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第一章 14歳の真実

1 再会

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「……あれ、おかしいな」

 加藤じんは背広の内ポケットをまさぐった。

「どうした、なに探してるんだ?」

「いや、お前に名刺を渡しておこうと思うんだが、見当たらないんだ」

「要らねえよ名刺なんか。署の警備課に聞きゃお前の肩書きなんぞすぐ分かる。なんせ高級官僚様だからな」

「高級、は余計だ。俺はそんなに偉くない。……今朝は確かにあったんだがな、名刺入れ」

「だから要らねえよ。どのみちすぐに出世するんだろ? なんたって管内に引っ越してきた瞬間から警備対象だ。うちの公安はお前の経歴から家族構成、人脈まで把握済みだろう」

「いい気分はしないな。で、その人脈とやらの中に、お前との関係も入ってるのか?」

「そんなわけねえだろ。俺なんか、出世頭のお前にとっちゃ取るに足らん人間だ」

「そんなことはない。むしろ俺の方が世話になってるんだ。……まあ、今日初めて知ったんだけどな」

「サプライズ……だったろ?」

「ああ、まさか岩崎が警察官、それも自分が住んでるところの刑事課長とはな。出世頭は岩崎、お前の方じゃないのか?」

「俺の場合は、出世魚、というんだそうだ」

「上手いな。どこの命知らずが言ったんだ?」

「先生だ。五年前の同窓会で言われた」

「なるほどな。先生からすれば、まさに出世魚だったろうな」

「ああ……中学のときは散々迷惑かけたからな」

 岩崎肇は昔を懐かしむ遠い目を水割りのグラスに落とした。

 その隣で加藤仁は、20年ぶりに再会したこの強面の同級生の中学時代に思いを馳せる。
 目の前にいるこの男……岩崎は、中学生時代は札付きの問題児だった。
 勉強嫌いと粗野な言動で日常的に教師の手を煩わせていた。
 ただ陰湿なところがないため、決して嫌われ者ではなく担任からもある意味で一目置かれていた。
 学級に団結があり、卒業後も定期的に同窓会が行われているのも、もしかしたらこの男の影響かもしれない。
 加藤はそんなことを考えた。

 年の瀬に催される5年に一度の同窓会、今日は来た甲斐があった、と加藤は思う。
 加藤が過去に出席したのは今から20年前……皆が20歳になる頃の1回だけだった。

 当時の加藤は東大生、一方の岩崎は働きながら定時制の高校に通っていた。
 岩崎が真っ当に働いていること、さらには定時制の高校に入ってまで自ら勉強しているという衝撃の告白に、20年前の同窓会が大いに沸いたことを憶えている。
 あのとき岩崎は何も語らず「やっぱ高校くらいは出ないとな」とおどけていたが、加藤には解っていた。
 岩崎が何か確たる信念と目標を持って進んでいるのだということを。
 それを成し遂げた姿が、今、目の前にいる岩崎なのだ。

 思えば中学の頃の二人は奇妙な関係だった。
 加藤は優等生、一方の岩崎は問題児で、ほとんど言葉を交わすことはなかったが、加藤は岩崎を信頼していたし、何故か岩崎が考えていることが解る気がしていた。
 そして、岩崎の方も加藤を無条件に認めていると加藤は感じていた。
 それがあながち加藤のひとりよがりではないことは、今日、ホテルでの華やかな一次会が散会したあとに岩崎がこうして加藤ひとりを連れ出し、馴染みの居酒屋に河岸を変えようと言ってきたことが物語っている。
 久々に加藤に会ったことを誰より喜んだのは、この岩崎だったようだ。

「そういやお前、ガキはいるのか?」

「ん? ああ、娘がひとり……いる。中学二年だ」

「そうか、さぞかし優秀なんだろうな。うちは男が二人いるんだが手に負えん」

 加藤は思わず吹き出した。

「天下の岩崎くんが手に負えないのか、そりゃ将来有望だ」

「まあ……俺だって自業自得だとは思ってる」

「だな。さんざんヤンチャしてきた報いだ」

「……で、お前の方はどうなんだ? まっすぐ育ってんのか?」

「どうなんだろうな。少なくともグレちゃいないと思う……が、転校続きだったからかな、ちょっと変わり者になっちまった」

「変わり者?」

「ああ。まず、まったく女の子らしくない。そして学校の成績に頓着がない」

「……よく分かんねえ言い回しだな、分かるように言えよ」

「理科の成績だけは一年生の時から抜群だった。好きなんだろうな。科学的な知識だけなら大学生並みだ」

「理科だけ? そんなことがあるのか?」

「だから、成績にこだわりがないんだよ。科学を学ぶなら数学も必要だし、専門書を読み解くには国語力も要る。いつか一度娘に言ったんだ。数学も大事だぞってな」

「ほう?」

「その返事が『なに当たり前のこと言ってんの?』だった」

「へえ」

「つまり娘は、学校のテストで良い点を取ることをデメリットだと考えていたらしい」

「なんだそりゃ」

「転校ばかり繰り返して、目立つことを嫌うようになった娘なりの処世術だったんだ。俺が中央勤めに戻ることが決まったときに、今度は長く住むから遠慮せずに友達をつくれとは言ってやったんだが、テストは相変わらず手を抜いていたらしい。この前たしなめたら、はじめて実力を見せた」

「いかにもお前の子らしいじゃねえか」

「……誉めてるのか? それは」

「もちろんだ。親子共々将来有望じゃねえか、羨ましい限りだ」

「……将来、か」

 加藤は、一人娘である美咲の将来を想像しようとした。
 そしてふと、想像しようとしている自分が、思いのほか上機嫌であることに気付く。
 誰かとこんなにゆったりと会話したのはいつ以来だろうかと。
 間違いなく俺はこの時間を愉しんでいる、と。
 思わず口元が緩む。

「……岩崎、今日はお前のお陰で良い酒になった」

「なんだいきなり」

「いや……大した意味はない」


 二人きりの酒盛りは、午後10時を過ぎても続いていた。

「で、外務省のお偉いさんよ、実際のところ日本はどうなんだ?」

「どうなんだろうな。まあ安全面ではまだセーフティゾーンだ。だが今回の中東は本当に筋が悪い。反体制が石油という金づるを手に入れている。最悪のシナリオもある」

「お前はその中で何をしてるんだ?」

「今は国連に携わってる」

「国連だと? 国連といえばこの前、事務総長とやらがどっかの大国の軍事パレードに出て意味不明なこと言ってたぞ。俺の馬鹿な頭で考えてもおかしいぞ、あれ」

「あれは予防の一環だ。気位の高い大国が経済的に窮しているという構図がよくない。暴走しないように国連として釘を刺したんだ。そもそも事務総長はかなりアメリカ寄りだ、個人としてはな。日本が悪口を言われるだけなら安いもんだ」

「……本当の話か? それ」

「もちろんだ。事務総長には恥を忍んでもらったから、いつか埋め合わせが必要だ。……岩崎、世界の秩序は、世間が思う以上に危ういバランスで維持されているんだぞ」

「なんだ? 事務総長は馬鹿じゃないってのか?」

「もちろんだ。岩崎、お前も組織人なら解るはずだ。多くの人間を束ねる組織の幹部……それも頂点が無能のはずはないだろう。そして彼らは時として批判を浴びることを承知のうえで発言をしなければならない立場にある」

「へえ……すげえな。俺なんか、狭い管内の治安に絆創膏で応急措置するだけで精一杯だ」

「それも崇高な仕事だ。そしてお前は適任だよ」

「……なあ加藤、今更だが、携帯番号を教えといてくれ」

 岩崎はポケットから携帯電話を取り出して言った。

「もちろんだ」

 加藤は岩崎に自分の携帯電話の番号を教え、岩崎がダイヤルする。
 加藤の胸ポケットで、携帯電話が震えた。

「おお……」

「なんだ?」

「なんだか、電話帳に加藤の番号が加わっただけで賢くなった気がしてきた」

「くだらないことを言うな」

「……なあ加藤、俺は中学の時から思ってたんだ。お前と俺が組めば、なんか面白えことができるんじゃねえかってな」

「そのセリフは25年前に聞きたかったな」

「……ああ、そうだな」


 その時、加藤の携帯電話が着信を告げた。
 携帯電話を手に取り、画面を見て、首をかしげてから加藤は電話に出る。

「はい、加藤です。……はい、美咲は娘ですが。え……はい。……え? はい、分かりました。……それでその……美咲は……はい、分かりました」

「なにごとだ」

「東署からだ。美咲……俺の娘がトラックに轢かれて重体らしい。急いで中央病院に向かえだと」

「なんだと? ……中央病院だな。少し待て」

 岩崎は携帯電話でどこかに電話をかける。

「岩崎だ。……刑事課長の岩崎だ。今、重傷事故の家族と一緒にいる。駅前の『田豊』に覆面を一台まわせ……緊走でだ。いいな」

 電話を切った岩崎が加藤に言う。

「車を手配した。緊急走行で中央病院まで行く。店の前で待つぞ」

「……いいのか?」

「人の心配してる場合じゃねえだろ」

「……すまない」

 そんなやり取りをしているうちに、非日常の訪れを告げるサイレンが近づいてきた。
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