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衣装
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衣装は本当にたくさんあったので、俺は一晩かけてなんとか五つに候補を絞り込んだものの、そこからは中々決めきれなかった。西棟のはずれから生垣の間をくぐってユーリ殿下の塔の近くまで行き、芝の上に座って悩む。どこで悩んでもいいのだが、時間がもったいないので折角ならユーリ殿下が通りかかる可能性がある場所の方がいいと思ったのだ。月光百合はまだ手元にないが、そもそも俺を信用してもらわなければ薬など飲んでもらえないだろうから。
見比べやすいように切ってもらった布の切れ端を地面に並べてうんうん悩んでいると、跳ねるようにしてリスが近づいてきた。尻尾に白いリボンがくくられている。ローラン様の友達だ。俺はぴくりと片眉を上げて「なにしにきた」と聞いた。リスはふん、とでも言いたげに顔を背け、並べた布の間をぴょんぴょん飛び回った。眉を寄せてその動きを見ていると、不意に後ろで物音がした。反応したのか、リスがさらに激しく動き回る。あまりに素早く尻尾を振るので、ちぎれてしまいそうだった。音の方も気になったが、とりあえずまずは目の前の獣を落ち着かせようと両手でリスを掴む。手のひらの中にリスを閉じ込めると、後ろから耐えきれないというような笑い声が聞こえた。
ユーリ殿下だ。彼は仮面の口元を押さえて肩を震わせていた。手の中にリスを閉じ込めたまま、思いがけず早かった再会に驚く。ユーリ殿下はしばらく俯いたままだった。やっと震えが落ち着くと、こっちに近寄ってきてリスを閉じ込めた俺の手を握り、そっと開く。リスはあっというまに逃げて行った。
「あまりいじめてやるな。野リスは喰っても美味くないぞ」
尻尾がちぎれないよう落ち着かせてやろうとしただけだったが、いじめているように見えたらしい。上手く説明できる気がしなかったので、弁明は諦める。俺は立ち上がり、ユーリ殿下の顔を見つめた。しかし、俺が会えて嬉しいと伝えるより先に、彼はしゃがみこんで芝の上に広げられていた布切れを手に取った。
「はぎれを貰ったのか。小さいが、良い布だな」
彼の指が丁寧にしわを伸ばして、布を重ねて渡してくれる。受け取りながら、頷く。
そういえば、雪解けの祝宴にはユーリ殿下も出席するのだった。彼も衣装を選んでいるのだろうか? 街中で同じ服を着ている人間に会うだけでも複雑な気持ちになるのだから、ユーリ殿下とローラン様はなおさら同じような服を着ない方がいいだろう。衣装について聞こうと口を開くと、ユーリ殿下は優しい声音で「なんだ、もうシンディオラの言葉を話せるようになったのか?」と聞いた。
もしかして、ユーリ殿下は俺が言葉を話せないと思っているのだろうか? まじまじと彼の顔を見る。といっても、そこには冷たい銀の仮面があるばかりなのだが。唯一露出しているのは目元だが、それも必要最小限で、陰になって瞳の色すらよくわからない。じっと見ているうちに、ユーリ殿下は耐えきれないと言いたげに俺の肩を押した。
「おい、近いぞ」
気づくと、鼻が仮面につきそうになるほど顔が近づいていた。慌てて離れて芝の上に腰を下ろす。隣に座ったユーリ殿下は立てた両膝の上に頬杖をついて「不敬だぞ」と笑った。
「お前は知らないだろうが、私はこの国の王太子なんだ。唇でも奪ってみろ。お前に責任が取れるか?」
取れないし、王太子だと言うことは知っている。反省の意をこめて神妙な顔を作って首を横に振った。ユーリ殿下はおかしそうに目を細めた。が、すぐに俺から視線を外し、憂鬱そうに目を伏せる。
「それもいつまでかはわからないがな」
思わずまばたきをしてユーリ殿下の顔を見つめる。それは、思い違いでなければ俺が言葉をわからないと思っているからこそ出た言葉のように思えた。今すぐにでも彼と話したくて開こうとしていた唇を、思わず噤む。ユーリ殿下は俺の視線に気づくと、軽く頭を左右に振った。
「さて、こんなところに来るんじゃないとお前の故郷の言葉ではなんと言うのかな」
俺は困って、色々考えた末に日本語で「またね」と言った。
なんの目的も達成できず、結局布を握りしめてローラン様の部屋に戻る。が、ちょうど出口に差し掛かったところでミリアの姿に気づき、とっさに姿を隠した。生垣の陰に身を潜める。どうやら、彼女はこちらに背を向けて誰かと話をしているらしかった。
「あんまりだわ。私、胸が痛いの」
泣いているようだ。いつもは冷静で、まるで人形のように表情のない人なのに、声が震えている。
「宰相閣下はあの王子に部屋いっぱいの衣装を贈ったのよ。それなのに、この城の誰もユーリさまには見向きもしないなんて」
「落ち着けよ。あのお人がユーリ様に冷たいのなんて、昔からだろ」
ロニーの声だ。生垣からそっと様子を窺ってみたい衝動に駆られたが、見つかればローラン様に迷惑がかかるかもしれない。体をさらに小さく丸めて、息を止めて耳をそばだてる。
「でも、御父上さまだってお手紙すら寄越さないのよ。ユーリさまは気丈に振舞っておられるけど……、悔しいの」
「そんなの、ユーリ様のお顔を見て以来、ずっと音沙汰なしだろ。今に始まったことじゃない。それより今は祝宴をどう乗り切るかを考えよう」
ミリアがしゃくりあげる声が続く。彼女はしばらく嗚咽していたが、ロニーが辛抱強く声をかけると、やっと「オルランド様に頼めないかしら」と言葉を出した。
「あのお方なら、ユーリ様にふさわしいものを用意できると思うわ」
「団長だって? あの人はローラン派だろ」
「でも、親しかったじゃない。あなたたち、よく三人で遠駆けしていたでしょう」
ロニーの悩む声を聴きながら、俺は頭の中で聞いた情報を整理した。つまり、ミリアとロニーの二人は雪解けの祝宴でユーリ殿下の着る服がなくて困っているらしい。そして服の手配を、オルランドに頼めないかと考えている。
結局、その場では結論は出なかった。ロニーは「聞いては見るよ。聞くだけな」と言ってその場を去り、ミリアもほどなくして帰っていった。俺は長時間同じ姿勢でいたせいで痺れた足を叩いてよろめきながら立ち上がった。
見比べやすいように切ってもらった布の切れ端を地面に並べてうんうん悩んでいると、跳ねるようにしてリスが近づいてきた。尻尾に白いリボンがくくられている。ローラン様の友達だ。俺はぴくりと片眉を上げて「なにしにきた」と聞いた。リスはふん、とでも言いたげに顔を背け、並べた布の間をぴょんぴょん飛び回った。眉を寄せてその動きを見ていると、不意に後ろで物音がした。反応したのか、リスがさらに激しく動き回る。あまりに素早く尻尾を振るので、ちぎれてしまいそうだった。音の方も気になったが、とりあえずまずは目の前の獣を落ち着かせようと両手でリスを掴む。手のひらの中にリスを閉じ込めると、後ろから耐えきれないというような笑い声が聞こえた。
ユーリ殿下だ。彼は仮面の口元を押さえて肩を震わせていた。手の中にリスを閉じ込めたまま、思いがけず早かった再会に驚く。ユーリ殿下はしばらく俯いたままだった。やっと震えが落ち着くと、こっちに近寄ってきてリスを閉じ込めた俺の手を握り、そっと開く。リスはあっというまに逃げて行った。
「あまりいじめてやるな。野リスは喰っても美味くないぞ」
尻尾がちぎれないよう落ち着かせてやろうとしただけだったが、いじめているように見えたらしい。上手く説明できる気がしなかったので、弁明は諦める。俺は立ち上がり、ユーリ殿下の顔を見つめた。しかし、俺が会えて嬉しいと伝えるより先に、彼はしゃがみこんで芝の上に広げられていた布切れを手に取った。
「はぎれを貰ったのか。小さいが、良い布だな」
彼の指が丁寧にしわを伸ばして、布を重ねて渡してくれる。受け取りながら、頷く。
そういえば、雪解けの祝宴にはユーリ殿下も出席するのだった。彼も衣装を選んでいるのだろうか? 街中で同じ服を着ている人間に会うだけでも複雑な気持ちになるのだから、ユーリ殿下とローラン様はなおさら同じような服を着ない方がいいだろう。衣装について聞こうと口を開くと、ユーリ殿下は優しい声音で「なんだ、もうシンディオラの言葉を話せるようになったのか?」と聞いた。
もしかして、ユーリ殿下は俺が言葉を話せないと思っているのだろうか? まじまじと彼の顔を見る。といっても、そこには冷たい銀の仮面があるばかりなのだが。唯一露出しているのは目元だが、それも必要最小限で、陰になって瞳の色すらよくわからない。じっと見ているうちに、ユーリ殿下は耐えきれないと言いたげに俺の肩を押した。
「おい、近いぞ」
気づくと、鼻が仮面につきそうになるほど顔が近づいていた。慌てて離れて芝の上に腰を下ろす。隣に座ったユーリ殿下は立てた両膝の上に頬杖をついて「不敬だぞ」と笑った。
「お前は知らないだろうが、私はこの国の王太子なんだ。唇でも奪ってみろ。お前に責任が取れるか?」
取れないし、王太子だと言うことは知っている。反省の意をこめて神妙な顔を作って首を横に振った。ユーリ殿下はおかしそうに目を細めた。が、すぐに俺から視線を外し、憂鬱そうに目を伏せる。
「それもいつまでかはわからないがな」
思わずまばたきをしてユーリ殿下の顔を見つめる。それは、思い違いでなければ俺が言葉をわからないと思っているからこそ出た言葉のように思えた。今すぐにでも彼と話したくて開こうとしていた唇を、思わず噤む。ユーリ殿下は俺の視線に気づくと、軽く頭を左右に振った。
「さて、こんなところに来るんじゃないとお前の故郷の言葉ではなんと言うのかな」
俺は困って、色々考えた末に日本語で「またね」と言った。
なんの目的も達成できず、結局布を握りしめてローラン様の部屋に戻る。が、ちょうど出口に差し掛かったところでミリアの姿に気づき、とっさに姿を隠した。生垣の陰に身を潜める。どうやら、彼女はこちらに背を向けて誰かと話をしているらしかった。
「あんまりだわ。私、胸が痛いの」
泣いているようだ。いつもは冷静で、まるで人形のように表情のない人なのに、声が震えている。
「宰相閣下はあの王子に部屋いっぱいの衣装を贈ったのよ。それなのに、この城の誰もユーリさまには見向きもしないなんて」
「落ち着けよ。あのお人がユーリ様に冷たいのなんて、昔からだろ」
ロニーの声だ。生垣からそっと様子を窺ってみたい衝動に駆られたが、見つかればローラン様に迷惑がかかるかもしれない。体をさらに小さく丸めて、息を止めて耳をそばだてる。
「でも、御父上さまだってお手紙すら寄越さないのよ。ユーリさまは気丈に振舞っておられるけど……、悔しいの」
「そんなの、ユーリ様のお顔を見て以来、ずっと音沙汰なしだろ。今に始まったことじゃない。それより今は祝宴をどう乗り切るかを考えよう」
ミリアがしゃくりあげる声が続く。彼女はしばらく嗚咽していたが、ロニーが辛抱強く声をかけると、やっと「オルランド様に頼めないかしら」と言葉を出した。
「あのお方なら、ユーリ様にふさわしいものを用意できると思うわ」
「団長だって? あの人はローラン派だろ」
「でも、親しかったじゃない。あなたたち、よく三人で遠駆けしていたでしょう」
ロニーの悩む声を聴きながら、俺は頭の中で聞いた情報を整理した。つまり、ミリアとロニーの二人は雪解けの祝宴でユーリ殿下の着る服がなくて困っているらしい。そして服の手配を、オルランドに頼めないかと考えている。
結局、その場では結論は出なかった。ロニーは「聞いては見るよ。聞くだけな」と言ってその場を去り、ミリアもほどなくして帰っていった。俺は長時間同じ姿勢でいたせいで痺れた足を叩いてよろめきながら立ち上がった。
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