上 下
1 / 56

異世界転移

しおりを挟む
「J'ai reçu une commande de la troisième table!!」(三番テーブルからオーダー頂きました!!)
「「「「Oui!!」」」」(はい!!)

 ここはフランス料理専門店、三ツ星レストラン「ラ、グラン」。『偉大な』という名前を掲げるほどその料理の評判は高く、シェフはオープン一年目でミシュランに認められるほどの腕前だった。

「Rokuban vous obtenez une table de hors-d'œuvre!」(六番テーブルオードブル出ます!)
「Il sort dans 2 minutes 30 secondes après la 10ème cuisson du poisson de tabl!」(10番テーブル魚料理あと2分30秒で出ます!)
「Après 5 minutes sur le poisson de table 5, terminez les plats de viande en 12 minutes!」(5番テーブル魚料理を5分後、肉料理を12分後に仕上げてください!)

 日本にあるレストランでスタッフは全員日本人。だが此処で日本語をしゃべる人はいない。ホールスタッフもキッチンスタッフも全てがフランス語。それだけでその意識の高さが分かる。

 沢山の声が飛び交う中その全ての声を聞き取りフライパンを握る男。彼こそがこのレストランの若きシェフでありこの物語の主人公「松本 徹」(まつもと てつ)。

 幼少期から父の洋食屋で働きフランス料理の神髄を叩き込まれ、そして日本人最年少で三ツ星の称号を手にした男だ。

 今、芸術とまで言われた彼の料理を楽しもうと世界中からお客様が集まっている。

「Chef, excusez-moi. Vous avez dit que vous voulez dire bonjour.」(シェフ、失礼します。お客様が是非挨拶したいとおっしゃってます)
「Je comprends. Allez vite」(分かった。すぐに行く)

 彼は料理の仕上げをスーシェフ(二番料理長)に任せ、身だしなみを整え客席へと向かう。

 有名レストランにもなるとシェフはお客様との時間も大切にしなくてはならない。多くのグルメ達はその感想を直接シェフに伝え、そして仲良くなりたいと思うのが普通だ。

「全く、このクソ忙しい時に……」

 徹は誰にも聞こえないように小さな声でぼやきながらキッチンを後にする。

 レストランの厨房はそれこそ「戦場」と言っても過言ではない。お客様に最高のタイミングで料理を提供するためには秒単位で料理を仕上げていかなければならない。

 お客様がコースを決めてからアペリティフ(食前酒)を提供するタイミング、ドリンクを出すタイミング、お客様が良く話す人かどうか、料理を食べるペースが速い人かどうか、カップルか家族連れか接待か。その全てがキッチンには伝えられ、そして料理を作る時間を決める。

 全てのお客様が「最高のタイミング」と思える時間に料理を作ると言いう事はすべての事に神経をつぎ込まなければならない。

 なのにお客様といちいち会話するなど。と徹は思いながらも師匠に「お客様と会話を楽しむのも素晴らしい料理を提供するのも同じことだ」と言われ続けた徹はため息をつきながら思い出し目的のお客様の前に立つ。

「本日はお忙しい中お越しいただきありがとうございます。お料理はお口に合いましたでしょうか?」

 お決まりのセリフを言いながら徹は疑問に思う。

「ああ、最高の料理でした。さすが最年少で三ツ星を手にしただけの事はある」

 そう言い笑顔で徹の手を握る男性はどこかで見た事ある気がしてならない。だが次の料理のタイミングなどを考えながらしゃべる徹はどうしても目の前の男性の事を思い出せないでいた。

「ありがとうございます。これからも「ラ、グラン」をよろしくお願いいたします」

 思い出せない事がなんだか申し訳なく思い、会話を早々に切り上げようとする徹はすぐその事を後悔する。

「いやいや、私がこの店に来ることはないよ。何故ならこの店は今この瞬間をもって閉店するからだ」
「……は?」

 徹は腹部に違和感を感じ、辺りからは女性の悲鳴が響き渡る。

「あ、貴方は……」

 徹は自身の腹部に刺さったナイフを掴みながら彼の事を思い出し、彼は膝から崩れる徹に何かを言うが徹の耳にはもうその言葉は届かない。

 薄れゆく意識の中で徹は思う。 

 レストランで星を得ることは名誉なことだ。だが同時にその星を失うと客は途端に離れ、その名声は消えゆく。その為その事に絶望し自殺したシェフは何人もいる。

 彼は去年まで近所で一つ星レストランを営んでいたシェフだった。だが数年前にその星は無くなり客足は途絶え、経営困難に陥っていたと聞く。だがそんな話はこの業界ではよくあることだ。

 だからミシュランに選ばれても星を得ることを断る店は少なくない。何故なら星を得ることでその敷居が高くなり、同時に予約することが困難になる。つまりこれまで気軽に来ていただいていたお客様が来づらくなってしまうからだ。シェフは常にその葛藤に悩まされる。

 真実は分からないが恐らく彼は徹に嫉妬したんだろう。長年守り続けてきた星を奪われ名誉が地に落ちた彼は追い詰められていたんだ。

 単なる八つ当たりだが、だが同時にいつか自分も彼と同じ道をたどっていたのかもしれないな。

 何故だかそんな風に冷静に分析した徹はその瞬間意識を手放した。

「……きてください。起きてください。はぁ。『開店の時間だ徹!!いつまで寝てるんだ馬鹿やろう!!』」
「……!?ウィ!!シェフ!!……ってあれ?」

 いつも通りシェフに怒られ飛び起き店に向かおうとした徹はいつもと違う光景に驚く。

 何もない真っ白な空間。目の前には真っ白に身をつつんだ長髪の金髪の女性。その女性はまさに女神様と言っても過言ではないくらい美しい。

「過言というか女神そのものなんですけどね」

 くすりと笑う女性に目を奪われながらも徹は色々思い出し考える。

 まず先ほど師匠であるシェフの声がしたがあり得ない。シェフは今フランス、パリにいるはずだ。あの料理以外に興味がない彼が日本にいるわけない。そんな時間があったらワイン片手に料理の研究を続けているはずだ。

 次に自分は先ほどナイフで刺されたはずだ。ならここは病院か?いや、そんな風には見えない。もしここが手術室なら一体何平方ある手術室なんだ。しかも機材もなければ人員もない。目の前の女性は医者には見えないし。

 というかナイフで刺された自分より目の前の女性の方が重症なのでは?自分で「女神そのもの」とか言っているし。一度脳外科に観てもらうべきだ。いや、精神科か?

「ちょっと?何考えてるか丸わかりですよ?あまり失礼だと地獄送りにしてしまいますよ?」

 やはり重症のようだ。できればあまり関わりたくないな。

「はぁ。もういいや。兎に角日本人なら『ラノベ』はご存知ですよね?貴方は死に、そして異世界転移、つまりチート転移することになったと言えばわかりますか?」

 ああ、駄目だ。目の前の女性は末期のようだ。早く医者に見せなきゃ手遅れになるぞ。

 だが自分のポケットを探してみたがスマートフォンが見つからない。ああ、そう言えばスタッフルームの荷物の中に置いてきたんだと思いだす。という事は彼女はもう助からないのか。残念だ。

「ちょっと!?本当に地獄に送りますよ!?」

 そこから徹は目の前の女神さまに三時間近く説教をされながら状況を説明されるのだった。





「……という事は俺は『死んだ』。そして日本で流行っている『ライトノベル』と言う本でよくある設定『剣と魔法の世界』という所に『チート転移』、つまり『少し若返り、そして強くなり』その世界に行くという事で間違いありませんか?」
「はぁ、はぁ、そうよ。そう言うことよ。なんで本当に何も知らないの?なんであんなに面白い『聖書達』を読んでないのよ」

 目の前の女神様は、長時間興奮しながら説教したせいで乱れた綺麗な髪をなおしながら言う。

 だがそれは仕方のない事だ。徹は教科書以外の本は料理本しか読んだことはない。料理の世界は極めようと思えばそれこそ一生かけても時間が足りない程奥深く、そしてその可能性は無限だ。

 徹も幼少期から常にその神髄を追い求めて何度頂きにたどり着いたと錯覚した事か。

 料理の神髄はまだ誰にも分からない。徹は定期的に料理を極めた気分になっていたが、だがそれはいつも蜃気楼のように消えていく。

 何故なら人の味覚は千差万別だからだ。いくら美味しい料理を作っても人によっては不味く感じてしまう。

 だがら三ツ星レストランを作りそして再び自身の自信を取り戻そうとした。

 だがそれもまた蜃気楼。お客様によっては「期待外れだった」と言う方もいる。

 いくら手を伸ばしてもつかめない料理の神髄。掴んだと思ってもいつもそれは白い靄となって消えていってしまう。

 ああ、料理の神がいるならば教えてほしい!

 料理とは一体何なのか!?

 料理の神髄とは何なのか!?

 掴もうとしても消えてしまうこの蜃気楼の正体は一体何なんだ!?

「おい、女神の前で何蜃気楼を見てやんだ」
「チェンジで。折角死んだんだから女神様より料理の神様に会いたいです」
「な、なんですって!!??女神を前にしてチェンジって何よチェンジって!!」

 こうして一人の料理馬鹿はまた2時間程女神さまに説教をされるのだった。

「で?異世界に行くの?行かないの?」

 いつの間にかあるソファーに座り、説教疲れで項垂れている女神さまは気だる気に聞いてくる。

 女神さまの話は長かったので徹はあまり覚えていないが、内容はだいたいこんな感じだ。

 今の地球と言う星は可もなく不可もなく、科学のおかげで多少は発展しているが他の科学が発展した星に比べればまだ産毛が生えた程度。

 特に日本はラノベを通じて異世界と言う場所を想像したことあるおかげで、異世界に行っても適応しやすい。

 つまり大して知識もなく適応しやすい日本人が異世界転移にはちょうどいいらしい。

 下手に科学が発展した星の人を連れていくとそれこそ文化そのものが変わってしまい大変らしい。

 では何故異世界転生などさせるのか。

 それは神が世界に定期的に世界に刺激を与えているらしい。

 歴史上の人物がそうだったように、電機やガスを発見し使いこなしたように異世界人が世界に少し刺激を与え技術の発展を促すのが目的だという。

 だけど徹にはそんな技術も知識もない。

 だけどそんな事はしなくていいらしい。矛盾しているようだが神からすれば異世界人を転移させるだけでその目的は果たされるという。

 つまり転移してある程度人と接しある程度生き延びてくれればそれでいいらしい。

 だから魔王になろうが勇者になろうが好きにしてくれという事だった。徹からしたらそれ自体何なのか分からなかったが。

 因みに地球には戻れないらしい。一度死んだ人間が同じ世界で二度連続で生を受けることはできないという話だ。

「因みに異世界の料理はどうなんですか?」

 徹の質問に女神はため息をつく。

 今まで何人もの日本人を異世界に送ってきたがこんなどうでもいい質問をされたのは初めてだからだ。

 だが適当に答えては彼を異世界に送れない。だから女神は彼の望む答えを用意する。

「異世界は名前は違えど地球の食材と近いものが多い。それだけでなく地球にない食材や調理技術があるだろう。つまりその腕次第では料理の幅が広がるのでは?」

 その言葉で徹の目が輝く。

 新たな食材に技術。それがあればあのつかめそうで掴めなかった蜃気楼の正体が分かるかもしれない。

 あの頂にある蜃気楼の正体が!

「だから女神の前で蜃気楼を見てるんじゃない。とりあえず行くという事でいいんだな?なら『チート』の部分について説明するぞ?」

 疲れ切り敬語を使う事を忘れた女神が説明を始める。

 チートはある程度強い肉体と魔力を与えその成長を早める事らしい。理由といしてはある程度生き残ってもらわないと世界に刺激を与えられないからだ。

 次に何か望む武器や魔法をくれるらしい。

 と言っても無敵になれる「創造魔法」の類や「聖剣」は無理らしい。まぁラノベを知らない徹からすればその類と言うのは何なのか分からなかったが。

「なら包丁を下さい」

 その答えに女神は再びため息をつくが一応どんなものか聞いてみる。

「包丁は料理人の命。できれば刃が欠けない丈夫で切れ味がいいものがいいです。あ、出来れば数本欲しいですね。出刃包丁、筋引き包丁、ペティナイフ、洋出刃、骨スキ、それから……」
「ああ、分かった、分かった。お前の望む包丁を用意する。それでいいな?ならもう送るぞ?世界の説明は先ほどした通りだ。まぁうまく適当に生き残ってくれ。」

 女神はそう言うと徹に手をかざし、徹は光に包まれその場から消えていった。

 ここで女神は一つ大きなミスをした。

 本来ならば「ある程度」力を与えて転移させるはずが徹に呆れ適当に力を与えてしまった。つまり力加減を間違え「力を与え過ぎてしまった」わけだ。だがその事に女神は気が付くはずもなく。

「はぁ。何であんな奴を選んでしまったのか」

 女神のつぶやきは誰にも届くことなく白い空間に分散され消えていった。
しおりを挟む
感想 142

あなたにおすすめの小説

今さら言われても・・・私は趣味に生きてますので

sherry
ファンタジー
ある日森に置き去りにされた少女はひょんな事から自分が前世の記憶を持ち、この世界に生まれ変わったことを思い出す。 早々に今世の家族に見切りをつけた少女は色んな出会いもあり、周りに呆れられながらも成長していく。 なのに・・・今更そんなこと言われても・・・出来ればそのまま放置しといてくれません?私は私で気楽にやってますので。 ※魔法と剣の世界です。 ※所々ご都合設定かもしれません。初ジャンルなので、暖かく見守っていただけたら幸いです。

婚約破棄は誰が為の

瀬織董李
ファンタジー
学園の卒業パーティーで起こった婚約破棄。 宣言した王太子は気付いていなかった。 この婚約破棄を誰よりも望んでいたのが、目の前の令嬢であることを…… 10話程度の予定。1話約千文字です 10/9日HOTランキング5位 10/10HOTランキング1位になりました! ありがとうございます!!

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

とある婚約破棄の顛末

瀬織董李
ファンタジー
男爵令嬢に入れあげ生徒会の仕事を疎かにした挙げ句、婚約者の公爵令嬢に婚約破棄を告げた王太子。 あっさりと受け入れられて拍子抜けするが、それには理由があった。 まあ、なおざりにされたら心は離れるよね。

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜

𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。 だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。 「もっと早く癒せよ! このグズが!」 「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」 「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」 また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、 「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」 「チッ。あの能無しのせいで……」 頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。 もう我慢ならない! 聖女さんは、とうとう怒った。

私が出て行った後、旦那様から後悔の手紙がもたらされました

新野乃花(大舟)
恋愛
ルナとルーク伯爵は婚約関係にあったが、その関係は伯爵の妹であるリリアによって壊される。伯爵はルナの事よりもリリアの事ばかりを優先するためだ。そんな日々が繰り返される中で、ルナは伯爵の元から姿を消す。最初こそ何とも思っていなかった伯爵であったが、その後あるきっかけをもとに、ルナの元に後悔の手紙を送ることとなるのだった…。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

処理中です...