緑の指のマリレーナ

たまる

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プロローグ

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 少女はかじかむ手をさする。
 小さな紫色の唇から漏れる白い息は、ふわっと現れてはすぐにきえた。
 チラチラと輝く空からの贈り物は、容赦なく彼女の肩に降り積もっている。
 華奢な体つきの先にある手袋は、まるで効果がないように思えた。

 もうクリタ神聖王国は年の瀬を迎えていた。
 点在するガス灯でほんのりと橙色に染まっている。
 多くのものが片手になにかしらのギフトを抱え急ぎ足だ。
 もうすぐ聖ルヌタスの生誕祭。
 誰もが家族や待ち人のために浮き足立っていた。

 ただ一人をのぞいては…。
 街のまばゆい景色に交わらない少女が一人、ポツンっと立ちすくんでいた。

 鼠色ねずみいろの古ぼけたフードつきの外套。
 中身は薄汚れたサイズのあっていないくさむら色のワンピース。
 そしてまるでこれからもっと降り積もる雪を暗喩あんゆするかのような灰色の髪。
 それは、マリレーナ・リント…十七歳。
 体にしみる寒さと疲労感とは裏腹に、町の見慣れない華やかさにマリレーナはドキドキしていた。

─なんて明るいの。王都って。

 まるで昼のような明るさにマリレーナは心を奪われた。生まれ育った森の中にはこんな光の洪水はあり得なかった。その時、小さく哀れな少女の方向に勢いよく豪奢な馬車が通り過ぎた。 

「きゃっ」
「危ねえぞ、前を見て歩け!」

 容赦ない罵倒が御者から響き、走り去っていく。

「─っ、あ!」

 思わず驚いたマリレーナが、雪の上に尻餅をついた。

「ご、ごめんなさいっ」

 ガタガタと石畳に激しい音を立てて走り去る馬車にマリレーナは叫んで謝った。
 
─いっ、いった~い。ダメね、わたしって。よく見ないといけないわね。

 マリレーナは立ち上がろうとしたとき、あることに気がついた。
 そのまま去っていくと思われた華美な馬車が、道の少しいったところで急停車していたのだ。
 御者が急いで地面に降り立ち、彼は主人の為に馬車のドアを開けていた。

 先ほどまでマリレーナの罵倒を浴びせたと思われる御者がペコペコと頭を下げていた。
 すると馬車から真っ白な騎士の正装の男が降り立ったのが見えた。
 
 彼は道路の雪を跨いで、こちらに大股でやって来る。
 マリレーナの古ぼけたコートに雪水が染みる。しかし、マリレーナはこの男まで怒らせてしまったのではないかと身をかまえた。

「ご、ごめんなさい!!」

 目をつぶり膝を雪の中につきながら、マリレーナは謝罪をした。しかし、男からは何も答えがない。
 うっすら目を開けると、自分の足元にその男の白いブーツがよく見えた。
 顔をあげたマリレーナは驚いた。

 太陽の輝きのような金髪が街灯の光と交じり合っていた。
 男も腰を下げていたからだ。しかも男は少し驚いた表情をしていた。

「─いや、悪いのは私の方だ。家来が無体なことをした。申し訳ない」

 男が手を差し出した。
 マリレーナはたじろいだ。
 どうしていいのかわからないと言った方がよかったのかもしれない。
 緊張していたのだ。父以外の男性に触れたことなどなかった。

 しかも、男の風貌は辺りの注目を一身に浴びるくらいに目立つのだ。
 繊細かつ豪華な金糸の刺繍がついた騎士の正装。涼しげな切れ長の青い眼とすっとした鼻梁。
 肩から優美な線を描く外套は白亜色で、そのエッジには飾り用の白い毛皮。
 華やかな街中にあっても彼の存在は異彩を放っていた。

 馬車の中から若い女性が何か文句をいっているようだったが、それは彼の耳には届いていないように見えた。
 
「─この聖ルヌタス祭だというのに…」

 そう言いながら、マリレーナを見るとちょっと顔をしかめた。
 鼠色のフードを上から着込んだマリレーナの服装は、浮き足立ったような雰囲気の街並と対極の姿だった。
 浮浪者のような破けた外套。外見からは男か女かもわからないような風体だ。

 今まで自分の姿に恥じらいを持ったことがないマリレーナだったが、まじまじとこの男に服装を見られて身がすくんだ。
 もうどれだけ湯を浴びていないかわからない。顔もきっとススだらけだ。
 立ち上がるだけでも、かなりの体力を消耗するのにも関わらず、マリレーナの矜持が彼の手を借りずに彼女を立ち上がらせた。

「─だいじょうぶです」

 彼女の言葉に男は少し眉を寄せた。だか、すぐに忘れていたことを思い出したかのように内ポケットから何かを取り出した。

「これを…すまなかった」

 マリレーナの手のひらに硬いものが握られた。
 男の双眼は澄んだ紺碧の色をしていた。

 だが男の視線はマリレーナのものとは合わなかった。
 なぜなら、馬車から女のイライラした声が聞こえてきたからだ。

 そのまま彼は「では」と言って白い外套をひるがえし去っていく。
 あっという間のことでマリレーナはすぐに「いりません」とは言えなかった。
 手の中にあったものは、今までマリレーナが見たこともないようなぴかぴかの金色の硬貨だった。
 こんな大層なものをもらう筋合いはない。マリレーナは呼びかけた。

「─っ、あの、すみません!」

 だが、すぐに彼女の呼び声も周りの喧騒にかき消された。追いかけようにも自分の足が、思っていたよりも疲労していて駆け出せなかった。
 仕方なく空に浮いていたその硬貨をポケットにしまう。
 ざわついていた人々があれが誰かと噂していた。
 でも体力を無くしていたマリレーナの耳には全ては届かなかった。
 ただ『あれはマキアス様だな…』と言う言葉だけが聞こえた。
 
 マリレーナはその名前を心に刻んだ。
─マキアス様というお方に…このお金を返さないといけない。
 ただそう思っていた。
 
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