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~第三幕~
呪后再生 Chapter.8
しおりを挟む「ハッ! こ……此処は?」
ようやくにして目覚めたアイは、即座に現状把握を展望した。
見渡せば荒涼の砂漠……空は黒を染め上げ、気温は寒さに肌を刺す。
怯えにも似た自衛意識に危険の姿を索敵したが、どういうワケかいなかった。
とりあえずは安堵に浸る。
理由は分からぬが命拾いをしたようだ。
「死なずには済んだ……か。不幸中の幸いだ。なれば、転生に賭ける必要も無い。今生にて立て直せば善いだけの事」そして、その為に不可欠な呪具を思い出す。「そうだ! 〈仮面〉を! アレは我が呪力増幅具……言うなれば、呪后の〈錫杖〉と同じ! アレ無くしては対等に渡り合う事など出来ん!」
まだ不確定な体幹によろめき立つと、ふらつく足取りで宝探しへと足を踏み出した。
茫漠に砂原は続く。
空漠に闇天は続く。
如何ほど歩き続けたかは覚えていない。
充分に回復せぬままに歩き出した事に加えて砂が鎖枷と掴み引くものだから、重々しく蝕む疲労感は彼の体力を憔悴させていった。
それでも足跡を刻めるのは気力依存の機械的動作故だ。野心への執着と言い換えても善いが。
とはいえ、限界は来る。
事切れたかのように倒れ込めば、腕を動かす気力さえ萎えた。
(おかしい……)
微かに感じていた違和感に脳細胞を傾ける。
(此処は何処なのだ?)
何処までも続く闇空と砂漠──冷たい牙と噛み過ぎる寒風──鬱陶しく不快感を煽る砂塵────総てが見慣れた光景でありながらも、決定的な差異に気付いた。
(……何故〈ピラミッド〉が無い?)
それに気付いたのは彷徨して暫く経ってからだ。
地平は続いた。
果てなく……終着も無く……。
そう、地平は…………。
だが、乱立に在って然るべき王墓や金字塔が一切見られなかった。
普通ならば、無意識にでも眼界へと滑り込むというのに。
縦しんば近くに無かったとしても、遠景として自己主張する巨大さだというのに。
それに気付けば星も無い。
それどころか無遠慮に常駐する卑しい単眼もいない。
(一体、何処だというのだ……此処は……)
思考を交錯させるも立ち上がる気力すら枯渇していた。
ただ砂の敷布へと横たわり埋もれるだけ……。
と、激しい振動が大地を揺るがした!
積もる砂は細やかに弾け踊り、地面の安定は非情緒にて崩される!
「な……何だ! 地震か?」
さすがに慌てて身を剥がした!
状況を把握しようにも在るのは砂漠と地平と己のみ……比較対象は無い。
だがしかし、何故か感じた!
確信めいて直感した!
身の危険を!
眼前が砂の大山と盛り上がる!
視界を完全遮断するほどの巨峰と!
瀑布と落ちる砂滝から姿を現したのは、途方もなく巨大な〈怪物〉であった!
嗚呼! なんとおぞましい!
それは如何様にも形容できぬ化物!
それは如何様にも形容できる怪物!
だからこそ覚れるのだ!
この魔獣が何者かを!
「ア……アンムト!」
それがスメンクカーラー最期の言葉となった。
次の瞬間には口腔へと呑まれ消えたのだから……。
もはや〈魂〉も〈霊〉も抜け出す事は叶わぬ。
現世再生は叶わぬ。
やがて起点へと戻され、そして繰り返される。
彼自身が信徒達に課した魂牢のように……。
呪后が授けし刑罰は、永劫たる夢幻の戒めであった。
砂漠に降り立った禁忌は黒き月を見上げていた。
黄色の単眼と見つめ合う毅然。
意志疎通かは分からぬ。
ただ視線だけを交え続け……。
そして、やがて踵を返すと、宿命へと向かうかのように歩を踏み出した。
「ま……待って!」
背後からの呼び止めに留まる。
振り向きはしない。
誰かは判る。
内なる〈魂〉には……。
「貴女は……貴女は姉さんなの? ヴァレリア姉さんなの?」
「…………」
その背は何も語らない。
漂い感じるのは、ひたすらに孤高。
異なる孤高が、ふたつ。
深海のように暗く冷たい孤高──。
穏やかな潮騒のように満たしてくる孤高────。
死んじまった。
もう妹とも居られない。
一緒に居てやれない。
同じ時間を生きられない。
時空軸すら変わってしまった。
この子も、やがては死ぬだろう。
時代の潮流に呑まれて……。
それが生きとし生ける者の摂理だ。
だけど、私は生き続ける。
〈死〉という〈生〉を生き続ける。
それは永遠に続く悠久の牢獄……。
摂理から弾かれた〈怪物〉の宿命……。
だけど、悲嘆はすれど悔いは無い。
アタシにとって、最も大切なのは──エレンだ。
愛しい妹だ。
アタシにとって、唯一の家族。
アタシよりも大切な存在。
こんなアタシにも〈愛〉があったと証明してくれる存在。
そう、だから悔いは無い。
「姉さん!」
感極まって駆け寄ろうとするも、振り向き様に突き付ける錫杖が非情にて制す!
それは〈呪后〉であろうか?
はたまた〈姉〉であったのであろうか?
判るはずもない。
──来るな。
(来るなよ、エレン……)
──汲め。
(お別れだ)
──お前の〈姉〉の想いを。
(生きろよ……)
──そして、誇れ……。
泣き崩れる愛が背中に刺す。
いつかと同じに……。
また妹を捨てた。
だけど、今回は違う──守るためだ。
だから、誇りに捨てよう。
アタシがアタシで在るために……。
「いまだ! いまなら!」
離れから傍観していたペルセウスは、油断の好機を嗅ぎ取り黄金剣を手にする!
呪后は覇気を解いていた。
何故かは解らない。
らしくもない。
だが、チャンスには違いない!
そして、地を蹴り飛び込んだ!
一気に間合いを詰める!
矢の如く!
「呪后ゥゥゥーーーーッ!」
繰り出される刃!
が、その鋭利は届く事も無かった。
割って入った剛腕が手首を枷と縛ったからだ。
「……野暮な事してんじゃねぇよ」
「クッ? ヘラクレス? 放せ! 馬鹿者!」
「あん?」
「この機は千載一遇! 忌むべき邪悪を成敗する好機!」
「邪悪……ねぇ?」と、シラケる。「ほらよ」
「グッ?」
捻り上げる形で投げ捨ててやった。
砂埃に呑まれた祖父に立ち上がるだけの破棄は窺えない。
腕のダメージを庇うだけだ。
それを見定めたぶっきらぼうは、女の下へ足を運ぶのであった。
「よぉ」
正面から向き合う。
内に潜む相棒へと。
(ああ、そうか……オマエ、そういうヤツか)
ヴァレリアは納得し……思わず吹きそうになった。
常々破天荒なヤツとは感じていたが、まさか……だ。
「妹の事は……エレンの事は心配すんな」
(あ?)
「俺が護る」
(……心配しか無ぇじゃねえか)
魂は笑い、豪胆は歯を見せた。
いつものように……。
「じゃあな……ヴァレリア」
(じゃあな……脳筋)
二人の別離を見届けたかのように、再び〈呪后〉は歩き出す。
擦れ違うままに離れる影。
再び会う時は〈敵〉だ。
背中に咬む哀愁が、どちらのものかは定かにない。
ただ虚しく、寒く、渇いた……。
延々と続く砂丘の大海……。
砂漠は続く。
闇も広がる。
道標すら無い原を、しかし呪后は確固とした道程に刻んだ。
次に赴く先は決まっている。
次に構えるべき相手は決まっている。
太古のヴェールに覗く瞳は揺るがぬ意志を強く宿し……。
(よぉ、呪后。ひとつ訊いてもいいか?)
──まだ存在したか。
(性分でな。謎は解き明かしておきてぇんだ)
──しぶとい魂だ。
──然れど心地善い。
(オマエ、誰の〈后〉なんだ?)
──誰……だと?
(ああ、后ってのは王女や姫とは違う。それは〝王族何者かの妻〟って事を意味するはずだ)
──我が名乗ったわけではない。
──我が真名は禁忌……。
──公には曝されぬ。
(ああ、そうか……そうだったな)
──だが、それでは指し示すには些か不便……そこで名付けられた〝通り名〟であろう。
──おそらくアクエンアテンかネフェルティティ……或いはアンケセナーメン辺りか。
(いや、ネフェルティティやアンケセナーメンの線は薄いだろうよ)
──ほぅ? 何故?
(オマエを愛していた)
──…………。
(忌み名なんざ付けねぇよ)
──フッ……。
根拠無き楽観視。
然れど心地善い。
立ち止まりに闇空を仰げば、卑しい巨眼と目が合った。
(はぁ? オイオイ? まさか〈黒月〉が夫とか言い出すんじゃないだろうな? あんなバケモンが?)
──いいや。
──だが、いずれにせよアレには起因しよう。
──我はアレに授けられた。
──生まれ落ちる前から。
──どうやら〝来るべき時代〟に備えて……。
──そう、この時代に備えて……。
──その〈呪魂〉を……。
(闇暦に備えて?)
だとすれば〈呪后〉は〈黒月の使徒〉とも形容できる特異存在だ。
しかも、最終兵器とも呼べるだけの切札。
それを考慮に据えれば納得にも足る。
あの強大無比な呪力も……。
生まれ落ちる前から授けられたという仕込みも…………。
それだけ期待値を傾けられていたという事だ。
あの〈黒月〉から…………。
(ずいぶんと先見の明があったもんだぜ? 紀元前から、この時代を見据えて下準備ってか?)
と、考察の中でヴァレリアは直感した。
だから、苦笑う。
(なるほど……厄介な〝つがい〟だな)
それが〈答〉だと悟る。
おそらく〈呪い〉そのものが伴侶なのだ。
運命付けられた宿業そのものが……。
未来永劫、添い遂げねばならぬ。
共に在らねばならぬ。
その忌まわしき呪縛と……。
「ヴァレリア……なのか?」
不意に聞こえた弱々しい問い掛け。
注視を傍へと傾ければ、いつの間にか男が一人……アンドリュー・アルターナであった。
「オマエは、ヴァレリアなのか?」
(親父……)
柄にもなく込み上げて来る感傷。
この者とも別離となった。
いろいろとあったのは事実だが、こうなれば名残惜しさも芽生えるというもの。
ともあれ、家族は失った。
と、一転して予想外の喜色が狂う!
「素晴らしい! 素晴らしいぞ! ヴァレリア!」
(何?)
ヴァレリアが困惑する眼前で、狂喜は構わず猛り誇った!
「オマエは前人未踏を成し遂げた! オマエは歴史そのものとなったのだ! これを超える考証材料があろうか? いいや、無い! 何者達が遺跡発掘に躍起となろうが、これを上回る物など! 何せ歴史そのものなのだ! 嗚呼、ヴァレリア……オマエは文字通り〈生き証人〉となったのだ!」
(……テメェは……どこまでも!)
最後の刹那に信じていたかった……。
親として目を向けてくれたと……。
親として接してくれたと……。
だが……だが…………。
「ハハハハ! 素晴らしい! 実に素晴らしい! これで私達は何処の誰よりも先手だ! 一歩二歩の話ではない……常に! 常にだ!」
(ざけんな! アタシは……アタシは……ただ……ただ……)
「嗚呼、生ませてやった甲斐もあったというもの……ヴァレリア、オマエは私の誇りだ! ハハハハハ! ハハハハハハハハハハハハハハ!」
(テメェは……テメェ……は…………)
もはや憤りを超えた。
もはや憎悪すら超えた。
ただ、ひたすらに寒い……。
心の空洞は…………。
──そんなに歴史とやらに執心か?
傍聴していた深淵が蠢いた!
表層化した不快感を我が身と感ずればこそ、ヴァレリアは焦燥に染まる!
(待て! 呪后!)
制止空しくも意思は肉体支配権に無い。
ユラリと伸ばした左掌が下郎の顔面を鷲掴む!
「うぐ?」
──なれば、存分に堪能するが善い。
──身を以て。
「ぅぎゃあああああぁぁぁーーーーっ!」
こめかみから注ぎ込む強大な念!
脳髄に叩き込む膨大な情報量!
刻み付けてやった!
望み通りに!
その身を以て……。
はたして、それは〈呪后〉の決断であったのだろうか?
それとも……それとも…………。
金字塔登頂から観察していた魔女は、当然の顛末に虚無感を噛み締める。
「自業自得とはいえ、やるせないものよね……アンドリュー・アルターナ」
縦しんば関係修復をも期待して、今一度〝やりなおす生〟を与えたものの、やはり無駄であった。
魔力消費の無駄遣いだ。
とはいえ、この展開を視野に入れていなかったワケでもない。
寧ろ濃厚だとは予想していた。
だから然程、悲嘆に呑まれる事も無かった。
(人が、そう簡単に変われるワケもない。 とりわけ〈私欲〉に於いては……ね)
ややあって背後に音も無く影が涌いた。
それは人型と膨れ立ち、そして人間と機能する。
その気配を察知した上で、メディアは独り言めいて自嘲した。
「ベターは尽したけれど、結局〈呪后〉は復活した──無駄だったわね」
使者は答えぬ。
ただ向けるだけ……。
新参者への値踏みを……。
「ねぇ? ドロテアさんとやら? アタシの優待は、あるんでしょうね? 言っておくけど、安くはないわよ?」
そして、転移魔法の同行に消え去るのであった。
向かうはフランス──魔女の勢力が胎動する地。
荒涼が支配する事後に佇む。
ヴァレリアにしてみれば空虚であり、呪后にしてみれば些事だ。
父親を殺し、羽虫を潰した。
別に呪后を責める気は無い。
遅かれ早かれ、こうなっていた可能性は否めない。
心底には殺意が燻っていたのだから……。
もしかしたら、呪后はそれを感受したのかもしれない。
その衝動を代行しただけかもしれない。
いずれにせよ〝復讐〟は為された。
幼少期からの目的……ともすれば、いつしか忘却すらしていた悲願は成就されたのだ。
或いは、これもまた〈呪い〉か……。
自らの負念が生み出した〈呪い〉やも知れぬ……。
この虚しさと罪悪感は…………。
直後、砂塵が荒れた。
進路障壁と閉ざす砂嵐。
その向こうに開くは異界の門。
幾多の猛威が待ち受けているかは底知れぬ。
彼女を抹消せんと……。
それでも彼女は足を踏み入れる。
罠たる歓待と知りつつも……。
例え〈エジプト神〉総出が相手であろうとも……。
使命ではない。
自棄でもない。
覚悟だ。
新たな時代に知ら示せねばならぬ。
我が〈存在〉を……。
その為の祝砲だ。
そう、これは〈戴冠の儀〉…………。
──我は〈無敵〉也。
──我は〈絶対〉也。
──そして、我は……〈呪后〉也。
蜃気楼と聳える巨像は、対決の招待に彼女を呑み去った。
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