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第9話 案ずるよりパンクが易し 3

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 一軒家の古くなった自宅から出て、伊知郎は近くのゴミ置き場にゴミ袋を置く。
 回収の時間帯は大体九時過ぎだと聞くが、ゴミ置き場には既にゴミ袋が山積みになって置いてある。
 山積みのゴミ袋を見ると辺りの住人達の朝の忙しさを垣間見ている様だ。

 そんなゴミ袋の山から目線を逸らしてみると、そんな忙しさを全力で身体で表現するかの様に走る茶髪の男が目に入った。
 濃赤のジャケットを着た男は、二丁目の方から走ってきた様だ。
 誰かに追われているのか、後ろを確認すると息を吐いて足を早めた。
 あのままの進路なら八丁目に向かうのだろう。

 伊知郎の視界から走り去った茶髪の男は、伊知郎にとって見覚えのある男であった。
 見覚えのある、といってもそれほどはっきりとしたものではない。
 後ろ姿、記憶にあるのはそれだけだ。
 昨日、コンビニで五円を代わりに払ってくれた茶髪の男性の後ろ姿。
 走り去っていく茶髪の男とよく似ている。

 ゴミ置き場から走り去った男のいた場所まで30m程あり、遠目に記憶を重ねただけに過ぎないが。
 伊知郎には何故だか確信があった。
 きっと彼に間違いない。
 借りたものは、返す。

 伊知郎は茶髪の男を追いかける為、走り出した。

 
 八丁目に続く橋を渡り勝は足を止めて、後ろを振り返った。
 売人の二人から完全に逃げ切る気など最初から無く、公共施設が建ち並ぶ八丁目の路地裏に誘い込むのが狙いだった。
 灯台もと暗しとでも言うのか、警察署や市役所などの公共施設が密集している八丁目は逆に犯罪の検挙率が低い。
 二丁目の学生諸君がわざわざ八丁目まで来てカツアゲに勤しんでいるのだから、呆れてしまう話だ。
 何から何まで八丁目に詰め込んでしまった弊害なのだろうと、勝は思っていた。

 真盛川を跨ぐ橋――手浦橋てうらばしは徒歩三分とかからない短い橋だ。
 渡りきったところで向かい側がはっきりと見える。
 その向かい側に走ってくる人物がいた。
 見知らぬ中年男性だった。
 呼吸を荒げてもがくように走ってくる。

「朝から大変だな。仕事に遅れそうなのか」

 自身も朝から逃走劇をやっているのだが勝はそれを棚にあげて、中年男性の走る様を眺めていた。
 まだ待ち人である売人二人組の姿は見えない。

 ふと、勝はその中年男性の様子がおかしい事に気づいた。
 中年男性の視線が明らかに勝に向けられている。
 勝が中年男性を見ているから睨み返している、という感じではない。
 まるで、そのもがくような走りのゴール地点の様だ。

 見知らぬ中年男性に追いかけられそうな事は挙げればキリがなかった。
 キリがない分見当がつかなかったが、大体の理由があまり良い理由ではないので勝は逃げる事にした。

「え、ちょ、ちょっとま、待って、ご、ごえ……」

 荒い呼吸混じりに中年男性が勝を呼び止めようとしていたが、勝はそれを無視して走り出した。

「オラァ、待てこのクソヤロウ!」

 後ろから聞こえる怒鳴り声。
 あの声は褐色肌の男の方だ。
 つくづく面倒な事になってきた。
 何故か追いかけてくる中年男性を撒きつつ、売人二人組を誘い込まなければならない。
 しかも一人は自分の立場を弁えず騒ぐものだから、いくら灯台もと暗しでも見つかってしまう可能性まである。

 ああ、面倒くせぇ。
 勝は面倒事を引き寄せる自分の運気につくづく嫌気が差していた。

 
 こんなに走るのは何年ぶりか、と伊知郎は思った。
 呼吸が激しく乱れていて、今立ち止まれば胃の中の物を吐き出してしまいそうだ。

 前を走る茶髪の男が手浦橋で立ち止まってくれたので自分に気づいてくれたのかと喜んだが、男は暫くすると振り返ってまた走り出した。
 男の反応に落胆しながらも追いかける伊知郎の後ろから怒鳴り声をあげて褐色肌の男が迫ってきていた。
 もうじき春になるとはいえまだ肌寒い中、季節感が全くない服装のその褐色肌の男は、オッサン邪魔だ、と言い捨てて伊知郎を追い越していった。

 褐色肌の男の背中を見送っていると、続いて対照的な色白の男が伊知郎を追い越していく。
 褐色肌の男と違って全力疾走せずにまるでジョギングのような軽快さで色白の男は走っていく。

 自分が追いかけている青年は、朝っぱらから男二人に追われるような青年なのだろうか。
 追いかけている二人からして、かなりの厄介事に関わっているんじゃないだろうか。
 だとすれば、青年にはかかわり合いにならない方がいいのではないだろうか。

 借りたものは、返せ。
 頭に響く安堂家の家訓が、止まりそうになった足を動かした。
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