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第一幕
鮮血の魔城 Chapter.2
しおりを挟む正面入口から直結した大回廊。その空間は仰ぎ見るに天井高く、また所要面積も徒に広い。幾多もの巨大円柱が連なり立ち、時代錯誤な芸術意匠が余す所無く刻まれていた。金装飾を始めとした格式高い彩り。室内を飾る厳かな風格は、本来ならば目の保養と機能する華やかさであろう。
しかしながら、闇暦現在では青い霊気に満ちていた。宛ら住まう者達の陰そのものだ。
その霊気漂う空間で、吸血鬼一同が凍りつく。まるで時間が静止したかのように……。
警戒と驚愕のままに凝視するのは、大顎を開放した正面玄関。
淡い月明かりの逆光に、細身の紅剣を携えた少女が浮かんでいた。素性も知れぬ黒外套の少女だ。突然現れた不埒な狼藉者である。
彼女が戦果と躙り踏む無様な死体は、衛兵吸血鬼の成れの果て。不審者を武力行使で取り押さえようとした末路であった。
紅き刃を奮い終えた少女は、戦闘の余韻へと浸っているようにも映る。自らが展開した惨劇に酔うが如く。
大理石の床をドロリと広がり染める赤黒い粘り。やがて死体からは偽りの肉が朽ち落ち、古びた骨格を本性と晒け出した。それも黒い塵と化し、大気中へと拡散していく。自然の理に反して刻んだ年数を一括還元された消滅──如何にも〈吸血鬼〉らしい末路ではある。
「やれやれ……この城では、来訪者を問答無用に攻撃するのが仕来りかよ?」
軽い剣舞に乱れた前髪を退屈に遊び、カリナは挑発めいた不敵を飾った。
品定めに流し見る吸血鬼達は、恐々と強張り血塗れた事後を凝視するだけの小物ばかり。彼女の興には物足りぬ。
だが、その中にも強者が一人いるのを認識した。
ギラついた敵意で睨み据える鎧騎士──ジル・ド・レである。
起きた状況を分析しつつ、彼は少女の正体を推測していた。
(小奴、何者か? 如何に雑兵とはいえ〈吸血鬼〉を相手に、一糸乱さぬ剣捌きで軽く屠りおった。到底、人間には不可能な剣技──おそらく、小奴も〈吸血鬼〉には違いあるまい。無名ながらも同属ならば、先程の超人的な身体能力も合点はいく。仮にそうだとしても、尋常ならざる戦闘技量だが……。推し量るに、ワシと同等か……或いは、それ以上の──カーミラ・カルンスタインに匹敵するような──実力者やもしれぬ)
「髭面、黙祷が長いぞ。部下思いなのは結構な事だがな」
重ね重ねの無礼な挑発が、ようやくジル・ド・レを硬直から解放した。
「黙れ! 此処を何処だと──誰の城だと思っている! このような狼藉、許されると思うな!」
「狼藉……ねえ?」と、軽い嘲笑。
それがジル・ド・レの激昂を誘った。
「な……何が可笑しいか!」
「私は開放されていた城門を潜っただけさ。それが嫌なら朽ち錆びた城門を閉じておけよ──永遠に」
「此処は〈不死十字軍〉が拠点! 貴様のような素性も判らぬ下賤が、城内へ無断進入しただけでも咎である!」
「なるほど、城内侵入が罪状か。ならば──」悪意を向けた美姫の目が、嬉しそうな冷酷に細まる。「──城の乗っ取りは、さぞかし重罪だろうよ」
それこそ彼女が望んだ展開となった。
一瞬、ジル・ド・レの背筋に、気圧されたような戦慄が走る!
少女の瞳力が吸い込むような殺意を宿していたからだ!
生前の戦歴から、彼も腕には覚えがある。並大抵の相手ならば遅れを取る事も無い──そう自負していた。
だが、この不敵な少女からは、得体の知れない焦燥が負わされる。明確な技量差に屈服を噛むような感覚だ。まだ剣を交えてすらいないというのに……。
(ええい、呑まれるでない!)
静かに瞼を綴じると、ジル・ド・レは平常心を呼び覚ました。あくまでも臨戦の心構えだ。
それが窺えるからこそ、カリナにも高揚感が湧く。空虚な生が続く中で、彼女は絶えず血が滾り踊るような充足感に飢えていた。一晩の塒を得ると同時に、その欲求を満たす──実に合理的な策だ。今回が初めてではない。
「来賓の皆々様、下がられよ。此処は私目が、命に代えても御守り致す」
狼狽隠せぬ来賓勢に身の安全を約束し、吸血騎士は前へと進み出た。役目が久しい愛剣を腰鞘から抜くと、油断ならない魔性を睨み据える。
力強く腰を落としたジル・ド・レは、両手握りの両刃剣を顔脇の高さで水平に構えた。切っ先を照準の如く少女へと重なり合わせる。
決闘の覚悟を確信したカリナが、抜き身の愛剣を一振りに血糊を払った。雑兵戦の痕跡を払拭するためだ。これから堪能する旨味を汚したくはない。
先制の機を焦れる鎧騎士に対して、無造作な歩みで距離を詰めていく黒外套。
「珍しいな」悪意の美姫が素直な感想を漏らした。
「何がだ」敵意を逸らさずに騎士が訊う。
「オマエだよ。これまでも一対一の闘いはしてきたが、ちゃんとした〝構え〟を見たのは数えるほどだ」
「それは、貴様が剣の心得も無い雑魚としか闘わぬからであろう」
「……かもな。だから、満たされない」
これまでの味気ない楽勝を思い出し、カリナは自嘲に肩を竦める。
「貴様は何故構えぬか」
「私には〝構え〟など無いからな」
「そうか」
「そうだ」
睨む眼力に、冷めた眼差し──緊迫した静寂が空間を支配した。
地を蹴ったのは、共に同時!
跳躍の勢いのままに間を詰める少女を、ジル・ド・レの重い突きが迎え打つ!
不安定な滞空を攻められたカリナは、咄嗟に宙での体捻りに避わした!
紙一重で脇を掠めた力強い鋼刃を、風圧に泳ぐ黒外套が纏わり呑む!
その隙に振るわれた細身剣は、鷲面の側頭部を捕らえた!
「チィ!」
ジル・ド・レは力業で剛剣を引き戻すと、その逞しい刀身を小賢しい一撃への盾として弾く!
「それをやるかよ!」
忌々しさに吠えるカリナ!
続け様に繰り出す二撃目!
狙うは脇腹!
弾かれた刃の慣性と自身の遠心力を併せた反転運動の速攻だ!
捕らえる!
「グッ?」
衝撃に体勢を崩しながらも、ジル・ド・レが片膝着きに乱暴な一振りを凪いだ!
圧を感じたカリナは、すかさず跳び退いて距離を取る!
ただ単に跳び退いたのではない!
華奢な脚線美で敵の胸板を渾身に蹴り跳ばし、一気離脱と牽制攻撃を一体として繰り出したのだ!
体重を乗せた一蹴は鎧装束の体勢を更に倒し崩し、間合いからの離脱成功率を大きく上げる。
再び距離を離れ、互いに反目を交わした。
「フン……思ったよりも、やりおるわい」
「フッ……やはり鎧というのは厄介だな。有効打には程遠い」
先制の一撃はカリナが与えたが、今回の戦いでは細身剣の不利は大きい。細身の刃は〝突き〟には向いているものの、力任せの斬撃を主とした戦闘では些か不向きであった。況してや、分厚い鎧装甲には威力が完全に殺される。
せめてもの利点は、彼女の速攻性が活きる事か。繰り出せる手数は多い。実際、これによって相手を翻弄する戦法には、確実な手応えを感じていた。
「クックックッ、惜しいな」
ジル・ド・レが含み笑う。
「……だな。やはり細身剣は、斬撃の威力に劣る」
「いや、そうではない。貴様自身が……だ。それだけの戦闘技量──天賦の才かもしれぬが──なかなか御目に掛かれるものでもない。何故、貴様のような逸材が無名であったのか。否、何故に女の身に生まれたか。実に惜しいものよ」
「私の答えは、こうだ──『知るかよ』!」
互いに刃を交える価値を認めたか、愉悦を同調に浮かべる。
それは語らずとも再戦の合図となった!
「「おおおおおおおおおおおおっ!」」
二人の雄叫びが激しく重なり、滾る戦意が距離を駆け詰める!
と、その時!
「双方、剣を収めなさい!」
凛とした威令が過熱に水を差した。
唐突な横槍に場の流れが硬直し、息巻いた決闘は強制的に中断される。
声の主に一同が関心を注いだ。
階上の踊り場だ。
そこには、清廉な印象の令嬢が毅然と睨み立っていた。
(……誰だ?)
カリナもまた、優麗な支配力へと注目する。
純白のロングドレスに、淡く波打つ豊かな金髪。覗く柔肌は遠目にも白雪のようだ。
典型的な貴族令嬢であった。当然ながら、武力面で秀でている印象に無い。
にも拘わらず、ジル・ド・レを始めとした吸血鬼達が挙って儀礼に跪いていた。
その正体に、カリナは強い好奇心を抱く。
同時に彼女の内には、他愛ない苛立ちが芽生えていた。
興を阻害されたからではない。
自分と対極にある品性が、いけ好かなかったからだ。
彼女が〝血統書付き〟だとすれば、自分が〝荒んだ野良〟のように思えてくる。
純白の少女は緩やかに曲がる大階段を下り、咎める眼差しのみで騒乱の場を鎮めた。
「ジル・ド・レ卿、これは何の騒ぎです」
「ハッ、申し訳ありません。されど、捨て置けぬ事態にあったが故に……」
「捨て置けぬ事態?」
「左様で。実は不埒な輩が城内へと乱入し──」
「──私だよ」言い訳がましいジル・ド・レの説明を遮って、カリナが憮然と名乗りを挙げる。「私が、その不埒な輩さ」
「貴女が?」
怪訝そうに値踏みするカーミラ。
それを尻目に流したカリナは、愛剣で軽く空を切って鞘へと収めた。
「で? その不埒者とやらを、どう処理する気かよ?」
柘榴に潤いながら侮りを向ける。
相手を世間知らずの温室育ちと踏んだが故だ。
「き……貴様、無礼であろう!」
烈火の如きジル・ド・レの怒声。
それさえも、カリナは不敬な嘲りに返す。
「コイツが何処の誰だか知らんが、私には恐縮してやる義理はない。オマエ等〝飼い犬〟と違ってな」
「愚か者! この御方こそロンドン塔城主にして、イングランド領主! そして、我等が〈不死十字軍盟主〉である伝説の吸血姫〝カーミラ・カルンスタイン〟様であらせられるぞ!」
飾り並べられる不本意な誇示を、カーミラ当人は複雑な心境で噛み殺していた。
「カーミラ?」微かに聞き覚えのある名に、カリナは記憶を掘り起こす。「ああ、アレか」
「ア……アレだと?」
敬意も緊張も畏怖もない態度に、ジル・ド・レの顔が益々紅潮していく。
「確か〝ドラキュラ〟とかいう老い耄れと並ぶ有名な吸血鬼だ。知名度だけなら一目置いているぞ」
「ぶ……無礼者が!」
「先刻よりもいい顔しているぞ、髭面」
明らかにカリナは、ジル・ド・レを露骨な玩具としていた。思いの外に感情的な側面を知り、どうやら弄ぶ面白味を見出したらしい。
反骨者の本質を見極めていた少女城主は、やがて穏やかな物腰に訊ねる。
「貴女、御名前は?」
「カリナ──カリナ・ノヴェール」
「そう、カリナ……綺麗な響きね」
相変わらず刺々しいカリナの攻撃心に、カーミラは憂いある微笑みで返した。
「で、どうする気だ? 〝伝説の吸血令嬢〟殿?」
「そうね。貴女の言う通り、立場は対等ですものね──貴女は〈不死十字軍〉ではないのですから。とりあえず、わたしの部屋へいらっしゃいな、カリナ・ノヴェール」
「……何?」
「互いに対等の立場で話を聞きましょう。その上で貴女の主張が納得に足るものであれば、今回の狼藉を不問と致します。けれど、貴女の振舞いが単に暴虐の類であれば、わたしは貴女を許しません。それ相応の処罰を覚悟なさってね?」
(何だ、コイツ?)
自分から散々挑発しておいて何だが、カリナは珍しくも戸惑いを覚える。
彼女の隠し武器でもある毒気は、清らかな流水に希薄化されるかのように効果を弱めていた。
(カーミラ・カルンスタイン……初めて会うタイプだな)
思いがけない未知なる収穫に、カリナの興味が改めて首を擡げる。
コイツの底を見極めてやりたい──そんな強い衝動に沸き立ち、久しく眠らせていた好奇心が高まった。
薄暗い石造りの通路を、ジル・ド・レは黙々と進む。
在城階級者だけに利用される幅狭い通用路だ。他に往来の姿は無い。
硬い涼気が陰湿な霊気と混じり合い、飾り気すら無い石廊に満ちていた。
等感覚で石壁へと設置された燭台が、暖かな橙を灯し照らす。鬼火の息吹と揺れる灯りは、時折に吹き抜ける空気の流動から勢いを授かっては鎮まった。その度に焼け溶けた蝋の臭いが鼻腔を刺激する。
カリナとの激闘に剣を収めた彼は、続け様に事後の始末へと奔走した。来賓勢の不安を虚言の接待で緩和し、衛兵達に騒乱の後始末を指示する。
そうした城内管理の責務を一頻り終えると、明後日の準備に取り掛かるべく会議の間へと向かっていた。
黙々と闊歩しながらも、その胸中は穏やかにない。
雌雄の決着が棚上げとなった蟠りも大きいが、それ以上にカーミラの意向が読めなかったからだ。
ユラリと大きく灯火が息吹いた。
一瞬膨張した燭台の陰影から、一片の影が分裂して踊り出る。黒の平盤は醜い泡を吐いて足掻き、自身を人型へ形成しようと膨れ上がった。先を行くジル・ド・レの背後へと滑ると、やがて不完全な人影は本来の姿を露にする。
陰湿な雰囲気を醸す男であった。深く被った漆黒のローブからは、浅黒い素肌が覗ける。線の細い美形ではあったが、鋭い眼差しは暗い光を宿していた。まるで世を妬んでいるかの如く……。
抑揚を抑えた声で、従者が主人へと呼び掛ける。
「……ジル・ド・レ様」
「プレラーティか」
ジル・ド・レは振り向きもせず、憮然と闊歩したまま応対した。どうやら背後の気配を察知していたようだ。
「先程の闘い、実に惜しゅうございました」
「フン、何処からか見ておったか」
「我はジル・ド・レ様の〝影〟にございます。いつ如何なる時でも、私は側に控えております」
プレラーティは粛々と畏まる。
この男──〝フランソワ・プレラーティ〟は、生前時代からジル・ド・レの片腕的存在だ。
そして、ジルを〈吸血鬼〉へと誘った人物でもある。
かつてのジル・ド・レは錬金術に傾倒していた。
目的は、伝説の秘石〈賢者の石〉の精製。
日々の散財に枯渇する資産を潤すためである。
錬金術最大の極意である〈賢者の石〉さえあれば、無尽蔵に〈金〉を生み出せるはずだ。
そのために雇用した錬金術は数知れぬ。
しかし、全てが自称者であり、山師でしかなかった。
失望に怒り、どれほどの人材を首にしたかは数えていない。
そんな折りに現れたのが、この〝プレラーティ〟なる人物であった。
詳しい出自はジル・ド・レも知らない。
肝心の〝本物〟でさえあれば、その辺りは不問と構えていたからだ。
どちらかといえば、プレラーティは錬金術よりも黒魔術に長けていた。
だが、その腕前は──殊に降魔術に関しては──本物であった。
だからこそ、ジル・ド・レは喜々として召し抱えたのである。
目的が〈賢者の石〉から〈悪魔召還〉へと推移したが、大局的には問題ない。
この邂逅で、ジルは気付いたのだ。
自身が心底から追い求めた真の欲求は、その先にあるものだと……。
「しかし、あの者もなかなかの手練れであったかと──確か〝カリナ・ノヴェール〟でしたか」
プレラーティが分析の感想を述べる。
「フン、賢しい小娘が! あのような下賎を受け入れるなどと……カーミラ様は何を考えておられるのか!」
主君に身の安全を警鐘した彼の進言は、少女城主の柔和な微笑によって易々と却下された。
「確かにカーミラ・カルンスタインならば、あのカリナ・ノヴェールとかいう小娘にも遅れは取らぬでしょう」
「だが、それは同時に、ワシとの実力差を明瞭に暗示しておるのだ。カーミラ・カルンスタインの微笑みには、実力に裏打ちされた絶対的な自信が隠されている。それが、どうにも腹立たしい」
己との実力差を忌々しく噛む。
「戦いは男にこそ本分! 女は男に頼ればいいのだ! 女の身にあって、剣を握るなどと……!」
生前に於ける主君を想起したジルは、込み上げる苛立ちを呑んだ。
「力あらば……我に、もっと力あらば…………っ!」
永きに渡る渇望が益々募る。
そんな主人の葛藤を、暗い瞳は淡々と見つめていた。
脳裏に去来する悲劇──英仏百年戦争。その苦々しい記憶を、ジル・ド・レは憤り任せに語り聞かせる。
「怨敵イギリスは、我が主君を〈魔女〉として処刑した。だが、実態は和平外交を見据えた政治的策謀よ」
「停戦の和平を結びたくば、手土産として決起の象徴たる英雄の死を差し出せ──と」
「そうだとも。そして、我が祖国・フランスは、イギリスからの不条理な条件に乗った。恥知らずにも救国の英雄を見捨てたのだ。恩義も誇りも無い掌返しだ。その時からワシは、祖国も信仰も失望に捨てた。隠遁の中で求め続けたのは〝力〟だった。大切なものを守り、正義を貫けるだけの有無を言わさぬ〝力〟……それだけを、ひたすらに望んだ」
「私は、それを叶えるべく貴方の下へ現れた」
「そうだとも! だからこそ、魔性へと身を窶してしまったのだ! 数多くの子供を悪魔への生け贄と捧げ、その生命を啜り飲んだ! 貴様の啓示通りにな!」
「しかし、貴方は行為自体に倒錯し、いつしか虐殺そのものに愉悦を支配されていった」
「ああ、そうだ! それこそが〈吸血鬼〉に転生した経緯だ! どうだ! 貴様の姦計通りか!」
「……私は、貴方の望みを叶えるべく仕えただけ」
「フン」
あくまでも沈着冷静に徹するプレラーティの態度に、ジル・ド・レは激昂を削がれていく。
「後悔なさっておられるのか?」
「……いや、確かに〈吸血鬼〉へと転生する事で〝力〟は得た。そして、それはワシ自身が望んだ結果よ。そこに不服はない。だがしかし──」
「しかし?」
「──まだ足りんのだ。このままでは、カーミラ・カルンスタインには届かぬ。あのカリナ・ノヴェールとかいう小娘も凌駕できぬ。力が足りんのだ……全然な」
「……貴方が望むなら、また祭儀の手筈を整えましょう」
いま、ジル・ド・レの内には、あの時の欲求が甦りつつあった。
愛でるに愛らしい子供達が、恐々と怯え喚く姿──黄色い悲鳴と嗚咽の末、解放された絶頂にも似た断末魔──血と肉と性と力──心底に淀む欲求が混然となって誘惑してくる。
暫しの沈黙後、ジル・ド・レは疲れ果てたかのような口調で命じた。
「……プレラーティよ」
「はっ」
「会議の日取りが近い。現状は下がるがいい」
「……はっ」
素直に影へと還る従者。
強い負念が激しい潮流と化し、ジル・ド・レの頭を逡巡する。
迷いの根源がカーミラへの嫉妬心からなのか、現在は亡き主君への固執からなのか──もはや彼自身にも分からぬままに。
いずれにしても、かつて彼が心酔した〈聖少女〉は、もういない。
カーミラ・カルンスタインは〝オルレアンの少女〟ではないのだ。
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