ。
「警察は当初、仕込まれたカメラのデータはアパートの外からBluetoothで回収していたと踏んでいたけど、アプリを分析してみたらなんのことはない、持ち主が寝てる間に携帯を遠隔操作すれば簡単に回収できたんだ。インチキ家電と通信させてね。そして、敵の本拠は国外……中国だったんだ」
「……え?」
「アップデート前のカレンの品質や、カレン運営の日本語の正確さから察するに、邦人が黒幕だろうとは思う。だけどホームページも、吸い上げたデータの集約先も、サーバの拠点は中国にあるんだ。これが厄介……というか大問題なんだ」
「それは……簡単に削除できないってことですか?」
「もちろんそれもある。でも一番の問題は、犯人探しが困難になることなんだ。インターポール……国際警察を通じて中国に協力要請しなきゃならない上に、すんなり協力に応じるとも思えない。政治が絡んでくるんだよ」
「そんな……」
「だからホームページや動画の削除ひとつとっても、かなりの時間がかかる。しかも、時間をかけたところで削除してくれる保証はない」
「…………。」
あまりに絶望的な事実に真琴は言葉を失う。
そこに松下が宣告する。
「犯人たちは数年もの時間をかけて周到に、カレンを広大生だけに浸透させていた。カレンというアプリを使っていたのは全国で広大だけなんだ。古川さん、はっきり言うよ。これは広大を標的にしたテロ……警察はそう捉えてる」
「……テロ? そんな、それはさすがに……」
「大げさじゃないんだ。古川さん、確かに君の身体は今ここにあって安全だ。でも心はどうかな。油断させられて危険な野良アプリをインストールした広大生たちは、ネットの中でフラフラと中国に行って心を拉致された。そしてテロリスト……カレン運営は見せしめにまず2人、処刑してみせた」
「……運営の……目的……」
真琴はやっとの思いで声を出す。
それは問いかけの体を成していなかった。
「そう、それがまだ判らないんだ。カレン運営はおそらく日本人の集団だから、国に何か要求があるのかもしれないし、単に大学に深い恨みがあるのかもしれない。判らないけど運営の拠点が中国にある以上、この騒動は警察による犯罪捜査というより、国同士の関係が絡んだ人質解放交渉に近いものになるよ。おそらく」
心が拉致……か。
たしかに端的にいえばそんな心境だ。処刑されれば心が死ぬ。
私はどうすればいいんだろ……。私なんかに何かできることがあるんだろうか。
半ば戦意喪失ながら真琴は松下に問う。
「私……私は何をすればいいんですか」
気持ちが昂っているのだろう。一睡もしていないのに眼はもちろん、頭も冴え渡っている。
近くにある学生棟の方からは、ガヤガヤと学生たちの声が聞こえる。
罵声や怒号は聞こえないので暴動などにはなっていないようだが、かなりの人数がいることは判る。真琴は高校の学園祭を思い出した。
やがて自転車置場に理沙の姿を認めた。理沙も真琴の方を見たので、お互いに小さく手を振る。
「ゴメン真琴、待った?」
「待ったっていうか、早く来た。……眠れなかったからね」
「私も。あのまま真琴の家に泊まればよかった」
「ホントね。私、一晩中カレンいじってた」
「うん。……ね、晒されたね……2人も」
「あんまりだよね。……アレは」
「あの晒されたヤツ、全世界に発信されてる。結構伸びてるよ。……再生数」
「……え?」
真琴は思わず聞き返した。……全世界?
「ホラ、2人の動画が晒されたときのお知らせに書いてあったじゃん。パオドゥでも見れるって」
……そういえばそうだった。真琴はカレン上でしか動画を見ていないが、確かに書いてあった。「カレン動画とパオドゥでご覧になれます」と。
全世界に発信されてる……。それはネット上から永久に消えないというのと同義だ。
真琴はパオドゥという動画サイトを使ったことはなかったが、一般的な知識として、専用のアプリを使えば動画サイトにアップされている動画をダウンロードできてしまうことは知っていた。
一生消えない傷だ、これは……。
私だったら立ち直れるだろうか。
真琴は晒された2人を案じ、もょもとが掲示板で報告していたとおりの手厚いケアがなされていることを切に願った。
「……理沙、警察は強制的にネット上から削除したりできないのかな?」
「うーん、どうなんだろ? でも、警察が動いてくれるんだから、きっと捕まるよ、犯人。私、犯人が誰なのか早く知りたい」
理沙も〝勇者もょもとの戦い〟を見たのだろう。警察が動いてくれるということで楽観的になっているのが雰囲気で判る。
「理沙、あんまり楽観しない方がいい。警察は本腰入れるって言ったらしいけど、現にまだカレンのサイトは生きてるし、動画も消されてないじゃん」
「だね。犯人捕まるまでは晒されないように大人しくしとかなきゃね」
いいんだろうか、その程度の認識で……。昨日理沙は、握られた秘密は親にも打ち明けられないと言ってたのに。
「……理沙、アンタ心配じゃないの?」
理沙と自分の心境に隔たりを感じた真琴は尋ねる。
「え? ……そりゃ心配だよ。だから大人しくしとかなきゃって思うよ。警察が犯人捕まえる前に晒されたら大変だし」
「簡単に捕まると……思うの? ……理沙は」
「簡単かどうかは知らないけど、こんだけおおっぴらな騒ぎになって、捕まらないことはないんじゃない? それに、掲示板見ると自分だけじゃないんだって判ったし」
……自分が心配しすぎなんだろうか。かろうじて共通しているのは「大人しく」という部分だけど、根本的な何かが違うような気がする。
でも、ここで私が理沙に何を言おうと、そして理沙が私の言うことに神妙な返事をしたとしても、きっと理沙は「真琴は心配性だなあ」と思うだけ……。
一度不安から目を背けて安堵に浸ってしまった心はそう容易く翻らない。
きっと心を正常に保つための防御本能のようなものがそうさせているんだから……。
真琴は、理沙の不安を呼び覚ますことに利はないと考え、あえて反論しないことにした。
「行ってみよっか。学生棟」
「うん、行こ。もういっぱい来てそうだし」
真琴と理沙は学生棟に向かう。その途上で真琴は、同じものを抱えていても感じる重さは個の性質に依るという、人の心の不思議について考えていた。
すぐに学生棟が見えてきた。500人くらいか……。やはり相当な人数だ。
だが、その人だかりを直に見ても、雰囲気はやはり学園祭のそれに近かった。
それも、祭りのあとの……。
学生棟の前に着いた。集まっているのはほとんどが男子学生だった。そのなかに理沙が知り合いを見つけて尋ねる。
「ね、ね、どうなってんの? 今」
「ああ清川か。どうもこうもねえよ。中に人はいるけど、俺たちは門前払いだ」
「……どゆこと?」
「学生課な、今は警察が調べてるんだ。んで、入口には貼り紙がしてある」
「貼り紙?」
「ああ、明日の午後イチ、大講堂とかほかの大きな講堂いくつかで説明会があるらしい。見といた方がいいぞ、学部で場所が振り分けられてる」
「そうなんだ……。学生課が調べられてるってことは、大学の関係者が犯人なの?」
「それはわかんねえよ。でもカメラが仕込まれた家電とかは、構内で売られてたろ? 調べられるだろ、当然」
「そっか……じゃ、明日の説明会まではどうしようもないのかな」
「ま、そうなるな。だから俺はもう帰る。帰って寝る。……あ、そうだ清川、お前のラインID教えてくれ」
「あ、うん、そだね」
理沙はその男子とID交換したのを皮切りに、他の知り合いとも連絡先を交換し始めた。
真琴は人だかりを見渡して考える。そうか、門前払いされても人が捌けないのはこのためなんだ……。
カレンの豹変によって遮断された通信網の復旧作業……。よく見ればこの場にいる人はすでに集団ではない。目的を共有していないのだ。
各々が知り合いとIDなり電話番号を教え合っている。真琴も友達を探してその作業に入った。
真琴がその場にいた知り合いとあらかた連絡先交換を終え、不安な昨夜について学科の友達と語り合っていると、学生棟の出入口の方にざわめきが起こった。
見ると、建物の中から「捜査」という腕章を着けた刑事たちが出てきていた。10人以上いる。
建物内での用件を終えたと思われる刑事たちは、今度は学生から話を聴くべく、近くにいる学生に片っ端から声をかけている。
警察への協力……。真琴は、喧騒に消えた勇者、もょもとのことを思い出した。
刑事たちに対する学生の反応は大きく2つに分けられた。
ひとつは、多勢を駆って刑事を質問攻めにする人たちで、もうひとつは、そそくさとその場から立ち去ろうとする人たちだった。
……どちらも協力ではない。真琴はもょもとの書き込みを思い出す。
警察に協力してくれ……。あの勇敢な人はそう言った。そしてみんなが了解したはずだった。それなのに。
……情けない。目の前の光景に真琴はやるせなさを禁じ得なかった。
みんな……この程度なの?
真琴は意を決して、理沙に「ごめん、バイバイ」と告げてから、刑事を囲む男子学生の一団に歩み寄る。
そして男子たちの肩越しに刑事に声をかける。
どいてよ。……腰抜けは。
「あの、私、お話しします」
男子学生たちが真琴の方を見たが、真琴は口を固く結んで睨み返した。
自然と眼前に路ができる。……ふん。
「ありがとう。お願いします」
刑事は穏やかに真琴を見つめ返す。
そして真琴は刑事と一緒に学生棟に入る。
真琴に触発されてか、何人かが刑事たちに協力を申し出ていたようだった。
真琴は学生棟の廊下を刑事と並んで歩く。刑事は背が高く、30歳くらいの優しい雰囲気の人だった。
「……大変なことになったね、広大」
声も優しい……。低くて落ち着きのある、相手を安心させる声だ。
警察なら、あっという間に犯人を捕まえてくれるかも……。真琴はそんな気さえしてきた。
理沙に偉そうなこと言えないな、これじゃ。
「学生課を調べて、なにか分かったんですか?」
真琴が尋ね、それに刑事が優しく答える。
「いや、まだよく分からないんだよ。調べるべきことは定まった……。そんなかんじだね」
「……そうですか」
刑事が足を止めたのは、小さな事務室の前だった。
「この部屋を借りてるんだ。さ、入って」
促されて真琴は事務室に入る。事務机が……5脚くらいか。ここは普段誰が使ってるんだろ。
面接をするような造りにはなっていないので、真琴と刑事は横並びの机に着く。
ええと、と言ってから刑事が切り出した。
「助けてくれてありがとう。いきなり取り囲まれてビックリしてたんだ」
助けてくれてありがとう……か。
本当に、あの男子学生たちの振舞いにはガッカリした。真琴は思ったままを口にする。
「いえ、あの男子たちを見てたら、なんか情けなくなって。……刑事さん、ウチの学生、あんな人たちばっかりじゃないんです」
真琴の言葉にうなづきながら刑事が微笑む。
「うん、分かってる。広大生は優秀だよ。みんな平常心を失ってるだけ。僕らもちゃんと分かってるよ」
よかった。真琴は自分が苦労して入った大学が変な評価をされていないことに安心した。
「早速だけど、君は……1年生、かな?」
「はい。教育の理科です」
「名前から教えてもらっていいかな。あ、僕は県本部にあるサイバー犯罪対策課の松下というんだ」
そう言って松下刑事は警察手帳を示したあと、真琴に名刺を差し出した。肩書きは主任、階級は巡査部長と記載されていた。
真琴は自分の名前と生年月日、それと携帯電話番号を松下刑事に伝えた。
「古川真琴さん……綺麗な名前だね。ええと、昨日は大変だった?」
「大変……でしたね。親にも来てもらいました。結局一睡もできませんでした」
「親御さんに相談できたんだ……。うん、それが正解だと思うよ」
「はい。きっと、親にも言えてない人がたくさんいると思います」
「古川さんは、その……例の、というか、春に構内のテントで家財を買った?」
「はい、そうです。刑事さん、あの売場って春だけなんですか?」
「どうもそうらしいね。3年くらい前から毎年、春に新入学生が入学手続きをしたりアパート探しをしたりする時期に設置されてたみたいだね」
「単純に考えれば、その業者が犯人ですよね」
真琴の言葉に、松下刑事の表情が少し曇る。
「単純に考えれば、ね。でも、現実はそこまで単純じゃなさそうなんだ」
「そうなんですか?」
「もちろん無関係ではない。だから警察はその業者を特定して、今、警察署で事情を聴いてる」
「え……。もう業者を捕まえたんですか?」
「捕まえたっていうか……。まあ、テントを設置していた人間は確保したよ。昨夜のうちに」
いちばん怪しいと思われる人間を確保したというのに、松下刑事の顔は暗い。
つまり業者はハズレ……。犯人ではなかったということなんだろうか。
「……その業者は、主犯じゃないんですね?」
「ん? ……ああ、うん。主犯じゃないというか、共犯ですらない……かもしれない。この騒動の大元を考えれば」
ん……。気になる言い方だ。どういう状況なんだろう。
真琴の疑問が顔に出ていたのだろう。松下刑事が申し訳なさそうに言う。
「古川さん。君はまだ若いから、今まで警察と関わったことなんかない。違うかな?」
「え……まあ、そうですね」
「警察っていうのは嫌われ者なんだ。嫌われるのが宿命なんだよ」
「え? そんなことは……」
そんなことはない。真琴は本心でそう思っていた。
確かに警察は恐いイメージがあるし、あまり関わりたくはないけど、みんなのために悪い人間を捕まえてくれてるんだ。
警察を嫌うのは、自分に後ろ暗いところがある人だろう。真琴はそう考えた。
「悪い人間からは当然嫌われる。まさに敵だからね。でも、僕が今言ってるのはそこじゃない。警察に協力してくれる人からも、結局は嫌われることが多いんだ」
「どうして……ですか?」
「警察は、警察が聴きたいことを聴くばっかりで、みんなが知りたいことは全然教えてくれないからだよ」
……そう……なのか。言われてみればそうかもしれない。
でも、それは仕方のないことだろう。
「それは仕方がないこと……。古川さん、今、そう思ったのかな?」
「はい。でも、実際そうですよ……ね」
松下刑事がにっこり笑う。ほんとに感じのいい人だ。
少なくともこの人は嫌われることなど無いように思えた。
「そう理解してくれると助かるよ。お互いに聴きたいことが山ほどあるのに、僕が古川さんに教えてあげられることなんかほとんどない。現に、売場を設置していた業者が何者なのかも話せない。それに古川さんは優しそうだから、昨日犠牲になった2人がどうなっているのかも心配だろうけど、それも話せないんだ」
そうだった。2人は大丈夫なんだろうか。
「2人は……大丈夫ですか?」
「僕から言えるのは、警察はできる限りのケアをしている、ということだよ。何をもって大丈夫というのかは人による。恥ずかしいものを晒された時点ですでに大丈夫じゃないんだ。僕はそう思う」
「……そうですよね」
「ね? こんな具合で言えないことだらけなんだ。教えてあげられることは教える。でも、そうだな……たとえば誰かが勇気をもって警察に話してくれたことを、今ここで僕が古川さんに教えたら、古川さんは逆に僕を信用できなくなるだろ?」
そうだ、確かにそのとおりだ。誰かが警察に話したことを警察が私に教えてしまえば、それは翻って私が話したことも広まっていくことを意味する。
「教えないことが信用……なんですね」
「やっぱり広大生は優秀だよ。いまの理屈、世の中には納得してくれない人の方が多い。他人はさておき我こそは知るべきって意識の人がね」
「そうかも……しれませんね」
「さ、前置きが長くなった。僕は古川さんが知りたいことにはほとんど答えられない。それなのに僕は古川さんにいろんなことをしつこく尋ねる。この最低の条件でも、この騒動を解決するために警察に協力してくれる?」
松下刑事は誠実だ。真琴は即答する。
「もちろんです。……できるかぎりで」
真琴の返事を噛み締めるように聴く松下刑事は心から嬉しそうだった。
松下刑事はノートと資料を広げ「さて、じゃあ何から聴こうかな」と考えている。
真琴は松下刑事にお願いをしてみることにした。
「あの……松下さん」
「ん? なんだい?」
「お願いをしてもいいですか?」
「お願い? どうぞ。僕にできることなら」
「はい。今回の騒動で、今、警察がどんなことを把握していて、どんなことを捜査しているのか、さっき松下さんが仰った……教えられる限りでいいので、まずそれを教えていただけませんか。それを伺ったら、あとは何も質問しませんので」
松下刑事はペンを額に当てて少し考える、そして何かに納得するようにひとつ頷いてから言った。
「古川さんは相当に賢いね。いい段取りだよ、それ。それなら古川さんは僕から聞いた情報を踏まえて答えることができる」
「はい、ぜひお願いします」
「わかった。……まず、警察が今回の騒動を知ったのは、昨日の21時過ぎに一人の学生が西條署に駆け込んできたのが最初だった」
……もょもとだ。真琴はうなづきながら松下の話を聴く。
「警察はこの時点まで、カレンというアプリの存在を誰ひとりとして知らなかった。だからこの、署に駆け込んできた子の話を、初めはネット詐欺のようなものだと思って聴いていたんだ。ところがこの子は冷静で、カレンが改変されたときに流れた動画を別の携帯で撮っていたんだ。だから署の刑事はすぐにこれを脅迫事件と捉えた」
うん、もょもとの報告のとおりだ。
「脅迫事件として話を聴いている最中に、学生2人の動画がアップされた。アンインストールしたから……ただそれだけの理由で。そして西條署は本部に、この事件が計り知れない数の被害者予備軍を抱えた大事件の可能性が高いことを伝えて、そして本部の捜査員が集められた。警察も、いつ次の被害者が出るかも分からない状況に戦々恐々だったよ」
それは想像に難くない。署は大騒ぎだっただろう。
「すぐに大学の関係者も呼んで話を聴いたし、学生が持ち込んだテレビも分解した。そしてカレンというアプリのプログラムの分析作業を始めると同時に、アプリを公開している株式会社CURRENTや、盗撮家電をバラまいた業者の実態を捜査した。西條署に駆け込んできた子は本当に賢明で、持っている2台の携帯の片方はカレンを立ち上げないままにしていたから、警察はアップデート前のカレンのプログラムをすぐに入手できたんだ」
「大変でしたね。警察も」
松下は、真琴の言葉を「大変なのはこれからだよ」と受けてから続ける。
「そして判ったこと……これはだいたい明日の学生説明会で話されることだけど、明るい材料がほとんどない」
「……そうなんですか」
「まず盗撮家電を売ったと思われた業者、これは大学の敷地を借りる申請のために名義を貸しただけで、本当に売っていた人物にはたどり着いていない。そしてCURRENTという会社の実態は、少なくとも日本には無い。さらに、アップデート前のカレンというアプリ……これが悪意のかたまりだった」
「悪意の……かたまり……」
「うん。カレンをインストールしている携帯は、事実上カレンに乗っ取られていたと言っていい。どんなデータも吸いとられるし、遠隔で録音も録画もできる。通話やメッセージ送信だって勝手にできるような状態だった。正規のアプリマーケットには絶対に登録されない代物だよ」
「…………。」
真琴は絶句する。インストールしたとき、さすがにそこまでの権限は求められなかったはずだ。
「警察は当初、仕込まれたカメラのデータはアパートの外からBluetoothで回収していたと踏んでいたけど、アプリを分析してみたらなんのことはない、持ち主が寝てる間に携帯を遠隔操作すれば簡単に回収できたんだ。インチキ家電と通信させてね。そして、敵の本拠は国外……中国だったんだ」
「……え?」
「アップデート前のカレンの品質や、カレン運営の日本語の正確さから察するに、邦人が黒幕だろうとは思う。だけどホームページも、吸い上げたデータの集約先も、サーバの拠点は中国にあるんだ。これが厄介……というか大問題なんだ」
「それは……簡単に削除できないってことですか?」
「もちろんそれもある。でも一番の問題は、犯人探しが困難になることなんだ。インターポール……国際警察を通じて中国に協力要請しなきゃならない上に、すんなり協力に応じるとも思えない。政治が絡んでくるんだよ」
「そんな……」
「だからホームページや動画の削除ひとつとっても、かなりの時間がかかる。しかも、時間をかけたところで削除してくれる保証はない」
「…………。」
あまりに絶望的な事実に真琴は言葉を失う。
そこに松下が宣告する。
「犯人たちは数年もの時間をかけて周到に、カレンを広大生だけに浸透させていた。カレンというアプリを使っていたのは全国で広大だけなんだ。古川さん、はっきり言うよ。これは広大を標的にしたテロ……警察はそう捉えてる」
「……テロ? そんな、それはさすがに……」
「大げさじゃないんだ。古川さん、確かに君の身体は今ここにあって安全だ。でも心はどうかな。油断させられて危険な野良アプリをインストールした広大生たちは、ネットの中でフラフラと中国に行って心を拉致された。そしてテロリスト……カレン運営は見せしめにまず2人、処刑してみせた」
「……運営の……目的……」
真琴はやっとの思いで声を出す。
それは問いかけの体を成していなかった。
「そう、それがまだ判らないんだ。カレン運営はおそらく日本人の集団だから、国に何か要求があるのかもしれないし、単に大学に深い恨みがあるのかもしれない。判らないけど運営の拠点が中国にある以上、この騒動は警察による犯罪捜査というより、国同士の関係が絡んだ人質解放交渉に近いものになるよ。おそらく」
心が拉致……か。
たしかに端的にいえばそんな心境だ。処刑されれば心が死ぬ。
私はどうすればいいんだろ……。私なんかに何かできることがあるんだろうか。
半ば戦意喪失ながら真琴は松下に問う。
「私……私は何をすればいいんですか」
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